みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

シルクロードと敦煌

♪そこ〜にゆけば〜ど〜んなゆめも〜

小さい頃、音楽で外国を感じたことがある歌が2曲ある。

久保田早紀の異邦人とゴダイゴガンダーラだ。

異邦人はモロッコマラケシュの広場で、きっとこんな感じの場所の歌なんだと感動した。

ガンダーラはどうなんだろう。

ドラマ西遊記の撮影のモデルの敦煌にいつか行ってみたい。

そう思ってた。

すごく行ってみたかった場所のラストの場所だと思う(他はすべて自分の目で確認した)。

 

始皇帝は秦の国の出身である。

当時は中国には7つの国があり、秦はその一つであった。

そして秦の中に西安(ま、厳密に言えば咸陽になるが、誤差として)があった。

秦が中国を初めて統一したときに、中国の首都は西安になった(ま、当時は長安と呼ばれてが、その辺は置いといて)。

つまり中国の中心は西安だった。

そして地理的にも中国の中心は西安である。

だから、遣隋使や遣唐使西安で勉強している。

中国の情報は西安から出されているし、逆に西安に入ってくる。

要するにシルクロードの出発地点は西安なわけだ。

西安からイタリアのローマまで情報や物が行き来していた、その道こそがシルクロードである。

ローマや他の国々から西安に行く時に必ず敦煌を通るわけだが、旅人は敦煌に着いて初めて「やっと中国だ」ということがわかるという。

砂漠の中に突然現れる中華風の街、当時の人は感動したに違いない。

逆にインドやヨーロッパに行く人は、敦煌を出て初めて外国になる。

要するに敦煌で、肌の白いヨーロッパ人やイスラム教の中東人、そして黒っぽいインド人などが混ざってくる。

俺はこれを格の高いバックパッカーの聖地と解釈した。

敦煌の人は、いろいろな国の人がいろいろな文化や言葉や宗教を持っていることを、日々の暮らしの中から知っていたのだ。

音楽や芸術や宗教などが日常の中に混ざっているのが敦煌だった。

西安から敦煌、飛行機でいけば簡単なのだが俺はできるだけ地面を通って、シルクロードをトレースしながら行きたかった。

だから俺は列車で敦煌まで行った。

その距離、実に1600km。本州の端から端までの距離なのである。

 

そして敦煌に着いた。

一番見たかったのは莫高窟だ。

砂漠の橋の岩肌に、700もの石窟がある。

実際に見て、驚いたのはその整然さだ。

ホテルの部屋のように1室1室が作られていて、1窟2窟という風にナンバリングされていた。

1番有名なのは第17窟、一つだけ圧倒的に違うのは第96窟。

どの窟でも入れるわけでなく公開されてる窟は限られていた。

通常は4窟だけらしいが、俺はそれ用に多めに金を払って8窟見学させてもらった。

窟に入る度にこれはいつの時代のものです、と説明があった。

1000年もかけて作られたものだ。

最初の窟と最後の窟では作られた時期が1000年違う。

いろいろな技術も格段に進歩しているだろうと思うが、見た感じではそんなに違いはわからない。

ただ、顔がインド人風のものや、装飾がすごいブッダなどところどころの違いはあった。

部屋の中は撮影禁止だったが、レプリカがあったので載せておこう。

各部屋はこんな感じだった。

 

ちなみに圧倒的に違う96窟がこれである。

他と違いすぎるだろ、これ。

中には巨大な大仏があった。

大仏を入れてあとからこの建物を作ったんだろうな。

 

 

そして、ゴビ砂漠、これがまさにシルクロードだ。

サハラ砂漠(メルズーガ)も見たことあるが、ほぼ同じと言っていい。

こんな道を歩いて進んできて、そして進んで行くのか。

 

天女のコスプレをしてる人がすごく多かった。


子供の頃に西遊記を見て、そこがどんなところなんだろうか。

いつか見てみたいと思っていたが、俺なりにシルクロードを感じられて満足している。

 

 

ルネサンスメコン川スピードボート、万里の長城アマゾン川、ピラミッド、タージマハル、スモーキーマウンテン.........そして敦煌

もう世界の行きたかった場所は全て行った。

世界旅行ももうすぐ190回になる。

 

世界の色々なところに行き、色々な生活や景色を見てきて確信が持てた。

 

 

 

 

 

大切なことを言おう。

結局幸せとはなんなのか?

幸せとは..

