みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

俺が目指している目標偏差値。

塾を始めた頃は、日本で一番でかい塾を作って2000億円貯金して、世界の伝染病をひとつだけ撲滅したいと思っていた。

 

その夢はいつの間にか消滅してしまった。

 

そもそも塾を大きくしたいという熱が冷めてしまった。

 

だけど現実問題で書くと、この夢って難易度が高いよね。

 

まあ、偏差値で言うと90とか85とかかなあ。

 

今の俺はそんな大それた夢はなくなった。

 

車もあれだけ買い続けたけど、本当に興味がなくなった。

 

今までなら1台の車で車検を2回受けるとか想像がつかった。

 

今のBMWは3〜4回の車検を受けたと思う。

 

 

全く関心がなくなってしまった。

 

車を乗っている間にいつも次の車のことを考えていたのだが、そういうものゼロになっている。

 

今の俺の夢は、グループのみんな、周りのみんなが幸せでいることをアシストすることだ。

 

きっと偏差値57くらいだと思う。

 

2000億円貯めることに比べたらめっちゃイージー

 

だけど、俺は思うんだよ。

 

目標偏差値が57ならかカッコよく決めれるなって。

 

90の偏差値を目指そうとすると、なりふり構わず全力疾走でいくつかの欠点は放置したまま突き進まないといけないと思う。

 

でも、57くらいを目指すのなら、話は違ってくる。

 

それから90が57になったからって別に悲しいことじゃない。

 

57には57の良さがある。

 

 

例えば、1000人の生徒に向けて、大講義室で授業すると圧巻だと思う。

 

同時に1000人の生徒が賢くなるなって、仕事の価値がすごい。

 

だけど、二人くらいのために授業するのだって大事だと思う。

 

何回も質問したり、確認したりして、きっちりと進めることができる。

 

1000人に教える方が2人に教えるよりも全部すごいってことはないだろう。

 

 

ま、そういうことだ。

 

俺はそういう幸せをつかみたいなと思って生きている。

 

 

あっ、それから人生のやり残しはしないって決めたので、やろうと思う思うことは全部やろうと思っている。

 

誰から反対されても、やりたいことはやるので。

(酒はやめたけどね)

 

 

 

も、戻ってきた。

1日200km 往復400km 運転して戻ってきた。

 

色々なことがわかった。

 

あのバイクで70km/h 以上の速度を出すのは恐ろしい。

 

だから、一車線でみんながガンガン飛ばしているところが一番怖かった。

 

だって俺のせいで流れが詰まってしまうからね。

 

流れを止めないようにするのに、両手で必死でハンドル持って運転するのは疲れた。

 

 

あとは、風。

 

横風はかなり怖いね。

 

バイクが持っていかれそうになる。

 

 

最初は飛ばしながら行きたいと思っていたのだが、景色をみながらゆっくり走る方がたのしいということがわかった。

 

車とバイクではバイクの方が楽しいが、バイクの方が危ないし、疲れる。

 

 

とりあえず、今から仮眠しよう。

 

それしかない。

 

 

さらば。

俺の挑戦。

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俺は元々こういうバイクを買おうと思っていた。

 

ちょっと流れは忘れてしまったが、なぜかこのバイクを買ってしまった。

 

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乗って分かったのだが、ギアチェンジが大嫌いだった。

 

アチェンジの面白さがわかる前に、3日で売ることを決めた。

 

新車のガソリンは満タン状態から半分も減っていなかった。

 

そして買い直したバイクがこれだ。

 

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アチェンジは懲り懲りだったので、スクーターにした。

 

今、スクーターで非常に満足している。

 

俺の横に、かっこいい感じのバイクが並ぶ時があるが、1ミクロンも羨ましいと思わない。

 

むしろギアチェンジして乗っている人のことを気の毒さえ思うほどだ。

 

ギアをチェンジしなくてもハンドル操作だけで乗れるなら、ギアなんかいらない。

 

一番上の写真のバイクを買わなくてよかったよ。

 

誰にどう思われようと俺にとってはこのバイクが一番かっこいい。

 

 

このバイクに乗って、毎週距離を伸ばしてきた。

 

先々週、140km(広島県往復) 

先週 160km(島根県往復)

今週 140km(二人乗り)

 

いよいよ明日は、福岡県に突入する日だ。

 

片道200kmあるので、二日間で400km走る。

 

高速には乗れないので、下の道から行く予定。

 

 

本来なら軽いと思うのだが、今は尾骶骨が痛すぎるのでそれだけが心配だ。

 

いろいろなクッションを買ったり、整形外科にも行ってみたが、現段階では治っていない。

 

だけど、やろうと思った時、できるときに挑戦しておかないと年齢を重ねてしまう。

 

