みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

実は新しい塾をすでに作っている。

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数日前に看板をつけて、新しい塾を開いた。

 

生徒はゼロだ。

 

チラシも入れていないし、目立つ通りにもない。

 

今のところ、集客する予定はない。

 

理由は簡単。

 

1対1のマンツーなので、定員が超超少ないからだ。

 

簡単に募集をかけてしまうと、すぐに定員になってしまう。

 

俺のメインの塾は炎集団なので、こちらは2〜3人の生徒しか募集する気がない。

 

この塾はもっと歳をとってからのことも意識して作った。

 

いつの日か大人数を教えることはできなくなるだろうけど、それでもおじいちゃんの塾として一人か二人は教えたい。

 

 

さあ、今日は仕事について考えてみよう。

 

仕事は確かにお金をもらうための手段ではあるが、そう考えてしまうと悲しいものがある。

 

人生を丸いケーキだとしよう。

 

そこから睡眠時間をカットするともう3分の2になってしまう。

 

人生の3分の1は知らない間になくなっているのだ。

 

でもまだ大丈夫。

 

まだ3分の2も残ってるから。

 

だけど、歯を磨いたり、風呂に入ったりする身の回りの世話の時間、食事の時間を除くとあと56%。

 

残りの部分を100として、その30%が仕事(40年働く場合)、10%が教育を受けてる時間だ。

 

つまり、俺らが自由に使える時間の1割が学校、3割が仕事ってことだ。

 

もちろん、宿題の時間や家での仕事時間などは含まれていない(総務省統計局のデータより算出)。

 

意外に少ないと思うかもしれないが、老後が長いのである。

 

老後のことを考えておかないと、もはやこれからの時代に合わなくなる。

 

話を戻そう。

 

 

仕事はお金をもらう手段ではあるが、時計を見ながらの仕事をしていると喜びが少ない。

 

 

有名な話がある。

 

結婚式場を作ってる大工さんが2人いたとする。

 

「あなたは何を作ってるんですか?」

 

「この図面通りの建物を作っている。」

 

「人が幸せになる夢の施設を作ってるんだよ。」

 

同じことをしてもこの二人のように、全然違うことを考えることもできるはずだ。

 

つまりは出来上がる建物は同じかもしれないが、幸せ度合いが全然違うと思うのだ。

 

 

俺の仕事だって同じ。

 

塾に行くのが楽しいって言ってくれる子供を育てたいし、俺だってずっと子供たちに会うことを楽しみにしたい。

 

仕事はお金を儲ける手段でもあるが、それはある側面。

 

それよりも仕事から得られる喜びの方がきっともっともっと大きいと思う。

 

机は確かにすでにあるのだが、まだまだ考えて気のすむような形にしてから集客をしようと思っている。

 

たった2〜3人の生徒、そしてその親御さんと俺だけの塾なので、いろいろ考えようと思っている。

 

 

世の中はオーバースペック時代に入っている。

 

 

だから気のすむような職人の仕事をすること。

 

それこそが60代からの幸せかな?って考えている。

 

まだまだ60代までには時間があるけど、今のうちにしっかり準備をしておこう。

 

 

だから妥協せずにやろうと思っている。

 

 

Be unbalanced.

人は全員違う。

 

もし同じだと価値がない。

 

違っていいのなら、少し違うよりはかなり違ってる方が希少性も高くなるだろう。

 

大人になると社会の中で生きるから、社会の常識ってのは必要だ。

 

常識ってのは、みんなで同じことをしましょうねって約束事だから法律と同じように、枠からはみ出さない方が良い。

 

だけど、それ以外はできるだけバランスが悪く、歪な形の方が価値があるのではなかろうか。

 

ネットがまだなかった頃は、戦略が今より重要だったように思う。

 

戦略を使ってどこかを際立たさせる必要があったからだ。

 

しかし、これだけネットが発達したら、戦略練るより際立たせることを考えた方が早いだろう。

 

俺のようにもはや死に物狂いでやることをやめた人間は、できるだけ無駄な時間を排除して効率よくバランスを崩していくことが大事だと思っている。

 

