♪そこ〜にゆけば〜ど〜んなゆめも〜
小さい頃、音楽で外国を感じたことがある歌が2曲ある。
異邦人はモロッコのマラケシュの広場で、きっとこんな感じの場所の歌なんだと感動した。
ガンダーラはどうなんだろう。
そう思ってた。
すごく行ってみたかった場所のラストの場所だと思う(他はすべて自分の目で確認した)。
始皇帝は秦の国の出身である。
当時は中国には7つの国があり、秦はその一つであった。
そして秦の中に西安(ま、厳密に言えば咸陽になるが、誤差として)があった。
秦が中国を初めて統一したときに、中国の首都は西安になった(ま、当時は長安と呼ばれてが、その辺は置いといて)。
つまり中国の中心は西安だった。
そして地理的にも中国の中心は西安である。
西安からイタリアのローマまで情報や物が行き来していた、その道こそがシルクロードである。
ローマや他の国々から西安に行く時に必ず敦煌を通るわけだが、旅人は敦煌に着いて初めて「やっと中国だ」ということがわかるという。
砂漠の中に突然現れる中華風の街、当時の人は感動したに違いない。
逆にインドやヨーロッパに行く人は、敦煌を出て初めて外国になる。
要するに敦煌で、肌の白いヨーロッパ人やイスラム教の中東人、そして黒っぽいインド人などが混ざってくる。
俺はこれを格の高いバックパッカーの聖地と解釈した。
敦煌の人は、いろいろな国の人がいろいろな文化や言葉や宗教を持っていることを、日々の暮らしの中から知っていたのだ。
音楽や芸術や宗教などが日常の中に混ざっているのが敦煌だった。
西安から敦煌、飛行機でいけば簡単なのだが俺はできるだけ地面を通って、シルクロードをトレースしながら行きたかった。
だから俺は列車で敦煌まで行った。
その距離、実に1600km。本州の端から端までの距離なのである。
そして敦煌に着いた。
一番見たかったのは莫高窟だ。
砂漠の橋の岩肌に、700もの石窟がある。
実際に見て、驚いたのはその整然さだ。
ホテルの部屋のように1室1室が作られていて、1窟2窟という風にナンバリングされていた。
1番有名なのは第17窟、一つだけ圧倒的に違うのは第96窟。
どの窟でも入れるわけでなく公開されてる窟は限られていた。
通常は4窟だけらしいが、俺はそれ用に多めに金を払って8窟見学させてもらった。
窟に入る度にこれはいつの時代のものです、と説明があった。
1000年もかけて作られたものだ。
最初の窟と最後の窟では作られた時期が1000年違う。
いろいろな技術も格段に進歩しているだろうと思うが、見た感じではそんなに違いはわからない。
ただ、顔がインド人風のものや、装飾がすごいブッダなどところどころの違いはあった。
部屋の中は撮影禁止だったが、レプリカがあったので載せておこう。
各部屋はこんな感じだった。
ちなみに圧倒的に違う96窟がこれである。
他と違いすぎるだろ、これ。
中には巨大な大仏があった。
大仏を入れてあとからこの建物を作ったんだろうな。
サハラ砂漠(メルズーガ)も見たことあるが、ほぼ同じと言っていい。
こんな道を歩いて進んできて、そして進んで行くのか。
天女のコスプレをしてる人がすごく多かった。
子供の頃に西遊記を見て、そこがどんなところなんだろうか。
いつか見てみたいと思っていたが、俺なりにシルクロードを感じられて満足している。
ルネサンス、メコン川スピードボート、万里の長城、アマゾン川、ピラミッド、タージマハル、スモーキーマウンテン.........そして敦煌。
もう世界の行きたかった場所は全て行った。
世界旅行ももうすぐ190回になる。
世界の色々なところに行き、色々な生活や景色を見てきて確信が持てた。
大切なことを言おう。
結局幸せとはなんなのか?
幸せとは..
人なのである。