ベトナムをバイク縦断しようと思った時に、躊躇したためにコロナになってしまった。

 

今は尾骶骨が痛すぎてできる気がしない。

 

これからはやらなかった後悔だけはしたくないので、明日はまずは往路の200kmを走破するつもりだ。

 

復路の200kmは雨が降る可能性が結構あるので、さらに苦しくなると思うが、走り終えたいと思っている。

 

やりたいと思ったことは全部やる。

 

残りの人生はこれでいく予定だ。

 

 

明日が楽しみ。

 

というわけで明日の分のブログを入れておこうかなっと。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

今から出発。

 

酒をやめてから睡眠の調子が悪く3時間半しか寝れなかった。

 

不安だ。

誰にものを頼むか

誰にものを頼むのか?

 

誠実な人とか、信頼できる人とか色々な因子はあると思う。

 

その中の一つに間違いなく、「即答する人」というのが挙げられる。

 

何かを聞いた時に、「考えます。」と言われた段階で、心の中では、もうおそらく頼まないだろうって思っている。

 

なぜなら俺みたいな年長者からの頼みは、必ず若い人が得になるようにできているからだ。

 

例えば、塾の掃除を手伝って欲しいという頼みだとすると、一見すると労働を提供させられているだけのように感じる。

 

だけど、掃除のあとに「ありがとう」だけで終わるはずがない。

 

きっと時給以上の金額なりものなりなんらかの報酬が支払われる。

 

あるいはどこかにいくのに付き合って欲しいというのは、その子がその場所に行くことでいいことがあるはずなのだ。

 

おそらくは何を頼まれても損をしないようになっているはずだ。

 

 

だから、年長者のお願いはチャンスでもあると思っている。

 

 

経験上、一定数の割合で即答できる子がいる。

 

例えば、「ちょっとお願いしてもいい?」と聞くと

 

「なんでもOKです。」と瞬時に答えてくる。

 

そうなってくると他のお願いのときも、優先してその子に頼むことになる。

 

ちなみに俺が思う、一番ラッキーな願いは「引率」だろう。

 

引率をお願いする時は、旅費も宿泊費も全部タダでなので、めっちゃいいと思う。

 

特に海外旅行の場合は、スタッフ側の情報「海外で生徒を引率するポイント」までもタダで手に入るので、いいことしかない(はず)。

 

 

最近の説では、AIが進化してもシンギュラリティーは起こらないそうだ。

 

シンギュラリティーというのは、コンピューターが人間を超えて考えるようになるという考え方だ。

 

コンピューターというのは優れた計算機であるため、どんなに優秀になっても人間のようにはならないらしい。

 

www.amazon.co.jp

 

だとすると、相変わらずいろいろな決定を下すのは曖昧な感情を持つ人間であり、これから将来も変わらないということになる。

 

その意味で、性格の何を武器にして生きていくかということも、処世術の観点からも大事なことのような気がしている。

 

 

なぜこれを今ここに書いているのかというと、誰かに迷惑をかけられたからというわけではない。

 

どっちかというと、いろいろお願いをしながら生きていこうと考えているからなのだ。

 

今からのお願いを「誰に頼もうかなあ」と考えてて、思ったことをふと書いてみた。

 

 

 

さてと、お願い人生でいこうかなっと。

 

圧倒的な幸せ。

数年前から、幸せを学問的に理解する必要があると思うようになった。

 

幸せとはなにか?

 

どうなったら幸せなのか?

 

誰だってそういうことを考えていると思う。

 

俺の性格が少しややこしくて、なんでも学問的に納得しなければ気がおさまらない。

 

慶應大学の前野教授の幸せ論を勉強し始めて、その知識を元に次の本、そして次の本という風に自分の中に幸せの理論を構築していった。

 

 

そして自分にとっての幸せとは何か?理屈として理解できるようになってきた。

 

まだ脆弱な部分がいくらかあるのだが、それでも結構わかってきた。

 

俺が川が好きなのは何度も書いているから知っているかと思うが、昨日、どうしても読みにくい本があり、最後は川に行って読んできた。

 

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バイクでいい感じの川を探していて、偶然見つけた。

 

家から8分の場所だ。

 

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そこに足をつけて、本を読んでみた。

 

虫の声が聞こえ、少し蒸し暑い。

 

だけど、川につける足の量で自分の体温を調整できる。

 

流れを感じるのが気持ちいい。

 

本はあっという間に読み終えた。

 

 

次の日、つまり今日。

 

ありさ先生、しょうた先生と昨日の場所に三人で水生生物を捕まえにきた。

 

初めての場所なので、何がいるのかしらない。

 

俺らはときどき一緒に、生き物を捕まえに行くのでみんな虫取り道具を持っている。

 

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イモリ、ヤゴ、アブラハヤなどを30分くらいで捕まえることができた。

 

 

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ありさ先生の水槽は俺のよりもっとすごくて、他にもカニとかいろいろなのが採れていた。

 

帰りにご飯を食べたのが、そのあとにデザートを食おうということになり、いつものようにバトルへと進展してしまった。

 

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これ、5つ目のアイス。

 

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話を戻そう。

 

幸せとはなにか?