徹底的にやらないことを決めていく。

 

中途半端にできることは、もはやバランスがよくなるために時間を使っていることに過ぎない。

 

英語なんかまさにそう。

 

俺は英会話を長いことやってるが、その時間分の何かが得られたかというと1%も得られていない。

 

そもそも勉強する気がなかったのだから、俺の英語力など上達するはずもない。

 

それなのに、時間だけを無駄使いしてしまっていた。

 

逆に小説は読んだことない。

 

誰かに小説の話をされても「読んだことないっす。」

 

これで片付いていた。

 

 

 

これから中途半端なクソ行動は捨てていこう。

 

それこそが人生の無駄に他ならないと気づいたからだ。

 

 

どうでもいいマンガを読む(超好きなマンガは別)。

 

時間潰しのゲームをする(超好きなゲームは別)。

 

つまらないYouTubeを見る(超好きなyoutubeは別)。

 

こういうのって時間の浪費に他ならない。

 

 

時間は限られているから、時間をお金と同じように考えないといけないのだ。

 

お金出して、どうでもいいケーキ買うか?(超好きなケーキは別)

 

お金出して、どうでもいい靴買うか?(超好きな靴は別)

 

お金出して、カッコ悪い車を買うか?(乗りたい車は別)

 

お金の浪費はあまりしないのに、時間の浪費をしている失敗に気づいてしまったのだ。

 

 

癒しや休息のための休みは必要であるが、意味のない休息は必要ない。

 

意味のない遊びもいらない。

 

 

無駄なことをやらない人生。

 

これだな。

 

 

これを核にして今日から考えていこう。

努力量に比例したポジション。

www.youtube.com

 

ソフトバンクグループの孫正義社長(会長兼任)の有名な動画がある。

 

何度見たかわからないが、孫社長の話はすべてがすごい(他にもいろいろな動画あるので見てみるといい)。

 

この動画では、孫社長の学生時代の頃の話が収められている。

 

凄まじい。

 

80点で納得する人はあまり希少性がないと思う。

 

90点、100点と人数が減るに従ってどんどん価値が増してくるし、それは等間隔ではない。

 

例えば、偏差値で説明するとわかりやすい。

 

100人のクラスがあるとするだろ?

 

ざっくり綺麗な正規分布だとして、偏差値50が真ん中じゃん。

 

何人いると思う?

 

偏差値50  4人(48位〜51位)

偏差値51       4人(44位〜47位)

54~52

偏差値55  3人(29位〜31位)

59〜56

偏差値60  2人(15位〜16位)

偏差値61  2人(13位〜14位)

偏差値62  2人(11位〜12位)

偏差値63  2人(9位〜10位)

偏差値64  1人(8位)

偏差値65  1人(7位)

偏差値66  1人(6位)

偏差値65  

偏差値66  1人(5位)

偏差値67  

偏差値68  1人(4位)

偏差値69  1人(3位)

偏差値70

偏差値71  1人(2位)

偏差値72

偏差値73  1人(1位)

 

わかるだろうか?

 

上に行くほど人口密度が減ってくる。

 

つまり偏差値1あたりの希少性が上がるのだ。

 

これだけ情報が溢れる世界の中で、目立とうと思うと希少性をあげるのが一番早いと俺は思っている。

 

そしてその希少性を上げるために一番わかりやすい方法は、孫社長のような圧倒的な努力である。

 

世の中、80点のやつは腐るほどいるのだ。

 

いやもうすでに腐敗しているかもしれない。

 

だから100点の眩いばかりの輝きに希少性があると俺は思うのだ。

 

 

例えば、化学習うとするでしょ?

 

誰に習いたい?

 

1番賢い先生とか、1番点を上げられる先生とか、1番わかりやすい先生に習いたいでしょ?

 

そこそこ賢い先生とか、そこそこわかりやすい先生じゃないでしょ?

