みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

アウト オブ ルール

多くのことは誰かが決めて、そこに従ってみんなが生きている。

 

そのルールの中でいいことと自分にとっていいことは違うかもしれない。

 

例えば、サッカーの試合中にお腹が空いたとしよう。

 

お腹が空いているというのが自分の気持ちなのだが、サッカーの試合中にはサッカーでいいプレイをすることを知らないうちに強いられている。

 

 

話は全然違うのだが、俺はもともとドラッグスターというバイクを買おうと思っていた。

 

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これに乗っている自分を想像しながら楽しんでいた。

 

でも、さすがにいきなりこれはないかなとカブを買ってみた。

 

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おいおい、全然違うじゃん。

 

と思うかもしれないが、ギアチェンジに憧れていたのもあるのだ。

 

アチェンジできるバイクに乗ってみたかった。

 

そしてすぐにギブアップした。

 

わずか3日である。

 

街を走るのに、ギアチェンジなんか面倒くさくてかなわない。

 

ドラッグスターを買わなくてよかった。

 

あの大きさを動かすだけでも面倒くさいのに、これでギアチェンジになるととんでもないことになる。

 

そもそも俺の家から職場までバイクで2分なのだ。

 

歩いても7〜8分。

 

そして大幅な損をしながら、すぐにスクーターを買い直した。

 

「こんなに早く買い直された人は店が始まって以来です。」と言われたが、損切りなのだ。

 

早い方がいいに決まっている。

 

躊躇している時間が無駄になってしまう。

 

そして後ろの荷物置き、なんであると思う?

 

生徒を後ろに乗せるときに、生徒が落ちないようにだ。

 

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どう?

 

かっこ悪い?

 

いいのいいの。

 

俺はものすごく満足している。

 

カブを買ったことで、自分が本当に好きなバイクがわかったから、俺は今日バイク屋から帰るときに笑いが止まらなかったよ。

 

俺の横に、ハーレーが来ようがドラッグスターが来ようが俺はこれが一番好きなのだ。

 

俺は自分のバイクが一番かっこいいと心から思えるのだ。

 

そう。

 

心。

 

心ってどこにあると思う?

 

胸だと思うだろ?

 

俺もそう思うんだよ。

 

本当に好きなもの、好きな人、本当にやりたいことは胸からくるんだよ。

 

誰の評価も関係ないんだよ。

 

例えば、おしゃれな時計とかカバンとか欲しいと思うとき、胸から来るか?

 

来ないだろ?

 

これからは胸からくるものを買ったり集めたりしてみようと思っている。

 

それが俺の心の声なのだ。

 

 

次に欲しいもの?

 

あるよ。

 

これ。

 

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2000円くらいなのだが、ベルツノガエルを飼ってみたい。

 

よくないか?

 

これ。

 

 

 

もう、人からどう見られるかっていうのはいいわ。

 

それ、もう俺十分にやったんで。

 

 

自分の内なる幸せに対して、「やらなかった後悔」をしないように生きていこうと思う。

 

 

お前も真似していいよ。

サイエンティフィックに教えること。

俺はバリバリの理系だから、数字とかで証明したくなる。

 

「この試験は43%の確率で出題されるから、やっといた方がいい。」

 

授業も理系っぽく説明することが得意だと思う。

 

「こうなるから、こうである。」

 

だけど、本当にそれでいいのかとふと思ったりする。

 

数学と理科がセットの理系、国語と社会がセットの文系。

 

雰囲気はわかるが、国語と理科が得意な子や、数学と社会が得意な子もいると思うのだ。

 

理系、文系という区分けにする以上、クロスした組み合わせを取ることができない。

 

理系の中でも数学と理科の違いは何か?

