みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

うまく生きていくために大切なこと。

今の俺がなぜ今の俺なのか?

 

今のあいつはなぜあいつなのか?

 

例えば、ものを知ってるか知らないかでできることは変わってくるだろう。

 

東大に行った場合と行ってない場合。

 

そりゃあ東大に行った方が何をするにしても有利だ。

 

英語が話せるのと話せないの、話せる方が生きていくのに楽しくないか?

 

じゃあ、どうして東大に行くやつと行かないやつがいる?

 

英語が話せるやつと話せないやつがいるのか?

 

 

 

 

 

 

会社に配置転換というのがある。

 

不思議なことにある職場でうまくやっていけるやつは他の職場でもうまくやっていける。

 

そこでの知識があるかどうかより、もっと大事なことがあるってことだ。

 

こういうことは長く生きていって気づくことなのだ。

 

若いうちにはわからない。

 

俺も歳をとりながら気づいていくが、残念ながら体が老いてゆく。

 

だから、若い人に向かってこの気づきを残している。

 

俺はクソ貧乏の低学歴から少しづつ上がってきたから、きっとこの先も上がっていくだろう。

 

ま、どこか途中で寿命が尽きるだろうが、まだまだ幸せになってしまうだろう。

 

人生は何が決めてるかってことだ。

 

 

 

ズバリ言おう。

 

「選択だ。」

 

結局は選択の連続の結果が今の自分なわけだ。

 

今の自分が嫌ならば、今までしてきた選択がミスってきたんだと思う。

 

人間は1日に35000回も選択しているらしい。

 

だから、あの時にミスったとかこの時に失敗したとか瞬間の話をしていない。

 

失敗しても、再起するやつなんてたくさんいるだろ?

 

選択プログラムがいいと、再起できるわけなんだよ。

 

うまくいってるやつと一緒にやってるとうまくいくはず。

 

なぜなら、選択を誤らないからだ。

 

1回2回踏み外しても大丈夫。

 

選択の繰り返しでその人間が完成しているわけだから、選択プログラムがおかしくなかったら、予定通りの方向に進んでいける。

 

 

こういう仕事をしているから相談されることも多い。

 

俺は俺のプログラムに基づいて「こうがいいですよ。」と言っている。

 

一方で、端っから自分で答えをもっているのに俺に聞きにくる人がいる。

 

そういう人は結局、俺の話には耳を貸さない。

 

もちろん俺のいうことなんか聞く必要はない。

 

その人の今が、幸せならね。

 

でも、不幸で俺に相談してきたのなら、無条件で俺のことを信じた方がいいんじゃないか?

 

だってあなたのその選択で今の不幸を手に入れたわけなのだから。

 

 

 

うまくいってる人には理由がある。

 

だからその人みたいになりたいと思ったら、その人の選択判断をコピペすればいい。

 

何を基準に生きているのか?

 

リスクはどこでとっているのか?

 

 

 

俺は自分で幸せの究極体だと思っているから、文体もそんな感じの雰囲気がでてるかもしれないけど、ま、そこは気にするな。

 

お前はお前でこのブログからヒントを掴んでお前の成功へ向かえ。

 

 

 

 

経済観念を教えるということ。

「お前が高校生になったら、さすがにお父さんはもう教えられない。」

 

「お母さんはねえ、理科は苦手だから。」

 

親御さんによって、勉強を教えられる親御さんと教えられない親御さんが存在しているだろう。

 

また、教えることはできるがプロに任せよう。という方もいるだろう。

 

 

塾をやってると子供のお小遣いが気になって仕方がない。

 

「僕(私)、お小遣いもらってもません。」

 

最近、よく聞くセリフだ。

 

「じゃあ、なんで毎日ペットボトルの飲み物買ってくるの?」

 

「これはジュース代です。」

 

は?

 

子供によっては毎日何百円も普通に使ってる子がいる。

 

これはどうなのだろうか。

 

 

 

 

こんなことがあった。

 

2つ隣の市の長者番付1位の病院の息子さんが塾に来てくれていた。

 

納税だけで何億もしているお家である。

 

でも、その男の子がジュースを買っているのを見たことがなかった。

 

ある夏の日、塾に行ったらその子が、水道の蛇口から水を飲んでいるのを見かけた。

 

「あっ、ごめん。僕の水をあげようね。冷蔵庫に入ってるから。」

 

「いえ、日本の水道の水は飲めるのでいらないです。」

 

それから何度か、その子が水道水を飲んでるのを目にした。

 

 

「ああ、この子の家にはお金はあるけど、何に使うのがいいか。お金とはどういうものなのかをきちんと説明している家なんだな。」って思った。

 

お金のある家は、こういうことを生活の中できちんと教えている子が多い気がする。

 

 

誤解があってはいけないので確認だが、どこか特定の家の話をしているわけではない。

 

誰かを思って書いてるわけでもないし、誰かに書いているわけでもない。

 

 

お金の教育の話をしている。

 

何の気なしにペットボトルのジュースをどんどん買うのが普通に育ってしまってる子。

 

その家は、お金の教育をしていないんじゃない。

 

浪費することが普通であるという教育をしている。

 

浪費することを教えてしまっている家は、その子の選択肢を狭めているのではないかと思わずにはいられない。

 

お金があるのが当たり前。

 

たった100円。たった1000円。

 

これでいいのかなあ。

 

 

 

生徒とたまに飯を食いにいくことがある。

 

「先生、私の分払います。」

 

「は?働いてもないお前がどうやって払うの?」

 

まさか勝手に親の金を使うということか?