 

なんでもそうだと思う。

 

1番には特別な付加価値がついているはずなのだ。

 

 

だから若い人は1番を目指して欲しい。

 

逆に俺はそこそこでいい、だってもう俺は1番目指してやってきたんだから。

 

 

俺は一番は目指さないけど、子供たちや若い人には一番目指せって言おうと思っている。

 

中途半端じゃなくて、突き抜けた先にはそれなりのポジションがあるはずだ。

 

 

がんばれみんな。

 

 

 

 

 

中庸

わからないことはなんでもインターネット上に載っている。

 

昔は、「百科事典や辞書を引きなさい。」と言われたことが、「ググりなさい。」で片付く時代になってしまった。

 

ググればすぐに答えが見つかる分、わからない問題を思考するという行為は退化していってるのではなかろうと思ったりする。

 

するとつまり、情報が少ないときの方が、つまり昔の方がより内省したり思案したりということが多かったのかもしれない。

 

ギリシャの哲学者アリストテレスは、中庸について「両極端に転ばない状態。」だと定義している(ざっくり言うと)。

 

また、儒学礼記にも「中庸」が収録されている。

 

 

さて、年齢を重ねるごとに俺にも中庸の意味がわかって来た。

 

つまりは、論語の「過ぎたるはなお及ばざるが如し」なのである。

 

 

俺は子供の頃、戦争後も潜伏兵だった小野田廣郎さんのテレビを見たことがある。

 

「腹5分目が重要だ。」と言っていた。

 

「川に住んでいる魚を取りすぎない。見つけた果物を食べ過ぎない。そうすることで、明日、明後日とまた食べ物が見つかるようになる。」

 

子供時代にはそれがよくわからなかった。

 

魚をたくさん見つけたら、「おっ、大漁だ。」とか思いながらお腹いっぱい食べればいいのに、と思っていた。

 

でも、そういうわけではないと思うようになった。

 

若い人や若い頃は中庸など考えず、突っ走れるだけ突っ走ればいいと思うのだ。

 

俺だってベンツとかBMWとか何台も買ってきたし、欲しいものはほぼ全て買った。

 

そういう経験があったからこそ今、いろいろなことに気づけている気がする。

 

だけど歳をとるほどに、中庸が大切なのだと思うようになってきた。

 

 

俺は明日から入院するのだが、退院したら軽い運動をしようと思っている。

 

昔みたいにがむしゃらにやる必要はどこにもない。

 

適度にやる方がきっと体に優しいはずだ。

 

 

ものすごく楽しいこともそんなに起こらなくていいから、少し楽しいことがそこそこあればいい。

 

楽しことや物欲は無限で、上に行けばいくほどそれを得るためのエネルギーが必要になってくる。

 

 

もしも仮に自分の力が大きいのであれば、自分の中庸に使う以上のエネルギーは、他人を幸せすることに使った方がきっと幸せだ。

 

 

 

年齢によって自分の考え方まで変わってくるわけだから、人生ってすごいなあ。

歳をとってきてこうなりたい。

自分が明らかに歳をとってきたと思う。

 

映画で言うと、もう主人公ではなく主人公のお父さん(つまりは脇役)になってしまったと思う。

 

若いときは、自分が一番すごいと思ってたし、「俺ってすごいだろう。」「さすが俺。」という発言が多かった。

 

もちろん、今でも多い方なのだが、若い時の方が明らかにそう思っていたと思う。

 

なんでもできる気がしていた。

 

 

それはそれで、歳によって魅せるものは違うから問題ない。

 

いつまでも「俺ってすごいだろう。」ってやり続けたときに、葬式のときに言われる言葉は、「いつまでも子供のような人でした。」「自由奔放に生きた人でした。」になるだろう。

 

それを否定しないし、そういうのに憧れる人だっているだろう。

 

だけど、俺はそういう生き方をしたいとは1ミクロンも思ってはいない。

 

「子供のような人でした。」「自由な人でした。」

 

こういうのは若いからいいのであって、歳をとって言われるのはベストではないように感じている。

 

なぜなら、周りの人に合わせてもらってるからだ。

 

歳をとっていろいろな知識や経験があるはずなのに、まだ周りの人に合わせて欲しいとは思わない。

 

「すごいですね。」と言われたいんじゃない。

 