 

俺は自然現象の解明に挑んだ学問が理科だと思っている。

 

つまり、自然に起こっていることの仕組みを理解しようとする学問が理科である。

 

だとすると、医学や薬学などもすべて理科である。

 

 

俺が学生のときに、よく先生から言われていた言葉が「サイエンティフィックにどうか?」である。

 

会社の研究では「コマーシャルにどうか?」だった。

 

同じ研究でも、目指すものが全く違ってくる。

 

サイエンティフィック(科学的)という言葉、そしてコマーシャル(商業的)という言葉、全く相反していると思うのだ。

 

 

 

 

 

 

さてと.....書き散らかした伏線を回収していくとしよう。

 

学問をどう教えるかということに関しては、人それぞれアプローチが違っていていいように思う。

 

中学生を教える場合、多くは複数の教科を教えることになると思う。

 

例えば英語を教える場合、

 

数学の先生だと、「SVOのところのOが変わるだけなのだから、Oを完全に覚えておけば入れ替えですむだろ?」って言うかもしれない。

 

国語の先生が教えると、「不定詞と動名詞をとるときの動詞の覚え方は、未来っぽいのが不定詞で、今っぽいのが動名詞だ。」って言うかもしれない。

 

 

ちなみに俺は理科の先生だ。

 

そして理科の先生が理科を教えている。

 

理科の先生が「この試験は43%の確率で出題されるから、やっといた方がいい。」程度で、でかい顔しても良いものであろうか?

 

理科をきちんとサイエンティフィックに教えていなくていいのだろうか?

 

サイエンティフィックな学問をサイエンティフィックにアプローチしてこそ、理科の先生のアドバンテージが出るのではないかと思うのだ。

 

 

何がいいたいか?

 

脳にはそれぞれ働きがあるし、また要所要所でホルモンなども出てくるだろう。

 

理科の先生として、できる範囲でもっと脳のことを考えながら教えるべきなのではないだろうか?

 

こういう風に説明した方がドーパミンが出やすい。

 

こういう話し方はセロトニンが保たれる。

 

今は大脳辺縁系が活発になっているときだ。

 

のようにである。

 

 

自然現象の解明に挑んでいる学問が理科なのである。

 

理科の先生が英語の授業をすると、

 

「左手でまず単語テストをしよう。脳を活性化する意味でだ。しかも速く書くんだ。それが済んだら....」

 

ゆっくり話したり、速く話したり、大きい声で話したり、動きをつけたり、匂いをつけたり、そういう自然現象のことを踏まえることこそ俺らのやるべき仕事なのではないだろうか?

 

 

 

 

というわけで、もっと脳科学を勉強しようと思ったのであった.....

 

 

ブログからインスタグラマーへ。

工業高校から国立大学行けるやつってそういないと思う。

 

しかも完全な独学で。

 

情報がほとんどゼロの状態から、塾へも予備校へも行かずに、しかも現役のときに受験さえしたことなかったのに。

 

何が一番必要な能力ですか?

 

「根性です。」

 

根性が全体の99%をしめる。

 

根性があればなんでもできる。

 

そうだ。

 

そして俺は自分の人生が変わったんだった。

 

そう、

 

俺はその根性を教えるために塾を開いたんだった。

 

 

 

大学入試の結果がぽつりぽつりと届く。

 

全員が合格するわけではないから、不合格の連絡が一つでもくると悲しい気持ちになってしまう。

 

大学で人生が決まるわけではないかもしれないが、目標に向かってがんばってきたのだ。

 

不合格だと全否定されたようで悲しくなるに違いない。

 

でも、この仕事を長くやってると感動が減ってきて、一人一人の結果に涙したり、歓喜で発狂したりができなくなってくる。

 

ダメだ。

 

そんなのじゃダメだ。

 

俺は普通じゃなかったはず。

 

俺は暑苦しいぐらい、イチイチウザくないといけないのだ。

 

 

仕事を始めた時から超集中を使って、自分の道を切り拓いてきたんだった。

 

そして、同じように歩んでゆく若い人を応援しながら生きてゆく。

 

がんばることを伝えるために俺は塾を作った。

 

 

 

今日からまた生まれ変わろうと思う。

 

ガチろうと思う。

 

みかみ一桜(いちろう)から、みかみガチロウに改名しようかな。

 

 

 

今日からまた頭を使って仕事するので、ブログを休もうと思います。

 

ブログそのもののパワーが落ちてきていると思いますので、インスタやTwitterに移動しようと思います。

 

今度からはそちらを見てください。

 

インスタもツイッターも急いで整備していこうと思います。

 

 

MIK(ミック)🌎The weird みかみ一桜 🇯🇵🇰🇭🇮🇹🇹🇭🇵🇼🇱🇦 (@honoomikami) | Twitter

 

https://www.instagram.com/mikamijuku/

 

今日からどっちも毎日更新していきます。

 

というわけでブロガーから、インスタグラマー、そしてツイッタラーになるので、よろしくね。

 

中学生と俺。

塾の先生やら学校の先生はわかると思うが、中学生って不思議なかわいさがあるよね。

 

子供が残ってるというか...

