みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

「未来のことを心配してはならない。」と俺に向けて言う。

俺が小さい頃、これからは英語の時代がくると言われてた。

 

だから英語をがんばれ、と。

 

俺が会社にはいったとき、英語が大事になるから英語をやれと言われた。

 

YouTubeやインスタで「英語を教えるインフルエンサー」がわんさかいる。

 

40年以上同じことが言われてると思う。

 

もしかして、これから英語が大事になるのか?

 

 

2001年問題のときに、俺はいろいろな食材を買い揃えてビビって正月を迎えた。

 

だけど、核ミサイルなんかどこからも飛んでこなかった。

 

 

俺みたいな庶民が未来を予測して動いたところで、たかが知れている。

 

自分の人生を振り返ってみる。

 

未来を予測して動いて一発当たった試しがない。

 

今までうまくいったことはすべて今をがんばったときだ。

 

 

塾でも一緒。

 

例えば、20年くらい前に個別塾というのが流行り始めた。

 

あのときの流れに乗ったら、先行者利益があったかもしれない。

 

でも、2〜3年様子を見て、個別が流行るかどうかの判断をして乗っかったところで、そんなに大差はない気がする。

 

未来を予測するにはめっちゃエネルギーがいる。

 

これに気付いたので、もう俺は未来の準備をするのをやめようと思う。

 

とにかく俺なんかが未来の心配をすると、ロスが大きすぎるのだ。

 

「こうなるからこうしとこう。」

 

これを「こうなってるから真似しとこう。」で十分間に合うんじゃないか。

 

 

日本人が減ってきているので、既存の産業の市場規模はほとんど縮小してしまう。

 

だからと言って未来を考えて準備ばかりしていると、今の一手を打つことができなくなる。

 

調子のいい時は、「今の自分の存在を、去年の自分が想像できなかった。」という状態なのだ。

 

今をがんばってるやつだけが手に入れられる無双状態だ。

 

 

俺は今まで頭の半分くらい未来のことを考えてきたから、ロスが大き過ぎたということに今更ながら気付いてしまった。

 

もう未来を考えるのはやめよう。

 

未来なんか考えて予測したところで、当たらなければ無駄になるし、スタートが少し遅くても力があれば追いついていける。

 

みんなより早くスタートしなければインフルエンサーにはなれないが、インフルエンサーになる必要もない。

 

俺は偏差値80の天才ではないのだ。

 

 

とにかく未来を捨てよう。

 

それでかなりの時間が確保できるとともに、俺自身の気分が軽くなるはずだ。

 

 

あっ、別に今悩んでいるわけでも困ってるわけでもないのだが、ま、ちょっとした備忘録的まとめってやつね。

 

お前らも真似していいよ。

俺がどんなに幸せかを傲慢に教えよう。

20年前に塾を始めた。

 

全くノウハウもなかった。

 

脱サラして塾の先生になっただけ。

 

机が8個しか置けない小さい小さい塾を当時の自分の持ち金で精一杯作った。

 

先生一人、生徒二人。

 

それがスタート。

 

それから3ヶ月くらいだったかな、50坪の物件に引っ越した。

 

毎日毎日生徒が増えて、2年半で生徒が600人。

 

新しい教室も次々オープンしていった。

 

その間に初めて出した本「ヒキョーな化学」が日本の化学の参考書で一番売れた。

 

当時書いていたブログは1ヶ月で50万くらいのPVだったと思う。

 

教育ブログでは一番多いPVだったはずだ。

 

その後、東京、新潟、石川、大阪、福岡にどんどん開塾していった。

 

だけど...

 

マンネリに気付いてしまい、ブログをやめた。

 

移動生活も一緒にやめた。

 

ここで俺が失脚したと思っていた人が多くいたことをあとから知った。

 

すまないが、俺は失脚なんかしていないのだよ。

 

俺はずっと楽しいことを探してやり続けていた。

 

 

海外に目覚めてしまい、カンボジアにチョコレート工場を作ろうとか、フィリピンに英会話教室作ろうかとかいろいろやってみた。

 

結構、金を使ってしまったけどおもしろいことをいっぱいやった。

 

いろいろやってみて、やっぱり子供たちと何かをするのが楽しいなって。

 

そして今に至っている。

 

 

塾をグループ制にすることを選んだ。

 

みんなでワイワイやりながら塾を大きくしていく。

 

いや、違うな。

 

全員が大きくしなくてもいい。

 

楽しい大人になればそれでいいんだよ。

 

だけど俺らのグループは大きくなり続けている。

 

 

 

今日も塾長3人で、ラーメンを食いに行った。

 

一番大盛りのラーメンだ。

 

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ちなみに俺がきてる服あるだろ?