 

そういうときは「ありがとうございます。」だろう。

 

俺は働いているんだから。

 

 

 

 

生徒が卒業する時に、たまにだが手紙をもらう。

 

「先生、今までありがとうございました。〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

こういうのが正しい教育じゃないか?

 

子供はまだ働いてないから、自分の金がない。

 

だから代わりに自分の時間を使って手紙を書いてくれてるんだろう。

 

 

それこそ感謝だ。

 

今年の卒業生が、卒業の時にこれをくれた。

 

 

無から考えて作ってくれたらしい。

 

子供の時間はお金には直せないし、お金よりも価値がある。

 

だから俺はこの先もずーーーーーーっと飾っとこうと思っている。

the Rich と Wealth

よくあるでしょ?

 

無名の監督なのに一流の選手を育ててしまうことが。

 

あるいは一流の選手だった人が監督やっても、選手が必ずしも一流にならないことが。

 

 

このテーマは塾でもよく出てくる。

 

先生が勉強できないのに生徒を教えられるんですか?的な議論が。

 

俺はね。

 

塾はサービス業だと思ってるから、客(生徒)を呼べる先生がいい先生だと思ってるけどね。

 

だとすると先生の学歴ってのは関係ないことになるね。

 

ただ、選ぶ側からしたら「いい大学出てる先生の方が子供の成績を伸ばしてくれそう。」な気がするから、まあ、高学歴の先生の方がこのバトルは有利なことになるね。

 

だけど、俺の中ではあくまでも「客を呼べる先生=いい先生」だという立場だ。

 

飲食も同じ。

 

自画自賛料理人とかどうでもよくて、客が入る店がいい店だと俺は勝手に思ってる。

 

商売人はお客さんの数が、その評価だと思うのだ。

 

お客さんの数こそが「いいね」の数だと思う。

 

 

 

ま、その話はどうでもいいや。今はね。

 

幸せ研究家の俺としては、そこじゃないわけよ。

 

「豊か」という言葉を考えるとする。

 

the Rich っていう言葉がある。

 

ま、いわゆる金持ちのことなんだけど。

 

だけどWealthって言葉もある。

 

富、って訳されることが多い。

 

wealthは種々の意味があるみたいだが、富という言葉に重点をおいて比べてみたい。

 

 

金があって豊かなやつは絶対にいるよね。

 

the Rich 

 

でも、俺はもはやこれを目指していない。

 

the Rich  って本当に幸せか?

 

車何台もいるか?

 

ブランド物に囲まれる必要あるか?

 

the Rich で幸せな人もいると思うのだが、俺から見ると金がたくさんあるから幸せであるということではない。

 

 

俺は全くthe Richではないが、完全にWealthだと思っている。

 

全てが豊かだ。

 

好きなもの(高いものは必要ない)はいつでも買え、時間もかなり自由に使え、健康で、素晴らしい人たちに囲まれている。いや、囲まれすぎている。

 

本気で誰とも代わってあげられない。

 

100億円持つ億万長者から、総替えの提案が来ても受けられるはずがない。

 

だって俺はWealthなのだから。

 

いや、俺の方がWealthなのだから。

 

 

さて、伏線を回収しにいこう。

 

一流の選手を教えるのは一流ではなくてもいい。

 

高学歴の生徒を育てるのは、高学歴でなくてもいい。

 

 

だけどWealthを教えられるのはWealthだけなんじゃないかと思うのだ。

 

これだけthe Richがよしと洗脳されてる世の中で、例えばインスタなんてthe Richの見せ合い場だろ?

 

その中でWealthの幸せを教えられるやつはWealthだけだと思っている。

 

世界中のスラムや少数民族をそれなりに見てきた俺は、「幸せとは?」に結構答えられると思うのだ。

 

 

俺は自分の生徒たちもWealthにしたい。

 

周りに流されない本当の幸せ、価値を理解してもらいたい。

 

そのためにはいつも自分がハッピーじゃないといけない。

 

ハッピーも同じ。

 

自分がハッピーじゃないと、他人をハッピーにはできない。

 

 

Be happy.

 

旅行の価値

旅行の価値は経験を得ることだ。

 

旅行中に楽しいと思う経験もあるかもしれないが、あとからじわじわとくる経験もあるのだ。

 

旅行に行くのに、俺はツアーを勧めない。

 

初めて行くところや、難しいところ、資格の必要なところはツアーで行かないといけない時もあるが、なるべくツアーで行かない方が経験が貯まる。

 

 

わかりやすく説明してみようか。

 

カンボジアにはアンコールワットがある。

 

アンコールワットの駐車場には、毎日大型バスが停まる。

 

俺は大型バスで行ったことないが、きっとこんな感じだろう。

 

ホテルでみんなが集合したらバスに乗り、バスから降りたらガイドと一緒にアンコールワットを回る。

 

そして既に決められたコースを見たら、またバスに乗る。

 

これってもったいなくないか?

 

 

アンコールワットなんてそこらへんのTUKTUKに乗れば誰でも連れていってくれる。

 

埃っぽい道を感じたり、手を振ってくれる道端の人を見ながらアンコールワットに行った方が楽しくないか?

