みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

育児。

小さい子供にとって母親は、唯一無二の絶対の聖母で神だと思う。

 

俺も母親が大好きだった。

 

きっと宇宙の誰よりも大好きだったと思う。

 

母の声や、匂い、足の裏や切った爪、使い古された歯ブラシさえも、大事なママだったと思う。

 

でも、10歳の時に俺の前から突然ママがいなくなった。

 

普通ならば、うまい具合にママが母さんになり、やがてクソババアになって、いつの日か自立していけるのだが、ママはママのままで終わってしまってクソババアがいなかった。

 

 

だから俺は子供ができるのが楽しみだった。

 

子供が生まれる前からたくさんの育児書を読み、誰の思想でどういう風に育てるかということを慎重に吟味した。

 

そして俺は、当時の育児書の中で一番愛に溢れていると思っていた雨森先生の本を信じることにした。

 

泣いたらすぐに抱っこしてあげましょう。

 

まだわからなくてもどんどん話しかけてあげましょう。

 

いっぱいスキンシップをとってあげましょう。

 

子供が夜泣いて困った時もいっぱいあったが、それよりも家族の形が完成したことの1000000倍も嬉しく一生懸命に抱っこした。

 

いっぱい本を読んで、いっぱい一緒に歌を歌って、いっぱい遊んだ。

 

 

もしも俺がただのサラリーマンだったら、こんなにも大変だけど素敵な日々を送ることが許されなかっただろう。

 

当時、俺はサラリーマンではあったが、ただのサラリーマンではなく大学院生だった。

 

夏休みの前に子供を作り、子供が生まれた時には産婦人科に一緒に寝泊りし、全ての育児教室に参加した。

 

子供のおむつ、爪切り、ご飯など、俺がいる時に俺ができることは100%やり切った。

 

夜泣きで起きた時の対応などは絶対に俺の仕事だと思っていた。

 

本来、子供は二人で育てるものだと雨森先生は言っていた。

 

だから俺は、赤ちゃんを産んでくれただけでもママの仕事は80%終了していると考えていた。

 

あとは俺に任せとけ。

 

大学と家が近かったので、長めの待ち実験の時には必ず家に帰るようにした。

 

そうして、ものすごく手をかけて子供が少しずつ大きくなっていく。

 

辛かったり、大変だったことは全ていい思い出として保存されていく。

 

 

 

俺らの仕事では、親御さんと話す機会がよくある。

 

男では耐えられないほど痛い思いをしてまで生まれてくれた唯一無二の赤ちゃんが、いつか自己主張するようになる。

 

でも、ママからすると、子供ってのは生まれた時から今までが全部繋がっていて、今の瞬間だけが子供ではないのではないかといつも思っている。

 

子供の後ろにはいつも、赤ちゃんから今ままでの日々がつながっていると思っている。

 

そして俺らの塾に来てくれたという事実も、いつか子供の背景の中に組み込まれていくだろう。

 

だから俺は思うのだ。

 

雨森先生の育児書のような塾を作りたいと。

 

 

一人一人、絶対に一回は授業中に声をかけてあげて、みんなの変化にできるだけ気づいてあげられるような塾を作りたいと。

 

怒るときだって、ちゃんと怒ってあげれば子供は逆恨みしたりなんかしないと思っている。

 

 

放っておいても子供はきっと大きくなっていくだろう。

 

だけど、どういう言葉をかけてあげられるかは、子供の思考を育む意味で重要だと思っている。

 

もちろん俺らも、言葉の選択には注意を払っている。

 

塾の本業は点を売ることだと思ってはいるが、少しだけ育児に参加させてもらっているとも思っている。

 

 

 

こんな素敵な毎日を送れることに感謝しかない。

 

 

 

 

 

海外ボランティアに関して 1。

俺は海外ボランティアを10年以上している。

 

今までいろいろなところに寄付したり、支援したりしてきた。

 

もちろん、今も継続している。

 

たまたま先進国に生まれた俺らが偉いということはない。

 

だからこそ、助けあえることは助け合いたいと思っている。

 

 

mikamijuku.jugem.jp

 

ボランティアについて書いた記事は例えば、これ。

キンドルキンドラーキンドレスト。

 

俺は本が好きなのだが、デメリットもある。


それは本がたまるってことだ。

 

捨てても捨ててもどんどん本がたまってしまうので、とうとうキンドルを手に入れた。

 

キンドルなら買いたいと思ったらすぐに買えるし、何冊買ってもかさばらない。

 

おお、これはすごすぎるじゃないか。

 

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何がすごすぎるかって、その軽さだ。

 

おもちゃみたいだ。

 

この中に無限の文字を収めることができるなんて...