 

 

 

人なのである。

 

 

 

 

 

 

兵馬俑(へいばよう)

 

教科書でこういうの見たことないだろうか?

兵馬俑である。

死ぬまでに一度、見たいと思っていたので実際に見てきた。

思ってたのと色々違ったので、書いておきたい。

俺のイメージの兵馬俑始皇帝が死ぬ時に、人の代わりに人形を墓に一緒に入れた。だった。

なんかよく知らないが埴輪みたいな...

 

ちなみに中国人の専門のガイドから聞いた話である。実話だと仮定して書く。

 

実際は色々違っていた。

兵馬俑はずっとあったけど見つかっていなかった(けど見つかっていた)。

兵馬俑が見つかったのは今からわずか50年前である。

50年間もの間、土の中に埋まっていたのだ。

ただ中国は土葬の習慣で、穴を掘って人を埋めるときに、そういう人形のようなものが埋まっていることは薄々気づかれていたそうだ。

この写真の右上に穴があるのがわかるだろうか?

これは地元の人の骨が入っていた場所だそうだ。

こういう穴がいたるところに開いている。

こういう穴を開けるときに必ず兵馬俑とぶつかってても不思議ではないのが想像がつく。

だが、こういうのがでてくると静かに暮らしている村の人々の生活が激変するために、村人は見て見ぬ振りをしてたそうだ。

そんな中、この兵馬俑の上に住んでる一人のひとが、地下に人形が埋まってるようだと発表したから、村が大騒ぎになったらしい。

その住人は村を追われ、山の中でひっそり暮らすようになったらしい。

20年後に、これはお金になるとみんなが気づき、その住人を呼び戻したそうだ。

今ではお金持ちになっているとのこと。

 

兵馬俑はカラーだった。

兵馬俑は思った以上に一人一人の特徴を捉えており、最初はカラーだったそうだ。

発掘して空気に触れるとすぐに酸化し、色がなくなるらしい。

酸化を遅らせるために、ビニールで覆っているものもあった。

実際の色はこんな感じらしい。

No Photos とあるが、撮って良いと言われた。

他の人も撮っていた。

 

③かなり精巧に作られている

これが無傷の状態で発掘された唯一の一体だそうだ。

よろいの金属の重なり方などかなり精巧に作られている。

実際に爪の筋や、手相まできちんと作られている。

そうなると靴の底の模様のこれも正しいということになる。

一人一人が似せて作られてるそうだ。

 

④少し信じにくい話もある。

一定数の割合でこのように足が太い人形があるのだ。

ガイドさんの話では、馬車の運転手、軍師などは動かないから運動不足で足が太くなったと言っていた。

これはにわかに信じがたかった。

だって、トラックドライバーとかバスの運転手さんとか足、別に太くないもんねえ。

 

⑤一番前や外側の人は鎧を着てないがそれでいい。

敵の首を切ったら、25mプールくらいの土地がもらえて、2人切ったら、2つもらえる。

3人切ったら、家族の中に罪人が出ても一人は罪人免除してもらえるらしい。

だから、前線の人はとにかく人の首をはねたくてしたかないから、軽装で動けるようにしてるらしかった。

 

⑥兵士以外にも曲芸をする人や料理を作る人まで、いろいろな人がいた。

撮り忘れたので(最後の方はめんどくさくなってきた)、壁に貼ってあった絵で許してくれ。

 

その他

西安の名物ビャンビャンメン

これは、始皇帝が中華統一したあとに、兵士以外からは武器を取り上げたために(農民からも包丁を)、手で伸ばす平べったい麺が作られたと言うことだった。

平べったすぎるだろう、と思ったが、平べったかった。

注文の仕方は、1本ください、2本くださいと麺の本数で注文する。

俺は「初心者は一本にしてください。」って言われて1本にしたが、それでも多かった。

普通のラーメンの大盛りくらいのパワーがあった。

 

 

以上である。

兵馬俑一つとっても面白いだろう。

ペットボトル考

ここ数年はペットボトルを持ってくる子が増えたね。

毎日毎日ジュースを飲むのはどうなんだろう。

 

 

これは仕事とは関係ない。

個人的に思ってることだ。

だから誰かのことを言ってるわけでもない。

ここ数年、ずっと思ってきたことだった。

 

毎日ジュースを与えてるってどうなんだろう?

子供が毎日ジュースを飲むメリットって何があるんだろう。

水筒に水でいいんじゃないかな。

それかお茶で。

糖分?

じゃあ、勉強する前に吸収の速いブドウ糖の方がいいんじゃないの?

