小さい子供にとって母親は、唯一無二の絶対の聖母で神だと思う。
俺も母親が大好きだった。
きっと宇宙の誰よりも大好きだったと思う。
母の声や、匂い、足の裏や切った爪、使い古された歯ブラシさえも、大事なママだったと思う。
でも、10歳の時に俺の前から突然ママがいなくなった。
普通ならば、うまい具合にママが母さんになり、やがてクソババアになって、いつの日か自立していけるのだが、ママはママのままで終わってしまってクソババアがいなかった。
だから俺は子供ができるのが楽しみだった。
子供が生まれる前からたくさんの育児書を読み、誰の思想でどういう風に育てるかということを慎重に吟味した。
そして俺は、当時の育児書の中で一番愛に溢れていると思っていた雨森先生の本を信じることにした。
泣いたらすぐに抱っこしてあげましょう。
まだわからなくてもどんどん話しかけてあげましょう。
いっぱいスキンシップをとってあげましょう。
子供が夜泣いて困った時もいっぱいあったが、それよりも家族の形が完成したことの1000000倍も嬉しく一生懸命に抱っこした。
いっぱい本を読んで、いっぱい一緒に歌を歌って、いっぱい遊んだ。
もしも俺がただのサラリーマンだったら、こんなにも大変だけど素敵な日々を送ることが許されなかっただろう。
当時、俺はサラリーマンではあったが、ただのサラリーマンではなく大学院生だった。
夏休みの前に子供を作り、子供が生まれた時には産婦人科に一緒に寝泊りし、全ての育児教室に参加した。
子供のおむつ、爪切り、ご飯など、俺がいる時に俺ができることは100%やり切った。
夜泣きで起きた時の対応などは絶対に俺の仕事だと思っていた。
本来、子供は二人で育てるものだと雨森先生は言っていた。
だから俺は、赤ちゃんを産んでくれただけでもママの仕事は80%終了していると考えていた。
あとは俺に任せとけ。
大学と家が近かったので、長めの待ち実験の時には必ず家に帰るようにした。
そうして、ものすごく手をかけて子供が少しずつ大きくなっていく。
辛かったり、大変だったことは全ていい思い出として保存されていく。
俺らの仕事では、親御さんと話す機会がよくある。
男では耐えられないほど痛い思いをしてまで生まれてくれた唯一無二の赤ちゃんが、いつか自己主張するようになる。
でも、ママからすると、子供ってのは生まれた時から今までが全部繋がっていて、今の瞬間だけが子供ではないのではないかといつも思っている。
子供の後ろにはいつも、赤ちゃんから今ままでの日々がつながっていると思っている。
そして俺らの塾に来てくれたという事実も、いつか子供の背景の中に組み込まれていくだろう。
だから俺は思うのだ。
雨森先生の育児書のような塾を作りたいと。
一人一人、絶対に一回は授業中に声をかけてあげて、みんなの変化にできるだけ気づいてあげられるような塾を作りたいと。
怒るときだって、ちゃんと怒ってあげれば子供は逆恨みしたりなんかしないと思っている。
放っておいても子供はきっと大きくなっていくだろう。
だけど、どういう言葉をかけてあげられるかは、子供の思考を育む意味で重要だと思っている。
もちろん俺らも、言葉の選択には注意を払っている。
塾の本業は点を売ることだと思ってはいるが、少しだけ育児に参加させてもらっているとも思っている。
こんな素敵な毎日を送れることに感謝しかない。