 

昭和のおっさんは驚愕だ。

 

 

実際、世の中は便利になっている。

 

買い物だって、アマゾンのサイトに行ってポチってやれば、数日後に家に届く。

 

山口県に住んで、ちょっといいものを買おうと思えば、福岡県か広島県に出ないといけなかった。

 

でも、今は座ったままで買い物ができる。

 

これってすごいことじゃないか。

 

化学の問題だってそうだ。

 

俺がものすごい量の問題を何年もかけてネットの中に格納したのに、iPadキンドルでスクショしながら格納していけば一瞬で終わってしまうではないか。

 

なんてことだ。

 

ガジェットを使わなくてももちろん生きていけるのだが、ガジェットを使った方が遥かに便利なことが多い。

 

自分に合うガジェットと合わないガジェットがあるので、こればかりは自分で一度使ってみるしかない。

 

何度も書いているが、俺はコンピューターの進化に乗っかりたいと思っている。

 

コロナが来て、すぐにオンライン授業に切り替えられたのは、俺らがコロナの半年以上前からzoomを使っていたからだ。

 

俺の予想だが、オンライン化に乗り遅れた塾は少なからずコロナのダメージを受けたと思う。

 

俺らは、何度かオンライン授業のシミュレーションをして、「学校が休校になったと同時にオンライン授業に移行します。」と宣言していた。

 

実際に学校が休校になったその日から、完全オンラインに授業を変えた。

 

すでに、回線テストや授業練習を終えていたので、なんのトラブルもなくオンライン授業を始めることができた。

 

実は、iPadキンドルはすでに使っていた。

 

本当のキンドルタブレットを持っていなかっただけだ。

 

これを塾の先生が使うことによってどんなに便利なことがあるのかまだわからないが、早く慣れていこうと思っている。

 

 

ところで、俺は色にこだわってる男だ。

 

iPhoneiPadは女の子が持つような色を使うのが好きだ。

 

俺の部屋にはタンスや棚を置いていない。

 

全てがカラーボックスだ。

 

でも、カラーボックスだけで14個もある。

 

全部同じ、白いカラーボックスだ。

 

壁の色に合わせてある。

 

今回のキンドルもかわいいピンクにしてみた。

 

ああ、モチベーションが上がる。

 

 

人の目なんか関係ない。

 

自分が好きなことを貫けばよい。

 

 

今からはピンクのキンドルの中に俺の本棚を構築していこうと思っている。

俺にとって理想的な地図。

いろいろ考えて最近、俺は自分の人生の地図を書き換えた。

 

人生の地図である。

 

 

俺は昔、すごく貧乏な家で育ったので、普通になることが俺の理想だった。

 

子供の頃の地図のゴールは、普通の生活だった。

 

 

ところが会社に入ってから大学院卒の人の中に囲まれたとき、俺の地図は小さいことがよくわかった。

 

そもそも自分の地図が小さいのだという発想さえ、それまでに持っていなかった。

 

俺は初めて地図を書き換える作業を行った。

 

普通を目指すというしょぼい地図から、普通からスタートするというみんなが持つような地図である。

 

そして、俺は初めて自分の道を歩むようになった。

 

 

その後、会社をやめた時に、地図のフォーマットを変えた。

 

会社という枠の中で、既製の用紙に地図を書いていたからだ。

 

会社を辞めて、ルールがなくなったので、俺は紙そのものを変えないといけなかった。

 

会社製の地図用紙には、新しい俺の地図は書けなかったのである。

 

その時の俺の地図は、大冒険の地図だ。

 

人生のピークの地図かもしれない。

 

誰かと競争しながら、宝を探すトレジャーハントの地図である。

 

 

そして最近、俺は地図を書き換えた。

 

金銀や宝石は確かに分かりやすいのだが、俺にはそういうものはあまり必要なかったのだ。

 

確かにある程度の金銀宝石は手に入ったのだが、俺はそれが本当に欲しいものかを問うようになったのである。

 

 

あなたにとっていいものは、俺にとってもいいものだろうか?

 

みんなにとっての宝は俺にとっても宝なのか?