 

あれ、500円。

 

高級そうに見えるだろー?

 

もはや、ルイヴィトンなんかいらない。

 

 

全員でやっと完食したのに、ありさ先生の提案でパフェを食いに行った。

 

ジャンボパフェだ。

 

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これを食った直後に、サイコロで負けた数ほどビスケットを食うという謎のバトルをやって、こんな感じ。

 

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俺は24枚食ってギブアップして負けた。

 

でも、飯はエンタメだ。

 

うまいかまずいかよりも楽しいかどうかだ。

 

今日の飯には2時間半もかかってしまった。

 

でも、これでいいのだ。

 

この幸せを毎日噛み締めて生きている。

 

 

SNSが発達して、高級品の写真や高級ホテルの写真や話をたくさん目にするようになった。

 

なんか、金持ち志向が強まったように思う。

 

それはそれで全然いいし、やりたい人がやればいい。

 

 

でも、俺は歳を重ねていきながら幸せってのはお金や数だけではないことがよくわかった。

 

俺は実際に生徒を増やそうと本気になったら、あと1000人くらい増やすことはできると思うし、SNSでもある程度のインフルエンサーにでもなれると思っている。

 

ただ、それをやっても「すごいですね。」にしかならないことはもう自分でよくわかった。

 

もう人からチヤホヤしてもわなくてもいいのである。

 

 

 

昔はすごく1番になりたかった。

 

でも、今はいかに「みかみ一桜らしいか。」の方が大事である。

 

俺はみんなが集まってきてくれる楽しいグループを作りたいのだ。

 

 

 

下の映画の評論動画を見ると少しだけ伝わるかもしれない。

 

50歳を軽く過ぎてしまったが、俺はまだまだ幸せに挑戦しようと思う。

 

リタイアなんかしないし、定年なんか糞食らえ。

 

まず俺がハッピーに生きて、俺の周りに生きる人も全員ハッピーにする。

 

 

www.youtube.com

 

そう。

 

それが今、俺が導き出している俺の生き方なのだ。

 

だから今でも俺は、生徒を増やしていたときのように、ブログでアクセスを集めていた頃と何も変わらずに自分のベストを尽くしている。

 

ただ方向は昔とはちょっと違うけどね...

言葉の力。またはGABAの力。もしくはかみえす力。

昨日、かみえす先生から紹介してもらったのがGABAだ。

 

興味が全くなかった俺なのに、かみえす先生のトークがスゴ過ぎて、思わず次の日に速攻で買いに行った。

 

悩みが取れてめっちゃ元気になるらしい。

 

悩みのほとんどない俺は何を持ってして効果を計るのかが微妙ラインでもあったが、試さなくてはならない。

 

次の日に速攻で買いに行った。

 

1軒目のドラッグストアで見つけることができず、2軒目で見つけることができた。

 

おお、あったぞー。

 

 

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「ストレス社会で頑張る方に...」

 

コピーがビミョーだ。

 

まず俺はストレス社会だと思っていないし、さらには頑張ってもいない...

 

GABAを飲む対象と3万光年離れている...

 

GABAの製造者、すまんぞ。俺なんかが買ってしまって。

 

 

いや、いかん。

 

何かわからないが、俺もいい感じになりたいのだ。

 

 

そして、飲んでみた。

 

うっ。

 

効いているような効いていないような...

 

「明日の朝、起きた時にその清々しさにびっくりします(要約)。」

 

かみえす先生の呪文のようなトーク睡眠学習の如く、寝ている間も俺の耳に残っており,

起きた瞬間に絶好調を感じてしまった。

 

清々しい目覚め。我覚醒し。

 

これがGABAの力か...

 

もしかしたらかみえす先生の力かもしれないが..