 

高校生の授業をしてるとモチベーションの話とか、世の中の話とか色々できるが、中学生の場合は少し噛み砕いて話さないといけない。

 

それが高校生のいいところなのだが、中学生は..

 

「これ分かった人ー?」

 

こう聞いても高校生は誰も手を上げてくれないが、中学生だと手をあげてくれる。

 

かわいいんだよね、これが。

 

今年の子達はみんな仲良くて特にかわいい子達ばっかりだった。

 

実は今日で中学生の授業が終わりなのだ。

 

ああ、さみしい。

 

さみしすぎるなあ。

 

みんなと暮らしたかったなあ。

 

 

 

もしかしたら来年からもう中学生の授業はやらないかもしれない。

 

ああ、寂しい。

 

 

うぐっ、花粉症のせいだろうか涙が止まらないぜ。

卒塾旅行

未来への空想はカタチになる。

 

あきらめなければ。

 

 

俺は今まで子供達と何回も海外に行ってきた。

 

ちなみに自分の旅費は自分で払っている。

 

というか生徒の分も一部カバーしていることが多い。

 

つまり俺は自分の旅費以上払っている。

 

そうまでして海外に行くのは、子供の経験値を増やしてあげたいことと想い出はプライスレスだと思っているからだ。

 

子供達と旅行に行くのは、実際はものすごい覚悟やスキルが必要になる。

 

子供達が海外で病気になったり怪我をしたことも何回かある。

 

その度に寿命が縮まる。

 

お金を払ってまでそんな危険な目に遭って割に合わない気がするのだが、子供の人生に関われることに価値を感じている。

 

「子供達と海外に行く。」

 

他人から見たらちっぽけで大したことないように思うかもしれない。

 

だが、俺の中では大きいことだ。

 

ずっとやりたかったことなのだ。

 

高校生や大学生になって「海外行ったことある?」「飛行機乗ったことある?」って話も出るかもしれない。

 

色々な場面でちょっとした自信になると思っているし、視野も広がると思っている。

 

 

 

今年はコロナで、残念だが海外旅行にいけない。

 

代わりにできることないかを考えた。

 

この旅プロの俺が中学生を国内に連れて行くとしたら.....

 

国内かあ。

 

それでも、他の引率先生ではビビってできないようなことをやらないといけない。

 

んーーーーーー。

 

んーーーーーー。

 

 

 

 

 

そうだ。

 

ダイビングだ。

 

オーストラリア、フィリピン、ベトナムインドネシア、タイ、マレーシア、パラオ、沖縄で潜った経験を持つ俺様が中学生にダイビングを教えよう。

 

ダイビング経験を持つ中学生はそんなに多くないはずだ。

 

人と違うことをやってなんぼなのだ。

 

 

 

 

俺が大学に合格したときに校長先生から言われた。

 

第二次世界大戦までの記録を遡ったが、本校から国立大学に合格したのは君しかいません。」と。

 

希少は価値なのだ。

 

というわけで、今年の卒塾旅行はダイビングに決定。

 

 

塾は絶対に必要だね。

俺は現在、アルコール断ちを行っている。

 

アルコール依存症の専門病院に通いながら....

 

言っとくけど、俺は別に24時間酒を飲んでいたわけではない。

 

寝る前に酒を飲んでいただけだ。

 

ただ量が多いので、このままでは体を壊すのではないかと思い自主的に酒をやめただけだ。

 

誰かに迷惑をかけたわけでも、何か失敗したわけでも、医者からドクターストップがかかっているわけでもない。

 

どうせ酒をやめるのなら、きちんとした知識をもってやめようと100kmも離れたアルコール依存症専門病院に通院している。

 

実際のところ、「酒が飲みたい。」と毎晩思っているのだが、その気持ちが日々減ってきているのは確かだ。

 

今日、2回目の病院に行った。

 

 

....心が洗われるね。

 

 

俺の苦しい気持ちを理解してくれて、しっかり応援してくれる。

 

俺の頑張っている過程を軽視せずに、どこが苦しくてどこをがんばってるのか認めてくれる。

 

ああ、やめられるかもしれない..