わざわざ果糖やショ糖をとらなくても。

毎日ジュースを飲んでる子を見てると、友達や周りのことは関係ないのかなって思ったりする。

もし子供の頃の俺がジュースが飲みたいんだったら、ちょっと隠れて飲むと思う。

周りの子供でジュースを買えない家だってあるわけだから、子供であってもきっと友達に配慮したはずだ。

とにかく毎日ジュースを飲む意味がわからない。

 

もし、俺が親で俺が子供だったら、俺は自分にこう言うね。

「パパー、僕もジュースを買って飲みたい。」

「ジュースを買いたい時は買ってもいい。

だけど、みんなが飲んでる時だけにしろ。

お前だけが飲むんじゃない。

お父さんは人間関係を重んじてるんだ。

お父さんの格好は変だけど、人間関係を重んじてきたからみんなから許されてきたんだ。

いいか、お前は俺だから、お前にいいことを教えてやる。

ジュースを飲むんじゃなくて、みんながお前が飲んでる水を飲みたいと思うような男になれ。

お前は「あついー。さ、水飲もう。」って水筒の水を旨そうに飲め。

みんながお前が飲んでる水を真似したいと思うようになるんだ。

いいな?

どんなにAIが発展しても人の心は残るんだ。

そもそも、水分の補給は体にH2Oを入れると言うことだ。

特定のイオンがあった方が吸収が良い可能性もあるが、太古の昔から人は水を飲んできた。

どうしても水で格好をつけたいのなら、お前が冷蔵庫でいろいろな氷を作ってみてどんな氷だと一番良い温度で飲めるのか試せば良い。

お金や物に頼るんじゃなくて、お前はお前の魅力を磨くんだ。

金やものはお前が作ったものじゃないから、お前自身の魅力にならない。

俺はお前だから、お前のことを、つまり俺のことを心から思って言ってる。

わかったな?

自分を光らせることを考えるんだぞ。」

「イエッサー、ダディ!」

幸せとは何か?ふたつめ

幸せを式で表してみよう。

 

これは絶対に単純な式になると俺は考えている。

 

幸せ=今の自分/理想の自分

 

若い人は今の自分にフォーカスして、分子の数値をあげることに努力しているだろう。

 

実際俺もそうだった。

 

生徒が100人になったときにうれしかったが、すぐに次は200人しようと思った。

 

初めてベンツを買えたときはうれしかったが、その2年後には違うベンツを買っていた。

 

理想の自分と今の自分に差があればある分だけ、幸せから遠くなる。

 

理想の自分はおそらく周囲の環境に大きく影響を受けるだろう。

 

昔、俺がブログで有名になってたときに多くの先生たちと会った。

 

おそらく当時の目立ってた先生とはほとんど全員会ったと思う。

 

いっぱいの先生と会って、色々な塾を見学してそれなりにわかったね。

 

渇望してる先生は情報が多すぎるんだよ。

 

想像して欲しい。

 

5人友達がいたとする。

 

一人は大金持ち、一人はめっちゃかしこい、一人はとても美しい、一人はすごく優しい、一人は力強い。

 

この中でどうやってハッピーマンになる?

 

自分の存在意義ってなんなの?

 

情報を入れすぎると不幸になる。

 

俺も多くの情報に触れているが、別世界の話だとして見ている。

 

羨ましいと感じたり、自分もそうなりたいと思って見てしまうと勝手に分母が膨らんでしまう。

 

幸せになるために生きている、あるいは幸せになることが大事だとすれば、分母は小さい方がいい。

 

最初の数式に戻ろう。

 

俺は最初の式に自分を当てはめたら

 

120/80くらいになってるからなりたい自分の150%が今の自分なわけだ。

 

完全に今の自分に満足しているし、この生活を続けてる限りは分母が増えることもない。

年金

俺は今のところ年金はもらわないつもりだ。

 

俺の中で、年金は困ったときに助けてもらうものだと思ってるからだ。

 

年金をもらわないってことは、年金をもらわなくてすむようにがんばって働いていきたいってことを意味している。

 

くれるものはもらわないと損だとも思っていない。

 

俺はなるべくもらわないようにがんばるんで、必要な人がもらってくれればいいと思う。

 

年金の仕組みは助け合いの仕組みのはず。

 

助けてもらう側より、助けてあげられる側にたまたまいられるだけで本当に感謝だ。

 

できれば死ぬまで助けてあげられる側でありたいと思っている。

幸せとは何か?ひとつめ

幸せがどういうものかわかったが、それを表現するのが難しい。

 

