お金は学歴に似ていると思う。
少しでも手に入れようとみんなが必死になっている。
それさえあれば幸せになれると錯覚しているように思う。
お金も学歴も、今の俺には十分なのでもはやなににもコンプレックスがなくなった。
俺より上の学歴の人はたくさんいるが、今の俺にはそこまで必要ではない。
俺よりもお金を持っている人はもっとたくさんいるだろうが、今の俺にはそこまで必要ではない。
だから俺の前に、ハーバード大学卒の人が来ても、100億円持ってる人が来ても、儲けてない低学歴の画家の人が来ても全員同じように接する。
貧乏ですべてに飢えていた俺には、なにもかもが必要だった。
せめて普通になりたい、あわよくば豊かになりたいと思って、けっこう突っ走ってきたと思っている。
そうして少しずつ手に入れていく中で、人が一番大事なんだということが本当によくわかった。
俺が目指している理想モデルは、いつもお世話になっている電器屋の社長さんと、もう亡くなられたが俺が通ってる同級生の散髪屋さんのお父さんだ。
会話に味があるというのだろうか。
いつもニコニコして、みんなと仲がいい。
そして多くのことに寛容だ。
寛容さは俺には全然ないけど、そういう人になりたいと思っている。
だから今度は寛容さとニコニコを手に入れたい。
ネットが発達するにつれて、ブログやアフィリエイト、またSNSで副収入を得ようとする人が多くなった。
仮想通貨を一生懸命に調べたり、株のチャートを何画面もずっと見ている人がいるだろう。
ああいうプロセスの中に、幸せがそんなにあると俺には思えない。
Twitterでよく見かけるのは、
「○○日で、フォロワー何人いきました。」とか、「SNSで月に何桁稼ぎました。」っていう人たちだ。
そういうゲームをしているというのなら、それはそれでいいけど、そうじゃなかったらただの承認欲求だよね。
人数や金額を見て、目を血走らせるなんてとてもじゃないが豊かなことと思えない。
人間が今日まで生きてきて生活が激変したように感じるけど、実際は思ったほど変わっていないのではないだろうか。
人と人が争うのは、誰にかにこんなこと言われたとか、こんなことで傷ついたとか、結局そういう話だと思う。
上を目指すのは確かにとても大事なことだと思う。
だけど、目標なしにそればかりやるのは危険な気がしている。
学歴やお金を貯めることはきっといばるためじゃない。
そういうことに気づくようになった俺はどんどん歳をとってゆく。
木に例えると、もはや上には伸びなくなった。
でも、じわーっと水分が増してきている。
そういう成長もいいと思う。
ブログに時間をかけすぎた。
さあ、今日の勉強をやろう。