 

それは人によって違う。

 

俺の場合はきっと、「人」のウエイトが大きい。

 

だから、みんなでいつまでなかよく過ごすってこと、いやいや、みんなに好かれ、そしてみんなを愛するということは俺にとってとても大事なことなのだ。

 

仲良く過ごすことのやり方は人によっても違うと思うが、俺はみんなのことを愛しているので、みんなも俺のことを好いてくれてるって思ってる。

 

 

こうやって人と当たり前の楽しいことができるということは、俺にとっては圧倒的な幸せなのだ。

 

グループ内の誰かが海外に行くと、誰かが勝手について行く。

 

誰かが飲んでいると、誰かが自然に増えてくる。

 

いつの間にか、自然に集まっている。

 

そういう幸せな集団の中で生きられて本当にありがたい。

 

これは仲間に恵まれていないとできないことなので、俺は本当に運のいい男なのだ。

 

 

みんなで高級な料理を年に一回食ったり、慰安旅行に行ったりするのも楽しいが、日々の小さな出来事が本当の本当に幸せなのだと俺は思って生きている。

 

 

 

やはり、決めたら自分の意思で未来を動かせるな。

ここ最近、思考よりも行動を優先している。

 

考えただけのアイデアは無意味に等しいからだ。

 

やらないことには始まらない。

 

そういう風にポジティブに考えていくと、どうして今までできなかっただろう?ということがたくさんあることに気づいた。

 

なぜ、「それをやり終えるためにはどうすればいいのか?」を考えてこなかったのだろう?

 

実際に面倒なことでも、俺なら簡単にできるはず。

 

なぜなら経営者だからだ。

 

決められた枠の中で考えるのではなく、枠外の思考もありだった。

 

誰にも言えないことだが、俺は俺の中での理想の形を目指している。

 

それは塾生が多いとか、売り上げが高いとか、そういうことではない。

 

他人から見たら、「えっ、そんなことに頑張る気?」と思われることでも、俺の中の優先順位が高いから仕方がない。

 

他人からの評価なんかいらない。

 

今の日本の評価基準に合ってなくても、例えばトルコとかイランなら合ってるかもしれないし、2035なら俺が大事にしていることを大事にしている人がいるかもしれない。

 

まあ、とにかく俺は他人が見たらしょーもないことに頭を使っていく。

 

俺にとってはしょーもなくないからね。

 

俺がやりたいと思うことを形にする最善の方法を実行していくのみだ。

 

3日前から、どうやったらうまくいくのかについて考え続けている。

 

だいたいイメージは湧いているので、あとは実行していくのみだ。

 

 

やはり行動してナンボだな。

 

歳をとっていくとだんだんハンディがついてくるので、できるときにできることを頑張ろうと思っている。

 

 

とりあえず今からは、川原に行って本を読もう。

好き嫌い。

多くの人には好きな人と嫌いな人がいるだろう。

 

 

もちろん俺にもいる(ちなみにリアルの関係で嫌いな人はいない)。

 

リアルで嫌いな人がいたらそいつと会わないことにするので、自然に嫌いな人がまわりからいなくなる。

 

 

でも、バーチャルにいるんだよね。

 

大きくこの4パターンだ。

 

1.文句ばっかりたれてるやつ。

 

2.嘘つき

 

3.自分にだけ得がいくようにふるまってるやつ。

 

4. 俺のことを嫌ってるオーラを出してくるやつ。

 

この中で一番嫌いなのは4番なのだが、性格的には、攻撃されたら粘着的に倍返しとか3倍返しとかやりたくなるので、4番に関してはあまり考えないようにしている。

 

 

不思議なのは俺が好きな人Aさんは俺が嫌いな人Bさんを好きだったり、俺が好きな人Cさんは俺が好きな人Dさんを嫌いだったりすることがあることだ。

 

これは個々の価値観の問題なので、全く気にしていない。

 

 

どうしてこういうことを書いているかについて書きたいのだが、

 

 

 

 

..........ネタがないんだよ。

 

ネタがよお。

 

 

あと30分で次の仕事をするって決めてるけど、アイデアが浮かばなくて、とりあえず好き嫌いで書くか、ってタイトルだけ決めて書いたものの、内容がいまいちで俺も失敗したなって思っているところだ。

 

だけど、まだ文字数が足りてないので、この話を展開しないといけない。

 

 

