例えば俺が会社にいた頃に思っていたことだ。
新入社員の給料は同じはずなのに、どうして貯められる人と貯められな人がいるのだろうか?
そして不思議と貯められない人の方がモノを持っていなかったりする。
俺はもちろん貯められない側の人間だ。
あれば全部使ってしまう。
これはドクター苫米地が多くの本の中で、コンフォートゾーンという言葉を用いて解説しているので省略。
つまり、お金を持っていない状態を正しいと認識する俺のコンフォートゾーンのおかげで、持っていると全部使ってしまう。
だから、経済観念は運動神経と同じように持って生まれた能力だと考えている。
ただ、である。
だからと言って、お金を使い続ければお金が必要なときになくなってしまう。
これを学問的に克服する方法はないだろうかと悩み続けて20年くらい経ったように思う。
今ではものすごく改善されたと思うのだ。
俺の周りにいる人は気づいていると思うが、俺は昔のようなお金の使い方ではなくなった。
一つは他人に学んだこと。
経済観念のある人の行動を見て、なぜそうするのか、どうしてそう思ったのかを考えて理解できるよう努力する。
そして自分にもその考え方を入れるように心がける。
もう一つは歳をとったこと。
歳をとったことで物欲がなくなってしまった。
おばあちゃんがよく言ってた。
「歳をとると欲しいものがなくなってくる。」って。
あれは本当だったんだなあ。
高校生と一緒に韓国とかに行くとよくわかる。
高校生や大学生は欲しいものだらけなんだということが。
俺も昔は欲しいものが多かった気がする。
昔の俺に出会ったら、ぜひとも色々なものを買ってやりたいと思う。
そして更にあと一つ加わったのが、ホリエモンの考え方だ。
お金で買えるものに大した価値はないという考え方だ。
なるほどなと思う。
みんなが欲しいルイヴィトンの財布は10万円出せば買える。
誰でも買える。
誰でも買えるものに、そこまでの価値はない。
確かに。
10万円出せば誰でも持つことが出来る。
だったら思い出が詰まっていたり、自己満足のものの方がその人にとって価値がある。
俺の夏服は全て同じで2000円くらいだが、俺はそれを買うために毎年タイのチェンライまで行っている。
俺はクロックスをいつも履いている。
もう履き心地が頂点に達している靴だと思っている。
時計は1000円くらいだけど、困ったことは何もない。
さらに俺は、誰でも買えないものをたくさん持っている。
例えば、いつも声をかけてくれる仲間だとか、笑顔で話しかけてくださる親御さん。
そして毎日会える元気な子供なたち。
ツアーで行かないような場所に旅行して、なるべく現地のものを食ってみる。
ほとんど毎日誰かと飲んでいて、いつもみんなが連絡をくれる。
本当にありがたいことだ。
こういうことに気づけたことで、経済観念が改善されるようになってきた。
昔のように、とにかくお金を使いたいという気持ちは本当に少なくなった。
にも関わらず、昔よりも今の方がさらに幸せになったと思っている。
これからももっと成長していきたいと考えている。
経済観念がぶっ壊れている若い人がいたら、いつも気をつけること、改善することを考えて欲しい。
きっと治ってくるはずだから。
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