 

TUKUTUKUからバスの乗客席を見るとよくわかる。

 

めっちゃ背が高いのだ。

 

見上げるほど上のエアコンの効いた窓から、やる気なく外を見ている。

 

「はい。着きましたー。」

 

そう言われたら、荷物を置いてぞろぞろと炎天下の外に出ていくのだろう。

 

だるいよね?

 

 

俺らは何のために生きてるんだろうか?

 

 

 

俺らが生きてるこの世界で、これに近い現象が起きてないだろうか?

 

勉強もダラダラやって、仕事もダラダラやってしまう。

 

死ぬまでに与えられた日数を、観光バスの中にいるように過ごしてしまう。

 

「はい。勉強してください。」

「はい。仕事してください。」

「はい。休んでください。」

 

 

おいおい。

 

そうじゃないだろう。

 

サイコーなことは他人に決められない人生を生きることなのだ。

 

 

アンコールワットの第3回廊って、急な階段だな。安全のためにツアーの人は登らないでって書いてある。」

 

「じゃあ、登ってみよう。」「じゃあ、やめとくか。」

 

チョイスできることこそハッピーだし、どうせ登るんならしっかり見てきたいよね。

 

 

言われたからダラダラ勉強する。

 

生きるのに仕方なく働く。

 

 

 

......自由がないね。

 

 

 

俺は好きな国の好きな場所に好きな方法で毎回行っている。

 

予想外のこともちょくちょく起こるが、それも楽しい。

 

 

人生って旅と似てるところあるよね。

 

だから、どこにいくのか?なにをするのか?どうやってするのか?どれだけするのか?誰とするのか?いつするのか?なぜするのか?......

 

そんなことを考えながら、楽しく生きた方がいいって思ってる。

 

 

さて、休憩も終わったので動画の勉強でもするかっと。

 

 

 

幸せのことを考えすぎて、幸せ発信家になろうかな。っと。

金がいらない人はいないと思う。

 

みんなお金が欲しい。

 

それは自分が欲しいと思うお金の金額よりも、自分が持ってるお金が少ないからだと思う。

 

経験したことない世界への憧れがあると思う。

 

なんでも買える無限のパワーを持つお金を手にできたら、魔法使いのように自分の身の回りのものを変え、そして優雅に楽しく暮らしていけるであろう。

 

だが、それは幻想だと俺は思っている。

 

若いときには物欲も強い。

 

それでブランド物を買いまくりたくなる気持ちもわかる。

 

だけど、歳をとった俺からみるとヴィトンのバッグをもっている子と、3000円で買ったバッグを持ってる子に全く差はない。

 

いや、むしろ3000円の子の方に好感を持ってしまうかなあ。

 

ヴィトンのバッグを持ってますという優越感になんの意味があろうのだろうか?

 

 

幼少期、極貧な家で生まれた俺の目標は人並みの生活をすることだった。

 

当たり前に毎月決まった給料をもらって、賃貸でもいいから普通の家に住み、ボロくてもいいから車を持ちたい。

 

そんなことが俺のガキの頃の夢だった。

 

とにかく普通の人になりたい。

 

それが俺の夢だった。

 

 

だが、狂った環境で育ったゆえにひん曲がった俺の性格が、逆にギフトとなり俺を支えるようになる。

 

普通の生活がしたいという怨念にも似た強力な信念が、俺をどんどん突き動かしてゆく。

 

 

 

そして夢だったはずのサラリーマンをやめて、塾の先生になった。

 

たった2人の生徒しかいなかったはじめの教室は、いつしか満席になり、教室を増やしていった。

 

生徒が増えて仲間が増えて....

 

そのうち会社を作り、ベンツを買い、海外旅行に行くようになった。

 

 

海外旅行ではスラム街や少数民族にはまった。

 

自分のような金のない悲しい人間を減らしたいと思った。

 

今みたいに動画がない時代に、たくさんの貧しい人や貧しい街を直接見てきた。

 

170回も日本を出て、いろいろな国に行ったよ。

 

アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、ポーランド、中国、ロシア、オーストラリア、インド、ブラジル、エジプト.....

 

俺が行った国

 

例えば、大都会にある高級ホテルに泊まって100インチの薄型テレビを見るのと、ジャングルのなかに泊まって静かな森の音を聞くのはどちらが幸せか?

 

地上100メートルのホテルの屋上のスカイバーでカクテルを飲むのと、ガヤガヤした道端で発泡酒を飲むのはどちらが幸せか?

 

幸せってのは一人一人違うわけだから、「これが幸せです。」という定義はない。

 

 

ただ、世界のいろいろな人々を見てきて、お金を追い求めるために時間や人間関係、そして健康を失うのはおかしいんじゃないかなって俺は思う。

 

そう考えると、もう幸せになってる人はたくさんたくさんいると思う。

 

自分の幸せに気づかなかったらもったいないと思う。

 

 

10万円だと言われ食べる肉と、100円だと言われ食べる肉。

 

同じ肉だったとしても感謝が違うはずだ。

 

 

もう少しわかりやすく続きを書いてみようと思う(需要があれば)。

俺がいかに幸せかということをひたすら書いて嫌われてしまうブログ

誰になんと言われようと俺は人生を成功している。

 

 

成功はお金だけで測るものではない。

 

ノーベル経済学賞受賞のアンガス・ディートン教授の「年収が増えることでの満足感は800万円までである。」という研究は有名だろう。

 

これを他人事やただの説だと捉えずに、ちゃんと考えるとまさにそうだとわかるのだが、わからない人の方がきっと多いだろう。

 

なぜこのことが理解できないのか?