 

ところで、好き嫌いが多い人で、それを治したいと思っている人は下の本を読んでみるといいかもしれない。

 

https://www.amazon.co.jp/人は、なぜ他人を許せないのか-中野信子/dp/4776210266

 

他人を批判したり、嫌ったりすることが多い人は、他人に正義の制裁を与えられることで得られる快楽(正義中毒)に求めている人が多いらしい。

 

正義中毒になった人は、何かにつけて他人を批判することが多くなる。

 

批判するときに得られる快楽を求めているわけであるから、永遠に批判が出続けることになる。

 

ちなみに多様な価値観を受けいれられない人か、合理的でない人に多いとのことだった。

 

多様な価値観さえ容認できたら、全ての人の行動を容認できるわけだから嫌いな人や、間違った意見なんかを受け入れられることになる。

 

また合理的に考えられるようになれば、他人を腹を立たせるという非合理的なことに時間を割くことが面倒になってくる。

 

 

言われたら最もな話だ。

 

 

ところで、ちょっと思うのだが、嫌いと好きではメカニズムが違うように思うが、長所と短所のような感じで、結構似ているところもある。

 

俺の場合は、普通じゃない人に興味関心がある。

 

だから、俺が好きな人は変わっている人が多い。

 

嫌いな人も変わってるいる人だと思うので、嫌いな人はなにかのはずみで好きな人になったりするかもとか思いながら、今日のブログノルマがクリアできたので終了。

 

 

自慢する日記。

俺は自分のことを幸せな人間だと思っていたのだが、最近、考えていたことがある。

 

俺ってどれくらい幸せな人間なんだろうと。

 

 

若くてモテる人は幸せだろう。

 

だけど、俺は若いときの苦労をもうしたいとは思わない。

 

たとえ楽しいことがあっても、苦しいこともあるはずだ。

 

だから今の方がいい。

 

お金が無限にあったら幸せだろう。

 

でも、俺にはそこまでお金は必要ではない。

 

しかもお金がありすぎるとそれに関わる苦労もあるはずなのだ。

 

だから今のままがいい。

 

 

自分が欲しいと思うレベルのものは大体買える。

 

仲間にも恵まれている。

 

 

もしかしたら、俺は誰よりも幸せなのではないだろうか。

 

 

最近は究極を目指すために、妥協せずに本当に自分が欲しいものを購入している。

 

 

誰かに理解してもらう必要は一切なく、俺だけが幸せを感じるものだ。

 

俺の周りにあるすべてのものは俺の自慢なのだが、今日はその中の1%を紹介してみよう。

 

全部を紹介するとおそらく嫌われてしまう。

 

きわきわを攻めてみたい。

 

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「玄関のカエル」

 

【楽天市場】デカサイズ!カエルのリアルオブジェ(ベルツノガエル) ■ アメリカ雑貨 アメリカン雑貨:アメリカ雑貨通販キャンディタワー

 

すごくよくないか?これ。

 

カエルは結構好きで、最近ベルツノガエルを飼おうかと悩んでいた時にこのオブジェをみつけた。

 

飼育の必要全くなし。

 

家に帰って毎日、こんな大きいベルツノガエルを玄関で見れるなんて最高じゃないか?

 

 

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「ハンガーラック」

 

https://www.amazon.co.jp/Homple-2段メッシュ棚付き-コートハンガーA型-室内布団物干しスタンド-幅60×奥行33-5×高さ160m/dp/B08TGG7JBY/ref=sr_1_2_sspa?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=homple&qid=1622885002&s=home&sr=1-2-spons&psc=1&spLa=ZW5jcnlwdGVkUXVhbGlmaWVyPUE2T1M2MUlGVFI2WlUmZW5jcnlwdGVkSWQ9QTAwNjkwNTA3Nk00NkUwVUo5QlkmZW5jcnlwdGVkQWRJZD1BNDAyNzU4Sk5HREdIJndpZGdldE5hbWU9c3BfYXRmJmFjdGlvbj1jbGlja1JlZGlyZWN0JmRvTm90TG9nQ2xpY2s9dHJ1ZQ==

 

元はここに突っ張り棒をつけていたのだが、どうしても落ちることがあったのでハンガーラックに変えた。

 

何がすごいかって、このハンガーラックの大きさだ。

 

これでさえ中に入れるのに15分かかったくらいだ。

 

これ以上、1ミリでも大きいハンガーラックだとこのクローゼットの中に入らない。

 

この極限ラックをここに入れた俺のすばらしさに感動せずにはいられない。

 

 

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「キャンプ用のイス」

 

このイス何のために買ったと思う?

 

キャンプのため?

