みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

They are play tennis.

俺の頃はまだ今ほど、塾がメジャーじゃなかったけど塾に行ってやつはいっぱいいた。

 

塾の存在を、俺らの親世代はどうやって知ったのだろうか?

 

俺の中学の近所にも塾があって、結構な同級生が勉強していたが、俺はそれを学校の居残りか、勉強をやりたい人がやってる学校の補習なんだろうと思っていた。

 

全く何とも思っていなかったし、それが塾なのだとは全く気付かなかった。

 

 

だけど、勉強に関して驚いたことがひとつあって、それを書いてみようと思う。

 

中学に入ったばかりの英語の授業の話だ。

 

先生が単語を読み上げて、生徒がそれを後から読む。

 

だけど、フライングして先生より先に読むやつが何人かいた。

 

おかしくないか?

 

どうしてわかるのだろうか?

 

そしてpianoという単語にさしかかったときだ。

 

記憶が曖昧なのだが、先生が俺に当てた。

 

pianoはローマ字で読めるので、英語っぽい雰囲気でピアノと読んだ。

 

すると、クラスの何人かがピアノじゃなくて、ピノだろう。

 

という。

 

piano と書いてあるだけで、どうして「ア」にアクセントがくるのか?

 

「ア」にアクセントをつけるだけで、なんだかすごく英語っぽい気がするのはどうしてだろうか?

 

そしてそれを当たり前だとしている空気はなんなのか?

 

不思議で仕方なかった。

 

最初から英語ができるやつがいたってことを自然に認めていた。

 

それでも俺は自分でそこそこ理解しているつもりだった。

 

This is Japan.

 

be動詞は「です。」と訳します。

 

ふむふむ。

 

They are my friends.

彼らは私の友達です。

 

ふむふむ。

 

一般動詞が出てきた。

 

I play tennis.

 

ふむふむ。

 

 

そのときのテストに「彼らはテニスをする。」という文章が出てきた。

 

They のあとについているのはare しか見たことない。

 

しかもテニスをするだから、 play tennis をその後に書いた。

 

 

そして、テストが返ってきた。

 

俺の、They are play tennis. にバツがついている。

 

俺は職員室に行った。

 

「They のあとは必ずare じゃないんですか?」

 

「必ずare とは限らない。」

 

「え!」

 

びっくりした。

 

教科書で唯一出てきた、They の文章にはare がついていたからだ。

 

きっと授業で、be動詞と一般動詞の違いの説明があったと思うのだが、俺はそれを理解していなかった。

 

そして、そのときにbe動詞と一般動詞が並ぶことはないことがわかった。

 

 

一度の説明でわかる生徒もいればわからない生徒もいる。

 

また、誰かの授業で突然やる気が出る生徒もいる。

 

 

俺は今、生徒と一緒に勉強をしているが、俺がした説明で「俺オリジナルの表現」も存在すると思う。

 

それはと学校の先生の説明は違うはずだ。

 

すると、学校で一回しか習わない生徒と、俺と学校の説明を2回聞いている生徒が同じ理解度であるはずがないと思う。

 

何が言いたいか?

 

 

子供にいろいろな習い事をさせるのはいいと思うけど、勉強はコスパの面で言えばすごく効率がいいと思う。

 

塾に行くだけで、学校の説明と塾の説明を2回聞けるわけだから、勉強が理解しやすくなるにちがいない。

 

 

 

 

えー、結論を言います。

 

つまり、子供を塾に行かせましょう。

 

 

できれば実績、経験の豊富なみかみ塾にぜひ。