 

 

本来なら2度寝をしてもいい時間なのだが、俺はGABAを飲んでいる。

 

すでに元気なのだ。

 

一回起きたら昨日の疲れは全部なくなってるのがGABAなのである。

 

そして今、俺はこんなに早くからブログを書いている。

 

全く疲れることなく。

 

 

さあ、お前もGABAを飲んでみろ。

 

元気になるぞ。

 

 

 

 

 

おっと、メインテーマとかけ離れて、GABAの販促要因になるところだった。

 

そうじゃない。

 

GABAというものがあるだろ?

 

これを売る時に言葉の力が強く働いたということが書きたいのだよ、俺は。

 

 

つまりだ。

 

これはAIを超越している人間の仕事だと思うわけだ。

 

 

授業するだろ?

 

例えば、化学の動画がユーチューブ上にいっぱい上がってる。

 

俺らがみたら、知識の有無が瞬時にわかる。

 

だけど、それと次元の違う話があるのだ。

 

うまいかどうか。

 

惹きつけられるかどうか。

 

知識の有無よりも、惹きつけられるか信じられるかどうかの方がきっと意味があると思うんだよ。

 

生徒のみんなだって、その先生がどんなに偉いかなんて実際は関係ないだろ?

 

俺が「てへっ、実は院卒じゃなくて中卒でしたー。笑ー!」とか話してもノーダメージだろ?

 

それよりも、話が面白いとかわかりやすいとかやる気が出るとか、そういうことの方が重要じゃないか?授業って。

 

 

このGABAでスッキリした頭で考えた朝のアイデアは、わかりやすくてうまくて感動する授業を作れるのは俺ら人間なわけだから、授業を頑張ろうと思ったということだ。

 

GABAすげえだろう。

 

 

 

かみえす先生ありがとうございました。

今日は睡眠が深いはず(GABA飲んだので)

世の中には面白い人がいっぱいいるね。

 

こんなネーミング素晴らしい。

 

こんな話し方素晴らしい。

 

こんなアイデア素晴らしい。

 

1日に何回感動しているだろう。

 

色々な分野で、すごいことを言ってる人がめちゃめちゃたくさんいる。

 

10人に一人くらいすごく面白い人がいるとしたら、日本には1千万人も面白い人がいることになる。

 

かー、強敵多いやん。

 

1千万人と戦ってとてもじゃないけど、勝てる気がせんわー。

 

やっぱりどう考えても、アイデアありきだよね。

 

ポジショニングってやつ。

 

 

例えば、豆腐の上にチョコレートかけて、「わー、白いプリン〜♪」とか、1000円札を折り紙のように折って財布作って、その中に1円玉入れる人っていないじゃん。

 

そういうことしたら、その世界で1番になれる。

 

やっぱりね。

 

情報世界の中では、全く新しい発想でスタートダッシュかけて、最初の先行者利益だけ狙っていくのがいいのかもしれない。

 

明日はこれまた9時から仕事が入っている。

 

今日は早く寝ないといけない。

 

というわけで500文字くらいなのだが、短いけど許してくれ。

 

その代わり、どこにもリンクを貼らずにそっと眠らせておこう。

 

みなさん。

 

サラダバー。

 

 

受験時代の俺。

受験時代の俺はずっと音楽を聞きながら勉強していた。

 

とにかく外界のすべての音を遮断したかったからだ。

 

大きな音量でずっと勉強していた(もちろんイヤホンした状態ね)。

 

勉強している間はほぼ100%音楽を聞いていたと言える。

 

杏里と小田和正だけをずっと2年間繰り返し聞き続けた。

 

今でも、その曲を聴くとあの時の気持ちや苦しさが鮮明に蘇る。

 

いつかこの苦しい生活がいつか終わってバラ色の人生が待っているはずだと信じていた。

 

会社の中で大学卒の人たちに混じって、「あのさあ、〜〜」なんてカッコつけて話す日を想像してた。

 

金髪にして海外行ったりしながらチャラい塾長になるとはそのときは1ピコメートルも想像しなかったけど。

 

休憩のときは「冬物語」という受験のマンガを読みながら、その登場人物を勝手に自分のライバルにしていた。

 

俺らの会社は、国公立大学しか許可してくれていなかったので、私立大学というものがさっぱりわからなかった。

 

冬物語の主人公は日東駒専を目指すのだが、当時の俺は日東駒専関関同立GMARCHも全く全然知らなかった。

 

早慶がどれほど難関なのかも考えたこともなかった。

 

 