むしろ、今まで蓄えてきた経験値を持って、「すごいね。」って言ってあげられるような存在になりたい。

 

経験値の高くなった俺が、今度は他人に合わせてあげたい。

 

今までのお返しをさせて欲しいと思う。

 

自分が培ってきたり、蓄えたものがあるのであれば、それを若い人(主人公)に使って欲しいし、その際に自分は目立たなくてもいいと思っている。

 

 

 

人生はたかだか80年くらいのことで、この間にできることは限られている。

 

大発見や大発明をしない人の人生はただの路傍の石かもしれない。

 

だけど、地球には路傍の石の方が圧倒的に多くて、路傍の石だって生きている。

 

 

ブランドで固めて歩いたところで、それって幸せか?

 

お金持ちだったら楽しいのか?

 

 

そろそろ人生で自分が何をしたか、あるいは何をするかを考えてもいいような気がしている。

 

俺の人生は一言で言うと「接着剤」かな。

 

学もない貧乏な家に生まれた一人の子供が、勉強することを学んで、そして仲間を集めることを学んで、そしてみんなを幸せにする(←今ここ、もしくは今からここ)。

 

ベッドで、〇〇は楽しそうだったな。とか、〇〇は幸せになったなとか、そういうことを考えながら息を引き取りたいと思っている。

 

たまたま俺が生まれてきて、俺は俺の周りの人たちと知り合えて、俺の微力で少しでもまわりの人が幸せになったとすれば、それが俺の最幸なのではないかと思うようになった。

 

 

 

あんなに傲慢だった俺も、歳をとってくると変わってくるんだね。

 

体だけじゃなく、心まで変わっていくのだから、人生ってすごいなとやっぱり思うのであった。

多店舗展開できない塾長さんへ。

人間が考える量ってのは、たかだかしれている。

 

多くの人が100メートルを10秒〜20秒の幅でしか走れないように、人間は急にチータみたいに速くなったり、鳥のように空を飛んだりはできない。

 

多店舗展開できる塾長とできない塾長の差は、ただひとつ。

 

自分の思考をどこに使っているか?

 

それだけだと思っている。

 

多店舗展開できない塾長は、どうやって教えようか?とか、どういう教材を選ぼうかとか、そういうことに目が向いているはずだ。

 

要するに授業のことや子供のことに目が向いている。

 

つまり思考がそちらにとられていると思う。

 

だけど、多店舗展開を考えている塾長はそこはほとんど考えていないはずだ。

 

例えば、ガンガン教室を増やしているヒロを見て欲しい。

 

こいつ ↓

twitter.com

 

ヒロのツイートが授業内容に触れることはほとんどない。

 

おそらく授業に関してはほとんど何も考えていない。

 

なんなら花壇の花についてのツイートの方が多いくらいだ。

 

ヒロの頭はきっとこうなっているはず。

 

授業の内容 < 花壇の花

 

 

これはどうでもいいと思っているわけではなく、授業はどういう形であってもちゃんとできると思っているはずだ。

 

教材の種類とか、教え方とか、そこにはそんなに頭使わなくてもそこそこできると思っているだろう。

 

あるいは、社員の先生に完全に任せているか。

 

多店舗展開できる先生は、多店舗に向かっていつも動いているのだ。

 

 

俺も拡大していた頃はいつも書いていた。

 

脳みその9割は経営のことを考えている。と。

 

花壇のツイートが生徒よりも多い意味はわかるだろうか?

 

いつも生徒を増やそうと思っている現れである。

 

新しい体験の人や親御さんがきてくれた時の、印象までシミュレーションいている。

 

授業の内容はシミュレーションしてないのだ。

 

 

逆に、多店舗展開できない塾長は、いつも多店舗展開するための準備をしていると思う。

 

「こうすれば教室が増えて...」とか、「これを人に任せたら、自分の手が空くから..」とか、だけど、多店舗展開できる塾長はそうなってないのである。

 

 

多店舗にできる塾長はNO準備でどんどん進んでいるから、いつもピンチの連続なのだ。

 

多店舗を繰り返しながら、同時に脱皮もしているのだ。

 