 

それは年齢つまり経験値が低いことと、物欲が多いことによるものだと思う。

 

俺は150回以上海外旅行をして、多くの国の多くの人々を自分の目で見てきた。

 

最近ではデフォルトした後のギリシャにも行ってみた。

 

貧しい人が決して不幸なわけではないことを何度も見てきた。

 

 

 

また、欲しいものはすべて買った。

 

買ったらわかることはいっぱいある。

 

買っていないから空想が広がってしまう。

 

買ってみて初めて、いろいろなことを大きく見積りすぎていたことに気がつく。

 

そして物欲が消えてゆく。

 

 

昔、なんでも一番になりたかったことがあった。

 

だから、がむしゃらにがんばった。

 

それで得られたものは多くある。

 

だけど、今はそこまでがんばっていない。

 

なぜならもう幸せだから。

 

お金持ちの人から見たら、「それだけの給料で幸せか?」と思われるかもしれない。

 

あるいはお金持ちになりたい人からしたら、その程度で幸せをつかんだの?と言われるかもしれない。

 

だけど、幸せなのだ。

 

幸せはお金という数値でもないし、ブランドという他者評価でもない。

 

 

 

昔から俺のブログを読んでる人ならわかるだろう。

 

俺は何年も何年も幸せについて深く考えてきた。

 

幸せになるために、ずっと考えてきた。

 

でも、もう俺は幸せがなんなのか理解できている。

 

だから誰とも代われない。

 

 

YouTubeなどで、お金持ちの人たちがいろいろなものを買って幸せを自慢している。

 

一見キラキラしているようだが、もはやうらやましいと全く思わない。

 

そいつらが、すべてをチェンジしてくれと俺に頼んできても俺は絶対に断る。

 

そいつらよりも誰よりも俺の方が幸せだ。

 

 

フェラーリだって、宝くじだって手に入れた瞬間が一番楽しいのだ。

 

お金持ちの幸せは手に入れた瞬間から減っている。

 

俺の幸せはそういう幸せではもはやない。

 

俺の幸せは減らない幸せだ。

 

例えば、赤ちゃんを可愛いと思う感情は減らないだろ。

 

毎日見ても飽きないだろ?

 

俺の幸せは減らないように、時間をかけて俺が創ってきたものなのだ。

 

価値観も自分の中にあるので、揺らぎようがない。

 

 

 

 

今日、若い人から「幸せになるのにはどうすればいいか?」と問われた。

 

俺なりの答えを書いておきたい。

 

まず、経済状態は最低でも平均以上になっておくことだ。

 

すべての物はお金で交換できる。

 

物がないと馬鹿にされることもあるので、平均以上、できたら3分の1以上に入っておいた方がよい。

 

次に、いかに自分がツイているのかいつも考えておくことだ。

 

自分がツイていることに気づくと、人が集まってくる。

 

誰だって、HAPPYなやつと一緒にいたいに決まっている。

 

そして最後、自分がどうなったら幸せなのかをよく考えることだ。

 

それはできるだけドロドロした、人に言えないような邪(よこしま)なイメージを抱く方がいい。

 

それこそが自分を突き動かすエネルギーになるからだ。

 

 

 

 

久しぶりに書いたブログがこんな邪悪なブログになってしまって....

 

2023のスタートはこれかよ。

 

ってことで、目立たないところで俺は最高に幸せに生きている。

 

 

コーヒーの中で一番好きなのはスタバじゃなくて、ジョージアの缶だ。

 

さて、コーヒー飲みながら、また化学の問題でもこっそりと解くとするか....

 

他人の真似をする必要がない。

世界には文化というものが存在する。

 

文化って気候や権力者や時代や地形など、さまざまな要素や運が組み合わさってできたものだ。

 

昔、ロシアに行った時に、ロシアの寒さや激しいブリザードを体験して、よく日露戦争なんかできたなって思った記憶がある。

 

インドに行くとインドのメチャクチャさにびっくりする。

 

だけど、ロシアはロシアでいいし、インドはインドでいい。

プーチンの話は一切していない)

 

 

 

先日

老後の運命は54歳で決まる! ~第二の人生で成功をつかむ人の法則~ | 櫻井秀勲 |本 | 通販 | Amazon

 

という本を読んだ。

 

「年齢の本ばかり読んでるんだな。」って思わなくて大丈夫。

 

週に5冊くらいのペースで本を読んでいるので、他のことは今度書く。

 

その中に、船井幸雄氏の21世紀の13コンセプトというのが載っていた。

 

船井氏が21世紀のカギを握る13のコンセプトを予測していたらしい。

 

その13個が

 

①健康 ②美 ③安全 ④ローコストハイクオリティ ⑤本物 ⑥水とセラミック ⑦バイオ、波動、AI技術 ⑧エコロジー ⑨統合化 ⑩共生化 11仲間作り 12節約 13自然と良心

 

である。

 

これを見て、「あ!」と思った。

 

健康や安全という抽象的な言葉と一緒に水、波動などという具体的な言葉が共存している。

 

俺がこれまで大事にしてきた「仲間作り」もはいっている。

 

 

そうか、船井氏の頭の中は、健康や美、と水や仲間作りは同じ一票なのか....。

 

しかしよくよく考えたら、他にあっても遜色ないだろう言葉がいくらでも思いつく。

 

①地方 ②瞑想 ③抽象化 ④資源 ⑤昆虫......