 

違う。

 

俺は元々読書家だったのだが、なぜか家だと読書のペースが落ちてしまう。

 

一番読みやすいのは新幹線で、移動が多かった頃はおそらく年間400冊以上読んでいたと思う。

 

今は週に2冊くらいのペースだ。

 

先日新幹線に乗ることがあって、やっぱり本が読めることに気づいた。

 

あと、最近はイスに座ると尾骶骨が痛いために、ゲーミングチェアーを買ったり、クッションを買ったりしていた。

 

とにかく尻が痛くないイス。

 

どんなイスでもいいから尻が痛くないもの。

 

地元のほぼ全ての家具屋に展示してあるイスに実際に座ってみて、一番痛くなかったイスがこれだ。

 

これは読書のためだけに購入した読書専用イスなのだ。

 

つまりイスの置いているあの場所は俺の読書専用スペースなのである。

 

昨日もあのイスに座って一冊本を読んだ。

 

超快適だった。

 

 

biz-journal.jp

 

この枕はガチですごいよ。

 

一人で寝てる人には超おすすめだ。

 

誰かと寝るときは、嵩張りすぎるし隣の人と距離ができてしまうので適していないが、一人で寝てる人は本当にいい感じのまくらだ。

 

俺はこのまくらを使ったばっかりに、ベッドにいくのが楽しくなってるほどだ(離脱症状があるので、寝付くのには時間がかかるが)。

 

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これだよ。

 

これ、いかなるポーズでも寝られるから。

 

 

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ここは「卓球部屋」

 

毎朝、石川県のはちやま先生と卓球するためだけの専用の部屋だ。

 

 

 

他にもまだたくさんある。

 

というか俺の持ち物のすべてが、俺にとって最高のものでかためている。

 

もっともっと極めていきたい。

 

ものだけでなく、時間、場所、雰囲気、人、とにかくすべてのものを最高でいくと決めている。

シベリアから学ぶこと。

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冬のシベリア鉄道に行きたい?

 

真っ白の中をどっしり走ってユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道乗ってみたい?

 

....俺は絶対に乗らない。

 

 

 

二枚目の写真は列車のなかの通路だ。

 

冬のシベリアは恐ろしい。

 

駅前でも軽く遭難できるし、簡単に凍死できる。

 

そんな恐ろしいところに、もう行きたいとは思わない。

 

 

 

さて、やらない後悔としてしまった後悔。

 

死ぬ前に後悔するのは、やらなかったことによる後悔だそうだ。

 

俺は極寒のシベリア鉄道に乗ったことがある。

 

お金をかけて苦しい体験をした。

 

でも、全く後悔していない。

 

やってよかったと心から思っている。

 

時間も全く無駄ではなかったし、いい経験ができた。

 

 

何が言いたいか?

 

やってないことは無意味だということだ。

 

すごくいいアイデアが生まれたとする。

 

でも、人間は70億人もいるのだ。

 

すごくいいアイデアはあちらこちらこで生まれているだろう。

 

いい例はツイッターだ。

 

毎日、いいアイデアがバズっている。

 

でも、それはなにになるわけでもない。

 

バズって終わり。

 

3日したら、みんな忘れる。

 

イデアを具現化していなくては、あるいはその考えを経験などの形に変えておかなければ風化してしまう。

 

そして俺は思ったのだ。

 

 

何かを為すために大事なことは2つなんだと。

 

ひとつ。

 

イデアだけではなく、それを具現化するために行動を起こすこと。

 

これが大事だ。

 

ふたつ。

 

形になるまでやめないこと。

 

 

俺が今までうまくいったことはすべてが

 

「途中で投げ出さなかったこと。」だ。

 

 

行動にはきっとふたつの障壁がある。

 

まずは行動すること、そしてそれを継続すること。

 

どちらが欠けても具現化しないということだ。

 

 

シベリアに行って、すぐに日本に帰りたくなった。

 

苦しすぎる旅だったからだ。

 

極寒に備える装備はしたものの、準備が弱かった。

 

というか、経験がなかったので、何が必要かわかっていなかった。

 

雪の中ではスーツケースを引っ張ることができない。

 

厚着することで寒さをしのげるが、時に汗をかくことがある。

 

そういうことを俺は知らなかった。

 

だけど、途中帰国せず当初の予定をきちんと全うすることができた。

 

 

 

一回経験すればマイナス30度の世界がどんなものかよくわかる。

 

すでに俺は経験を手に入れている。

 

俺はやったので、もう後悔はない。

 

やってよかったと思っている。

 

 

 

今の俺に必要なのは、目標が完成するまで続けることなのかもしれない。

 

行動を起こすことに重点を置きすぎていた気がする。

 

その行動が終わるまで集中することも大事だと。

 

シベリア鉄道の写真を整理していて、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、コロナが終わったら経験者の俺と極寒のシベリア鉄道行ってみたい人いる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺? 無理。」