俺も教室を増やすたびに、ハローワークに、「今、先生が足りないんです。なんとか先生を紹介してください。」と頼みに行ったし、机なんか全然間に合わなくて、生徒が来てから一緒に組み立てたこともある。

 

準備なんかしながら進んではいない。

 

準備してたら準備で終わる。

 

 

もちろん、多店舗展開することが偉いわけではないので、多店舗展開せずに自分の1教室を大事にしていくというやり方もある。

 

だから、1教室の先生を下に見ているわけではない。

 

俺なんか今や、個別の家庭教師を自分で始めようかと思ってるくらいなんだから。

 

だけど、多店舗展開したい先生がいたら、思考そのものを変えなければできないことは覚えておいた方がいい。

 

 

おっと、「多店舗じゃなくて、多教室なんじゃないですか?」とかいうしょーもないツッコミ入れてくるなよ。

 

わかりやすく書いてるだけなんだから。

 

 

ま、増やしたいやつはがんばってみてくれ。

受験化学の先生として、ポジションを決める。

授業のスタイルはいろいろあるだろう。

 

集団スタイル、個別スタイル

 

教える授業、教えない授業

 

学力高めの子向けの授業、低めの子向けの授業

 

雑談が多い、少ない

 

演習が多い、少ない........

 

よく、ワークの解答を子供に渡した方がいいかどうかとか、教えることの是非とかの議論になることがあるが、俺はどうでもいいと思ってる。

 

醤油ラーメンと、豚骨ラーメンと、味噌ラーメン、それぞれに優劣はつけられない。

 

醤油の人は、自分のが一番美味しいだろうと思うし、味噌の人は味噌がいいと思うだろう。

 

それでいい。

 

授業も教える側の都合があっていいし、受ける側の都合があってもいい。

 

誰にどういう風に勉強を伝えてもいいし、誰から習ってもいいと思う。

 

 

ただ、俺は昔から言っているように「点さえ取れればいい。」と思っている。

 

ここを「それは学問じゃない。」とか、「本当の学力とは?」と言われても困るわけだ。

 

文句言ってくるヤツは、「てめーはてめーのやり方でやれ。俺は俺でやってるんだから。」ってことになるだろう。

 

そもそも俺はこれは商売でやってるわけだから、他人から商売に関してガタガタ言われても困るわけなんだよ。

 

逆に俺からしたら、「お前らも商売なんだろ?ボランティアかそれは?」ってことになるわけだ。

 

商売だからこそ、どうしたらお客さんに喜んでもらえるか?

 

何が求められているかってのを一生懸命に考えてるわけだ。

 

まあ大体40年も化学やってるんだから、今さら勉強しなくても問題なんか解けるに決まってる。

 

それをどういう風に伝えようか?

 

とか、問題のトレンドなんかを追っかけてるから、今でも勉強しとかないといけなくなる。

 

 

 

さてこれは俺が一番最初に書いた本だ。

 

俺は元から裏ワザとかそういうのが大好きだったのだ。

 

ま、どっちかっていうとまともじゃない方法を使って解きたい派だったのだ。

 

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というわけで、俺は邪道に走ろうと思っている。

 

化学式なんか知らなくたって、世の中で生きていくのに1ミクロンも困らない。

 

大人になったら、ほとんど化学の知識無くなってるってでしょ?大人の皆さんは。

 

それでも生きてるってことは化学なんかしらなくても生きていけるんだよ。

 

 

だから、これは試験だと割り切って短時間でいい点取った方が俺はいいと思ってる。

 

 

俺は今から一心不乱に邪道を突き進んでいこうと思っている。

 

邪道の第一人者になれるように。

 

 

「ヒキョーな男」と呼ばれたら、笑顔でお礼が言えるようなブランド人になろうと思っている。

そして次の道へ。

100日ほど旅行の勉強をしてみて、たった100日でも勉強したら結構賢くなるんだってことがわかった。

 

そして知識ゼロから始める勉強の苦しさを思い出した。

 

俺らが当たり前と思いながら教えてた勉強のどこがどういう風に大変なのか、それを思い出した。

 

