みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

夢を叶える。

 

経営者って結局、自分の夢を具現化させようとしているはずだ。

 

どんな夢でもいい。

 

温かい家庭をつくる(そのために働く)だっていいし、大金持ちになって好き勝手にするだっていいし、みんなに喜んでもらうでもいいだろう。

 

俺も俺の夢の方を向いて仕事をしている。

 

 

俺はみんなと仲良く過ごして生きたい。

 

俺のグループが俺とだけではなく、みんな相互に仲良しであり続けて欲しいと思っている。

 

今回、俺はしょうた塾の手伝いで一緒にカンボジアに行った。

 

そして杉山先生も、としや先生も自分たちの生徒を毎年カンボジアに連れて行ってくれている。

 

俺が始めた卒塾旅行を、俺がいなくてもずっと大事にして守ってくれている。

 

今回、一人でTUKTUKに乗りながら、俺の夢が叶ったのではないか...そう思い、込み上げてくるものがあった。

 

俺が生徒たちをカンボジアに連れて行くんじゃなく、俺と一緒に仕事してくれている先生たちが生徒を連れて行ってくれる。

 

そしてその先生たちを信用して、俺のことを知らない親御さんがカンボジア行きを了承してくださる。

 

究極形態だと思った。

 

これ以上の幸せがあるだろうか。

 

誰にもわかってもらわなくていいし、わかってもらう必要もない。

 

でも、俺はこういうのをやりたかったんだ。

 

こういう気持ちになりたかった。

 

 

 

本当にありがたいと思うし、一緒に集ってくれた仲間の先生たちに心から感謝した。

 

そして親御さんや生徒のみんなにも感謝しかない。

 

 

経営者としての夢が叶った気がします。

 

ありがとうございました。

勉強マインドセット

どうやったら子供が賢くなるのだろう?

 

毎日毎日そのことを考えながらずっと仕事をしてきた。

 

今日はそのうちの一つについて書いてみたい。

 

「やらされてることとやってることでは全然違う。」

 

という話だ。

 

 

俺らみたいな仕事をしてると、一気に成績を上げないといけないシーンに直面することがある。

 

子供自身がやらされてると感じているのか自発的にやってるのかは、成績向上に関して大きなファクターだと思うのだ。

 

それを強く思う理由は、「成績をあげたいと自ら望んでいる子の成績すら、簡単にあげることはできない。」からである。

 

やらないといけない勉強量、覚えないといけない勉強量は結構膨大で、一瞬で積み上げることが難しい。

 

例えば、お金儲けなら株で当てるとか、何かの商売がヒットするとかで一瞬でリッチになることもあるだろう。

 

でも、勉強はそういう性質ではない。

 

わかりやすく言えば、英会話みたいな感じだ。

 

どんなに一気に習っても、話せるようにならない。

 

例えば、「時制を気を付けて話そう。」

 

そう思っていても、ネイティブに時制がおかしいことを指摘される。

 

だから、気を付ける。

 

また、ネイティブの時制の使い方を真似てみたりする。

 

そうやって会話しているうちに時制が上手になってくる。

 

「次は不定詞を上手に使ってみよう。」

 

「次は関係代名詞を使ってみよう。」

 

みたいな感じで少しずつスキルが上がっていく。

 

 

高校1年生の授業をしていてよく感じるのは、「あら?あのモチベーションはどこにいったの?」だ。

 

中3のときは一生懸命にがんばったのに、高校に入学できたことでまた受験が遠い存在になってしまい、がんばる必要性を忘れてしまうのである。

 

そして「やらされてる勉強」に変わる。

 

 

なにが言いたいのか?

 

つまりはである。

 

成績を上げようと思ったら、まずは「自発的にやるモード」にしなければ効率がすこぶる悪いということだ。

 

やる気のない子供にいくらやれやれと言ったところで、相手がブレーキを踏んでるわけだから進ませるのには無駄なエネルギーがかかりすぎる。

 

つまりはまずは勉強に対する正しいマインドセットを構築することに挑む必要があるってことだ。

 

やらされてる子とやろうと思ってる子じゃあ勉強コスパが違いすぎるからだ。

 

 

 

 

いつかにつづく

パガッティおじさん。

パガッティおじさんって知ってるだろうか?