 

 

中学生の英語の教科書

中1の英語の教科書をみているのだが、格段に難しくなっている。

 

難しくなりすぎて、今の中学1年生が小学校でどう習ったのか知りたくなるくらいだ。

 

とりあえず小学校で、以前の中1範囲をすでに学習したってことになる。

 

小学校の先生が、どれだけのことを子供達に教えているのか気になるところだ。

 

 

教科書の表紙も昔に比べると、ずいぶん軽い感じでマンガっぽくなった。

 

どうせここまでやるのなら、鬼滅の刃とか呪術廻戦をそのまま教科書にすればよかったのではないかと思うくらいだ。

 

鬼滅やら呪術廻戦で説明するのは、難しいからドラえもんで説明してみたい。

 

まずbe動詞の単元。

 

僕はドラえもんです。

 

ドラえもんのび太の友達です。

 

 

 

一般動詞の単元。

 

ドラえもんはどら焼きが好きです。

 

ジャイアンのび太をいじめます。

 

 

不定

ドラえもんのび太を助けるためにポケットに手を入れます。

 

ジャイアンは歌を歌いたいです。

 

 

現在完了

のび太は3年間あやとりをしています。

 

ドラえもんのび太が6歳のときからいます。

 

 

関係代名詞 

野球をしているジャイアンは、のび太に会いにいきます。

 

のび太はお風呂に入ったしずかちゃんを見ました。

 

 

みたいな感じ。

 

それぞれの背景やストーリがわかってる方がイメージがつきやすいのではないだろうか。

 

 

例えば、2年生の教科書だとこんな感じになるだろう。

 

のび太ががっこうにいったとき、ジャイアンが来ました。

 

ジャイアンは言いました。

 

のび太、宿題を見せろ。」

 

「僕もやっていないよ。」

 

ジャイアンのび太を両腕で締め付けました。

 

それからのび太は泣きながらドラえもんに助けてくれるように頼みました。

 

ドラえもんは○○という道具を出してくれました。

 

この道具は、宿題を忘れないようにするためのペンだよ。

 

ジャイアン、このペンをあげるよ。」

 

のび太ジャイアンにペンを渡しました。

 

ジャイアンは勉強したくない時でも、そのペンで勉強しないといけなくなりました。

 

 

こういう方がいいと思うのは俺だけか?

 

 

 

 

さては....

 

さては.......

 

 

ネタがないのがバレたか?

 

まあ、こういう日もあるってことだ。

入院でもしようかなというほど不調。

酒をやめてから、睡眠がぐちゃぐちゃになっている。

 

昨日も布団に入ってから、寝付くまでに4時間もかかってしまった。

 

弱い睡眠薬をもらってきたが、全然効果がない。

 

むしろ目をつぶると、まぶたの上を触られている感じがするので目をつぶるのさえ違和感だ。

 

睡眠薬を変えてもらおう。

 

しかもその3時間後に目が覚めてしまった。

 

もうキツすぎるから、今日は酒を飲もうかと思ったけど、この記事を見つけてしまった。

 

www.e-heartclinic.com

 

これを見ると、離脱には思った以上の時間がかかるってことがわかる。

 

睡眠だけじゃなくて、貧血的な感じでずっとだるい。

 

体がアルコール中毒だったんだと改めて感じてしまう。

 

 

 

あとどれだけ続くのか知らないが、ハンディにしても結構きつい。

 

入院してできるだけ早く決着をつけたいと思うほどだ。

 

 

ただ、多くのことは学問として受け入れれば克服できると考えている。

 

例えば、経済観念もそうだった。

以前は経済観念がないに等しく浪費家だったのだが、理論として頭の中で自分に合うように理解することで、かなりお金のコントロールができるようになってきた。

 

掃除もそうだ。

 

昔は俺の部屋はぐちゃぐちゃだった。

 

掃除ができないのをADHDのせいにしていた。

 

でもなぜできないのか?

 

できるようになるにはどう考えればよいのか?

 

例えば、部屋のものをかたづけるという意識よりは、物が置いていない空間を広くとろうと心がけることで、多くのものを片付けられるようになってきた。

 

ものがある場所を見るんじゃなくて、ものがない場所を広げることに意識を向けることで片付けられるようになってきたのだ。

 

 

今回の苦しい離脱に関しても、酒が本当に体から抜けていることで起こる善の症状だと考えるとある程度は受け入れることができる。

 

昔は、夜になると酒が飲みたくてたまらなかったのだが、今はその気分はかなり低い。

 

また、薬を飲まないと酒を止められなかった。

 

でも、今は薬を飲んでいない。

 

とにかく精神的には酒を克服しているのだが、体がついてこない。

 

 

もうこれ以上きついのがきたら、入院しようと思っている。

 

入院すれば少しの不便はあるが、酒がやめられるはずだ。

 

ついでに病院のベッドで仕事もできるはず。

 

というわけで、俺の断酒による離脱はまだまだ続くのであった。

 

 

今日の夜もきっと苦しむと思うが、俺はがんばっている。

起点はどこか?