 

自然とそう思えるのだ。

 

酒をやめたと言っていいのは1年以上経過してから。

 

安心できるのは5年間の断酒期間を経たのち。

 

ああ、そんなにデンジャラスなのかアルコール依存症って。

 

一人だったら、10000000000000000%の確率で酒をやめることはできないだろう。

 

自信を持った誰かのペースで、先人が酒をやめてきたルートに則って確実に歩みを進めていける気がする。

 

 

塾もきっと同じだろう。

 

塾は勉強するところなので、勉強するのが自然な場所だ。

 

そして、毎年毎年、合格者の成功パターンが蓄積されていく。

 

「このままじゃダメだよ。」

 

「もう少しがんばろう。」

 

「受かるペースだね。」

 

その子の学力と勉強スピードなどをみて、いいアドバイスを送ることができる。

 

また、勉強のためだけに作られてる施設なので、勉強以外のことを考えるのが逆に不便になっている。

 

苦しいことをひとりだけでやるのは難しい。

 

だけど、経験値が蓄積されているところでやるなら、きっと一人でやるよりもイージーなはずだ。

 

勉強をすることにおいて、塾よりも特化している場所はないはずなので、これからも頑張る子供達には塾が必要なのではないかと思った。

 

今日行った病院のように、いまやってることが清々しいことで、そして善であるという空気をしっかり作り込みたいと思った。

 

さて、今日もがんばろう。

依存症。

ちょっとスランプだった。

 

小さいスランプだった。

 

ついつい人類の未来のこととか、地球の平和とか考えてしまって「未来はどうすればいいのだろうか?」「菩提樹の下で悩もうかなあ。」とかいろいろ考えていた。

 

そういうことはすごいヤツが考えてくれ。

 

そういうのを考えるのは俺のレベルじゃないのだ。

 

俺のレベルだと、「今日のご飯なにを食べようかなあ。」とか「洗濯物をたたもうかな。」とか、そういうレベルだ。

 

あとは高校入試と大学入試のことだけを考えてればいい。

 

 

 

さて、実はいろいろアイデアが溜まっている。

 

どこかに篭ってアイデアを昇華したい。

 

昨年1年間は海外に行けなかったので、いろいろ考えごとをする余裕があった。

 

仮にコロナがすんだとしても、もはやそんなに行かなくても大丈夫になった気がする。

 

旅行に関してはある意味、依存症だったと言える。

 

俺はアルコール依存症だったが、旅行に関しても同じだったと思うのだ。

 

実際、旅行に行きまくっている人は自分で気づいていると思うが、依存症の可能性が高い。

 

もしかすると趣味はほぼ依存症なのかもしれない。

 

「やめたくてもやめられないのが依存症。」だと定義すると、ゲーム依存症、夜更かし依存症などありとあらゆることで依存症が存在する。

 

だけど、植物栽培依存症とか漬物漬けたい依存症がないのは、実生活に負の影響があるかどうかということなのだろう。

 

俺の場合、海外に行き過ぎている。

 

明らかに行き過ぎているので、確実に依存症だ。

 

実際に、今年は海外にいけなかったことで、経済的な事情や時間の余裕がいつもと違っていた。

 

おかしな話だが、海外旅行依存症も少しずつ改善していけたらと思っている。

 

 

というわけで健康だな。

 

今年は健康を考える年にしたいと思う。

 

 

 

 

 

「未来のことを心配してはならない。」と俺に向けて言う。

俺が小さい頃、これからは英語の時代がくると言われてた。

 

だから英語をがんばれ、と。

 

俺が会社にはいったとき、英語が大事になるから英語をやれと言われた。

 

YouTubeやインスタで「英語を教えるインフルエンサー」がわんさかいる。

 

40年以上同じことが言われてると思う。

 

もしかして、これから英語が大事になるのか?

