みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

幸せのことを考えすぎて、幸せ発信家になろうかな。っと。

金がいらない人はいないと思う。

 

みんなお金が欲しい。

 

それは自分が欲しいと思うお金の金額よりも、自分が持ってるお金が少ないからだと思う。

 

経験したことない世界への憧れがあると思う。

 

なんでも買える無限のパワーを持つお金を手にできたら、魔法使いのように自分の身の回りのものを変え、そして優雅に楽しく暮らしていけるであろう。

 

だが、それは幻想だと俺は思っている。

 

若いときには物欲も強い。

 

それでブランド物を買いまくりたくなる気持ちもわかる。

 

だけど、歳をとった俺からみるとヴィトンのバッグをもっている子と、3000円で買ったバッグを持ってる子に全く差はない。

 

いや、むしろ3000円の子の方に好感を持ってしまうかなあ。

 

ヴィトンのバッグを持ってますという優越感になんの意味があろうのだろうか?

 

 

幼少期、極貧な家で生まれた俺の目標は人並みの生活をすることだった。

 

当たり前に毎月決まった給料をもらって、賃貸でもいいから普通の家に住み、ボロくてもいいから車を持ちたい。

 

そんなことが俺のガキの頃の夢だった。

 

とにかく普通の人になりたい。

 

それが俺の夢だった。

 

 

だが、狂った環境で育ったゆえにひん曲がった俺の性格が、逆にギフトとなり俺を支えるようになる。

 

普通の生活がしたいという怨念にも似た強力な信念が、俺をどんどん突き動かしてゆく。

 

 

 

そして夢だったはずのサラリーマンをやめて、塾の先生になった。

 

たった2人の生徒しかいなかったはじめの教室は、いつしか満席になり、教室を増やしていった。

 

生徒が増えて仲間が増えて....

 

そのうち会社を作り、ベンツを買い、海外旅行に行くようになった。

 

 

海外旅行ではスラム街や少数民族にはまった。

 

自分のような金のない悲しい人間を減らしたいと思った。

 

今みたいに動画がない時代に、たくさんの貧しい人や貧しい街を直接見てきた。

 

170回も日本を出て、いろいろな国に行ったよ。

 

アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、ポーランド、中国、ロシア、オーストラリア、インド、ブラジル、エジプト.....

 

俺が行った国

 

例えば、大都会にある高級ホテルに泊まって100インチの薄型テレビを見るのと、ジャングルのなかに泊まって静かな森の音を聞くのはどちらが幸せか?

 

地上100メートルのホテルの屋上のスカイバーでカクテルを飲むのと、ガヤガヤした道端で発泡酒を飲むのはどちらが幸せか?

 

幸せってのは一人一人違うわけだから、「これが幸せです。」という定義はない。

 

 

ただ、世界のいろいろな人々を見てきて、お金を追い求めるために時間や人間関係、そして健康を失うのはおかしいんじゃないかなって俺は思う。

 

そう考えると、もう幸せになってる人はたくさんたくさんいると思う。

 

自分の幸せに気づかなかったらもったいないと思う。

 

 

10万円だと言われ食べる肉と、100円だと言われ食べる肉。

 

同じ肉だったとしても感謝が違うはずだ。

 

 

もう少しわかりやすく続きを書いてみようと思う(需要があれば)。