ネットの登場で昭和のおっさんのルールが色々と覆されている。

 

昭和の超重要な年功序列はかなり変わってきているし、終身雇用も木っ端微塵だ。

 

俺が会社にいたときに、会社をやめる人はほとんどいなかったのに、今では毎月何人も辞めてると聞く。

 

一つの仕事をずっと続けるってのはもはや終わってるのかもしれない。

 

仕事と遊びを両立させたり、複数の仕事をやったりする人も珍しくない。

 

俺が会社にいたときの労働協約には「副業の禁止」が謳ってあったが、もはやなくなってるのではないだろうか。

 

まあ、俺も無理矢理いうとすれば、経営者、塾講師、ライターと3つくらいの仕事をやっているが、全部の仕事が近いので、リスクヘッジでもっと違う種類の仕事をやっておきたいものだ。

 

ただ、仕事や趣味を選ぶときに本当に自分がやりたいことをやった方が上手くいく気がする。

 

あるいは上手くいかなくてもその間がきっと楽しいだろう。

 

ニーズがあるからそこに仕事をみつけるというのと、シーズがあるのでお客さんをみつけるという二つの指向があるがシーズ指向の方が楽しそうだ。

 

つまり起点は自分にあった方がいい気がする。

 

 

俺は、塾の先生になりたいという自分の内なる夢を叶えてこの仕事をやっている。

 

「研究職をやってくれ。」って辞令をもらって始めるのとは訳が違う。

 

だから工夫しようと思うし、自分の理想に近づけたいと思っている。

 

趣味でもなんでも自分の内にある気分を具現化していきたいと思っている。

 

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俺の旅行コレクション。

 

これも好きで集めてるからどんどん集まっていくんだと思う。

禁酒経過

酒をやめて心をコントロールできるようになったので、飲み会のときだけは飲むようになった。

 

やはりこういう仕事をしているので、完全に飲まないのはちょっとやりにくい時もあるからだ。

 

家ではもちろん飲んでいない。

 

だが、実際にこれは大変なことだ。

 

いまだに苦労している。

 

 

とにかく1日たりとも酒を飲まない日はない感じでずっとやってきた。

 

抜歯したり、熱が出たりした時以外は毎日酩酊状態になるまで飲み続けてきた。

 

これをやめるってのはとんでもないことなのだよ。

 

どれくらい飲んでたか知りたい?

 

海外旅行に行くと、すべての朝、昼、晩の食事の時に飲酒していた。

 

海外滞在中にビール以外のものを飲んでいないことに気がついたことさえあるくらいだ。

 

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これ、ベトナム。あびーと二人で飲んだ。

 

もちろん、この写真は途中経過でベロベロになるまで飲み続けた。

 

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これ、フランス。

 

まずはエールビールの飲み比べからスタート。

 

4杯飲んでからが落ち着いて飲めるんだよ。

 

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これ、ニューヨーク。

 

自由の女神とさえ乾杯する。

 

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コブラ酒の試飲とかみつけたら、怒られるまで飲み続ける。

 

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とにかく飯を食うときは、必ず五本くらいまでは一気に飲む。

 

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まあ、話はね、乾杯してからなんだよ。

 

とにかくね。

 

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世界共通の挨拶、それが乾杯。

 

 

 

飛行機では何度もCAさんから飲酒禁酒を食らわされ、搭乗口の前で飲んでて飛行機に乗り遅れたことさえある。

 

 

 

なにせ、18歳の時から酒を飲み続けてきた。

 

それがいきなり飲まなくなって、生活の変化というか体へのダメージが半端ない。

 

いいことと悪いことがある。

 

 

いいこと

 

酒代が節約できるようになった。よくわからないが相当な金額が節約できているはずだ。

 

朝の調子が良い。腹が気持ち悪かったり吐き気で起きることがなくなった。

 

 

悪いこと

 

..........................眠れない。

 

 

これが結構深刻で布団に入って4時間以上寝られない時もある。

 

 

そしてとうとう、今日なのだが睡眠薬をもらいに病院に行った。

 

生まれて初めての睡眠薬だ。

 

酒の代わりに睡眠薬飲んだら、これって意味があるのだろうか?

 

薬だって肝臓へのダメジーはあるはずだし、んーーー、っていう感じだ。

 

 

頑張れ俺。

 

 

 

というわけでまだまだ酒を飲まない日は続くのであった....