 

ってことは何が入っててもすげえなって思うはずだ。

 

 

つまりはである。

 

各国に文化があるし、あってもいい。

 

各世代に文化があるし、あってもいい。

 

各個人に文化があるし、あってもいい。

 

 

何が言いたいのかというと、人の真似をしてそいつのコピーや二流になるくらいなら、自分がオリジナルになって自分の文化を作ってもいいっていうことなのである。

 

人の真似をしたら安心するし、成功した人のやり方を踏襲すれば同じような成功があるかもしれない。

 

だけど、一流ではないのだ。

 

 

俺はどうやっても他人の真似をしない一流でありたいと思っている。

 

一流 = オリジナルのみかみ一桜

 

これでいいのである。

 

 

若返っている俺の生き方も、俺的一流思考だからこれでいい。

 

俺は、まだ誰もやっていないことを実現させようと思っている。

 

誰もやっていないというのは、やり方が難しいということではない。

 

 

俺が俺だけの生き方をするということである。

 

人生Uターン

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本屋で偶然に見つけた本だ。

 

特に意味はないが、平積みされていたので買ってみた。

 

本を読んでびっくりした。

 

びっくりして天に召されるかと思った。

 

 

ご存じの方も多いと思うが、俺は10年くらい前から幸せについて悩んでいた。

 

俺がなぜ幸せについて悩んでいたかというと、幸せを手に入れて燃え尽き症候群になっていたからだ。

 

自分で自分を見つめた時に、幸せであるとしか考えられなかった。

 

海外旅行に行った回数は150回を超えるし、仲間はいるし、可愛い生徒たちもいるし、健康だ。

 

これってもはや欲しいものが全部手に入ってる無双状態じゃないのか?

 

これ以上何を求めるのか?

 

お腹がいっぱいの時に、A5ランクの和牛ステーキがでてきても「いらない。」ってなるはずだ。

 

そう。

 

俺はもはやリアル人生ゲームで「成り」になった男なのだ。

 

億万長者にも一切興味がない。

 

金が全てじゃないことは幸せの境地に立つとわかる。

 

 

 

 

その俺が、たまたま書店で見つけた本を読んでみただけなのだ。

 

なのに......

 

 

 

老いの第一段階は「意欲低下」である。

 

なんだと?

 

俺は成った男じゃなくて、老いてる男だったのか?

 

アイアム 老いing.

 

おいおい。

 

非常事態だ。

 

脳内非常事態宣言発令だ。

 

本を読みながら、心当たりがある内容に直面するたびに「この本、俺のことを書いてるんじゃないのか?」とさえ思えてくる。

 

そして俺は自己改革を始めた。

 

 

 

俺は理論で自分を変えられると思っている。

 

例えば、中学のときは勉強ができなかったが、高校になって「なぜ勉強が必要か?」を自分の心の中に認めることで勉強ができるようになってきた。

 

経済観念もそうだ。

 

昔の俺は経済観念というものが破壊されていた。

 

とにかく持っている金を使いたくて仕方なかったし、節約をするという概念そのものがなかった。

 

だけどこれも理論で克服した。

 

 

今、俺は老い始めていた。

 

気づいてよかった。

 

気づいたからこそ、時間を取り戻しにいける。

 

10月14日にこの本に出会って、俺は今、時間に逆行している。

 

今日まで約1ヶ月半、1日もかかさずに毎日時間を遡ってる。

 

 

ここ10年くらい何をやればいいのかと悩んでいたが、それは悩むことじゃなかった。

 

俺が若かったら、やりたいことが勝手にでてくるわけだから若くなればいいだけの話だった。

 

 

今、いろいろなことを始めているが全く苦ではない。

 

俺は若くなっていってるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

未来の大学入試を勝手に想像する.....

俺が勝手に思う未来の大学入試だ。

 

未来は色々なものにチップが埋められ、IoTの世界になってしまうことは有名な話だろう。

 

冷蔵庫の中には、どんなものがどれくらい入ってるか把握することができ、コンビニではレジを通さずに物を購入することができる。

 

また、中国のアリババやテンセントが個人の膨大なデータをスコアリングしていることもよく知られている。

 

ネット通販、クレカの消費履歴、職業、学歴、SNSの言動などを元に個人をスコア化している。

 

高い点数の人は低い人に比べ、色々な優遇措置がある。

 

人をスコア化することは、結婚や就職など様々なところに影響を与えるだろう。

 

 

もしも、こういうのが当たり前の世界になってくると、大学入試そのものも当然変わってくるであろう。

 

わざわざ一発試験でみんなの学力を測らなくても、日頃から個人データをストックできるからである。

 

模試の試験結果(小テストの結果や宿題、忘れ物の結果までも)や、ボランティアの有無。

 

本をどれくらい読んだとか、語学がどれくらいできるとか、蓄積データにより人間像が把握されてしまうはずだ。

 

求める大学側が、どういう生徒が欲しいかの基準値を示せば、瞬時に合否の有無が明らかになるである。

 

大学側は、まさに上から順に理想とする生徒を確保できるようになるだろう。

 

逆に不人気な大学は、多様化を迫られることになる。

 

俺が不人気な大学の学長なら、「財テク学科」でいかにして、お金を確保する方法を教えたり、「人間関係学科」で人に好かれる術などを科学的に説明する学科を作るだろう。

 

それによって人気をあげるためだ。

 

コロナ禍にあって、塾は予備校よりもダメージを受けなかった。

 

地域に密着していたことによる理由が大きいと思う。

 

 

もしも将来、膨大なデータを取得されるのであれば、どういう風にいい結果を魅せるのか?それを教えるのが塾の役割になるだろう。

 

これまでとは違うスキルが求められるようになる。

 

 

俺は時代に求められるような塾を作り続けられるように変化していきたいと思っている。

無限ループ。

当たり前だと思ってて、実は当たり前じゃないことって世の中に多く存在してるだろ?