 

俺は好きでよく見てるのだが、こんな風に生きれたら素敵だとと思う。

 

youtu.be

 

 

俺が脱サラして自営業を始めた時に、読んだ本の中に「自分の幸せだけを考える人に本当の成功はない。」と書いてあった。

 

また、何人かの人に慈善の話を聞いた。

 

だから、まだ全く金がなかった頃から、ボランティアを俺なりにやって生きてきた。

 

mikamijuku.jugem.jp

 

mikamijuku.jugem.jp

 

mikamijuku.jugem.jp

 

mikamijuku.jugem.jp

 

探し出せばキリがないが、今だってずっと続けている。

 

俺がたまたま物質的に豊かになれただけなので、そのラッキーをお返ししたいだけだ。

 

ボランティアと日常ってなんかつながっていて、ボランティアって感謝を返すことだと思っている。

 

例えば、路上で困ってる人がいたら助けてあげたいと思うし(助けられる時は100%助けている)、「ありがとう。」とたくさん思えて、そして口に出せる人間でありたい。

 

ボランティアという言葉は上から目線でなんか好きじゃないが、生きることって他人に感謝を返していけることでもあると思っている。

 

 

 

今年は何回か一人で旅行に行ってみようと思っている。

 

ネットでもほとんど知られていないような僻地に行って、自分ができることでもやってみようと思っている。

 

あと、塾の仕事は夢を与える仕事でもあるから、仕事を通じて夢を与えることもできるだろう。

 

南アフリカの秘密のサンタ」かあ。 ‥パガッティおじさんいいなあ。

そして俺は仕事界にもどっている。

ここ10年くらい幸せの勉強にハマっていたが、もはや俺の中で解が見つかったのでこれは終了だ。

 

俺の中で幸せとは何かというゴールに行き着いた。

 

ま、俺の場合、簡単にいうと

 

「幸せとは人である。」

 

ということだ(長くなるので割愛)。

 

 

そう言えば、さらにその前の10年間は、経営とか経営者とかお金儲けに関して本を読みまくっていた。

 

今もたまに成功本を読むが、興味そのものが低くなったためにあまり刺さらなくなってしまった。

 

 

 

最近、ちょっとハマっているのが、「賢くなるためには何をすればいいのか?」である。

 

これは教育産業に携わっている人ならみんな考えていることだと思うのだが、学問として考えるとどうなのか?ということだ。

 

高額の塾に入れたから‥

東大の先生に家庭教師て来てもらっているから‥

 

これで確かに成績が上がる子がいるかもしれないが、上がらない子も多いはずだ。

 

俺も長年塾講師をやっていて、成績が上がりやすい子もいれば上がりにくい子もいる。

 

それよりもなによりも、そもそもの地頭に大きな個人差がある。という現実があることを見えなかったことにするわけにはいかない。

 

塾に預けられる親御さんの心情は、「塾に入れたのでこれで上がっていくだろう。」かもしれないが、それでみんながバンバン上がれば、こんなにも塾が乱立し競争が生じることはないだろう。

 

 

 

話を変えよう。

 

俺は経済観念がないやつは病気にかかっていると思っている。

 

親からもらった遺伝病だ。

 

ぶっちゃけると経済観念がないやつには責任がない。

 

生まれつきの遺伝だからだ。

 

運動神経がないやつって、本人に責任ないだろ?

 

生まれ時からそうだったんだから。

 

同じような感じだ。

 

ただ、経済観念やアル中はある程度克服できると思っている。

 

俺も経済観念がなかったが、俺はそれを病気だと認め、どうやって克服するかについて考えてきた。

 

今、俺は普通の人間くらいになったと思うが、過去を考えても病気で生まれてきたと思っている。

 

アル中も同じ。

 

酒を飲みすぎて、大きな失敗したわけでもないし、大病を患ったわけでもないが、ほぼ30年間毎日酩酊するまで飲んできた。

 

「酒をやめることができない。」という病気だった。

 

 

 

経済観念やアル中を病気であると認め、克服したところで、俺は本来歩むはずだった人生と違う人生を明らかに歩んでいる。

 

 

 

さて話を戻そうか。

 

行動遺伝学が面白いと思うようになった。

 

遺伝子の配列は基本的に生まれときから決まっているわけで、それは両親の染色体を半々で受け継いでいる。

 

おっと、1000文字を超えてしまった。

 

詳しくはその2で書こうか。

 

 

 

 

つまりだ。

 

子供の成績をあげるために、今までみんながやっていなかった方法でアプローチしたいと考えている。

 

経済観念やアル中は遺伝で決まっていたと思うのだが、アプローチを変えることで遺伝子に逆らうことができた。

 

勉強だって、今まで知られていなかった方法や知られていたけど気づいてなかった方法がまだ多く眠っていると思うのだ。

いい一年だった。

ここ10年で1番忙しかった1年だった。

 

いつだっただろう?