 

 

俺は金や銀、宝石よりも、海岸にうち上げられた貝殻だったり、透明なガラス片の方が好きであることに気づいたのだ。

 

みんなにはきっとわからないが、俺はもう完全に生き方を変えている。

 

死ぬときのことを想像して生きている。

 

誰の評価も必要ない。

 

必要なのは自分の自己評価だけ。

 

だから、自分が進みたいと思う方向に進むことが正しいことなのだ。

 

 

俺は、誰からも評価される必要のない俺の地図のゴール地点に向かって進み始めた。

 

 

立地の重要性(俺が30代の時に思っていたこと。)

ますどんな業態にでも当てはまると思うが、自分の店舗をどこにつくるか? である。

 

…これは重要だ。

 

色々本にあることが書かれている。

 

このことを、多くの人が言っている。

 

僕はその通りだと思っている。

 

何か?

 

「入れ替わりの激しい空店舗に、入ってはならない。」

 

である。

 

塾は、比較的立地の影響を受けにくい。

 

例えば、僕の高校化学を、普通からは見えにくいちょっと外れたところに作ったとする。

 

普通からは見えにくいので、偶然発見されることは皆無…だとする。

 

それでも、僕の化学くらいのパワーがあれば満席になるだろうと思う。

 

それは、合格発表の日のたった1日で満席になるくらいのパワーを、すでに有しているからである。

 

しかし、僕の塾が大通りに面していたら、さらにパワーを増すはずだ。

 

合格発表前に満席になるかもしれない。

 

で、ここからが重要だ。

 

草食動物を考えてみよう。

 

例えば、シカである。

 

シカは、あれだけ生えてる自然の草のうち、自分に害のないものしか食べない。

 

あれだけ、いろいろな草があるのに毒草は食べないのである。

 

変じゃない?

 

…シカの遺伝子には、すでに自分にとって安全な草だけを選択して食べるように、情報が組み込まれているのである。

 

そうでないシカが突然誕生しても、たぶん、そのシカは瞬時に絶滅するだろう。

 

それはすべての動物に生きるために入力されている遺伝情報なのである。

 


ここで話をもどしたい。

 

よく、入れ替わる店舗。

 

「このビルの店は、いつも店舗が入れ替わるね?」

 

「この通りの店には、お客さんが少ないね。」

 

こんなところに、自分の店舗を出してしまうと、ハンディーを背負ったも同然である。

 

なんらかの理由で、無意識のうちに人間が避けてるんだから。

 

ハンディー付きで戦うの好き?

 

戦争に行くのに、水鉄砲持っていく?

 


じゃあ、どこに作るか?

 

簡単である。

 

激戦地である。

 

塾なら、塾がかたっまているところ。

 

パチンコ屋ならパチンコ屋がかたまってるところ。

 

そこには、人の集まる理由があるのである。

 

激戦地は戦いが激しいが、どうせ戦争してるんだから、早く決着がついた方が疲労が少ない。

 

それに、失敗には早く気づいた方がいいのである。

 


しかし、これ以外にも有利な場所がある。

 

それは、まったく新しい場所に進出する(例えば、新しくできた団地)ことである。

 

と、圧倒的に有利な場所への進出(学校の正門前の塾)である。

 

この2つは、未知数であるが、成功する確率が高いように思う…

 

 

 

でも、もっともっと大切なことがある。

 

それは、自分の信念である。

 

僕なら、人の下には店を出さない。というポリシーである。

 

どんなに、いい物件でも僕の上に誰かが住むのはイヤだ。

 

こういうそれぞれの人がもつポリシーは、受動的遺伝情報に優先する能動的遺伝情報な気がする。

 

今から、店舗を作る皆さん。失敗のないいい所に作ってね。

 

じゃーねー。

 

 

 

〜〜〜〜昔はこんなことを思ってたんだなあ。

 

今の俺なら、塾の場合は、近隣の迷惑が少ないところに作った方がいいかなあ。

 

あとは学校の近くの方がやりやすいかなあ。

 

 

 

食い物は混合物。

俺は今年に入ってから自炊をするようになった。

 

それまでは包丁をガチで握ったことがなく、流しの引き出しには本を入れていたくらいだった。

 

その俺も時々料理をするようになって、すでに半年以上経過した。

 

俺の作品をお見せしよう。

 

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初めの頃は切って茹でることしかできなかった。

 

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そのうちに2種類以上のものを煮て食べるように進化した。

 

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そしてルクエを手に入れて、無水料理ができるようになってきた。

 

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そして肉も炒められるようになり、さらに食生活が充実してきた。

 

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加温しない料理にも挑めるようになった。

 

 

 

そして創作料理にハマるようなった。

 

これが今までの一番の自信作である。

 

「オクラのお祭り」と名付けたこの料理。

 

ミシュラン3星である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オクラを豆腐に差し込むことで、お祭り感を演出してみた。

