学校の先生やら塾の先生って、まあ学生時代そこそこ成績が良かった人がなってるんだよね。
だったらわかると思うんだけど、
「これだけやったからこの成績が取れた。」
ではなく
「この成績をとるためにこれだけやった。」
って流れだったのではないだろうか。
「教科書とワークとノートをやったらできるはず。」って思って一緒に勉強しても、結果が出たら「あれ?」ってことがあると思う。
それって心の作り忘れなのでは....
っていうか、もはやテスト結果なんて極限でもない限り、ほとんど自分の心で決まってるんじゃないかと思うわけだよ、俺はね。
「人間は自分の潜在能力の30%しか使うことができんが北斗神拳は残りの70%を使うことに極意がある」
例えば、俺。
俺なんか、30歳くらいからほとんど能力は変わっていないと思うのだが、塾を増やしたりできる時とできない時がある。
同じ俺なのにも関わらずだ。
能力の因子が強ければ、自然に能力に応じた結果になると思うのだが、そうはならないのである。
心はガソリンだと思う。
エンジンがどんなに大きくてもガソリンがなければ動かない。
逆にエンジンが小さくてもガソリンをガンガン注入すれば、突っ走っていくんだよ。
そして俺は最近、不思議と自分のガソリンの音が聞こえ始めた。
もはや欲しいものもなくなって、なんのためにがんばればいいのか見えなくなっていた。
ガソリンが枯渇だった。
だから、ずっと新しい目標を探し続けていた。
とはいえ、大きい目標は見つからないまま日々を彷徨ってた。
ところが何かのきっかけで
「やりたいと思うことは全部やる。」
そう決めてから、また力が湧いてくるようになった。
今は未来に向けて色々なことをやり始めている。
今までなら絶対にやっていなかったことも始めた。
きっと勉強も同じはずだ。
「がんばるしかない。」
「必ずあげてやる。」
そう思ったときに、眠ってる70%の北斗の力が覚醒するんじゃないかって思っている。
俺は勉強を教える仕事をやってはいるが、その勉強に芯がはいるようなそんな授業をやりたいってまた思った。
いい予感がするね。
これは。