 

去年だったか、物欲などのへモチベーションが一気に下がった理由が「老化」だと知ったのは。

 

俺は自分が満足しているから、物欲がないのかと思っていたがそうではなかった。

 

このままではいけない。

 

俺はみかみ一桜なのだから。

 

 

去年の12月から筋トレに通い始めた。

 

仕事もどんどん増やしていった。

 

途中からオンラインタイ語会話も毎日やるようになった(英語はずっとやっている)。

 

 

そして座右の銘を「エネルギーを使い切る。」に変えてからさらに仕事を増やした。

 

その結果、オンラインタイ語会話ができなくなってしまったし、ジムにも行けない日がでてくるようになった。

 

だけどいい。

 

さぼっているわけではないからだ。

 

まさかこの歳でこんなに働けるとは思っていなかった。

 

朝起きてから、寝る前までずっと仕事がある。

 

ずっと時間に追われ続けてあっという間に、日にちが過ぎる。

 

最高じゃねえか。

 

昔のセミリタイアのような生活に戻りたいと1ミクロンも思わない。

 

「今日、なにやろうかなあ。」なんてそんなこと考えている場合じゃないのだ。

 

仕事人生の終盤戦が始まっている今。

 

突然、こんなに忙しくなちゃって、「忙しくても問題なく生きていける」ということがわかった今。

 

仕事はたしかに金儲けの手段の一つかもしれないが、社会に貢献できるという側面をもっているのも事実。

 

だから、俺はこれからしばらくの間、仕事を頑張っていこうと思っている。

 

それは初めての場所に旅行にするくらい、ドキドキすることなんだって気づいた。

 

2023年は俺にとっては、感謝の年だった。

 

ありがとう。

座右の銘を変えます。

(数日前に書いたブログをアップしてませんでした)

 

 

 

昨日まで俺の座右の銘はずっと

 

「気合いと根性」

 

だった。

 

ただ、人は加齢によってポジションや体力などの理由でできることが変わってくると思う。

 

それに合わせて座右の銘も変える方が正しいのではないか。

 

まあ、戦前の憲法をこれからずっと使ってもいいものなのか?というのと同じような感じだ。

 

 

今朝のFacebookでシップス先生がこんな投稿をされていた。

 

近くのジョイフルへモーニングコーヒー飲みに来た。後ろの席では、頭の悪そうな若者たちが徹夜明けでハイテンションになり、騒いでいる。前の席では、薄汚れたフィラのキャップをかぶった爺さんが、ドリンクバーで何度もコーヒーをおかわりしながら本を読んでいる。夜勤のウェイトレスは、あまりに眠いのか、お客さんの食べたあとを片付けているうちに椅子にもたれて寝てしまった。この寒い北陸の朝、いろんな人が生きている。誰の人生が尊いわけでもない。それでも俺の想像以上につまらない人生なんてものもあるのだろう。」

https://www.facebook.com/masahiro.kubota1

 

なるほど。

 

深い。

 

深いわ。

 

 

そして一昨日、卒塾生ののぐ先生(今はお医者さん)からメールが来た。

 

俺が本当に信用しているごくごく少ない人数の一人である。

 

30年以上毎日飲み続けてた酒を何ヶ月もかけてストップさせたのはのぐ先生の一言だった。

 

そののぐ先生の学会誌投稿の記事を見せてもらったのだが、すごくいい内容だった。

 

何かというとエネルギーは使い切ってもすぐに充電されるから、あらかじめ自分のエネルギーをセーブしたり振り分けたりする必要がないという内容だったのだ。

 

仮に困難な状況にあるからといって、エネルギーを配分するのではなく使うことが大事だと書かれていた。

 

元ネタは他にもあったようなのだが、のぐ先生が自分の今の状況や経験に照らし合わせて見事に書いてあったので、すごく腑に落ちた。

 

 

確かに、道端でずっと座っていても時間が過ぎるし、信じられないほど行動力で生涯を終える人もいる。

 

もしも人間のエネルギーの総和が一定であれば、頑張っている人はどこかで頑張りが止まるはずだ。

 

エネルギッシュな人がずっとエネルギッシュであり続けるのは、やはり充電はすぐにされているのだろう。

 

俺はエネルギッシュに生きてきただろうか....