ま、20年間も教えてたら教えることには慣れてくるけど、自分が教わる側になってわかることもある。

 

いい歳したジジイが、鉛筆舐め舐め覚えていくのも悪くないなって思った。

 

化学やら英語やらに飽きてたけど、勉強する側の景色を見た後は、なんだか少し斬新に感じる。

 

それと同時に化学がわからない人に向けて、どう説明すればいいのかということが少しわかった気がする。

 

 

 

 

板書を作り直そう。

 

塾に来てくれてるみんなが、もっとわかりやすくなるように板書を作り直す。

 

というより、キーワードは

 

ノンバーバル

 

または

 

奇抜

 

または

 

初心者向け

 

だ。

 

点が取れる人は、自分で進んで勉強やっていける。

 

彼らの質問は細かすぎて、一般の人に役に立たない。

 

こういうのをまとめたところで市場が小さすぎる。

 

 

俺は、別にボランティアで化学をやっているわけではなく、職業でやっているわけで、マニアックな趣味は一切ない。

 

今までは勉強ができる子、得意な子に向かって授業をするのが好きだったが、これからはもっと基本向けの板書に変えていこう。

 

そして生徒の記憶に残るような、絵であったり図であったりを多用しようと思っている。

 

 

とりあえず、次の参考書に大きく反映させていこうと思う。

 

実はすでに200ページ分以上の問題を作成しており、理論にたいってはほとんど完成していたのだが、急ピッチで作り替えだ。

 

なるばくわかりやすくする。

 

 

おお、久々にワクワクしてきたぜ。

 

がんばろう。

 

終了。

勉強量としては問題なかったのですが、試験のやり方がよくなかったです。

 

塾の先生なので、いろいろ言い訳しても仕方がありません。

 

特に後悔もしてないので、旅行の勉強はこれで一旦終わりにしようと思ったりしています。

 

今のところですが。

 

 

 

次は急いで参考書を仕上げます。

 

そして笛を習うことと、掃除をすること、運動をすること、手術の準備をしたいです。

いよいよ明日。

ホテルに前泊するために、車で広島県に来た。

 

一般道を通ることにした。

 

車で、通信教育の動画をもう一度聞きながら移動するためだ。

 

高速だと、音声が止まったときにスマホを触ることができないので、敢えて信号のある下道を選んだ。

 

 

そしてネットで調べて、一番勉強机の広かったホテルにいる。

 

あとは今まで間違えた問題をもう一度やり直して、全部の範囲のチェックをしたら終了だ。

 

荷物がたくさんあって恥ずかしかったが、試験がすんだらこれもいい思い出になるだろう。

 

 

明日、ここのホテルを出るまで、あと16時間ある。

 

さて、何時間頑張れるかが勝負だな。

 

 

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あさって。

試験があさってになった。

 

もはや過去問、模試の問題を何回解いても合格点になってしまう。

 

 

 

ぽつーん。

 

 

何だか燃え尽きてしまった感がある。

 

本来なら気分をどんどん上げていかないといけないのだが、どうしても受かってしまう気がして仕方がない。

 

困ってしまってにゃんにゃんにゃにゃん。にゃんにゃんにゃにゃん。

 

 

 

あとやることといえば、シャーペンを買いに行くことくらいか。

 

10年以上シャーペンを使っていなかったから、シャーペンが進化していたら使い方がわからないかもしれない。

 

本当は今日、シャーペンを買って練習するといいのだが、俺は赤ペンが大好きなのでギリギリまでシャーペンを買いたくない。

 

とりあえず今日、最後の模擬試験の問題を解いて、明日、今までやった全部のテキストを確認したら終了だ。

 

 

あとは広島であるので、寝坊しないことか。

 

おっ、試験の前にコンビニに寄ってシャーペンを買うのも覚えとこう。

 

ま、寝坊しても他の人の半分の時間でできるので大丈夫だろう。

 

 

 

....勉強をしすぎてしまった。

 

ふっ。

あと3日。

100日前から始めた勉強もあと3日か。

 

1年の3分の1近くも勉強してしまった。

 

勉強してると、勉強を教える側の気持ちじゃなく、勉強を習う側の気持ちになれる。

 

 

俺は通信教育で2人の先生に習っていたのだが、いつも塾の授業に置き換えて聞いていた。

 

どういうフレーズが安心するのか?