でも、あのとき死ぬほど苦しい努力をしといてよかったと本当に思える。

 

会社で働くことが当たり前の毎日に、わざわざ手を上げてまで勉強を始めたから今日に繋がったと思う。

 

もしもあのまま暮らしていたらまた別の生活はあったと思うし、それなりに楽しんだり頑張ったりしていたと思うが、今の生活が一番幸せだ。

 

人生をやり直せるのなら、今度は迷わずにまっすぐ塾長を目指す。

 

塾長は、子供達と勉強を一緒に頑張る楽しさ以外に、経営を考えることができる。

 

どういう塾にするのか、どういう子と頑張るのか、どこでやるのか、そんなことを全部決めることができる。

 

ありがたすぎる。

 

 

今、頑張ってる受験生も、自分の目指しているものと違うゴールが待ってるかもしれない。

 

だけど、がんばれ頑張るほどチャンスはたくさん巡ってくると思うし、幸せになる確率も高くなると思う。

 

 

 

数年ぶりに杏里の曲を聴いてみて、ふとあの頃のことを思い出した。

海を越えて。

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この入れ物どう?

 

ただの陶器の入れ物ではない。

 

遠くから運んできたものだ。

 

サハラ砂漠の近く、マラケシュから。

 

 

飛行機に乗って蚊がくっついてきたりすると、次に降りたところが全く違う場所だったらどんな気持ちになるんだろう。と時々考えることがある。

 

蚊だけじゃなくて、モノもそうだ。

 

「made in どこどこ」と書いてあることをよく目にするが、何だかピンと来ない。

 

でも、この陶器は自分で運んだので確実にアフリカ大陸のものだ。

 

アフリカの誰かが、アフリカの土を使ってアフリカの釜で焼いて、アフリカの色をつけたはず。

 

まさか、極東地方に運ばれるとは夢にも思っていなかっただろう。

 

生きているとそういうことの連続な気がする。

 

俺もまさか塾の先生になるなんて33歳まで思うことはなかった。

 

ベンツを買う日が来るなんて34歳まで思わなかった。

 

海外にこんなに行くようになるなんて、40歳くらいまで思わなかった。

 

 

オリンピック選手がいつかはオリンピックに出たいと練習して、オリンピックに出るのはわかるが、俺みたいに予期しない人生がくることがあるのが不思議だ。

 

だけど、それは実際は小さな選択の積み重ねの結果なのだ。

 

今、俺は酒を辞めることで結構苦しい思いをしているのだが、ここで酒をやめたから違う未来が待っている。

 

酒をやめない未来と酒をやめた未来。

 

どっちがいいかはわからないが、明らかに違う人生になることは確かだろう。

 

チャンスや転機は突然やってくることが多いからだ。

 

そのタイミングで手を上げられるかどうかは、いつも心で準備できているかどうかが大きいと思う。

 

何かをやりたいというが、じゃあこれしてみたら?っていうとできない理由を全力で話す。

 

何かをやりたいと言うくせに、今の楽しいことに流されている。

 

その楽しいことの未来には何があるのだろう?

 

若くして遊んでばかりいる人を見ると心配になることがある。

 

あとから、羨ましがっても仕方がないよね。

 

頑張っている人は準備をしたり、戦ったりしてるんだから、その差は簡単に埋まらない。

 

 

今日は睡眠不足なのか睡魔がすごい。

 

さて、最初から苦しいが授業に行ってこよう。

 

 

受験生のみんなできたかなあ、今日はずっと気になって仕方がなかった。

 

 

コロナ、そして共通テストからの二次試験。

伝染病というものが世界に蔓延するなんて考えたことがなかった。

 

パンデミックは映画やゲームの中の話かと思っていた。

 

受験生だけでなく、就職期の人もまた起業した人、飲食業、旅行業の人たち、多くの人が大ダメージを受けてしまった。

 

俺は阪神大震災東日本大震災も被災しなかった。

 

この歳まで生きてきて、これほど大きい出来事を体験したことがない。

 

コロナのためにやむ得ず自習室を閉めたり、オンラインに変えたりを余儀なくされた。

 

それと並行して共通テストという、謎のニュースタイルのテストを受験させられた年でもある。

 

試験直前まで二転三転してもはや訳のわからない中でのテスト。

 

試行テストがあまりにもぶっ飛びすぎていたので、俺もどうしようかと思った。

 