 

今までやってきたことを羅列しよう。

高卒で会社に入ったけど、そのあと大学に入学した。

大学1年生で結婚

34歳で独立して開塾

2年半で生徒600人超え

財閥の家庭教師

全国6ヶ所を飛行機で移動しながら授業(東京、大阪、新潟、石川、山口、福岡)

初めて書いた参考書で日本一

ブログのアクセス数、教育業界で1位(もう書いてないけど)

カンボジアにチョコレート工場を作ろうと画策→断念

フィリピンに英会話教室を作る→集客しなくて失敗

ベンツとBMW、合わせて6台購入

ハノイ大学に正規入学→入学式の日に自主退学

日本で一番海外旅行に行ってる塾講師

まだまだ書けそう....

 

まあ悪くない。

 

なんかやるのに気合と根性って言ってる時代はきっと終わったな。

 

俺的に。

 

 

 

というわけで人生後半の座右の銘

 

「エネルギーを使い切る。」

 

にしようと思う。

 

これからエネルギーを使い切っていくので、よろしく頼むぞ。

 

 

 

フローの中で生きている。

歳をとったからどうかわからないが、やらなかったら忘れてしまう。

 

昔は忘れても良かった。

 

なぜなら生きていくのに困らなかったし、それなりのストックがあったからだ。

 

でも、今、そういう考え方じゃなくて日々変化の中で上がったり下がったりしているのではないのかという気がするようになり、俺の生活が変わってしまった。

 

わかりやすく書いてみよう。

 

俺は10年以上英会話をやっているのだが、ちょっと休んだりしたらなんとなくうまく話せない気がすることがあった。

 

ただそうは言ってもおおむね変化ないし、自分の中の有意差だとは思っていなかったし気にしていなかった。

 

 

筋トレも同じだ。

 

1年間ほぼ毎日ちょこちょこと筋トレを続けてきた。

 

たまに海外旅行などで、連続的に休むと上げられるバーベルの重さが減ってしまう。

 

当たり前のことだと思われるかもしれないが、じゃあ、維持しようと思ったら毎日やれ!って結論になる。

 

そんなプレッシャーの中で生きるのは嫌だから、ジムに行かなくてもいいよという極論が真のゴールなのか。

 

 

数ヶ月前、一生の趣味をと思いジョギングを始めていたのだが、膝が痛くなって永久にジョギングを封印した。

 

新たな趣味がいるだろうと考えた結果、語学を始めることにした。

 

語学なら故障はないだろう。

 

語学と言っても、英語以外の言語だ。

 

英語では発音で躓いた(日本人っぽい訛りを消すことができない)ので、他の言語にしようと思って日本から行きやすいタイ語の勉強を始めた(ベトナム語にしようか迷ったが)。

 

文章に入る前に、発音記号だけは最初に徹底的にやってからだ。

 

語学ならきっと歳をとっても続けられるだろう。

 

 

 

 

 

さて、話は少し変わるのだが、俺は最近オンラインで毎日化学問題というのをやっている。

 

また、以前に中学と一緒に毎日英語というのを2年間やったことがある。

 

これにはものすごいパワーを秘めていると感じている。

 

生徒の力のつき方が圧倒的にすごい。

 

毎日やるから、忘れる前に覚え直すというシンプルな方法なのだが、本当に効果を実感している。

 

毎日やれば、復習が不完全であっても昨日のことなので結構覚えている。

 

かつ一晩挟んでいることで頭も適度に整理されている。

 

これ以上に効率を上げる方法があるのだろうか?

 

 

それを踏まえて、俺はタイ語を毎日勉強することにした。

 

毎日毎日オンラインの先生にタイ語を習い続けている。

 

もしも復習が不完全なら、同じページを2日続けて習う。

 

進まなくてもいいから、毎日毎日やることが大事なのだと気づいた。

 

 

化学の問題を解くのもそうなった。

 

「さあ、今日は解きまくるぞ。」

 

って以前は問題を解いていたが、最近は約1時間程度毎日問題を解くスタイルに変えた。

 

前の日に解き方がアートでなかったものは、次の日にもう一回解いている。

 

日本中のどの先生よりも美しい式が作れることを目標に解いている。

 

 

 

ああ、毎日の積み重ねというよりは、日々のフローの中で生きてるんだ。

 

そう考えるようになってから、なんか1問1問が大事になったし、日々の研鑽こそがすべてだと思える気がするようになった。

 