例えば、夜行電車だって、夜走る電車、目的地に寝てる間に着く乗り物、動くホテル.....表現がいっぱいある。

 

同じように幸せを一言でいうのが難しいが、俺がわかった幸せをいろいろな側面から書いてみようと思う。

 

俺より若い誰かの参考になればな。

 

 

俺は一時期、発展途上のスラム街ばかりを選んで移動して、貧乏ってなんなのか?を考えてた時期がある。

 

フィリピンのスラム街訪問で疲れ過ぎていた俺は、フィリピンの貧乏な漁村に赴いた。

 

手漕ぎの船に乗って何の気なしに、地元の人に借りた釣竿をたらしていた。

 

すると山の中に一本のススキの穂が動いているのが見えた。

 

一本だけだ。

 

なんだろうとずっと見てると、ススキを持った小さな女の子が笑顔で山の中から現れた。

 

誰かの方に向かって歩いている。

 

家族だろうか。

 

みんな笑顔だった。

 

 

数日後、ホームレスやストリートチルドレンに溢れ帰るマニラに戻った。

 

あの漁村だってどこの家も貧乏だった。

 

このストリートチルドレンも同じように貧乏だが、不幸さが全然違う。

 

 

俺は世界でフィリピンの都会が一番不幸な場所だと思っている。

 

だってものすごく大きいショッピングモールの前にホームレスが暮らしている。

 

モールの前には銃を持ったガードマンさんがいるから、ホームレスたちは入れない。

 

ホームレスたちはブランドの服を着ている人々が世の中にいることを知りながら、自分との格差を感じているのである。

 

一方、漁村の人はみんなで助け合って生きている。

 

もちろん病院の問題や学校の問題、お金の心配もあるかもしれない。

 

だけど、幸せって相対評価なのだ。

 

自分が劣ると感じるから不幸になっているのだ。

 

もしもみんなで助け合っていたら、この絶望感はないはずだ。

 

 

今回初めて書くけど、ショッピングモールってXや、Instagramに似てるとずっと思ってた。

 

そもそもインスタに投稿する写真って見せたいものでしょ?

 

研究の言葉で言うならチャンピオンデータを出してるだけだ。

 

いつもテストで50点のやつが80点とったらインスタに載せるんだよね。

 

だからインスタとかXに出てる現実は、実際の現実より盛られている。

 

その写真を見て、また自分のチャンピオンデータを頑張って作る....(笑)

 

それと比べて絶望する。

 

当たり前じゃん。

 

もはや蜃気楼なんだから。

 

だから、SNSに支配されてるやつらは、かなり不幸度が高いと思うんだよね。

 

俺は。

 

 

でも、よくよく考えるとわかる。

 

自分の日々の生活に関係するやつはネットの中にはほとんどいない。

 

毎日、身近な人10人くらいとしか会わないでしょ?

 

その10人しか自分の幸不幸に直接関係してないでしょ?

 

10人にしか会わないのに、関係ない不特定多数と比べてしまってる現実。

 

力をかける場所、比べる場所が間違ってる。

 

 

 

俺に会ったやつはわかると思う。

 

俺ってめっちゃ幸せそうだろ?

 

俺に勝てそうなやつはほとんどいないくらい幸せそうだろ?

 

俺はもはや何とも競争してないだろ?

 

 

幸せのひとつめ。

 

自分に近い存在の10人くらいしか、自分の本当の幸せに関係していない。

 

だからそこだけを見て暮らせばいい。

 

世界の誰かの幸不幸は自分には関係ないことなのだ。

すべては人間が運んでくる。

時々書いているが、今日まで生きてきて対人間が最も重要だという結論に至っている。

 

全てのチャンスは人が運んでくるし、ラッキーも全部、人間が持ってくる。

(宝くじのようなしょーもない再現性のないラッキーなどの例外はあるが、大当たりすると不幸になるわけだから幸せとも言えない)。

 

そして、選択のほとんどは感情によって行われていると思っている。

 

 

今、俺は「毎日化学」とか「毎日英語」とかをやって、子どもたちの勉強を毎日チェックしている。

 

もう、これが本当に手間がかかる。

 

これによって売り上げが変わるわけではないだろう。

 

なぜなら無料サービスだからだ。

 

だけど、子供のためには絶対にやった方がいいと思ってる。

 

一発で1000個覚えるより、1日に10個ずつ覚えた方が色々いいはず。

 

ただ、ここまでめんどくさいとプログラムかなんかで自動化しようかなと思う瞬間もある。

 

だけど絶対に自動化しない。

 

その理由が、「人間」だ。

 

 

同じ月謝をもらってるのに、休む子と休まない子どっちがかわいいか?

