「お前が高校生になったら、さすがにお父さんはもう教えられない。」
「お母さんはねえ、理科は苦手だから。」
親御さんによって、勉強を教えられる親御さんと教えられない親御さんが存在しているだろう。
また、教えることはできるがプロに任せよう。という方もいるだろう。
塾をやってると子供のお小遣いが気になって仕方がない。
「僕(私)、お小遣いもらってもません。」
最近、よく聞くセリフだ。
「じゃあ、なんで毎日ペットボトルの飲み物買ってくるの?」
「これはジュース代です。」
は?
子供によっては毎日何百円も普通に使ってる子がいる。
これはどうなのだろうか。
こんなことがあった。
2つ隣の市の長者番付1位の病院の息子さんが塾に来てくれていた。
納税だけで何億もしているお家である。
でも、その男の子がジュースを買っているのを見たことがなかった。
ある夏の日、塾に行ったらその子が、水道の蛇口から水を飲んでいるのを見かけた。
「あっ、ごめん。僕の水をあげようね。冷蔵庫に入ってるから。」
「いえ、日本の水道の水は飲めるのでいらないです。」
それから何度か、その子が水道水を飲んでるのを目にした。
「ああ、この子の家にはお金はあるけど、何に使うのがいいか。お金とはどういうものなのかをきちんと説明している家なんだな。」って思った。
お金のある家は、こういうことを生活の中できちんと教えている子が多い気がする。
誤解があってはいけないので確認だが、どこか特定の家の話をしているわけではない。
誰かを思って書いてるわけでもないし、誰かに書いているわけでもない。
お金の教育の話をしている。
何の気なしにペットボトルのジュースをどんどん買うのが普通に育ってしまってる子。
その家は、お金の教育をしていないんじゃない。
浪費することが普通であるという教育をしている。
浪費することを教えてしまっている家は、その子の選択肢を狭めているのではないかと思わずにはいられない。
お金があるのが当たり前。
たった100円。たった1000円。
これでいいのかなあ。
生徒とたまに飯を食いにいくことがある。
「先生、私の分払います。」
「は?働いてもないお前がどうやって払うの?」
まさか勝手に親の金を使うということか?
そういうときは「ありがとうございます。」だろう。
俺は働いているんだから。
生徒が卒業する時に、たまにだが手紙をもらう。
「先生、今までありがとうございました。〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
こういうのが正しい教育じゃないか?
子供はまだ働いてないから、自分の金がない。
だから代わりに自分の時間を使って手紙を書いてくれてるんだろう。
それこそ感謝だ。
今年の卒業生が、卒業の時にこれをくれた。
無から考えて作ってくれたらしい。
子供の時間はお金には直せないし、お金よりも価値がある。
だから俺はこの先もずーーーーーーっと飾っとこうと思っている。