このケーキを切ったらこんな断面だったのか、ではなくパラパラ漫画のように1日1日があって、全体的にこんな形になったのね。という生き方だな。

 

今の俺の生き方は。

 

 

不思議。

こんなこと言っては申し訳ないのだが、俺、学生時代に勉強って別に楽しくなかったんだよな〜。

 

昔、俺がそのことを書くと、「そんなことを言うやつが先生やってるのってびっくりした。」とか書かれたことがある。

 

今も書かれるかもしれないけど、そういうやつには先に言っとこう。

 

 

「 黙れ!クソが。 他人の場所でぐちゃぐちゃ抜かしてくんなや。」

 

勉強が楽しいって思ってる人っているんだろうか?

 

っていうくらい俺は受験勉強は楽しくないと思う。

 

一方で、部活って楽しい側面があると思うんだよね。

 

だから、進路選びに部活と勉強を五分(ごぶ)の天秤にかけるようなことが起きるんじゃないだろうか。

 

これは塾の先生だから言うんじゃないよ。

 

社会の経験者だから言わせてもらう。

 

部活と勉強が五分の天秤なわけないぜ?

 

部活で人生決めるのってプロになりたい人やすでに富豪、それ以外にあるか?

 

部活を勉強以上に一生懸命にやって優先順位をあげた未来に何があるのだろう?

 

ああ、スポーツ推薦?

 

それなら意味があると思うけどね。

 

 

ま、何が言いたいかって言うと勉強のウエイトって重いってことだ。

 

そもそも勉強頑張ってると、進学した先で同じくらい頑張ったやつと一緒の学校になる。

 

自分ががんばったことを同じように経験してる友達ってよくないか。

 

何かを頑張ろうとしても「えー、がんばるのやめよう。」って足をひっぱってくるやつがいる。

 

一方で「おっ、いいねえ。俺もやろう。」っていうやつもいる。

 

これ、どっちがいい?

 

 

 

日常で社会とか数学とか使うんですか?

 

って思うかもしれないが、そういうのを勉強してきた頭で本を読んだり、ものを考えたりするからいいんでしょ?

 

もちろん、社会に出てから世の中のことを勉強するのもありだけど、社会に出てから大学に入り直した俺の立場からすると早くやっとく方が絶対に有利だと思う。

 

 

 

 

ちなみに俺は結構部活を頑張った方だが、根性は勉強からだって学べることがわかったから人生をやり直すんなら、部活なんかやらずに勉強だけやるね。

 

んで、社会に出てから運動始めるわ。

 

共通テストが難しすぎて涙がちょちょぎれる。

なぜ、こうも共通テストが難しくなってしまっただろうか?

 

俺の塾には賢い生徒しかいない。

 

なのに、共通テストになってから苦戦している。

 

センター試験の頃は「みんなで100点取ろうね。」って本気でみんなで100点を目指していたが、もはや幻だったのかと思うほどだ。

 

問題を難しくする方法は簡単だ。

 

次元を増やせばいいだけの話だ。

 

サザエさんで説明しようか。

 

普通の問題

 

サザエさんの子供は誰でしょうか?

→タラちゃん

次元を増やしてみる。

 

サザエさんの子供の姉ちゃんは誰でしょうか?

→ワカメちゃん

さらに増やす

 

サザエさんの子供の姉ちゃんが通ってる小学校はどこでしょうか?

→かもめ第3小学校

 

タラちゃんがわからないとワカメちゃんはわからないし、ワカメちゃんがわからないとかもめ第3小学校が出ない。

 

 

 

 

同じような感じで化学だってどんどん難しくしていける。

 

①銅を希硝酸に加えると何が発生するか?

→NO

 

②銅を希硝酸に加えて発生した気体をさらに酸化させると何になるか?

→NO2

 

③銅を希硝酸に加えて発生した気体をさらに酸化させると何色の気体になるか?

→赤褐色

 

④銅を希硝酸に加えて発生した気体をさらに酸化させた気体と同じ色の沈澱は.......

 

これって、どうなんすか?

 

 

俺は正しい問題の集まりってのは、難しい問題と簡単な問題がバランス良く入ってて、実力に応じて正規分布になってることだと思うんだよ。

 

勉強が苦手な子は簡単な問題なら確実にできるけど、難しい問題は間違えてしまう。

 

これが正しいと思う。

 

難問になりすぎると、勉強が得意な子も苦手な子も運に左右されてしまう。

 

 

 

 

例えば、

 

問)サザエさんの家の住所はどこでしょう?