 

 

2001年問題のときに、俺はいろいろな食材を買い揃えてビビって正月を迎えた。

 

だけど、核ミサイルなんかどこからも飛んでこなかった。

 

 

俺みたいな庶民が未来を予測して動いたところで、たかが知れている。

 

自分の人生を振り返ってみる。

 

未来を予測して動いて一発当たった試しがない。

 

今までうまくいったことはすべて今をがんばったときだ。

 

 

塾でも一緒。

 

例えば、20年くらい前に個別塾というのが流行り始めた。

 

あのときの流れに乗ったら、先行者利益があったかもしれない。

 

でも、2〜3年様子を見て、個別が流行るかどうかの判断をして乗っかったところで、そんなに大差はない気がする。

 

未来を予測するにはめっちゃエネルギーがいる。

 

これに気付いたので、もう俺は未来の準備をするのをやめようと思う。

 

とにかく俺なんかが未来の心配をすると、ロスが大きすぎるのだ。

 

「こうなるからこうしとこう。」

 

これを「こうなってるから真似しとこう。」で十分間に合うんじゃないか。

 

 

日本人が減ってきているので、既存の産業の市場規模はほとんど縮小してしまう。

 

だからと言って未来を考えて準備ばかりしていると、今の一手を打つことができなくなる。

 

調子のいい時は、「今の自分の存在を、去年の自分が想像できなかった。」という状態なのだ。

 

今をがんばってるやつだけが手に入れられる無双状態だ。

 

 

俺は今まで頭の半分くらい未来のことを考えてきたから、ロスが大き過ぎたということに今更ながら気付いてしまった。

 

もう未来を考えるのはやめよう。

 

未来なんか考えて予測したところで、当たらなければ無駄になるし、スタートが少し遅くても力があれば追いついていける。

 

みんなより早くスタートしなければインフルエンサーにはなれないが、インフルエンサーになる必要もない。

 

俺は偏差値80の天才ではないのだ。

 

 

とにかく未来を捨てよう。

 

それでかなりの時間が確保できるとともに、俺自身の気分が軽くなるはずだ。

 

 

あっ、別に今悩んでいるわけでも困ってるわけでもないのだが、ま、ちょっとした備忘録的まとめってやつね。

 

お前らも真似していいよ。

俺がどんなに幸せかを傲慢に教えよう。

20年前に塾を始めた。

 

全くノウハウもなかった。

 

脱サラして塾の先生になっただけ。

 

机が8個しか置けない小さい小さい塾を当時の自分の持ち金で精一杯作った。

 

先生一人、生徒二人。

 

それがスタート。

 

それから3ヶ月くらいだったかな、50坪の物件に引っ越した。

 

毎日毎日生徒が増えて、2年半で生徒が600人。

 

新しい教室も次々オープンしていった。

 

その間に初めて出した本「ヒキョーな化学」が日本の化学の参考書で一番売れた。

 

当時書いていたブログは1ヶ月で50万くらいのPVだったと思う。

 

教育ブログでは一番多いPVだったはずだ。

 

その後、東京、新潟、石川、大阪、福岡にどんどん開塾していった。

 

だけど...

 

マンネリに気付いてしまい、ブログをやめた。

 

移動生活も一緒にやめた。

 

ここで俺が失脚したと思っていた人が多くいたことをあとから知った。

 

すまないが、俺は失脚なんかしていないのだよ。

 

俺はずっと楽しいことを探してやり続けていた。

 

 

海外に目覚めてしまい、カンボジアにチョコレート工場を作ろうとか、フィリピンに英会話教室作ろうかとかいろいろやってみた。

 

結構、金を使ってしまったけどおもしろいことをいっぱいやった。

 

いろいろやってみて、やっぱり子供たちと何かをするのが楽しいなって。

 

そして今に至っている。

 

 

塾をグループ制にすることを選んだ。

 

みんなでワイワイやりながら塾を大きくしていく。

 

いや、違うな。

 

全員が大きくしなくてもいい。

 

楽しい大人になればそれでいいんだよ。

 

だけど俺らのグループは大きくなり続けている。

 

 

 

今日も塾長3人で、ラーメンを食いに行った。

 

一番大盛りのラーメンだ。

 

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ちなみに俺がきてる服あるだろ?

 

あれ、500円。

 

高級そうに見えるだろー?