 

 

 

ところで、俺はできるだけ少ない食材で料理をすることが多い。

 

できるだけ1種類。

 

多くても2種類にとどめたい。

 

「オクラのお祭り」を作ったときなど、オクラ、豆腐、刺身、そして刺身の中に入っていたシソと4種類も使ってしまった。

 

たまに、栄養が偏ると言われる時があるが、これには反論したい。

 

なぜなら野菜や肉はすでに混合物なのである。

 

色々な成分が混ざって、野菜や肉ができているので、そこまで偏ることはないはずなのだ。

 

 

これからも、一人の料理人として料理道を精進しながら究めていきたいと思っている。

 

そろそろ料理教室でも開こうかなあ。

ちょっと聞いてみるんだけど....

塾を独立したい人で、みかみ塾グループに入りたい人いる?

 

俺らのグループってスピード感を大事にしてるから、若いうちからでも自分の塾を持つことができる。

 

今までの最年少はかすみ先生の19歳。

 

大学生しながら、かすみ塾の社長だった。

 

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俺墨のとしや先生も、ありさ塾のありさ先生もまだ24歳。

 

年齢は関係ない。

 

俺がピラミッドを作らずに、グループ制にしているのは個性を大事にしたいからだ。

 

あとは資本主義らしく、力がある人はどんどんやっていったらいいし、小さくやりたい人は小さくすればいいと思ってるからだ。

 

まだ公開はしていないが、年内くらいにもう一つ塾ができる予定。

 

時給で働くよりも、自分の名前出して命かけて塾やればいいと思うのだよ。

 

自分の名前出して自分の責任でやった方が、生徒も喜ぶだろうし、自分の好きにやれるから力が発揮できると思うのだよ。

 

俺はね。

 

もしも興味がある人がいたら、メールください。

 

ただし面接をやって、向いてないと思う人、俺らのカラーじゃないかなと思う人はお断りさせていただきます。

 

20歳未満の人は、お父さんとお母さんの承諾を得てからメールください。

 

既婚者の方は配偶者さんの許可を持ってください。

 

60歳以上の方はこれまでの経歴を詳しくお知らせください。

 

外国人の方は英語か日本語を完璧に話せることが条件です。

 

積極的に募集しているわけではありません。

 

ちょっと聞いてみているだけです。

 

 

でも、挑戦したいなと思う人は教えてください。

 

スリルを快楽に変える男。

海外に行くのに、スリルがあるところの方が戻ってきてから面白い。

 

ちょっと危ないようなところになぜか行ってみたくなる。

 

ガイドブックに書いてあるところに行って、ガイドブックに書いてあることを確認するのは、ゲームの攻略方法をみながら、最短で進んでいくようなものだ。

 

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず。」

 

という言葉がある。

 

何かを手に入れたかったから、危険を冒したり無理をしないといけないよという意味だ。

 

これの対義語もある。

 

「石橋を叩いて渡る。」「君子、危うきに近寄らず。」だ。

 

おいおい、どっちにすればいいの?ってことになる。

 

 

それは 「GO TO  虎穴」 なのである。

 

ただ生きてるだけだと、あまり意味がない。

 

つまらないでしょ?

 

スリルがいるわけ、スリルがね。

 

石橋なんかあっても、そもそも渡らない。

 

木の橋の方を選んで渡りたい。

 

 

例えば、大学受験しなくても生きていける。

 

でも、大学受験をしたから色々なギフトがくっついてきた。

 

昔の俺があのまま会社にいたら、もうすぐ定年になっちゃうわけよ。

 

わざわざ冒険したから、面白い人生になったと言える。

 

俺は俺の人生を誰からの干渉も受けず、創り出している。

 

最高じゃないか。

 

 

というわけで、何かちょっと頑張りたくなり始めてる今日この頃だ。

 

別に特に困ったことは起きてないから、このままでも問題なく生きていける。

 

だけど、スキルがなかったら口先だけのやつになる。

 

俺の周りにも結構いるのだが、実力がないのに要領だけで上がっていこうとするやつ。

 

そいつの人生だからいいんだけど、そういうやつってなぜか共通してて、できるだけ難しい言葉を使いたがったりとか、俺は賢いオーラを一生懸命に出してくる。

 

いらないんだよ。

 

そういうのは。

 

金を集めているやつは、そいつの財布を、

 

人を集めてるやつは、そいつの周りの人間を、

 

地位を集めてるやつは、そいつのポジションを見ればわかるじゃん。

 

 

というわけで、俺も頑張ろうかなと思い中。

 

刺激が減ってきたので、刺激を多くしたいと思っている。

 

まずは睡眠時間を人並みにする予定(寝過ぎているので)。

 

あと、今日からまた英会話再開予定。

 

ここ数年はDMMで英会話やってた。

 

今までの会話時間6900分。

 

1ヶ月続くかわからないけど、ちょっとだけ頑張ってみようかなっと。

 

 

 

 

出してもらう人生か? 出してあげる人生か?

