2年くらい前に流行ったと思う。
物質を原子のレベルまで拡大していくと、境目がわからなくなるという考え方。
例えば、人間をどんどん拡大していくと細胞があって、その細胞は分子からなっている。
一方、肌と服の間には気体が存在しているので、やはり分子だ。
服も分子。
分子は原子からできているから、すべてのものは原子からできているということになる。
つまり世界は原子からできている。
原子でできているイスにすわり、原子でできている服を着た原子の人間が原子の酸素を吸っている。
離れていたと思うものが、原子というもので全部繋がっている。
要するに原子の目で見ると、あったはずだった境目はなくなっている。
またエネルギーという考え方がある。
高さ、スピード、電力、温度、こういうものは全部エネルギーであり、計算式により変換ができる。
高さを温度に変えることができるし、電力をスピードに変えることができる。
例えば、一般的に○○力と呼ばれるものも、力なのであるからエネルギーの一種ではないかと思えてくる。
継続力、気力、集中力、忍耐力、行動力、適応力、努力、実行力、統率力、理解力、洞察力......
これらってすべて、熱力に比例しているのでは?
熱量さえあればものごとは続くだろうし、熱量があれば集中できる。
熱のある人に人間は集まってきて、その熱に引っ張られ、魅了される。
つまり、何かをやろうとして必要な力は、熱量から変換することができるものなのではないだろうか?
ことを為す前にしっかりと熱量をためた方が上手く行きやすいはず。
熱量は運にだって変換できる。
運は人が運んでくることが多いと思うが、やはり熱のある人に運が運ばれると思う。
というわけで、熱く生きるのだ。
熱く生きなかったから、損をしてしまう。
熱い方が色々な力に変換できるのだから、熱くならなければいけない。
そして、熱量は使ったらなくなるものではない。
むしろ使えば使うほど、大きい熱量が扱えるようになると思う。
まずは俺が熱くなる。
熱くなってどんどん若返る。
年齢不良になるんだ。