 

どう言われると嬉しいのか?

 

まず一つ間違いないのは、知識が豊富な先生は安心するということだ。

 

何かを覚えるにしても、縦糸だけじゃなく横糸まで貼っといてくれると、記憶の網ができやすい。

 

 

今まで習ってきた先生を思い浮かべてほしい。

 

きっと教科書を読むだけのような授業をする先生もいただろう。

 

板書がきれいな先生もいたと思う。

 

まとめプリントを配りまくる先生もいたはずだ。

 

余談の多い先生もいたはず。

 

 

 

また、俺は資格試験のためにいくつかのグールプに所属していた。

 

同じ試験を受ける人たちが、バーチャルに集まって意見を交換するグループだ。

 

マニアックな話をする人がいたり、毎年受験している人、いろいろな人がいた。

 

みんなの話を塾の先生として見ていた。

 

感じたのは、要領がいい人が通りそうだということだ。

 

 

思い出してみると、学校の勉強でも知ったかぶりして難しそうな問題を出し合ってるやついたけど、結局成績は大したことがなかったなと。

 

自分なりに上手い具合にグループ分けして覚えたり、対比させたり、関連づけたりして覚えている人が合格しそうな感じだし、そういう人の説明は覚えやすいのだ。

 

桃太郎の家来は、犬、猿、キジです。

 

と覚えるより、「犬が食ってた骨を猿が木の上まで持っていって、キジが空高くまで運んだ。」というイメージです。と言われた方がわかりやすい。

 

桃太郎の家来は粋さ。(いきさ→犬、キジ、猿)のようにゴロにしてもいい。

 

うまい具合に整理してくれて、わかりやすく説明してくれると、普通に覚えるよりも何倍も楽になる。

 

結局、塾の先生はそれを求められていると思うのだ。

 

 

俺は一番最初の化学は、工業校で習った。

 

簡単な教科書を使って、NaのNは大文字で、aは小文字です。

 

っていうところから教えてもらった。

 

その後は、会社で研究をやりながら独学で受験の化学を勉強した。

 

だから、自分なりの整理方法やまとめの方法たくさん作った。

 

大学で化学科に進み6年間化学ばっかりやったのちに、化学の研究所に戻った。

 

工業高校で習ったり、化学の会社で働いたりしたことで、化学に対して幅のある経験ができたと思っている。

 

 

これがすんだら、今、としや先生ありさ先生たちと書いている参考書をブラッシュアップさせて、みんなが少しでも覚えやすいものになればいいなと思っている。

 

実はもう結構できているのだが、共通テストに向けての微調整をしているところだ。

 

 

あと3日で試験。

 

ああ、長かったっと。

あと4日。

コンビニで並んでると、お金を投げるように出す人をたまに目にする。

 

食堂に入ると、「おばちゃん、水。」とか、「おばちゃん、水ちょうだい。」とか話す人がいる。

 

かっこいいと思ってやってるんだろうか、誰か女の人に聞いてみて欲しい。

 

そういうのは「カッコ悪い。」って言われるから。

 

俺はどこの店に入っても必ず丁寧にお願いするようにしているし、お金も雑に渡したりはしない。

 

海外に行っても、なるべくプリーズはつけるようにしている。

 

 

誇れるものがたくさんあれば、そんなところで虚勢を張る必要は全くない。

 

空手の有段者やプロボクサーになってくるとオラオラ系の人が少なくなるように。

 

 

人との付き合いを雑にしていると、愛される回数もきっと減ってくる。

 

バーチャルな進化がどんどん進んでいっても、結局本当にうれしいことは、他人から言われた言葉や他人との関係なのではないかと思う。

 

 

と言いながら、俺は今、あまり他人と離さずに勉強ばっかりしている。

 

早く試験終わってくれーーーーー。

なんとあと5日。

あと5日になった。

 

今日は地理の勉強だ。

 