 

話してくれる子と事務的な子はどっちがかわいいか?

 

これって月謝ビジネスという括りの中では、そういう感情に意味はない。

 

筋トレのジムで考えるとわかりやすい。

 

ジムに通ってくれてる人が同時にジムに来ると、ジムがパンクする。

 

だから、経営的にはたくさんの人がジムに登録してくれてるけど、全員が来ないのがコスト的に一番有利なはずなのだ。

 

でも、おそらく常連の人の方が好かれてると思う。

 

そこに人間の関わり合いがあるからだ。

 

 

もしも俺が毎日勉強シリーズを自動化したら、頑張ってる生徒のモチベーションが下がるだろう。

 

仮に順位を出したり、正答率を出したりして、付加価値をつければ、続けられるかもしれないが、俺が今やってるものとは別物になってしまう。

 

俺は対人間が一番大事だと思ってるから、人間らしい部分を多く残した塾を作りたい。

 

 

できるだけ生徒にたくさん問題をあてることで、生徒といっぱいコミュニケーションをとって。

 

そして、なんなら親御さんとでも飲みに行ったりできるような温かい塾を俺は守っていきたい。

 

 

 

毎日化学問題。

今年も毎日化学を始めた。

 

化学の問題を3〜4題ずつ宿題として出して、毎日採点していくという地味な作業だ。

 

毎日ずっと続けていくってのは本当に大変だ。

 

だけど、コツコツと積み上げていかなかったらいい点は取れない。

 

YouTubeとか見てると、セミナー化学だけでいい点取れますとか、教科書やってれば大丈夫ですとか、もはや生徒のことなんか何も考えていない先生がいてちゃんちゃらおかしい。

 

そういうやつらってのは、たまたまとれただけのチャンピオンデータが全てだと思ってる。

 

笑わせるな。だ。

 

俺はみんなに「100年分は解くように。」といつも言っている。

 

3年生の授業はもうすでに全範囲を終えて今、問題演習をやっている。

 

毎年、すべての会社の実践問題集を生徒と一緒に解いて、それプラス毎日化学問題を出して、さらに前の年の実践問題もやっている。

 

もちろん化学ばっかりやれば誰でもいい点は取れるだろう。

 

どうやって勉強時間を減らしながら、みんなにいい点をとってもらうかの戦いをすること。

(あ、それでも100年分は必要、ただし速く解く練習をいつもしている)

 

それが俺の仕事だ。

 

毎日化学は、毎日5〜10分くらいの問題をやり続けることで、化学の知識が抜けるのを防ぎながら新しい知識も少しずつ入れている。

 

月謝も俺が化学の塾を始めてから23年間、一度も値上げしたことない。

 

週に1回 90分授業をやって1万円(プラス消費税)だ。

 

どうして値上げしないか?

 

値段を上げたくないからだ。

 

収益を最大にしようとは思っていない。

 

地域と一緒に生きている。

 

その代わり俺の塾には誰でも入れるわけではない。

 

賢い子しかいれない。

 

誰かに合わせてペースも落とさないし、本州の一番端っこの県からいつも東京のど真ん中と競争するつもりでやっている。

 

今年もいい点が取れるように努力したい。

 

みんなが合格した時の顔を想像しながら授業をやっている。

 

 

 

 

 

鴨はどこまで行っても鴨。

情報商材ってなくならないね。

 

それはお金が欲しいと思ってるやつが多いから。

 

ま、仕方がないよね。

 

ダイエットとか英会話とかもずっとニーズがあるもんね。

 

その中でも最強はお金系だろう。

 

「こうすれば儲かる。」みたいな話が巷に溢れて、それに鴨がいっぱい群がっている。

 

ネギ持ってる鴨もたくさんいる。

 

情報商材のほとんどって結局、「私と同じことやりなさい。」じゃね?

 

ブログで金儲けてるやつが「あなたもブログやりなさい。儲かるから。」って、儲からないっつーの。

 

なんでかわかるか?

