ここ10年くらい幸せの勉強にハマっていたが、もはや俺の中で解が見つかったのでこれは終了だ。
俺の中で幸せとは何かというゴールに行き着いた。
ま、俺の場合、簡単にいうと
「幸せとは人である。」
ということだ(長くなるので割愛)。
そう言えば、さらにその前の10年間は、経営とか経営者とかお金儲けに関して本を読みまくっていた。
今もたまに成功本を読むが、興味そのものが低くなったためにあまり刺さらなくなってしまった。
最近、ちょっとハマっているのが、「賢くなるためには何をすればいいのか?」である。
これは教育産業に携わっている人ならみんな考えていることだと思うのだが、学問として考えるとどうなのか?ということだ。
高額の塾に入れたから‥
東大の先生に家庭教師て来てもらっているから‥
これで確かに成績が上がる子がいるかもしれないが、上がらない子も多いはずだ。
俺も長年塾講師をやっていて、成績が上がりやすい子もいれば上がりにくい子もいる。
それよりもなによりも、そもそもの地頭に大きな個人差がある。という現実があることを見えなかったことにするわけにはいかない。
塾に預けられる親御さんの心情は、「塾に入れたのでこれで上がっていくだろう。」かもしれないが、それでみんながバンバン上がれば、こんなにも塾が乱立し競争が生じることはないだろう。
話を変えよう。
俺は経済観念がないやつは病気にかかっていると思っている。
親からもらった遺伝病だ。
ぶっちゃけると経済観念がないやつには責任がない。
生まれつきの遺伝だからだ。
運動神経がないやつって、本人に責任ないだろ?
生まれ時からそうだったんだから。
同じような感じだ。
ただ、経済観念やアル中はある程度克服できると思っている。
俺も経済観念がなかったが、俺はそれを病気だと認め、どうやって克服するかについて考えてきた。
今、俺は普通の人間くらいになったと思うが、過去を考えても病気で生まれてきたと思っている。
アル中も同じ。
酒を飲みすぎて、大きな失敗したわけでもないし、大病を患ったわけでもないが、ほぼ30年間毎日酩酊するまで飲んできた。
「酒をやめることができない。」という病気だった。
経済観念やアル中を病気であると認め、克服したところで、俺は本来歩むはずだった人生と違う人生を明らかに歩んでいる。
さて話を戻そうか。
行動遺伝学が面白いと思うようになった。
遺伝子の配列は基本的に生まれときから決まっているわけで、それは両親の染色体を半々で受け継いでいる。
おっと、1000文字を超えてしまった。
詳しくはその2で書こうか。
つまりだ。
子供の成績をあげるために、今までみんながやっていなかった方法でアプローチしたいと考えている。
経済観念やアル中は遺伝で決まっていたと思うのだが、アプローチを変えることで遺伝子に逆らうことができた。
勉強だって、今まで知られていなかった方法や知られていたけど気づいてなかった方法がまだ多く眠っていると思うのだ。