 

もはや、ルイヴィトンなんかいらない。

 

 

全員でやっと完食したのに、ありさ先生の提案でパフェを食いに行った。

 

ジャンボパフェだ。

 

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これを食った直後に、サイコロで負けた数ほどビスケットを食うという謎のバトルをやって、こんな感じ。

 

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俺は24枚食ってギブアップして負けた。

 

でも、飯はエンタメだ。

 

うまいかまずいかよりも楽しいかどうかだ。

 

今日の飯には2時間半もかかってしまった。

 

でも、これでいいのだ。

 

この幸せを毎日噛み締めて生きている。

 

 

SNSが発達して、高級品の写真や高級ホテルの写真や話をたくさん目にするようになった。

 

なんか、金持ち志向が強まったように思う。

 

それはそれで全然いいし、やりたい人がやればいい。

 

 

でも、俺は歳を重ねていきながら幸せってのはお金や数だけではないことがよくわかった。

 

俺は実際に生徒を増やそうと本気になったら、あと1000人くらい増やすことはできると思うし、SNSでもある程度のインフルエンサーにでもなれると思っている。

 

ただ、それをやっても「すごいですね。」にしかならないことはもう自分でよくわかった。

 

もう人からチヤホヤしてもわなくてもいいのである。

 

 

 

昔はすごく1番になりたかった。

 

でも、今はいかに「みかみ一桜らしいか。」の方が大事である。

 

俺はみんなが集まってきてくれる楽しいグループを作りたいのだ。

 

 

 

下の映画の評論動画を見ると少しだけ伝わるかもしれない。

 

50歳を軽く過ぎてしまったが、俺はまだまだ幸せに挑戦しようと思う。

 

リタイアなんかしないし、定年なんか糞食らえ。

 

まず俺がハッピーに生きて、俺の周りに生きる人も全員ハッピーにする。

 

 

www.youtube.com

 

そう。

 

それが今、俺が導き出している俺の生き方なのだ。

 

だから今でも俺は、生徒を増やしていたときのように、ブログでアクセスを集めていた頃と何も変わらずに自分のベストを尽くしている。

 

ただ方向は昔とはちょっと違うけどね...

言葉の力。またはGABAの力。もしくはかみえす力。

昨日、かみえす先生から紹介してもらったのがGABAだ。

 

興味が全くなかった俺なのに、かみえす先生のトークがスゴ過ぎて、思わず次の日に速攻で買いに行った。

 

悩みが取れてめっちゃ元気になるらしい。

 

悩みのほとんどない俺は何を持ってして効果を計るのかが微妙ラインでもあったが、試さなくてはならない。

 

次の日に速攻で買いに行った。

 

1軒目のドラッグストアで見つけることができず、2軒目で見つけることができた。

 

おお、あったぞー。

 

 

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「ストレス社会で頑張る方に...」

 

コピーがビミョーだ。

 

まず俺はストレス社会だと思っていないし、さらには頑張ってもいない...

 

GABAを飲む対象と3万光年離れている...

 

GABAの製造者、すまんぞ。俺なんかが買ってしまって。

 

 

いや、いかん。

 

何かわからないが、俺もいい感じになりたいのだ。

 

 

そして、飲んでみた。

 

うっ。

 

効いているような効いていないような...

 

「明日の朝、起きた時にその清々しさにびっくりします(要約)。」

 

かみえす先生の呪文のようなトーク睡眠学習の如く、寝ている間も俺の耳に残っており,

起きた瞬間に絶好調を感じてしまった。

 

清々しい目覚め。我覚醒し。

 

これがGABAの力か...

 

もしかしたらかみえす先生の力かもしれないが..

 

 

本来なら2度寝をしてもいい時間なのだが、俺はGABAを飲んでいる。

 

すでに元気なのだ。

 

一回起きたら昨日の疲れは全部なくなってるのがGABAなのである。

 

そして今、俺はこんなに早くからブログを書いている。

 

全く疲れることなく。

 

 

さあ、お前もGABAを飲んでみろ。

 

元気になるぞ。

 

 

 

 

 

おっと、メインテーマとかけ離れて、GABAの販促要因になるところだった。

 

そうじゃない。

 

GABAというものがあるだろ?

 

これを売る時に言葉の力が強く働いたということが書きたいのだよ、俺は。

 

 

つまりだ。

 

これはAIを超越している人間の仕事だと思うわけだ。

 

 

授業するだろ?

 

例えば、化学の動画がユーチューブ上にいっぱい上がってる。

 

俺らがみたら、知識の有無が瞬時にわかる。

 

だけど、それと次元の違う話があるのだ。

 

うまいかどうか。

 

惹きつけられるかどうか。

 

知識の有無よりも、惹きつけられるか信じられるかどうかの方がきっと意味があると思うんだよ。

 

生徒のみんなだって、その先生がどんなに偉いかなんて実際は関係ないだろ?