一番かわいそうなのは、移行措置をやらずに受験した浪人生だとも思うが、とにかくトンデモナイ年だった。

 

 

 

だけど、受験生のみんな。

 

やることは同じだ。

 

「自分のベストを尽くして、神に合否を問う。」

 

ただこれだけ。

 

運ももちろんあるかと思うが、人間には運を左右させる力はない。

 

だから全力を見てもらうだけ。

 

神に。

 

それだけだ。

 

 

 

頑張った全国のみんなを応援したいが、申し訳ない。

 

俺は俺の生徒を応援している。

 

俺の生徒、頑張ってくれ。

 

神様。俺の運を俺の生徒に配って欲しい。

 

どうか、俺の生徒が、どうか合格しますように。

 

 

The weird みかみ一桜

いや、それがね。

 

本を読んでるわけよ。

 

今でもね。

 

で、キンドルってすごいじゃん。

 

欲しいと思った瞬間に読めるわけだから。

 

あとは本が増えなくていい。

 

本を買うとすぐに本棚を占拠してしまうから嫌だったんだよ。

 

で、本を読んでたら、これ面倒だから誰か解説してる人いないの?って YouTube 調べたらめっちゃいるじゃん。

 

おお、こりゃあいいわ。ってことで、昨日は動画で本を30冊くらい読んだよ。

 

そしたら、気づいたね。

 

人ができることは人ができるんだということに。

 

意味わかる?

 

例えば、英検1級ってすごく難しいじゃん。

 

だけど、英検1級をとるための勉強方法は書いてあるわけだから、それをやれば誰でも1級になれるでしょ?

 

だけど、ホリエモンになれるか?

 

なれないじゃん。

 

ホリエモンへのなり方は書いてないから。

 

歌がうまくてもYAZAWAにはなれないし、頭がどんなによくてもアインシュタインにはなれないわけよ。

 

特定の人へのなり方は明らかにされていない。

 

 

さてここで問題です。

 

二人の人がいました。

 

Aさん。貯金額100億円。

 

Bさん。貯金額1万円。

 

これ、どっちが幸せ?

 

当然Aさんと思うだろ?

 

Aさんは世界中を旅していて、クルーザーや高級車を何台も持っている。

 

毎日100万円くらい使っているけどお金が減らない。

 

Bさんはボロの大衆車に乗って15年目。

 

時々、故障したりしてる。

 

Aさんは、タワーマンションペントハウスに住んでいて、友達とパーティーをしている。そのときはA5ランク和牛を白トリュフと一緒に食ったり、伊勢海老を食ったりしてる。

 

Bさんは、6畳のアパートに住んでいる。友達とホットプレートで安い焼肉を焼いて焼酎飲んでる。

 

これ、どっちが楽しい?

 

Aさん。

 

 

............これ、本当か?

 

誰かに洗脳されていないか????????

 

 

Aさんが休みの日には、海の見えるホテルに行ってドンペリを飲んでる。

 

お金をかけている。

 

Bさんが休みの日には、カヌーに乗ってお気に入りの場所に行って熱帯魚をみている。

 

お金がかかっていない。

 

 

 

お金バイアスがかかってないか?????

 

は?

 

バイアス?

 

バイアスってのはここではかさ上げっていう意味。

 

お金がかかってる方が手が届きにくい感じがしてバイアスがかかってないか?

 

 

例えば、日本で一番海外旅行している塾講師の俺様が今まで出国した回数は150回以上だ。

 

これまで行ってきた海外旅行の面白さを上から順に並べたら、使った金額とは無関係になるぜ。

 

 

つまりは幸せは金だけじゃないってことだ。

 

金がないと困ることは多いかもしれないが、必要分あればそれ以上は幸せとは関係ないはず。

 

誰かに金バイアスの洗脳されてる。

 

誰だ?

 

俺らを洗脳しているのは?

 

 

だから俺は昨日、気がついたのだよ。

 

誰かのルールで踊らされている「この必死に泳がないと溺れてしまう感覚」は虚像なのだと。

 

 

ちなみにBさんってのは実在している人で、友達がめっちゃたくさんいて、金が少ないこと以外どう見ても幸せそうに見えるのだが、毎日毎日朝起きてから楽しそうに生きてるぜ。

 

病気になってもまわりの人がご飯持ってきてくれたり、病院に連れて行ってくれたり全く困るような気がしない。

 

この人に勝つのは、そう簡単なことじゃないと思う。

 

 

 

 

 

 

だから俺は昨日決めたのだよ。

 

俺はぶっ飛んで生きようと。

 

誰かと比べられる生き方をしていると、相対的に幸せになったり不幸になったりするんだよ。

 

だけど、ぶっ飛んでれば関係なくなるでしょ?