俺が披露宴をあげるときに、みんなからお祝いをもらった。

 

当時の俺は金がなかったので、「ご祝儀でここの結婚式場代を払っていいか?」という交渉をしていた。

 

披露宴がすんだ俺は、すぐにご祝儀を数えて結婚式場に持って行った。

 

当時、大学1年生だった俺は、会社の人と親戚だけ呼んで披露宴をやることにしていたのだが、大学のクラスメートが式だけでもって、小さい車にぎゅーギューに乗り込んで来てくれた。

 

嬉しかったな。

 

結局、ご祝儀はいくらあったか覚えていないが、質素な披露宴にしたので、100%賄うことができた。

 

その時、俺は誓ったことがある。

 

俺が集めたこのご祝儀は、一生をかけてみんなに返そうと。

 

そして、俺も相当な回数の結婚式に出てきたので、その時もらったお金の合計金額はすでに返し終えたと思う。

 

きっとこれから先、まだまだ結婚式に呼ばれると思うので、もっともっと返せると思っている。

 

 

募金も同じだ。

 

俺が塾の先生を始めてから、ずっと募金やボランティアをしているのは、もらうよりもあげる方が幸せだと思っているからだ。

 

俺が貧しい国に生まれたとしたら、人の助けを借りないと生きてはいけないかもしれないが、俺はたまたまた豊かな国に生まれた。

 

たまたまのラッキーなので、わずかではあるがみんなにお裾分けのお返しをできたらと思っている。

 

 

 

拡散希望と書くときだけよくFacebookTwitterに書き込む人がいるが、他の人の拡散には応援することもなく、自分の拡散だけお願いするなんて貧しい人だなって思う。

 

拡散してもらった数よりも、拡散してあげた数が多い人間になりたいと思う。

 

クラファンも同じだ。

 

俺は今まではクラファンで応援する側だったのだが、ひなまなのときに初めて応援してもらう側になってしまった。

 

ひなまなのクラファンでは約200万円のお金が集まった。

 

俺はこれを必ず世の中に返していこうと思っている。

 

クラファンをやらずに、俺やひなまなのご両親がお金を出して、世界一周に行くことはきっとできたと思うのだが、それだとただの旅行になってしまう。

 

みんなから応援されたお金で行くことにこそ、高校生ができる世界一周だと思っていた。

 

 

俺も今までそこそこのクラファンの応援をさせてもらったが、一番新しく応援させてもらったのは「海外理系ホームレス女子大生、メキシコ湾まで3000キロ川下り」というプロジェクトだった。

 

無事、目標金額を達成してミシシッピを下れたようだ。

 

 

そして最近、また気になるプロジェクトを見つけた。

 

これだ。

 

camp-fire.jp

 

この子の何がいいかというと、自分の未来を確信していることだ。

 

うまくいくかどうかなんかわかるはずもないのに、自分の未来を信じている。

 

「こうなりたい」ではなく、「こうなる予定状態」の脳味噌がすでにできているところだ。

 

自分の中ではなれる未来が確定しているので、きっといろいろうまくいくんだと思う。

 

俺もささやかだけど、応援させてもらおうと思っている(顔見知りの子ではない)。

 

 

俺はこれからも感謝を返しながら生きていこうと思っている。

 

苦悩すること。

仕事をやっていて苦しいことがある。

 

俺も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もあった。

 

通常は、何かしらの方法で苦しみから脱出することができる。

 

仕事の苦しみから抜けた時は、神様がギフトくれるのが一般的だ。

 

俺も、大学院で教授とトラブったあとは、終了証書がもらえたし、会社でめっちゃ厳しい上司と2年間過ごしたあとは、その上司から信用されるというギフトをもらった。

 

開塾時の貧困の苦しみを脱したあとは、生徒というギフトをもらったし、何度かの裏切りを食らった後には、胆力が座ってくるようになった。

 

とにかく苦しい時期というのが存在する。

 

受験も苦悩の一つだろう。

 

 

苦しみを早く抜ける方法は、諦めて受け入れることだ。

 

自分はこうだ。とか、自分はできるとかそういうことを思ってると、ピンチを脱するのに時間がかかってしまう。

 