 

①恵比寿町 ②桜新町 ③魚坂町 ④敷丘町

 

こういうの出したらどうなると思う?

 

正解する人は4分の1でいると思うが、これって実力を反映しているといえるか?

 

こういうのがあると運でできる子とできない子が出てくるために、苦手な子と得意な子がシャッフルされてしまう。

 

もうちょっと簡単にした方がいい。

 

思考をつけさせたいのはわからないでもないが、問題が難しすぎるのだ。

 

こうも問題が難しくなると、演習が重要になってきて教科書をしっかり読み込むことの意味が下がってはこないだろうか?

 

 

 

俺みたいに化学だけで生きてきた人間は、少々難化したくらいで出来なくなる問題はないが、めちゃめちゃ忙しい受験生にここまでの内容を求めるのはなんかずれてると思う。

 

賢い生徒はいい点がとれる。

 

勉強が足りてない子は点が下がってしまう。

 

 

そういうテストに戻して欲しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、最後の問題は②が正解だ。

マラソンに出たいと思う今日のこの頃。

人生を逆算で考えるようになった今、65歳の時に何ができるようになっておきたいか?

 

と、考えたらマラソンでもやってみようかなと思うようになった。

 

だからと言って、そこらへんのマラソンで記録を狙って走りたいわけではない。

 

俺は俺の走り方で走ってみたいのだ。

 

 

コロナになる前まで俺は日本でダイビングをしたことがなかった。

 

いつも英語で説明を受けて、英語で潜っていたから日本の潜り方を知らなかった。

 

セブ島ピピ島ボルネオ島、チャム島、グレートバリアリーフパラオ....

 

 

ラフティングも大好きだが、日本でやったことがない。

 

オーストラリア、フィリピン、マレーシア、タイ....

 

日本のラフティングのルールを知らない。

 

 

同じように世界のマラソンに出たい。せっかくなら。

 

ただ、大気汚染がすごいところでは走りたくない。

 

海外の大気汚染は本当に恐ろしいから。

 

走り終わったら真っ黒になるだろう。

 

 

もしも人生で一回だけ走るとしたらどこのマラソンがいいか?

 

 

 

 

 

 

 

 

イスタンブールラソンだな。

 

アジアからスタートしてヨーロッパでゴールする世界唯一のマラソン

 

しかもコースがボスポラス海峡なんてゴージャスすぎるだろう。

 

まあ、自分の気持ちがそこまで続くかどうかわからないが、バケツリストに入れとくか。

 

そのためにはまず減量だ。

 

とりあえずあと4kg減ったら走り始めることにしよう。

 

俺の体重は20歳の頃から地球温暖化のグラフの如く増え続けてるから、ここらへんで止めとこう。

 

 

俺は元々はランナーだったわけだから、ジョブズの点と線のように、今こそ点を無理やり繋がなければいけない。

 

 

イスタンブールラソンでマラソンデビューができたら、次はジャマイカレゲエマラソンだな。

 

ボブマーリーとか聞いて、レゲエの感性を高めておこうと思う。

 

 

 

 

何にしてもいい人生だ。

 

自分が思うように自分を連れていける生き方をしていきたい。

 

 

 

スリランカ旅行記

久しぶりに旅行ネタでも書くか。

 

1ヶ月くらい前にスリランカに行ってきたのだが、マジでびっくりだった。

 

ま、ちょっと1000文字程度でまとめてみよう。

 

 

最近、普通っぽい旅行に飽きてたからTUKTUKかバイクで回ろうと思った。

 

俺がTUKTUKを持っていなかったらTUKTUKを選んだと思うのだが、TUKTUKは意外に疲れるし遅いということで、バイクを借りた。

 

ちなみにスリランカTUKTUKと呼ばれてるのはいわゆるオートリキシャね。

 

 

これがタイのTUKTUKだから ↓

 

 

ずっとバイクを運転し続けるわけだから、初日はまず免許を取りに行った。

 

スリランカは免許がちょっと面倒で、国際免許に加えてスリランカ免許も必要だ。

 

書類を書いてお金を払ったらもらえるので手続き自体は難しくはない。。

 

 

次の日から、バイクでスリランカを軽く一周するようなイメージで出発した。

 

初日はシギリヤまで160kmを走破した。

 

160kmという距離は無茶ではないのだが、全員が暴走族のような運転をする国なのでかなり危険だった。

 