 

偏差値とか貯金額とか、そういう数字で測れないゾーンにいけるでしょ?

 

 

他人からの評価もいらないんだよ。

 

前田慶次でいいんだよ。

 

ラオウでいいんだよ。

 

人のことなんか考えなくて素でやってりゃあいいんだよ。

 

 

そうすればきっと華が咲く。

 

華になったら、その香りをみんなに発信すればブランドになる。

 

 

そう。

 

そういう風に生きることにした。

 

 

 

俺は人のルール外に出るために頭おかしいことしかしないんで、気にしないでください。

 

 

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人間の価値基準が学歴だとおかしい。

塾の先生でものすごくよくないのは生徒に舐められてしまうことだと以前に書いた。

 

読んでないやつはリンクを..

 

貼るのが面倒なんで自分で探せ。

 

 

家族も同様だと思う。

 

親が子に舐められてしまっては、家の中での舵が取れなくなる。

 

20年間この仕事をやってきて、親が子供に舐められる一番多い要因は、人間の価値基準を学歴に置いてしまう失敗だと思っている。

 

もちろん、学歴に置いてるつもりはないのだろうが、結果的にそういう感じになってしまっている家が今までに結構あった。

 

すると、「どうせお父さんは俺より勉強できないくせに。」だとか、「どうせお母さんは私より馬鹿なのに。」って、思うようになる。

 

口には出さなくても、自分より格下だと思うともはや制御が効かなくなるよね。

 

だから価値基準を学歴に置かない方がいい。

 

「勉強しないとお父さんみたいになるよ。」とか「勉強できない人はクズなんだよ。」とかを口にしない方がいいし、思うこともやめた方がいいだろう。

 

はっきり言って子供が大学に行ける一つの力は、親の財力なのだ。

 

親が頑張った結果、子供にお金がかけられるようになっただけで、しかも自分のものを我慢してまで親がお金を払ってくれてるってことを理解さえしてない子も多いから、その辺も明らかにしとく必要ある。

 

親が、子供にお金をかけることは当たり前のことではない。

 

親は子供に高校くらいまで通わせたら、自分の物を買いにルイヴィトンに行ってもいいのだ。

 

親が子供を20歳まで育てるのは当たり前だが、そこにエクストラの費用をかけるのは決して当たり前じゃないだろう。

 

親が善人すぎるだけなのだ。

 

 

もしも、こういうミスを犯してしまうとお互いが不幸になるので改善した方がいいと俺は思う。

 

どうやったら改善できるのか、俺なりの考えを書いてみよう。

 

犬で例えると想像しやすいはずだ。

 

犬と子供は少し似ている。

 

猫は自分で大きくなれるが、犬は家族的な生き物だからだ。

 

 

犬が飼い主を格下に見たらどうするか?

 

① 主導権を渡さない。

 

②要求に応じない。

 

③過干渉をしない。

 

 

こんな感じだろうか。

 

「あの人は勉強ができるから偉い人なのよ。」

 

こんなことを思ってると、子供に伝染ってしまう。

 

勉強ができることは、生きる上でかなり重要な武器であるが、ただひとつの側面だ。

 

勉強ができることがすべてではない。

 

 

 

 

ちなみに俺は学歴コンプレックスが完全にゼロなので、いかなる高学歴のやつが俺の前に現れても、軍門にくだることはない。

 

俺はすでに高貴な完成された「みかみ一桜」なのである。

何かにならないといけないのか?

Facebookやらインスタを見てるとキラキラな写真や投稿が多くて焦ってしまう人が多いと思う。

 

だけど、誰が見てもわかる何か特別な人になれる確率は実際にはすごく低いんじゃないかな。

 

だから、きっと自分が大体オッケーなら感謝できるようにマインドを持っていた方が幸せな気がする。

 

というのはである。

 

俺ってずっと賢い子ばかりと勉強してきた。

 

新潟高校、金沢大附属高校、泉丘高校、茨木高校、北野高校、筑紫丘高校徳山高校、東京とかはもう覚えられないからわかんない..

