みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

誰にものを頼むか

誰にものを頼むのか?

 

誠実な人とか、信頼できる人とか色々な因子はあると思う。

 

その中の一つに間違いなく、「即答する人」というのが挙げられる。

 

何かを聞いた時に、「考えます。」と言われた段階で、心の中では、もうおそらく頼まないだろうって思っている。

 

なぜなら俺みたいな年長者からの頼みは、必ず若い人が得になるようにできているからだ。

 

例えば、塾の掃除を手伝って欲しいという頼みだとすると、一見すると労働を提供させられているだけのように感じる。

 

だけど、掃除のあとに「ありがとう」だけで終わるはずがない。

 

きっと時給以上の金額なりものなりなんらかの報酬が支払われる。

 

あるいはどこかにいくのに付き合って欲しいというのは、その子がその場所に行くことでいいことがあるはずなのだ。

 

おそらくは何を頼まれても損をしないようになっているはずだ。

 

 

だから、年長者のお願いはチャンスでもあると思っている。

 

 

経験上、一定数の割合で即答できる子がいる。

 

例えば、「ちょっとお願いしてもいい?」と聞くと

 

「なんでもOKです。」と瞬時に答えてくる。

 

そうなってくると他のお願いのときも、優先してその子に頼むことになる。

 

ちなみに俺が思う、一番ラッキーな願いは「引率」だろう。

 

引率をお願いする時は、旅費も宿泊費も全部タダでなので、めっちゃいいと思う。

 

特に海外旅行の場合は、スタッフ側の情報「海外で生徒を引率するポイント」までもタダで手に入るので、いいことしかない(はず)。

 

 

最近の説では、AIが進化してもシンギュラリティーは起こらないそうだ。

 

シンギュラリティーというのは、コンピューターが人間を超えて考えるようになるという考え方だ。

 

コンピューターというのは優れた計算機であるため、どんなに優秀になっても人間のようにはならないらしい。

 

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だとすると、相変わらずいろいろな決定を下すのは曖昧な感情を持つ人間であり、これから将来も変わらないということになる。

 

その意味で、性格の何を武器にして生きていくかということも、処世術の観点からも大事なことのような気がしている。

 

 

なぜこれを今ここに書いているのかというと、誰かに迷惑をかけられたからというわけではない。

 

どっちかというと、いろいろお願いをしながら生きていこうと考えているからなのだ。

 

今からのお願いを「誰に頼もうかなあ」と考えてて、思ったことをふと書いてみた。

 

 

 

さてと、お願い人生でいこうかなっと。