 

そういうものって誰が発信してるかで決まってるからだよ。

 

俺なんか昔、本気でブログ書いてた頃、1時間ごとに1000人とか読みに来てたからね。

 

今なんか、1日経っても1000人なんか来ない。

 

だってあの頃の俺と今の俺じゃあ影響力が違いすぎるから。

 

書いてる内容ってあんまり大差ない気がするけど、結局誰が書くか?なんだよ。

 

ってなると、情報商材の「私の真似をしてください。」ってのは全く無意味ってことになる。

 

 

で、だ。

 

何が言いたいかっていうと、人から情報商材を買って儲けるんじゃなくて、人に売る側にならないといけないって話だ。

 

つまりだ。

 

影響力のある人間にならないといけないって話。

 

影響力を与える人間になるにはどうすればいいかって?

 

 

 

連呼だよ。

 

連呼。

 

 

ドッカンドッカン花火上げ続けて大声で連呼しまくるんだよ。

 

最近、俺もだんだん蘇ってる感じするだろ?

 

まあ、連呼してるからね。

 



誰だって挑戦することは怖いに決まってる。

世の中には調子に乗ってるやつがいる。

 

か⚪︎か⚪︎ヒ⚪︎⚪︎氏とか。

 

ああいうやつらってのは天国モードだから、恐怖感が麻痺して攻めやすくなってる。

 

全部がプラスに見えてるからね。

 

明らかに仕事に有利と言える。

 

 

でも、まともなやつはやっぱり自分のホメオスタシスを超えていくのは怖い。

 

どっちかって言うとイカれてる方の俺でさえちょっと怖いからね。

 

俺も過去に天国モードが長かったから、あの頃なら軽く攻めれたんだけど、今だとちょっとビビるよね。

 

ま、だから多くの普通の人もがんばることは続かない。

 

ビビって何度も何度もハンドルネームを変えてしまう人。

 

気持ちわかるわ〜。

 

でも、その心臓だと天国モードには移行できないんだよなあ。

 

モードを超えるのにはね、鉄の心臓がいるんだよ。

 

 

俺はかつて天国モードに長いこと暮らしてから、その時のマインドも戻り方もわかる(....はず)。

 

だから鉄の心臓を実装して進んでいく。

 

世論とかどうでもいいんだよ。

 

俺は俺。

 

 

今日はゴミ箱を新しいものに変えた。

 

 

俺の新しい俺のゴミ箱、そこら辺のすべて。

(アレルギーなのでティッシュ多くてすみません)

 

これでいいんだよ。

 

俺がいちばんやりやすいやり方で。

 

世の中の当たり前とか他人の助言なんか俺にはいらない。

 

才能。

 

一番大事と考える才能は人によって違うだろう。

 

スポーツ選手なら運動能力の一種だろうし、芸術家なら閃きや感性かもしれない。

 

俺が一番大事だと考えている才能は、人間関係だ。

 

生きていく能力でもっと重要だと思っている。

 

生徒をみてるとまさにそう思う。

 

他人から圧倒的に好かれる子やものすごく信頼されている子がいる。

 

そうでない子が努力したところで、きっと彼らにはなれないだろう。

 

人間関係のうまさは後天的よりは先天的な因子が大きいと俺は思っている。

 

 

 

俺はね。

 

人間関係がスーパー得意で生まれてきたと思ってるんだよ。

 

もちろん全ての人から好かれてるわけではないが、これで全然いい。

 

じゃんけんで説明するとわかりやすいが、通常はじゃんけんの勝率って5割のはずだ。

 

だが、もしも勝率6割の人がいたらどうなろう?

 

10割じゃなくていいんだよ。

 

つまり誰からも好かれる必要はない。

 

6割くらいで十分だ。

 

人生がじゃんけんだとすれば、6割勝てれば、ものすごく有利に生きれると思わないか?

 

じゃんけんの勝率を上げるよりも、6割のバトルの回数をこなす方が簡単なはずだ。

 

 

最近、俺の調子が上がってきてるのわかるでしょ?

 

ちょっとずつだけど昔の俺が戻ってきている。

 

しょうもない物欲も出てきたから、老化は止まり始めたようだ。

 

 

 

がんばろうと思えることがありがたい。

 

いけるところまでいってみたい。

俺の挑戦。

大学受験しようと思ったとき、他人に言おうか言うまいか迷った。

 

言うとブーストがかかっていいのだが、もしも挫折したときにカッコ悪い。

 

だけど、受験するためには上司の許可がいる。

 

上司にだけは話さなければない。

 

すると、当時の研究所長がこう言った。

 

「なんでも周りに宣言すればいいんだよ。そうすれば背水の陣が勝手に敷かれるから。」と。

 