 

例えばブランドのカバン持ってるとするだろ?

実際よくよく考えたらそれって本当に羨ましいか?

 

どうしてブランドが羨ましいのか誰かに洗脳されていないか?

 

ブランドがいいと刷り込まれていないか?

 

タワマンに住みたいとするだろ?

 

おいおい。

 

本当にタワマンっていいか?

 

エレベーターで上まで上がるのに時間かかるぞ?

 

スマホの電波だって弱いかもしれないぞ?

 

空気の組成だって地上と違うかもしれないし。

 

他にもいっぱいある。

 

英語って本当にできる必要あるのか?

 

まあ、それ言い出したら化学なんか生きるのに必要な知識と言えるか?

 

化学が入試科目ってどうして?

 

そういう風に誰かに常識作られて、その常識に乗っかってしまってることがあることがいっぱいあると思う。

 

サッカーを上手になろうと努力するのはいいのだが、そのルールを誰が作ったのかが問題だってことだ。

 

ゴールに入れたら勝ちじゃなくて、ゴールから出さないようにしてもいいんじゃない?

 

ボールも一つじゃなくて10個くらいあって、ゴールしたら将棋のように相手のボールを奪えるってるーるでもいいんじゃない?

 

本題に入ろう。

 

最近は日本って貧乏ブームだから、お金がかからない内面を見つめるような趣味とかが流行ってるじゃない?

 

バブルの時だったら、お金持ちになりたいっていうやつが露骨に多かったし、DCブランド着て「見て見て。」とか、そういうわかりやすいやつ多かったよね。

 

今は、多様化っていう表現で眠っている野心を他のことに転嫁してるっていうか、逆に仕事以外の価値観をめっちゃ肯定してる風潮じゃん。

 

YouTubeのペット動画だってそうだよね。

 

バブルの頃なら、トラ飼いましたとか、500万円の犬買いましたとか、そういうのが人気出たと思うんだけど、今はほのぼのって感じじゃん。

 

それはそれでいいわけよ。

 

人生なんかどうやって生きても正解なわけだから。

 

だけど、できるだけ自分に正直に生きていった方が幸せだよね、きっと。

 

 

俺は最近、自分の内なる心を大事にするようにしてたんだけど、それも誰かの洗脳食らってたかな?と思うようになった。

 

俺は「幸せは人だ。」と思ってるわけだから、他人からの評価は思ってるより大事なのではないだろうか?

 

他人からの評価を気にするのが、自分の内なる声ってことはあるのではないだろうか。

 

だって人間は集団の中で生活しているわけであるから。

 

となれば、人の目を気にするためにブランドを買わなくては....

 

そして無限ループ。

 

 

 

とりあえず、イケジジになるために、勉強と運動を始めた。

 

何かを得るのには継続が必要だ。

 

継続しない努力は誰にでもできる無価値な努力だ。

 

俺は時間をかけて手に入れていこうと思う。

 

マンガを読まなければ...

海外に行くと、よく日本が好きだという人に出会う。

 

理由を聞いてみると、高確率で「アニメ」と言う。

 

アニメねえ。

 

俺としてはなんか幼稚な感じがして、アニメはそれほど関心がない。

 

だけど、ワンピース、ナルト、ハンターハンターの話はよく出ることが多い。

 

ワンピースはともかくとしても、ハンターハンターとかナルトに関しては詳しくないんだよなあ。

 

俺みたいなジジイが「ナルトのねえ....」って言っても気持ち悪いし。

 

だけど、今後はある程度知ってないといけないんじゃないかって気がしてる。

 

さすがにマンガで読むのはつらいので、せめて動画を見て知識くらいはつけた方がいいのではないかと思う。

 

最低限アニメのことくらい知っとこうよ。日本人として。

 

 

ってな感じで、信じられない時代になってきた。

気づいたことを教えてやろう。3

3つ目に学んだことを書いてみよう。

 

今回のように一気にたくさんの国に行くと、感覚が残ってるので国と国とを直接比較することができる。

 

アマゾン川サハラ砂漠はどちらがすごいのか?

 

スペインとポルトガルはどう違うのか?

 

 

また、日本と海外をなんとなく比較できるようになる。

 

例えば、物価。

 

日本に比べて海外の物価は高いのか安いのか?