マニラとかホーチミンとかデリーで運転するくらいやばかった。

 

その上、日本では見たこともない真っ黒な排気ガスが出まくってる。

 

大気汚染もいいところだ。

 

劣悪な環境だったがなんとかシギリヤに到着した。

 

ホテルがすごかった(岩見荘っていうところ)。

 

これだよ。

 

ジャングルの中だからね。

 

洗濯物を干そうかと外に出たらバンビに会ったし、夜は蛍がすごかった。

 

なんといっても一番驚いたのは食堂からの眺望だ。

 

 

ピドゥランガラロックとシギリヤロックが同時に見れるからね。

 

ピドゥランガラロックに上がるのはめっちゃ大変だった。

 

 

こんな感じで登っていく。

 

ちなみにピドゥランガラロックから見たシギリヤロック。

 

シギリヤロックと同じくらいの高さだった。

 

で、シギリヤロック。

 

すごくない?

 

 

こういう感じの超怖い階段を上がっていく。

 

ジャングルの真ん中にある王様の庭園シギリヤロック。

 

もしもスリランカが近かったら何回でも行きたいところだと思った。

 

それから有名なヘリタンスカンダラマに泊まって....

 

 

サファリ行ったり、

 

 

 

他にも色々行ったんだけど、そろそろ1000文字が迫ってくるので終わろうと思う。

 

 

 

今から流行りそうなスリランカ

 

なかなかよかったぞ。

 

余裕があるやつは行ってみてくれ。

 

 

 

 

 

 

ちなみに俺が次に行こうと思ってる所はバンゾックの滝だ。

 

もう普通の旅は飽きたので、ここもバイクで攻めようと思ってる。

思うことだけなら誰でもできるけど、そんなものはクソにもならない。

♪  親孝行って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
親孝行なのかもしれない ♪

 

俺はこのクソ歌詞が大嫌いだ。

 

考えるだけで親孝行?????

 

は、何様?。

 

いい本を読んだら感動する。

 

でも、何もしなかったら意味ないと思わないか?

 

だって、人間は忘れる生き物なんだから必ずいつか忘れてしまう。

 

なんらかの形を残さなければ、それは無駄じゃないか?

 

 

例えば、去年世界一周をした。

 

行ってる最中はいろいろなものを見たり聞いたりした。

 

せめてメモでもしとかないと記憶が風化していくはず。

 

そのメモに従って俺はいくつかのことをスタートした。

 

まずひとつ。

 

健康(特に持久力)が大事なことに気づいた。

 

なので俺はクロストレーナーを買って、毎日持久力をつけることにした。

 

↑ こういうのね。

 

帰国してから1年間、日本にいる時はほぼ毎日運動している。

 

 

そしてアニメ。

 

アニメなんか全く興味がなかったが、海外でよくアニメの話になることが多い。

 

最低限、有名なアニメくらいは知っておいた方がいいだろう。

 

ということで1日30分だが、アニメを見ることにした(そんなに面白いとは思わないが)。

 

SPY×FAMILY、HUNTER×HUNTER進撃の巨人、ワンピース。

 

ここまで頑張って見た。

 

 

英会話。

 

それまでも英会話はしていたのだが、最近は自分のなかでテーマを決めて英会話をしている。

 

 

世界一周に行ったことで、変えた生活スタイルは他にもあるが、とにかく世界一周を無駄にしてはいけない。

 

今だって同じ。

 

自分の延長線を明確にするためにブログを書いている。

 

行動して形に残さなれけば、何の意味もない。

 

「勉強しようと思ったけど.....」「頑張ればできたんだけど...」

 

全部クソ。

 

 

世の中、いろいろなことで競争しながら生きているわけであるから、なんらかの成果を残さないといけないと俺は思ってる。

 

それが他人から選ばれることに繋がるし、自分を上げてくれる原動力になるはずだ。

 

 

さてと、今日から新しいみんちゃれのグループに入ったので、そこでしばらく頑張っていこう。

筋がいいのか悪いのか?