 

俺が「てへっ、実は院卒じゃなくて中卒でしたー。笑ー!」とか話してもノーダメージだろ?

 

それよりも、話が面白いとかわかりやすいとかやる気が出るとか、そういうことの方が重要じゃないか?授業って。

 

 

このGABAでスッキリした頭で考えた朝のアイデアは、わかりやすくてうまくて感動する授業を作れるのは俺ら人間なわけだから、授業を頑張ろうと思ったということだ。

 

GABAすげえだろう。

 

 

 

かみえす先生ありがとうございました。

今日は睡眠が深いはず(GABA飲んだので)

世の中には面白い人がいっぱいいるね。

 

こんなネーミング素晴らしい。

 

こんな話し方素晴らしい。

 

こんなアイデア素晴らしい。

 

1日に何回感動しているだろう。

 

色々な分野で、すごいことを言ってる人がめちゃめちゃたくさんいる。

 

10人に一人くらいすごく面白い人がいるとしたら、日本には1千万人も面白い人がいることになる。

 

かー、強敵多いやん。

 

1千万人と戦ってとてもじゃないけど、勝てる気がせんわー。

 

やっぱりどう考えても、アイデアありきだよね。

 

ポジショニングってやつ。

 

 

例えば、豆腐の上にチョコレートかけて、「わー、白いプリン〜♪」とか、1000円札を折り紙のように折って財布作って、その中に1円玉入れる人っていないじゃん。

 

そういうことしたら、その世界で1番になれる。

 

やっぱりね。

 

情報世界の中では、全く新しい発想でスタートダッシュかけて、最初の先行者利益だけ狙っていくのがいいのかもしれない。

 

明日はこれまた9時から仕事が入っている。

 

今日は早く寝ないといけない。

 

というわけで500文字くらいなのだが、短いけど許してくれ。

 

その代わり、どこにもリンクを貼らずにそっと眠らせておこう。

 

みなさん。

 

サラダバー。

 

 

受験時代の俺。

受験時代の俺はずっと音楽を聞きながら勉強していた。

 

とにかく外界のすべての音を遮断したかったからだ。

 

大きな音量でずっと勉強していた(もちろんイヤホンした状態ね)。

 

勉強している間はほぼ100%音楽を聞いていたと言える。

 

杏里と小田和正だけをずっと2年間繰り返し聞き続けた。

 

今でも、その曲を聴くとあの時の気持ちや苦しさが鮮明に蘇る。

 

いつかこの苦しい生活がいつか終わってバラ色の人生が待っているはずだと信じていた。

 

会社の中で大学卒の人たちに混じって、「あのさあ、〜〜」なんてカッコつけて話す日を想像してた。

 

金髪にして海外行ったりしながらチャラい塾長になるとはそのときは1ピコメートルも想像しなかったけど。

 

休憩のときは「冬物語」という受験のマンガを読みながら、その登場人物を勝手に自分のライバルにしていた。

 

俺らの会社は、国公立大学しか許可してくれていなかったので、私立大学というものがさっぱりわからなかった。

 

冬物語の主人公は日東駒専を目指すのだが、当時の俺は日東駒専関関同立GMARCHも全く全然知らなかった。

 

早慶がどれほど難関なのかも考えたこともなかった。

 

 

でも、あのとき死ぬほど苦しい努力をしといてよかったと本当に思える。

 

会社で働くことが当たり前の毎日に、わざわざ手を上げてまで勉強を始めたから今日に繋がったと思う。

 

もしもあのまま暮らしていたらまた別の生活はあったと思うし、それなりに楽しんだり頑張ったりしていたと思うが、今の生活が一番幸せだ。

 

人生をやり直せるのなら、今度は迷わずにまっすぐ塾長を目指す。

 

塾長は、子供達と勉強を一緒に頑張る楽しさ以外に、経営を考えることができる。

 

どういう塾にするのか、どういう子と頑張るのか、どこでやるのか、そんなことを全部決めることができる。

 

ありがたすぎる。

 

 

今、頑張ってる受験生も、自分の目指しているものと違うゴールが待ってるかもしれない。

 

だけど、がんばれ頑張るほどチャンスはたくさん巡ってくると思うし、幸せになる確率も高くなると思う。

 

 

 

数年ぶりに杏里の曲を聴いてみて、ふとあの頃のことを思い出した。

海を越えて。

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この入れ物どう?

