わからないことはなんでもインターネット上に載っている。
昔は、「百科事典や辞書を引きなさい。」と言われたことが、「ググりなさい。」で片付く時代になってしまった。
ググればすぐに答えが見つかる分、わからない問題を思考するという行為は退化していってるのではなかろうと思ったりする。
するとつまり、情報が少ないときの方が、つまり昔の方がより内省したり思案したりということが多かったのかもしれない。
ギリシャの哲学者アリストテレスは、中庸について「両極端に転ばない状態。」だと定義している(ざっくり言うと)。
さて、年齢を重ねるごとに俺にも中庸の意味がわかって来た。
つまりは、論語の「過ぎたるはなお及ばざるが如し」なのである。
俺は子供の頃、戦争後も潜伏兵だった小野田廣郎さんのテレビを見たことがある。
「腹5分目が重要だ。」と言っていた。
「川に住んでいる魚を取りすぎない。見つけた果物を食べ過ぎない。そうすることで、明日、明後日とまた食べ物が見つかるようになる。」
子供時代にはそれがよくわからなかった。
魚をたくさん見つけたら、「おっ、大漁だ。」とか思いながらお腹いっぱい食べればいいのに、と思っていた。
でも、そういうわけではないと思うようになった。
若い人や若い頃は中庸など考えず、突っ走れるだけ突っ走ればいいと思うのだ。
俺だってベンツとかBMWとか何台も買ってきたし、欲しいものはほぼ全て買った。
そういう経験があったからこそ今、いろいろなことに気づけている気がする。
だけど歳をとるほどに、中庸が大切なのだと思うようになってきた。
俺は明日から入院するのだが、退院したら軽い運動をしようと思っている。
昔みたいにがむしゃらにやる必要はどこにもない。
適度にやる方がきっと体に優しいはずだ。
ものすごく楽しいこともそんなに起こらなくていいから、少し楽しいことがそこそこあればいい。
楽しことや物欲は無限で、上に行けばいくほどそれを得るためのエネルギーが必要になってくる。
もしも仮に自分の力が大きいのであれば、自分の中庸に使う以上のエネルギーは、他人を幸せすることに使った方がきっと幸せだ。
年齢によって自分の考え方まで変わってくるわけだから、人生ってすごいなあ。