俺はみんなに宣言した。

 

「大学受験の勉強をやろうと思います。」と。

 

俺の以外の周りはみんな大学院卒で、俺だけが大学のことをしらなかったのだ。

 

周りのみんなは大学受験や大学のことを想像できたと思うが、俺には想像できなかった。

 

自分だけが知らないのに、それをやると宣言する、なんか惨めな気分だった。

 

俺の家が貧乏だったから、俺には大学に行くって発想がそもそもなかった。

 

俺がもし、俺の家に生まれていたら俺はきっと大学のことを考えて勉強していただろう。

 

とにかく、俺の人生はもう俺が作れるわけだから、人のせいにせずに自分でできることをやっていこうって考えるようにした。

 

で、勉強が始まったわけだ。

 

先祖代々受け継がれているこの遺伝子のままに生きていくとするなら、きっと世代が一代若返ったにすぎなかっただろう。

 

だが、俺は先祖からの流れを俺の力によって変えて、子孫に繋いでいこうと強く思った。

 

そして、まずは1回目の決断と努力によって俺の人生は確実に変わった。

 

それが大学卒になることだった。

 

その後、何度かの挑戦を経て、今の俺がある。

 

ま、自分で言うのもなんだが、結構いい線まで来たと自己満足している。

 

 

ところで、挑戦って信じられないほどのパワーを要するのはわかるだろうか?

 

挑戦ってのは、自分の中に大きいドリームを生み出せて、それを達成することによって得られる快感もありありと想像でき、そこに向かう過程の苦しみを乗り越える精神力があると判断したときにだけできるものだと思っている。

 

 

 

 

もう一回挑戦できそうな気がしている。

 

もう欲しいものは全部持っている俺の前には、ネクスト挑戦は現れないと思っていたが、今回挑戦してもいいと思うネタに当たっている。

 

間違いない。

 

絶対に最後だな。

 

人生において挑戦のチャンスはそう多くないことがわかってるから、ラスト挑戦になるだろう。

 

最後まで気持ちを維持できるかどうかわからないけど、とりあえず一歩は踏み出せた。

 

すべてに感謝だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに旅行ってすごい。

 

みんなから見たらこれ、ただの道だよね?

 

俺はこの道の上に立ってたから、この写真の中に入っていける。

 

においも温度も音も全部わかる。

 

ちっ、絶好調すぎるな。

一番頑張る自由権が俺にはある。

 

工業高校卒だった俺は、最初の模試の成績が20万人中19万番台だった。

 

そこから受験勉強を始めた。

 

みんなから「やめとけ。」とか、「できるわけない。」とかいっぱい言われた。

 

でも、関係なかった。

 

 

会社をやめて塾を開くときも、「そんなの成功するわけない。」と言われまくった。

 

でも、関係ない。

 

 

何かしようとすると、マイナスな言葉をたくさんもらえる。

 

だけど、関係ないんだよ。

 

今の成績や、今の実力ってのは途中経過なんだから、途中でなんか言われても困るじゃんか。

 

結果はやってるやつの頭の中にしかないし、それを信じられるのは自分だけだろ?って話。

 

自分がそれを信じられずに続けられないんだったら、当たり前だけどそれはうまくいくはずがない。

 

だけど、本当に未来の自分の姿をありありと想像できて、そこに向かって夢を抱き続けられるのならその夢はきっと叶うよね。

 

今回、俺は22日間で日本にいたのがたったの3日で、あとは海外にいた。

 

日本(飛行機)バンコク(飛行機)チェンライ(車)フェイサイ(船)ルアンパバーン(飛行機)バンコク(飛行機)日本(飛行機)バンコク(飛行機)ヴィエンチャン(飛行機)ルアンナムター(バイク)ムアンシン(バイク)ルアンナムター(電車)ルアンパバーン(飛行機)ヴィエンチャン(ソンテオ)ノンカイ(バス)ウドンタニ(飛行機)バンコク(飛行機)ダナン(寝台バス)ドンホイ(リムジン)フエ(リムジン)ダナン(バイク)ホイアン(バイク)ダナン(飛行機)バンコク(飛行機)日本

 

世界一周に続く長い旅行だった。

 

海外にいて、いっぱい考えたよ。

 

俺は何をしたいのかどうなりたいのか。

 

すごく時間があったので、いっぱいいっぱい考えた。

 

見えたね。

 

あとは気持ちが続けられるかどうか。

 

夢を諦めるやつって気持ちが続かないんだよね?