 

ただの陶器の入れ物ではない。

 

遠くから運んできたものだ。

 

サハラ砂漠の近く、マラケシュから。

 

 

飛行機に乗って蚊がくっついてきたりすると、次に降りたところが全く違う場所だったらどんな気持ちになるんだろう。と時々考えることがある。

 

蚊だけじゃなくて、モノもそうだ。

 

「made in どこどこ」と書いてあることをよく目にするが、何だかピンと来ない。

 

でも、この陶器は自分で運んだので確実にアフリカ大陸のものだ。

 

アフリカの誰かが、アフリカの土を使ってアフリカの釜で焼いて、アフリカの色をつけたはず。

 

まさか、極東地方に運ばれるとは夢にも思っていなかっただろう。

 

生きているとそういうことの連続な気がする。

 

俺もまさか塾の先生になるなんて33歳まで思うことはなかった。

 

ベンツを買う日が来るなんて34歳まで思わなかった。

 

海外にこんなに行くようになるなんて、40歳くらいまで思わなかった。

 

 

オリンピック選手がいつかはオリンピックに出たいと練習して、オリンピックに出るのはわかるが、俺みたいに予期しない人生がくることがあるのが不思議だ。

 

だけど、それは実際は小さな選択の積み重ねの結果なのだ。

 

今、俺は酒を辞めることで結構苦しい思いをしているのだが、ここで酒をやめたから違う未来が待っている。

 

酒をやめない未来と酒をやめた未来。

 

どっちがいいかはわからないが、明らかに違う人生になることは確かだろう。

 

チャンスや転機は突然やってくることが多いからだ。

 

そのタイミングで手を上げられるかどうかは、いつも心で準備できているかどうかが大きいと思う。

 

何かをやりたいというが、じゃあこれしてみたら?っていうとできない理由を全力で話す。

 

何かをやりたいと言うくせに、今の楽しいことに流されている。

 

その楽しいことの未来には何があるのだろう?

 

若くして遊んでばかりいる人を見ると心配になることがある。

 

あとから、羨ましがっても仕方がないよね。

 

頑張っている人は準備をしたり、戦ったりしてるんだから、その差は簡単に埋まらない。

 

 

今日は睡眠不足なのか睡魔がすごい。

 

さて、最初から苦しいが授業に行ってこよう。

 

 

受験生のみんなできたかなあ、今日はずっと気になって仕方がなかった。

 

 

コロナ、そして共通テストからの二次試験。

伝染病というものが世界に蔓延するなんて考えたことがなかった。

 

パンデミックは映画やゲームの中の話かと思っていた。

 

受験生だけでなく、就職期の人もまた起業した人、飲食業、旅行業の人たち、多くの人が大ダメージを受けてしまった。

 

俺は阪神大震災東日本大震災も被災しなかった。

 

この歳まで生きてきて、これほど大きい出来事を体験したことがない。

 

コロナのためにやむ得ず自習室を閉めたり、オンラインに変えたりを余儀なくされた。

 

それと並行して共通テストという、謎のニュースタイルのテストを受験させられた年でもある。

 

試験直前まで二転三転してもはや訳のわからない中でのテスト。

 

試行テストがあまりにもぶっ飛びすぎていたので、俺もどうしようかと思った。

 

一番かわいそうなのは、移行措置をやらずに受験した浪人生だとも思うが、とにかくトンデモナイ年だった。

 

 

 

だけど、受験生のみんな。

 

やることは同じだ。

 

「自分のベストを尽くして、神に合否を問う。」

 

ただこれだけ。

 

運ももちろんあるかと思うが、人間には運を左右させる力はない。

 

だから全力を見てもらうだけ。

 

神に。

 

それだけだ。

 

 

 

頑張った全国のみんなを応援したいが、申し訳ない。

 

俺は俺の生徒を応援している。

 

俺の生徒、頑張ってくれ。

 

神様。俺の運を俺の生徒に配って欲しい。

 

どうか、俺の生徒が、どうか合格しますように。