 

これはどちらともいえないと答える。

 

それは日本より物価が高い国もあれば、安い国もあるからだ。

 

だけど、ホームレスってのはどこの国も日本より圧倒的に多いと感じた。

 

ホームレスを見るたびに、助けてあげたくなる。

 

当然だが、そんな力は俺にはない。

 

ホームレスの人数が圧倒的に多いからだ。

 

例えば、今日、どこかの国の誰かに10万円あげることができたとしても、その誰かは1か月後にはまた路上で貧しい生活に戻らなければならない。

 

そして、そのホームレスと俺とは本当は一瞬の関係にしかすぎないのである。

 

 

地球の人に一気に会い過ぎて気づいたことがある。

 

命の重さは人間一人一人同じくらい重いのかもしれないが、ちっぽけな自分が関わっている人の数は信じられないほど少ないということだ。

 

地球のホームレスの数は数えられないが、自分の生活圏の中にいる人は簡単に数えられる。

 

自分を中心に考えた場合、ごくごく限られた人数としか日々接していない。

 

つまりは、よく会う人が自分の人生の大部分を占めている。

 

 

 

たくさんの人に会ったからよくわかる。

 

大事な人は身近な人なのである。

 

 

数えられる程度の身近な人が自分の人生とほとんどイコールなのであれば、そこに集中すべきなのだ。

 

というわけで知らない誰かに優しくするより、知ってる周りの人をもっと大切にしようと思った。

 

 

お前らもお前らの周りの身近な人と俺を大事にせいよ。

気づいたことを教えてやろう。2

旅行するのは体力を消耗する。

 

もはや消耗することしかない。

 

そもそも自分の持ち物がスーツケースひとつの限られるのだ。

 

シャンプーやらボディーソープは小分けにしてボトルに詰め、爪切り、歯ブラシなど実用最小限のものしか持って移動できない。

 

ウエットティッシュなんか超レアなので大事に使わないといけない。

 

そういう限られた持ち物だけを持ち、風呂とトイレしかついてない部屋で寝泊まりしないといけない。

 

その上、過酷な移動。

 

疲れないはずがない。

 

 

 

 

生き物には必ず終わりがある。

 

ドーキンスが「生き物はただ単に遺伝子の乗り物である。」と述べたように。

 

そう、人間は遺伝子を次世代に繋いでいるだけの存在。

 

つまりは子孫を残せば用無しなのだ。

 

ゆえに結婚適齢期を過ぎたあたりから、劣化が始まる。

 

遺伝子を次世代に繋げばあとは死ぬだけなのだ。

 

俺は写真を撮るたびに、あるいは子供たちと話すたびに自分が老いていることを感じていた。

 

また、肥満が進行していることをも感じていた。

(これはどちらかといえば、酒のせいかもしれないが)

 

いくらブランドに身を固めたとしても、老いたデブでは意味がないのだ。

 

さらには不健康では意味がない。

 

若い生徒と一緒にいると若いというだけでものすごく価値があることだと感じずにはいられない。

 

若さはどんなブランドにも勝ると思う。

 

 

特に過酷な旅行の中では、自分の体力の衰えや見た目の劣化など、いつも以上に痛感させられる。

 

つまり、健康管理が重要だということだ。

 

だからと言ってオリンピックに出られるはずがない。

 

加齢は不可逆なのである。

 

そういう曖昧な目標を設定することが、何もできない中途半端な自分になってしまうのだ。

 

 

そこで俺は思ったのだ。

 

強く強く思ったのだ。

 

 

このままではいけない。

 

健康管理をしなくては。

 

その健康管理も具体的に、かつリアルに想像できる目標を構築する必要がある。

 

 

そして行き着いた結論がこれだ。

 

子供たちや若い人と比べるのではなく、同世代と比べて1番の健康体を目指すこと。

 

高校生を見て、羨ましいと嘆いても仕方がないこと。

 

彼らは遺伝子がまだ仕事を終えていないのである。

 

年をとることが避けられないのであれば、せめて自然の摂理の許す幅の中で努力をすることこそが正しい努力ではないであろうかと。

 

 

というわけで俺は50代後半のジジイの中で、イケてるジジイを目指すことにした。

 

絶対に若い人と張り合わないし、若い人を目指さない。

 

俺のマーケットが違いすぎる。

 

 

俺はジジイのカテゴリーの中で、イケてるジジイ。

 

つまりイケジジを目指す。

 

 

誰も憧れるイケジジを目指すことにしたので、お前らにもシェアしておこう。

 

若さに挑んでお兄ちゃんと張り合うという絶対に勝てないマーケットではなく、ジジイの中のいいポジションを狙いにいく。

 

若いにーちゃんが踏み込めない、そういう強者の存在しない俺のマーケットの中で勝ち負けを決める。

 

 

イケジジになるぜ。

 

 

 

これが俺が世界一周で学んだ2つめのことだ。

 

 

 

さあ帰国したぞ。俺が気づいたことを教えてやろう。1

帰国した。

 

ハワイを4時に起きて飛行機に乗った。

 

成田までの飛行時間は8時間。

 

そんなにぎゅーぎゅーじゃないのがありがたかった。

 

その後、簡単な健康チェックをやってから東京駅まで成田エクスプレスで。

 

最後は新幹線。

 

結局、移動に19時間もかかった。

 

疲れた。

 

これがアメリカとヨーロッパに行くのがきつい理由の一つだ。

 

これが南米とかアフリカに行く場合、最低10日間は旅行期間が必要であることの一つだ。

 

世界一周して、何が得られるのかをシリーズで教えてやろう。

 

世界一周は世界一周。

 

普通の旅行とはやはり話が違う。

 

旅行しながら、この旅から得られるものは何なんのだろう?