 

東大をはじめほぼすべての有名大学やら医学部やらに卒塾生がでてるわけなんだけど、彼らを見て思うのは特別ではなかったって言うこと。

 

まれにこいつ天才か?と思う子はいるが、それは本当にまれで、多くのよくできる子たちも普通だったってことだ。

 

さらに上をみたらキリがない。

 

オリンピックで金メダルを取れる人は世界に一人しかいない。

 

つまり、オリンピックで金メダルなのか、全国大会で優勝なのか、地方大会で優勝なのか、県大会で優勝なのか、市の大会で優勝なのか、市の大会の決勝進出なのか、市の大会に参加することがゴールなのか決めておかないとわけがわからなくなる。

 

ゴールがないものはエンドレス競走になって、いつまでも満足が得られないことになる。

 

残念だが「これでよし。」という妥協点が必要だ。

 

そこまできたら一度満足して仕切り直すしかないと俺は思う。

 

 

学校の成績だってそう。

 

100点しかオッケーじゃなかったらこれは結構きついだろうし、それがクリアできる人は本当に少ないと思うのだ。

 

自分にそこまでの力があるか、またそこまで頑張る必要が本当にあるのかのバランスを考えとく必要があるように思う。

 

だから、何かをするのにはゴールが必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

....若いやつにはね。

 

俺は心は若いけどおっさん中のおっさんなので、そういう定位置的なゴールだと疲れちゃうのだよ。

 

おっさんレベルになると、静的なゴールじゃなくても、動的なゴールでも生きれちゃうからすごい。

 

さすがはおっさん。

 

 

 

 

 

教えてやろう。

 

たった今閃いた俺様のゴールを。

 

 

俺の人生は....

 

俺の人生のゴールは.....

 

 

「みかみ一桜らしく生きる。」

 

これだ。

 

これに尽きる。

 

 

媚びないし、へつらわないし、おもねらない。

 

毎日毎日俺らしく生きてるかどうか確認しながら生きることにしよう。

 

 

これが一番かっこいい。

 

これに勝つ人生の目標などどこにもない。

 

 

これが「みかみ一桜」。

 

そういう風に生きていく。

 

 

 

俺みたいになりたいやつは俺の真似をするといい。

 

わーっはっはっは。

 

 

さて、経営の本でも読むか。

 

俺はみかみ一桜なんで。

 

 

マスターマインドはSNSでも当てはまるのか?

全世界俺ファンの数名の皆さん、お待たしました。

 

王様がブログに帰ってきました。

 

まだ今月中はいろいろ忙しいんだけど、とりあえず700文字くらいなら打てるのではないか?ということで今日から700文字で書いていこうと思います。

 

ま、またいつか休むけどね。

 

 

マスターマインドってわかる?

 

ナポレオンヒルが広めた考え方なんだけど、いろいろな解釈の中で俺が一番有名だと思ってるのは、「あなたの身近な5人の平均値があなたです。」ってやつ。

 

だから、ビッグなやつとつるんでると自分もビッグになるし、カスばかりといるとカスになるよってういうことね。

 

ふと思ったんだけど、これってSNSに当てはまるんじゃね?

 

って言うか多くの場合、人は人から影響を受けてしまう。

 

例えば、俺は塾の経営者じゃん。

 

塾をオシャレにしている人の記事ばっかり見てると、俺もオシャレにしようかなあとか思ってしまうんだよ。

 

例えば、年収1億円の人に囲まれるとするじゃん。

 

じゃあ、俺も5000万円くらいいけるんじゃない?

 

とか思うよね。

 

 

ということはこのマスターマインドを逆に使えば、俺たちも目指せる方向に進めるのではないか?とこんなことを思ったわけだ。

 

普通、グレイトな人って身近にはなかなか会えないじゃん。

 

でも、SNSならフォローするだけだから、その人の影響を感じることができるもんね。

 

 

ってことで、俺も自分のマスターマインドを意図的に動かそうと思う。

 

俺が欲してるメンバーのカテゴリーは

 

「チャレンジャー」

 

もう、年齢はいいわ。

 

若くても年でも誰でもいい。

 

チャレンジャーをフォローしまくって俺もチャレンジャーになる。

 

