最近、バイクを買おうかとか、一軒家を借りようかとか、軽トラックを買おうかとかいろいろなことを考えてしまう。
でも、そういえば持ち物は少ない方がいいんだった。
例えば、広い家に憧れるとする。
一時期はプールのある家を海外に買いたいなあと思ったこともあった(日本では高すぎて買えないので)。
でも、プールなんか家にあってもきっと入らないだろう。
いくつも部屋があったとしても、自分がいる部屋はおそらく1〜2、多くても3つまでのはずだ。
船とか持ってたとしても、釣り好きでなかったらきっとマリーナの使用料を払ったり、維持するだけでどんどんお金が減っていくに違いない。
俺は服も同じものしか持っていない。
夏は青色の民族服。
冬はパパスのトレーナー。
どれを着ようかという迷いは一切ない。
どれでも同じだからだ。
車を2台持ってたときがあった。
2台あると便利と思うだろ?
場合によって乗り分けられて。
いやいや、その場合によるときがほとんどないのだ。
多くの場合、どっちに乗っても問題ない。
すると、乗りやすい方に乗ることになる。
乗るときにもう一台のことが気になってしまう。
ああ、バッテリーが上がらないかなとか、車が悲しい気持ちになってないかなとか。
もしも1台しか持っていなかったら、この気分にはならなかったはずだ。
人は欲張りだから、いろいろなものが欲しいし、持っている人のことを羨ましいと感じる。
でも、よくよく考えるとそれを持ってしまったばっかりに、面倒なことが起きる場合だってある。
車を2台持ってると2年間に車検が2回ある。
部屋が多いと、部屋の掃除をする量が増えてしまうし、それよりも、換気しないととか余計なことを考えないといけなくなる。
結局、ものなんか多くない方が幸せなのではないか。
たまに昔のドラマを見る(YouTubeで)。
昨日、「俺たちの旅」って昭和ドラマを久々に見てみた。
久々と言っても、俺が小学の1年生とか2年生にみてた大学生の青春ドラマだ。
うっすらと記憶に残ってる程度だった。
大学生はみんな下宿のようなところに住んでいたんだなあ。としみじみ思う。
今だとそういう環境に住んでいる人は、お金に余裕がない人たちなのかもしれないが、幸せそうに見える。
俺が大学生になったときは、まだかろうじて下宿が残っていた。
当時すでに社会人だったのでマンションに住んでいたが、下宿から大学に来るやつも少数だが存在していた。
これを見ると、結局は人なんだなって思う。
ボロくったって、みんながそこにいるのが当たり前なら、きっと楽しいんじゃないかな。
この前、自動車学校にいくときに、昭和の作りの家があった。
玄関は引き戸で、高校生の女の子が出てきたところだった。
2階建ての2階に裸電球のような灯があって、薄いカーテンの向こうに人が見える。
おじさんが着替えているのがはっきりわかる。
お父さんかな。
その灯が消えて、1階のリビングのような場所にお父さんが移動している。
そこには元々、電気がついていたので、今からご飯なんだろうか?
見た目は裕福そうに見えないが、きっと団欒があるに違いない。
モノだけでは測れないものがある。
それはきっとお金で買えないものだと思う。
みんな仲良くして、みんなと会話しよう。
そういうことこそが本当の幸せなんだと思う。
塾も同じ。
ただ黙々と問題を解くだけの塾ではなく、できるだけみんなと会話を多くした温かみのある塾にしたい。