人間の生活は明らかに豊かになってきている。
洗濯機、冷蔵庫、エアコン、車、スマホ、パソコン.....
なかった頃に比べたら格段に便利だろう。
だが、だからといって人間は幸せになったと言えるだろうか?
何度も書いてるんだけど、
「タイの貧しい村に住む貧乏人」 vs 「フィリピンの大都会マカティにいるホームレス」
このふたつは、幸せが100光年くらい離れてるよ。
貧しい村に住む人はみんな貧しいから、貧しいながら笑顔で助け合って暮らすことができる。
子供たちも石とかで遊んだりできる。
だけど、マカティはそうはいかない。
例えば、デパートにはホームレスは入れないからね。
普通の人が普通の服着て、デパートから出てくるところをホームレスは毎日眺めてるんだよ。
「この人たちみたいになりたい。」
「ああ、私は貧乏。」
って毎日毎日毎日毎日劣等感の中で生活している。
おもちゃだって、お金持ちの人が恵んでくれたものか、落ちてるものを拾うしかないよね。
これはたまらないはず。
これって、自分が生きていくのにも超重要なことだと思う。
Facebookやインスタで、みんながバッグやら美味しい料理を我先にと投稿する。
そういうのを見て、悲しくなったことって何回もあるよね?
だって、自分の幸せを公開する場だもんね。
写真系のSNSって。
だけど、俺は気づいてる。
きっとモノじゃないんだよ。
何かを買うときの気持ちって未来志向って言うか、例えば、ヴィトンの財布が欲しいとするじゃん。
で、ネットで調べてるとき楽しいよね?
買った瞬間、嬉しさがピークだよね。
使ってる時も誇らしい。
だけど、過去には遡らないよね。
ああ、あの買った瞬間は嬉しかったなあ、みたいな感じ。
そういうのないよね。
体験って過去志向だと思うんだよ。
例えば、旅行で説明しようか。
まあ、旅行に行く前も楽しいけどね。
実際に行ってるときは色々な経験ができて楽しいよね。
で、あとからも「あのとき面白かった。」とか「こんなことがあった。」って思い出すことがあるじゃん。
自分の人生を振り返るときって、いい体験が多いかどうかで幸せを判断してないか?
例えば、「中学生の頃は、いろいろなものをいっぱい買ってもらって幸せでした。」って話してるの聞いたことある?
でも逆に「中学生の頃は、いじめられて悲しかったです。」これ、何回も聞いたことない?
自分の中学生や高校生の頃を思い出してみて。
楽しかったのって、モノじゃなくない?
悲しかったのって、モノじゃなくない?
俺のインスタ見てる人わかると思うけど、俺のストーリー楽しそうでしょ?
ただの食事インスタなんだけど、俺の中で食事は美味しいものを食ったかどうかじゃなくて、楽しかったかどうかのエンタメなんだよ。
一食、一食楽しんでるのわかるでしょ?
豪華かどうかなんて食ったら終わりなんだよ。
食事だけじゃない。
俺のすべてがハッピー体験になるように、生きてるわけよ。
色々な国に行ったからわかった。
どうやった方が幸せかってことがね。
金なんかたくさん持ってても「すごいね。」って褒めてくれる人がいないとそこまでアドバンテージがない。
だけど、笑い合える仲間がいることは、それだけでハッピーだと思っている。
というわけで、これからもふざけて生きていくのがこの俺様。
どわーはっはっはっは。
あっ、真似していいからね。
お前も幸せになれよ。