20年以上、自営業しているが、すべてがうまくいったわけではない。

 

何回も失敗してきた。

 

失敗してはいないけど、あんまりいい感じじゃなかったってのも多かった。

 

逆にうまくいったものもある。

 

最初の参考書はバカ売れしたし、ブログもあっというまにすごいアクセス数になった。

 

立ち上げたばかりの塾に生徒もどんどん集まってくれたし、卒塾旅行とかは初めからうまくいったと思う。

 

うまくいったことを思い出してみるとある共通点があることがわかる。

 

それはスピードだ。

 

うまくいくやつは、あっという間にいい感じになる。

 

言い換えると、時間がかかるものは「うまくいかない可能性が高い。」ということだ。

 

昔、YouTubeでふざけて「東大の問題を解いてみた。」というのを投稿したことがある。

 

なんの気になしに、ただ解いてみただけの動画だったが、あっという間に他のどの動画よりも再生回数が多くなった。

 

当時はまだ収益化という概念もあまりメジャーではなかったが、すぐにYouTubeから収益化しませんか?というメッセージが来た。

 

つまりだ。

 

東大の問題を解いてみただけという、俺からしたらつまらない動画は他の人から見たらつまらない動画じゃなかったということだ。

 

その時俺は、No Thank you.と断ったが、もしもあのときに有名大学の問題の解いてみたシリーズを続けまくっていたら、わりとメジャーなYouTuberになっていたかもしれない。

 

 

Twitter見てると、収益化を夢見てみんなが同じ定型文で雨後の筍のようにツイートを貪り書いているが、実際あれって筋が悪いと俺は思っている。

 

収益化して、それで食っていけるパワーがあるくらいなら、すぐに頭角を現してあっというまに有名になれると思う。

 

 

つまりはだ。

 

筋が悪い仕事に時間を取られないようにするためには、損切りを早くする必要がある。

 

微調整や最適化しないといけないような仕事は、もともとの筋が良くないはずだ。

 

結局、テストマーケティングのような気持ちで、いろいろな仕事を産んでみて、よさそうなのを早く見つけることが成功する秘訣なんじゃないかと考えている。

 

最適化や微調整は選ばれて仕事に関してやるべきだと思う。

 

まあ、そういうわけだ。

 

 

というわけで65歳の俺に向かって、次の仕事発掘スクリーニングをどんどんしていきたいと考えている。

 

今日からしばらく日記を書こうかなっと。

「日記ブログは儲からないので無駄です。」

 

「日記スタイルを書く前に、どうやったら人に見てもらえるかということを考えるようにしましょう。」

 

いろいろなところに書いてある。

 

金のためにブログを書くのか....

 

くっだらね〜。

 

じゃあ、俺はのはブログって呼ばずに日記って呼んでもらったのでいいわ。

 

YouTubeTwitter、一生懸命にコツコツとフォロワーを集めている人がいるが、そのために使った時間はどれくらいなんだろう?

 

それによって得たお金はいくらなんだろう。

 

だったら、コンビニでバイトした方が早かったんじゃないかと思ってしまう。

 

結局、頭のいい人や強い人に洗脳されてるから、思考停止のまま追随してしまう。

 

どうなの?これ。

 

SNSの進歩に合わせて世界中の人が馬鹿になっていってるんじゃないか?

 

 

そんな中、なぜ俺がまたブログを書こうとしているのか。

 

......延長線を明確にするためである。

 

 

よく、生徒に言ってること言葉がある。

 

「今の延長線上にしか未来はない。」ということである。

 

 

俺は今、みかみ塾グループの責任者で、かつ自分で化学を教えてる先生だ。

 

自分の欲しいものはおそらく全て持っている。

 

どうしてこんなに幸せなのか?

 

それは頑張った日があるからだと思っている。

 

今の目標をイメージしながら、そこに向かって努力してきたからだと思う。

 

その努力貯金で今現在を暮らしている。

 

だったら、10年後はどうなんだろうか?

 

現在の俺は努力貯金をしていると言えるのだろうか?

 

過去の努力の利子だけで生きているのではないだろうか?

 

例えば65歳になったときにどういう65歳になりたいのか?

 

そういうことを考えてると、今、もっと頑張っとかないといけないという結論に達した。

 

そのペースメーカーとして、しばらくブログを書くことにした。

 

だから、SEOとか流行りのワードとか色とかまとめ方とか....集客系のことは俺には一切関係ない。

 

そんなことに頭を作って、しょーもない小銭稼ぐくらいなら俺のど真ん中の仕事でお金を稼ぎたい。

 

と言っても、もはや欲しいものもないので、お金を稼ぐというよりはグループで幸せになりたい。

 

 

受験勉強に上手く行ってない奴がいたら、俺みたいに日記を書くといい。

 

勉強を始める前に日記を書いて、今日やることを宣言するといい。

 

俺はしばらく日記を書きながら、未来への延長線の角度を変えておこうと思っている。