 

引越しに金がかかるから、もう引っ越しやめたくて仕方ない。

 

でも、それをやらなければ今までの俺が変われない。

 

だから俺はチャレンジする。

 

前に進むのだ。

 

 

BGMもチャレンジャーにしとこう。

 

www.youtube.com

 

 

 

人生駅伝。

苦しいときにはいつも考えることがある。

 

苦しいときにこそ力の差が出るから、そういうときこそ勝負だということだ。

 

人生って平等じゃないと思うのだ。

 

だけど、努力する自由権はある(日本においては)。

 

俺の場合、結構後ろからのスタートだったと思うが、今はきちんとメイン集団に入ったと思っている。

 

いやいや、どうかしたらメイン集団より少し前の方に行ってるかもしれない。

 

それは苦しいときにこそ頑張ってきたからだと思ってる。

 

今日まで長い年月かけて少しずつ抜かしてきた。

 

前にはもっともっとたくさんの人がいるけど、先祖から受け継いできたタスキをまあまあいい感じにつないでいけたんじゃないかと思うのだ。

 

もちろんまだこけるかもしれないし、逆にまだ抜かせるかもしれない。

 

ここまでがんばってきたから、最後まで頑張ろうと思っている。

 

 

 

周りの人、出会った人たちに一番恵まれたように思う。

 

大学受験のときに応援してくれる会社の人がいなければ、大学には行けなかっただろう。

 

塾を開いて、最初の生徒が来てくれなかったら塾は維持できなかった。

 

そして、脈々といい子供達、親御さんが20年にもわたって途切れることなく来続けてきてくださって今日がある。

 

超優秀な仲間に恵まれた。

 

俺が俺になれたのは俺だけの力じゃないから、感謝をお返ししようとずっとボランティアも続けてきた。

 

塾を始めてまだ全く豊かじゃなかったときから、少しずつだがお返しさせてもらってきた。

 

本当ありがたい。

 

神様が俺にまだチャンスをくれ続けている。

 

 

なんでも同じ。

 

やれることしかできないから、やれることをきちんとやるだけ。

 

 

ちなみに、そこまで今ピンチじゃないからまだ余裕。

 

駅伝で言うと、「なんか足にわずかな違和感があるかもしれない気がするな...」という程度ね。

 

がんばるのみ。

 

日本のめし。

海外に行くと思うけど、日本って治安はすごいし、道がものすごくきれい話だし、驚くことばっかりだけど、それでも一番すごいのは飯が驚愕の味であるということだ。

 

しかも安価に。

 

カレーが食いたい時はカレー。

 

うどんだったらうどん、ラーメン、焼き魚。

 

ハンバーグ、唐揚げ、カツ丼、寿司、ざるそば、焼肉、さしみ、すき焼き、パスタ、鉄火丼、卵かけご飯、寿司、ピザ、味噌汁....

 

もう、想像できるありとあらゆるものが超美味しく安価に食えることだろう。

 

 

外国はそういうわけにはいかない。

 

まあ、俺は現地に住むほどのプロじゃないので反論はあるかもしれないが、例えば韓国に何日か泊まっていると「もう赤いのいいから。」って気分になる。

 

なんでもかんでも赤い料理が出てくる感じがして、胃が疲れてくる。

 

台湾も、「もう山椒入れなくていいから。」ってなる。

 

カンボジアだと、最終的には「バーベキュー的焼き鳥食ってアンコールビールがあればいいわ。」ってなる。

 

一番悲しいのはフィリピンで、「今日の料理は油と塩だけで作ってみましたー。」的な、「高血圧になるんですけど?」って思ってたら、「ドリアンでも召し上がれー♪」みたいな感じで、もはや政府の力で食医みたいな仕事を誕生させる必要性すら感じてしまう。

 

海外に行きまくってると、普通の食事にありがたみが生まれる。

 

どうして日本ってこんなにすごい料理がいっぱいあるのだろう。

 

 

あっ、ただ、海外の食事にもいいことがあって、海外で飯を食うと「何がくるのかなー?」とか「どんな味かなー?」っていう楽しみはある。

 

というわけでまあ、バランスだね。

 

 

今年の夏過ぎくらいから、海外に行けそう。

 

PCRなしでカンボジアに行けるようになったら、またホームステイ企画やるから、参加したい高校生は教えてね。