何度も言ってるが、すでにFIRE状態の俺にはもはや欲がない。
俺の人生、いったいいつが一番幸せだったんだろうか?
やっぱり「受験勉強の瞬間や、起業で苦しんで、一生懸命にがんばってるときが一番よかった。」
などということは全くなく、どちらかというと苦しいときはいやだった。
いやいや、むっちゃ辛かった。
もう戻りたくない。
そう考えてるとみんなと笑ってるときが一番楽しかったなあと。
でも、もっと深く自己を顧みたときに、笑ってるときの中でも優劣があることに気づく。
これは個人差があると思うのだが、俺の場合「優越感」と「変化」に特に快楽スイッチがある気がする。
性格悪くてごめんなさいなのだが、初めてベンツ買ったときや、学歴がアップしたときなど、他人に対して優位性を感じたときにアドレナリンが出まくっている。
嫌なやつだなあ。
あとは変化だ。
初めて見る国や初めてする体験、またイメチェンをしたりするとアドレナリンが出ている気がするのだ。
ということは優越感が得られるような人生を選んでいく方が、俺的にハッピーになれるのではなかろうかという邪悪なクソ人間の未来を想像してしまう。
俺は優しい人間なのかと思ってたら、クソな性格だったのか。
昔に比べると確実に生きる選択肢は広がっているように思う。
人の目を気にしたり、協調性を重視しすぎると自分のハッピーが減ってしまう。
もっと自分の心に耳を傾けて、そちらの方に進んでいく努力をする方が幸せなのではないだろうか?
YouTube、Netflix、仮想通貨、SNS、スマホ........
知らないうちに世界が同じルールの中で動き始めている。
江戸時代の藩が、明治維新でシャッフルされてしまって、各藩の文化の特徴が希薄化していったように、世界もIT革命で一つになろうとしている。
これまでのように、日本の中の価値観だけで善し悪しを決めるのでなく、もっと俯瞰してものごとを考える時代が来始めているのではなかろうか。
かと言って俯瞰するのも難しい。
手っ取り早いのは自分の真の欲求を探すことなのでは....
俺はまだまだ働ける。
定年などという誰かが作ったルールには従う必要がない。
仕事を辞める日は自分で決める。
若いうちはアーリーリタイアしたいと思ったこともあったが、65歳になったら基本的にはリタイアだ。
それには絶対に従わない。
働きたいうち、頑張りたいうちはがんばろう。
よーし。
物欲はないのだが、それでも何か欲しいものがないか考えてみることにしよう。
何かを買いたいと思って頑張る力は結構強力だからだ。
明日にはまた戻ってるかも知れないけど、今日は「明日は超頑張ろうかな。」と思っている。