実は俺は日本で行ったことない県が7つあった。

 

それ以外にも、関東はほとんど一緒な感じで明確に違いがわからなかった。

 

だけど、ほぼすべての県に塾の知り合いがいることだ。

 

特に覚えにくかった県は、その先生を思い出しながら覚えた(笑)

 

 

 

それから、観光資源が多いことを知らなかった県が二つある。

 

長野と和歌山だ。

 

行くところいっぱいあるんだなあ。

 

各県に観光地がほぼ同じほどあるわけではないんだ。

 

いろいろなことがわかった。

 

 

この勉強をして一番好きになった県は青森だ。

 

まだ行ったことないけど、試験がすんだら行ってみようと思う。

 

俺が特にいいなと思った場所。

 

 

 

青森 酸ヶ湯温泉

 

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ヒバ千人風呂って言って、日本で一番雪が深いところにある大温泉らしい。

 

 

 

鳥取三徳寺

 

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これ、もはや中国じゃないか?

 

 

和歌山 熊野古道

 

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エリアがめっちゃ広くて付随して覚えないといけないことが多くて苦労した。

 

 

 

調べたら出てくるから、覚えることはあまり意味がない、という時代になっている。

 

だけど、シナプスとかニューロンとか的には、無理矢理覚えていくってことも大事なことなんじゃないかな。

 

笑っても泣いても、がんばってもがんばらなくてもあと5日。

 

 

最後まで努力して、試験に臨みたい。

6日前。もうがんばれない。

昔の曲を聴きながら勉強している。

 

あのハングリーで、何も持っていなかった頃を思い出す。

 

一家心中や借金取り、警察のことややくざのこと。

 

俺はいつも何かしらを心配しながらずっと生きてきた。

 

そして、俺がどうなりたいのか、何が欲しいのか、いつも地の底から天を見つめて考えていた。

 

高校生の時からだろうか、いつかそれを自分の手に入れてやると一生懸命に頑張るようになった。

 

 

 

 

その頃、俺が欲しかったもの。

 

具体的に俺は思い浮かべていた。

 

シンデレラのように、俺は心の中にいちいち夢想していた。

 

 

 

俺、もう全部夢が叶ってる!

 

全部のものがすでに手に入っている。

 

 

 

小さいとき、何度も家族がバラバラになって、そして理不尽に何度も引越しさせられ、もしも俺が決められるのならこんなに悲しいことを繰り返さないと、心に誓ったことを思い出した。

 

みじめから抜け出したいんだった。

 

よく考えたら、俺の中のみじめの感情は雲散霧消している。

 

俺の中にあった人生の課題を、俺はすでに解決し終わっている。

 

ああ、もう俺は俺で生きてきて、自分の中にやり残していることはないんだ。

 

 

もう貧乏じゃない。

 

もう誰とも離れなくてもいい。

 

 

 

俺は、圧倒的にいい仲間に、そしてまわりの人たちにすでに恵まれている。

 

俺が決められるのなら、こういう人生にしたいというものをすでに実現していた。

 

 

 

 

ああ、自分をこれ以上に幸せな何者かにする術は俺はもう持っていない。

 

自分のためにはもうがんばれないんだ。俺は。

 

 

 

試験を受ける意味さえよくわからなくってきた。

 

この試験を受けて、会社を作って何がしたかったんだろうか。

 

 

もちろん試験は受ける。

 

みんなに「ウソをついたり、雑にやったらダメだよ。」って言ってるから、最後までやるのだが、もはやさほど意味がないのかもしれない。

 

 

高校生が命をかけてがんばっている勉強と、俺がさっきまでがんばっていた勉強は同じようなものだと思ってやっていたが、全然違うものなのか。

 

 

そうか。

 

次なる幸せはたぶん、自己実現とか自己超越とかきっとそっちの方向だ。

 

 

人生ってすごい。

 

自分の生きてる間を全部使って、何かの形を作る。

 

もはや自分映画の主人公なんだなあと知った。

 

 

 

でも、まだエピローグが残ってる。

 

キャリブレーションしながら、いいエンディングに向かって進みたいと思う。