例えば受験勉強であれば、「もうやる以外に道はない。全てを差出そう。」と思うことだ。

 

ああ、ブログのモチベーションがあがらない。

 

この辺で今日はやめとくか。

ダイエットが終る日。

情報商材で稼いできた人がいる。

 

「こうやったら儲かりますよ。」とか

 

「こうやったら俺みたいにリッチになれる。」とかである。

 

そんなもの買ってもリッチになれない。

 

どうしてかというと、あなたのお金で情報商材の人がリッチになっているからだ。

 

情報商材の教祖が言う。

 

「俺のやる通りにやれば成功する。現に俺はそれで成功した。」

 

だからと言って、教祖と弟子が同じものを出しても弟子のものは売れない。

 

弟子はただのパクリだからだ。

 

情報商材ビジネスがずっと続いているのは、お金を欲しいと思っている人が大勢いるから。

 

でも、その人たちは逆にお金を使わされている。

 

 

ブランド品をひけらかす人がいる。

 

全然オッケー。

 

俺だっていくつかのブランドものを買ってひけらかしてきた。

 

でもね。

 

子供にまでその価値観を押し付けていると、子供が盲信的にブランドものを欲しがるだけになることはないだろうか。

 

高校生なのに、ヴィトンのカバン持って「次はサンローランが欲しいわ。」って言うと、なんだかおかしい気がする。

 

せっかくお金を貯めてるのに、何十万円もするカバンを買ったら終わりでは...

 

いや、それを買うために働くのってどうなんだろう。

 

もちろん否定はしない。

 

何を買ってもいいのである。

 

人生はその人の自由だ。

 

 

 

ところで、昨日俺は、数理哲人先生とシヴァ神先生にお会いした。

 

下関で待ち合わせしたいたのだが、こんな感じでお二人がやって来られた。

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左の第三の目をつけてるのがシヴァ神先生で、右のπが数理哲人先生だ。

 


なんかおかしくないですか?

 

普通の場所ですよ。

 

俺は普通なら少し目立てるのだが、この二人の前で全く目立てなかった。

 

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しかも数理哲人先生は、腕のサポーター、指輪、ペンダント、靴、カバン、ズボン、全部自分のオリジナルのロゴが入っている。

 

お二人とも数学の先生なのにである。

 

これって、もはやヴィトンなのじゃないかと俺は思うのだ。

 

 

俺は塾の先生として、ヴィトンを買ってひけらかす子より、自分がヴィトンになって欲しいと思う。

 

 

それから最近思っていることがあった。

 

自分のビジュアルである。

 

俺は亀田史郎さんが好きなのだが、あっ、亀田三兄弟の父ちゃんね。

 

亀田史郎さんがダイエットしようが、少し肉厚だろうが、全然関係ないわけよ。

 

ビジュアルなんて、若い子に勝てるはずもないわけだから、そんなことに磨きをかける意味がどこになるんだろうと。

 

それより

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って正々堂々とやってたら、それが一番かっこいいって思うのだ。

 

俺みたいなデブのおっさんが10キロ痩せたところで、世間は誰も興味がないはず。

 

それより、「お前ら、しっかり食えよ。ほらっ、俺見てみろ。食ったら俺みたいになれるんだぞ。」

 

そう言って楽しそうに食ってる俺の方が素敵だろ?

 

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PSYが痩せたら魅力ないだろ?

 

 

 

www.youtube.com

 

ほらっ、PSYなんて韓国人なのに、こんなにカッコよく英語を話せて、ギャグとかもイカしてて魅力あるじゃん。

 

カッコいいなあ。

 

 

 

俺のここ20年を整理してみよう。

 

約20年前に、小さな小さな塾を始めた。

 

そしてヘッドスタイルの塾形態に変えた。

 

今は合計でグループで1000人くらいの生徒が通ってくれるようになった。

 

まだ10人くらいのヘッドしかいないが、それを100人にしようと思っている。

 

生徒合計は自然に1万人くらいになるだろう。

 

クロックスを履いていて、中古で買った原付を大事にしている。

 

約150回くらい海外旅行をしている。

 

秘境好き。

 

そして楽しい飲酒デブ。

 

昨日だって、深夜に24歳のありさ先生が酒持って、いきなり俺の家の肉を食いにやってきたからね。

 

みんなが仲良いことが本当に嬉しい。

 

 

これだな。

 

「みかみ先生といると楽しい(日本人)、ミックといると自然に金が入ってくる(外人)」

 

こういうブランドで生きていこう。

オーバースペック時代には、全範囲から嗜好を選べる。

note.com

 

時代はどんどん進化している。

 

秦の始皇帝は、フランス料理を食うことができなかったと思うが、俺らは食うことができる。

 

いやそれよりも、リアルタイムでフランスの人とオンライン飲み会することさえできる。

 

 

さらには、川やら、洗濯板とたらいで洗濯していたのに、今ではボタン一つで乾いた服を手にすることができる。

 

ご飯もかまどで火加減を調整しないといけなかったものが、スイッチオンで勝手にご飯が炊けている。

 

大幅に余った時間はどこに行ったのか?