 

俺もこの歳になって、また新しい夢を持って頑張れるかどうかわからない。

 

でも、なんかがんばってもいいかなあって思えるところまで復活してきた。

 

 

「化学の先生」で最後の勝負をしたいなあって今、思ってるところ。

旅。

一緒に行ってる生徒には話すのだが、俺がやってるのは旅行ではなく旅だ。

 

目的地に向かって無駄なく進んでいって、そこの観光するのではない。

 

むしろ、そこに行くまでの過程を楽しんでいる。

 

いや、そこに行くまでの過程が楽しいのだ。

 

だから、できるだけグラブやウーバーは使いたくないし、できたらGoogleマップも使いたくない。

 

わからないときには道を尋ね、とりあえず乗り物に乗ってみて、そしてまた聞く。

 

目的地に行って、だいたい想像通りの物を見るだけなら想像を大きく越えることはないだろう。

 

でも、そこまでに着くまでのコース選びだったり、乗り物選びだったり、人との触れ合いや自然を感じることは観光地よりもずっとゾクゾクする。

 

他の人から見ると、俺は海外に行ってばかりに見えるかもしれない。

 

だけど、あの忙しいビルゲイツでさえ年に2回、日常と離れた生活を1週間ずつ作ってるくらいだ。

 

ビルゲイツのクリエイティブを作るためだそうだ。

 

俺なんかクリエイティブの脳汁がドバドバ出てて、もはや帰国した瞬間の今はアイデアの権化とも言える。

 

 

 

俺は塾の先生であることにものすごい誇りを持っている。

 

建築家はすごい建物を作れるかもしれない。

 

農家の人は美味しい野菜を作れるかもしれない。

 

弁護士は困った問題を解決できるかもしれない。

 

それよりも何もよりも塾の先生はすごいと信じている。

 

だって成長中の子供の心の中に影響することができるんだから。

 

その子は将来何で他人に貢献できるかわからない。

 

そこに一票入れられるなんて最高じゃないか!

 

 

だから俺は、ドリームを生徒に伝えたいし、何歳になってもカッコいい生き方をしていきたいと思っている。

 

勉強を教えることは仕事なので絶対に重要なことではあるが、これをカッコよく伝えたいんだよ。

 

俺はね。

 

 



 

練習していないとき。

格闘技に興味ある人しか知らないと思うけど、先日、朝倉未来選手と平本蓮選手の試合があった。

 

試合前の予想は朝倉未来選手圧倒的に有利だったのだが、結果は平本選手の1RでのKOだった。

 

そのことでレジェンド魔裟斗氏がこんなことを言っていた。

 

「練習はみんなやってるんだよ。大事なのは練習してる時じゃなくて練習してない時なんだよ。練習していない時に他のことをやってると、どうしても勝てないよね。」と。

 

朝倉選手は元ヤンキーとは思えないほどマルチな才能で、本当に頭がいい人なんだなといつも思っていた。

 

自分の試合以外にもブレイキングダウンやYouTubeなどやることがいっぱいあった。

 

練習中にどんなに集中しても、練習を離れたら他のことに忙しかったと思う。

 

一方、平本選手は自分のコンディションのために、会見までブッチしてしまうほどだった。

 

勝ちたいのは誰でも一緒なのに、プロとしてはどうなんだろうと思っていた。

 

だけど、それが想いの差だったのだと、魔裟斗氏の話を聞いて思った。

 

ちなみに俺は朝倉選手を応援してた。

 

 

さて、話を自分に戻そう。

 

先生たちはみんな同じだと思うが、授業が終わった後、「今日は上手にできた。」とか「今日は全然ダメだった。」とか、毎回自分の授業を振り返ってると思う。

 

共通テストになって教科書が変わってから、俺も授業に苦しんでいる。

 

今回、魔裟斗氏の言葉を聞いて、俺も仕事していない時を大事にしようと思った。

 

いつもいつも授業のことを考えて、自分が塾の先生であることを忘れないようにしようと思った。

 

今日からまた初心に帰って頑張りたいと思う。

 

 

 

朝倉選手の引退に関してはいろいろな意見があると思うが、俺は引退した方がいい派だ。

 

あれほど多才な格闘家は本当に少ないと思うし、もはや経営者としてもとても優秀だと思う。

 

格闘技と経営ができる稀有な人なので、その才能を使って格闘技全体を盛り上げた方がいいのではないかと思っている。

 

 

俺は......

 

今は目の前の生徒に集中しようと思っている。