 

そういうことを考えながら旅を続けてきた。

 

不思議なことに、旅の中ではいろいろなことがひらめいてしまう。

 

 

旅の前半には俺はこんなことを考えていた。

 

幸せとは「人との関係」であるわけだから、人との関係を円滑にしたり知り合いを増やしたりする生き方をすることこそが幸せなのではなかろうかと。

 

例えば、英語がそうだ。

 

今、俺は日本語が話せるから、日本人友達がたくさんいる。

 

英語に関しては意思の疎通程度はできるので、コミュニケーションは確かにとれる。

 

だけど、もしも英語がペラペラになると友達が世界中に10倍くらい増えたりしてもっと豊かな日々を送れるのではないだろうか。

 

友達を増やすために英語の勉強やろうかな、タイ語の勉強しようかな、ベトナム語の勉強しようかな....

 

英語の勉強するとしたら、意思の疎通が大事なわけだから上手に発音するとか、うまく聞くこととかが大事なるだろう。

 

だけど、俺が必要だと思ってるスキルは英検やTOEICではない。

 

英検やTOIECってなんなのだろう?

 

毎日毎日、いろいろな国の人と英語で話すうちに、もっと聞けるようになりたい、もっとわかるようになりたいという欲求が上がってくる。

 

戻ったら、絶対に語学力の向上、それが俺の豊かな老後へ向けての俺の準備なのではないだろうか。

 

趣味で語学を始めたら、何歳になっても勉強ができるし、知り合いの数も増えていって自分の気持ちも楽しそう。

 

そんな自分の将来を何度も想像した。

 

 

気づいたこと 1

 

語学ができるときっと楽しい将来が増えるはずだ。

そしてハワイに。

太平洋を一発で横断するには俺の咳がもたない。

 

飛行機の中の客を咳の恐怖で、パニックにしてしまうかもしれない。

 

緊急着陸だ。

 

というわけでハワイにやってきた。

 

アメリカといえば、世界一周JKのひなこちゃんがいる。

 

「ひなこちゃーん。ハワイに行くけどいかがー?」

 

「いきまーす。」

 

ということで、俺がついたときにはすでにハワイにひなこちゃんがいた。

 

咳がすごすぎるのだが、俺は重大なことをしないといけない。

 

「せんせー、その咳......」

 

ひなこちゃんが聞いてくる。

 

「なんか私の周りの、コ●ナになった人たちの咳に似てるんですけど。」

 

おいおい。

 

断じてそんなはずはない。

 

俺はジャングルにいたのだから。

 

でも、ハワイに到着した日にする唯一のこと。

 

PCR

 

怖いわー。

 

PCRがアウトなら.....

 

色々なことをシミュレーションしてしまう。

 

そしてPCRを受けた。

 

「24時間以内にメールで結果を送ります。」

 

わずか数時間後にメールが来た。

 

見ようとすると、ひなこちゃんが俺に言う。

 

「ちょっと待ってください、動画撮るんで。」

 

お前はぶぁかか!

 

俺はジャングルにいたんだから、コ●ナであるわけないだろう。

 

「はい。どうぞ。」

 

カメラを俺に向けて、早く見ろと促してくる。

 

何度かPCRをやったがこんなに緊張したのは初めてだ。

 

これで陽性なら、下手したら10日間は帰国できなくなる。

 

日本でコロナになるのとアメリカでなるのでは訳が違う。

 

この医療費の高い国で全部自腹の危機なのである。

 

 

 

 

 

 

negative(陰性)

 

 

ホッとする俺に、「ちっ。」と言う声が聞こえる。

 

ちっじゃねーだろ。

 

次の日、謎の勝手に電気で進む自転車をレンタルして、ダイヤモンドヘッドやワイキキビーチを回った。

 

ディープな旅行が好きな俺には少し物足りないが、やはりこれは人気が出るのも理解できると思いながら風景を楽しんだ。

 

 

さてと。

 

戻るか。

 

 

 

 

これで俺の世界一周が終了。

 

俺のこの旅行記を読んで何か感じたか?

 

 

感じただろ?

 

せっかくの世界一周なのに、あっさりしてるだろ。

 

もっと感動や思うことや色々なことがあったんじゃないかって思うだろ?

 

 

 

そう。

 

俺もそれは思ったんだよ。

 

 

「感動は若さに比例する。」

 

ってことを。

 

 

いいか。

 

若いやつら。

 

 

どうせ生きるんなら一生懸命生きろよ。

 

俺みたいなジジイになって世界一周してもな、若いやつが感じる何分の1しか感動できないんだよ。

 

特に150回以上海外旅行している俺には、新鮮なものがあまりないわけだ。

 

だから、若いうちに色々やってた方がいいぞ。

 

 

 

 

と言うわけで俺は明日の朝、帰国の飛行機に乗る。

 

世界一周のまとめの感想は、日本で俺の好きな缶コーヒーを飲みながらゆっくり書いて行こう。

 

とりあえず世界一周レポートブログは以上だ。

 

こういうの書き始めて途中でやめるやつ多いだろ?

 

継続は絶対に重要だから、なんでも最後までやり切れよ。

 

俺を見習えよ。

 

 

 

 

 

参考までに、

 

詳細はまだわからないが、40日で世界一周にかかる費用は一人150万円以上になる。

(1ドル145円くらい、サーチャージ高めの2022年の7月だ)

 

これくらい出してもいいと思うやつがいたら、お前らも行ってみるといい。

 

 

特に若いやつは元が取れると思うぜ。

 

 

 

俺はBucket listをこれでまた一つ消せたので、死ぬ時の後悔を一つ減らすことができた。

 

死ぬまでに世界一周する 終了

 

では、日本で会おう。