 

 

塾〜その先へ(獺祭〜その先へのパクリ)

俺の教室は高校生がメインなのだが、やはり中学生と高校生ではニーズも違うし、親御さんとの関わり方も違うと思う。

 

地元で20年もやってるから、色々なご家庭と知り合いになれた。

 

いろいろな時にいろいろな人から声をかけてもらえてありがたい。

 

 

思うのは、子供だけとの関係より親御さんも合わせた家族ぐるみのお付き合いの方が楽しいということだ。

 

勉強を教える仕事をやっていて、楽しいという表現でいいのかどうなのかわからないが、やはり人と人だと思う。

 

 

よくよく考えると、意外に多くのことが金額や立地以外の嗜好から選ばれていることに気づく。

 

少し遠くても「あの人がいるから、行こうかな。」っていう店もいくつかあるはずだ。

 

「この塾は安いから選びました。」っていう選び方もあるかもしれないが、一番嬉しいのは「どうしても先生に習いたいんです。」だろう。

 

そんなの言われてしまうと、「じゃあ、いっちょがんばろうかな。」ってことになる。

 

「どうしても先生に習いたいんです。」っていうのは、きっと誰かからのクチコミなのだ。

 

「あの塾は成績が上がるよ。」っていう褒められ方は王道だろう。

 

でも、「とにかく先生がいいんです。」とか言われると、塾的には告られたようでパワーが8割り増しくらいになる。

 

そうなるためにはどうしたらいいか?

 

成績を上げる努力は当然として、俺は「自分の人となりを知ってもらうこと。」も大事なことだと思っている。

 

予備校や大きい塾は、生徒とのLINE禁止や食事禁止とかいろいろなルールがあると思う。

 

まあ、バイトや若い先生とかに問題起こされたら一発でアウトだからね。

 

 

でも俺らは、ずっとここでやってる地域密着の塾なのだ。

 

あとバイトの先生もいないしね。

 

親御さんや子供たちと食ったり飲んだり(ちなみに家ではもう飲んでいない)たくさんしたい。

 

そしてお互いのことを知り合いたいし、生徒の背景もたくさん知りたいと思う。

 

 

その子供の勉強だけじゃなく、その子の全部が見えるような接し方ができると楽しいよね。

 

特に俺なんか好きでこの仕事やってるわけだから。

 

わざわざ研究職を捨てて、ゼロから始めたわけだからふれあいを大事にしたいって思う。

 

まあ、時代には逆行してるかもしれないけど、AIが出てきたらこういうところが逆に差別化になるんじゃないかと考えている。

 

だから〜その先へ。なのである。

 

 

双刃の剣だから色々難しいけど、他の塾も真似してみてね。

ある子

ある子がいるとする。

 

俺はその子にもう少し頑張って欲しいのだが、それがうまく伝わらない。

 

せっかく勉強してきたんだから、ここで失速したら今までの努力がもったいない。

 

結局、勉強しようとするかしないか、それだけだからだ。

 

そりゃあ、ゲームしたりダベったりYouTubeを見たりする方が楽しいだろう。

 

そんなことは誰でもわかっている。

 

でも、それでは競争に負けてしまう。

 

誰だって苦しいときや不安になるときがある。

 

だけど、それを乗り越えられるかどうかが試験だと思うのだ。

 

勉強はお金に似ていると思う。

 

お金があったら、他の人よりも有利に生きていけることが多い。

 

お金があるがゆえにできることだってあるだろう。

 

 

勉強もそうだ。

 

勉強してるからつける仕事があったり、同じ勉強をしている友達と出会えたりすると思う。

 

やっぱりがんばることって必要だと思う。

 

 

テレビに出ている人だって遊んでいるように見えたり、楽しそうに見えても努力してきた人も多い。

 

経営者ももちろん高学歴の人が多い。

 

勉強で培った根性や知識が他のことにも応用できるということだろう。

 

 

会社にいた頃、後輩に言われた言葉がある。

 

「どうして私にばかり仕事を振るんですか?平等じゃありません。給料は同じなのに。」

 

俺は給料で仕事を振ってるんじゃない。

 

能力で振ってるんだ。

 

能力に対して平等に振っている。

 

 

能力のある人が、電気を発明してくれて、車を発明してくれて、飛行機や電話を作ってくれた。

 

もしも、みんなが同じように働いていたら、文明が進んでいかない。

 

その文明の上に生きている俺らは、他の人より頑張ってくれた人に感謝しなければいけない。

 

つまり賢く生まれた人は、それだけがんばるのがあたり前だと思っている。

 

 

俺の生徒はみんな賢い。

 

この子達がきちんと力を出せるように、俺もがんばらないといけないと思っている。

 

だからその子がきちんとがんばってくれるように俺も努力をしようと思う。