俺は太ってしまった。
ブクブクと...
もし同窓会でもあって、「この人太ったよね。」投票でもあったなら、生徒会長になってしまうかもしれない。
そして、5キロメートルのプチマラソン大会でもあったなら、後方部隊を形成するだろう。
だが、
同窓会の時に神がやってきて、「来年はガチのプチマラソン大会やるのでよろしく。それで人間性の全てが決まるので。」こう言われたらどうだろうか。
もしも1年間の猶予があって、神が言うのであれば俺はきっと努力できるだろう。
毎日努力をして、上位に入れるに違いない。
それは信じて疑えない。
「それが勉強と同義である。」
デブ友の多くは、俺と同じように努力を始めるかもしれない。
だけど、多くは途中で脱落してしまうはずだ。
苦しいからだ。
学校の勉強を考えてみて欲しい。
成績のいい子は、楽しくない勉強を「それでも頑張る。」と決め、それを自分の言語に変換して、自分の中に落とし込んでいるのである。
そもそも勉強ってやる必要あるか?
フリーターでも全然生きていけるじゃないか?
いざとなったら生活保護でも受ければ、飯は食えるはず。
だけど、未来のことを考えて、今、がんばろうとがんばっているわけだ。
わざわざ苦しいことを自分を律してやっているわけだ。
成績のいい子などは、先生が「これくらい覚えてください。」という量さえも超えて、さらなる苦行に立ち向かってくるくらいだ。
これってどうなんだ?
仕事で考えても一緒だろ?
「この仕事やって。」って頼んだとき、
①やらないやつ。
②イヤイヤやるやつ。
③がんばってやるやつ。
④期待を上回ってくるやつ。
これ一緒?
お客さんに「こうして欲しい。」とお願いされたとき、
①やらないやつ。
②イヤイヤやるやつ。
③がんばってやるやつ。
④期待を上回ってくるやつ。
これ同じか?
お客さんがまた次に来てくれるの、どれ?
俺は今、毎日毎日、勉強し続けている。
本当は俺がやらなくてもいいと気付いている「旅行の試験勉強」をずっとやり続けている。
100日前から始めて、あと43日まできた。
50歳過ぎて、起きてる時間を全部勉強できる人がどれくらいいるだろう?
でも、俺は勉強の力を知っている。
俺は今から「旅行会社」を作ろうと思っているのだが、免許を持ってる人を雇えばいいだけであって、自分が免許を取得する必要なんか本当はない。
だけど、勉強の力は凄まじい。
だから俺は勉強から離れない。
勉強は、貧乏だった俺を大企業に入れてくれた。
勉強は、高卒だった俺を大学院卒にしてくれた。
勉強は、サラリーマンだった俺を自営業に変えてくれた。
勉強は、俺を150回も渡航させてくれた。
そして勉強が、みかみ塾グループを作ってくれて優秀な若い人たちと巡り合わせてくれた。
勉強をやっていなかったら、今の俺はない。
要領だけで成功することはできると思うが、再現性に乏しいはずだ。
俺の同級生達が65歳になったら、その多くは自分の環境が変わることを受け入れるしかないだろう。
でも、俺は何歳になっても自分で自分の環境を作ることができる。
勉強神とともに。
だから、そのための準備を今やってる。
俺は一生涯にわたって、「勉強の力」という無限のエネルギーを利用することを決めている。
勉強はただの学問であるとも考えられるが、それを使って人生を好転させることが可能だと心から思っている。
俺はそれをみんなに伝えたい。
ま、いつものように「俺はこんなにがんばってるんだ。」というウザいブログに仕上がってるが、それが俺のキャラクター。
よし、ブランディングオッケー。
今日こそは航空運賃の計算がスラスラとできるようになりたいなあ。