 

こんなに余った時間があるのだから、終業時間が2時間くらいになっていいはずだ。

 

なのにみんなは昔と変わらずに仕事をしている。

 

余った時間に何をしているのだろう。

 

つまりは、これからもっと便利になっても、働く時間は変わらないのだろう。

 

 

グランピングという言葉を知ってるだろうか?

 

グラマラスなキャンプ。

 

つまり豪華なキャンプという意味だ。

 

わざわざ不便な自然の場所に行ってるにもかかわらず、そこでさらに面倒にも豪華なキャンプをするのである。

 

もはや真の道楽ともいえるかもしれない。

 

最近は、ミニマリストも増えてきている。

 

また、不便な田舎暮らしを好む人さえいる。

 

人間は好んで便利の方向に進んできたにも関わらず、後退させているのである。

 

今、ここに弥生時代の人ととかがいて、どっかで暮らしてたら、「かっこいい!」とかになって、その弥生人は大金持ちになってしまいそうな予感さえする。

 

時代も場所も、とにかくなんでもいいから、自分の好きにしたらいいよね。という時代になってきている。

 

多様化が進みすぎると、ディズニーランドの入場者も減るんじゃないだろうか?

 

テレビの視聴率が下がってきたように、人間によって作られた娯楽に人が惹きつけられるのには多様化しすぎてしまっている気がするくらいだ。

 

第14回紅白歌合戦なんて、視聴率81%だからね。

 

今はどんな番組を作ってもきっと視聴率81%なんかいかないだろう。

 

誰かはゲームして、誰かはカラオケに行って、誰かはバーで酒を飲んでいる。

 

 

ああ、俺の時代がやってきたと思ってしまう。

 

俺は人からは理解されなくてもいい。

 

ずっと、俺道を突き進んできたという自負がある。

 

俺は俺の目指す理想の世界に、世界で一番近い男だと思っている。

 

 

俺がブログをやめてネットでの露出が少なった時に、「みかみは一発屋だった。」的なことを時々書かれていた。

 

残念ながらそうじゃない。

 

俺はきっと18歳の時から、ほとんど1度もほぼ後退することなく自分の理想の方向に進んできていると思っている。

 

まだいくつか叶っていないイメージはあるのだが、それもきっと実現させて死ねると思う。

 

 

他人との比較など、もう意味のない時代がやってきた。

 

無(む)の世界から、イメージを立ち上げて夢(む)の世界にする。

 

夢の世界の中に、他人の評価は不要だ。

 

 

もう迷う必要がなくなった。

 

ありありとイメージができるようになった。

 

これだこれこれ。

 

 

自然にそれを具現化しよう。

もしも会社に残っていたら.....

もしも会社に残っていたらどうなってただろうと考えるときが時々ある。

 

会社にいた頃は、会社に入っている人が一番偉いのかと思っていた。

 

いろいろな用事を子会社の人に頼んだりするときに、自分の親くらいの歳の人がペコペコと頭を下げてくる。

 

その雰囲気がまた自分を勘違いさせてしまう。

 

会社をやめた今、周りがお客さんだらけになって逆の立場になってしまった。

 

今でも昔の会社の人にたまに会うと、普通の人もいればやっぱり昔の俺みたいに、中小企業を下に見ている人も多い。

 

 

それよりも出世だ。

 

やはりサラリーマンは出世競争にさらされている。

 

俺も会社にいた頃は、絶対に出世したいと思っていた。

 

同期の中では絶対に1番でありたかったし、できたら社長にだってなりたいと思っていた。

 

でも、俺は会社をやめて大正解だったと思っている。

 

なぜなら会社に残って頑張っていたとしても、出世できなかったとわかるからだ。

 

当時の俺のライバルは誰も出世していない。

 

いやいや、正しくは俺の年代で出世しているやつがいない。

 

俺らはバブルで入社した人たちの2〜3年遅れの世代だ。

 

2〜3歳年上の人たちがものすごくたくさんいる。

 

とういうことは、俺らが上に進めるのは、その世代が引退した時ということになる。

 

せいぜい2〜3年の間しか上にいられないとすると、もはや老後の思い出話にしかならない。

 

そう、俺は会社に残っていたとしても出世できなかったのだ。

 

逆に会社をやめたおかげで、車もたくさん買えたし、髪の色だって自由にできた。

 

挙げ句の果てはたくさん海外にもいけたし、知り合いもたくさん増えた。

 

会社で海外赴任したら、もしかして海外に住めたかもしれないが、俺は今だって住もうと思えば海外に住める。

 

あと5年くらいしたら、一旦定年を迎えるだろう。

 

でも、俺に定年なんかないから、やめたくなるまで働く。

 

あれほどリタイアしたかったのに、今では全然興味がない。

 

 

こんな時代になっているとは全く予想もつかなかった。

 

今の時代の延長で未来を見ているから、未来が予測できないんだと思う。

 

何かが起こったら、そこからまた未来は違う方向に進んでいく。

 

何も起こらないことはないわけだから、やはり未来は予想できないんだろう。

 

 

だとすれば、あのときに自分のやってみたことを選択できて本当に良かったと思っている。

 

未来が予想できないし、予想通りにはいかないのだから、それなら自分が好きな道を歩んでいけばいいだろうということが今になってよくわかる。

世界一周する女子高校生

最近、世界一周JKひなまなをまた見るようになった。

 

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すごく昔な感じがするが、つい5ヶ月前に帰国したばっかりだ。

 

今、コロナで海外にいくことはできなくなってしまったが、高校生がたった二人で世界旅行に出るなんて本当にぶっ飛んだことだと思う。

 

俺が高校生だとしたら、そういうことをしようとしている高校生が未来や、日本にいるとは夢にも思わなかったことだろう。

 

ひなこちゃんは現在、大阪の高校に通っている。

 

海外の大学に行きたいようだ。

 

まなみちゃんは地元の高校に復学し、みかみ塾に毎日通ってくれている。

 

時々、あの旅行は本当に二人だけなんですか?と聞かれることがあるが、二人だけだった。

 

最初に綿密に決めたコースも、ひなまなの気分によって序盤にあっさりと変更されてしまい、もはやコースを把握できなくなっていた。

 

さらにはトルコからは「難易度を上げるために一人ずつにしてみてもいいですか?」と。

 

じゃあ、モロッコまでね。

 

ってことでせっかく一人ずつの旅行が始まったのに、途中でコロナが流行してしまった。

 

コロナがすんだら、いつかひなまなのように世界一周を目指す女子高生が出てくるだろう。

 

この二人にどういう未来があるかわからないが、きっと二人とも何かを為すんじゃないかなって思っている。

 

久々のひなまな。

 

みんなも見てみてね。

 

 

 

 

俺はやっぱりラオスとかカンボジアとか、インドとかが面白かったかなあ。

 

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 #世界一周  #旅行 #海外旅行 #高校生

 

もうすぐ20日。

(音声ブログの代わり)

 

 

共通テストの問題が、新しい問題に変わる可能性が高い。

 

各社の模擬試験も、試行調査テストを踏まえたものになってきている。

 

俺の授業も従来と同じやり方でいいはずがないことに気づいている。

 

だから、20日くらい前から高3に練習問題を毎日配信している。

 

そして正解を毎日発表している。

 

この毎日問題は大体30分くらいかかるから、子供達にはかなり負担になると思う(なので自由参加)。

 

昨年の入試問題から、新しい傾向の問題を抜粋して送っている。

 

 

今回の試験の変更予告は、できる子にとってはかなりの負担なはずだ。

 

1度も使うことなくなくなったイーポートフォリオとかも、頭がおかしいんじゃないかと思う。

 

一度も使わないのにボツって、初めからやる必要なんかないだろう。

 

英語に外部試験を入れることも本当に意味がわからない。

 

こういう風に出したいという思いがあるのなら、共通テストや各大学で作ればいいだけのこと。

 

こんなことをしてるから、天下りとか、寄付金とかを疑いたくなってしまう。

 

でもそれで誰かが得して、受験生が悲しいことになってるとしたら明らかにおかしいだろう。

 

 

っていうか、俺も面倒くせんだよ。

 

毎日毎日問題を出すのはよお。

 

誰かの得で、俺が損するのも困る。

 

だけど、これはみんなのためでもあるので、俺はしばらく毎日問題を続けていこうと思っている。

 

終わり。