みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

何かにならないといけないのか?

Facebookやらインスタを見てるとキラキラな写真や投稿が多くて焦ってしまう人が多いと思う。

 

だけど、誰が見てもわかる何か特別な人になれる確率は実際にはすごく低いんじゃないかな。

 

だから、きっと自分が大体オッケーなら感謝できるようにマインドを持っていた方が幸せな気がする。

 

というのはである。

 

俺ってずっと賢い子ばかりと勉強してきた。

 

新潟高校、金沢大附属高校、泉丘高校、茨木高校、北野高校、筑紫丘高校徳山高校、東京とかはもう覚えられないからわかんない..

 

東大をはじめほぼすべての有名大学やら医学部やらに卒塾生がでてるわけなんだけど、彼らを見て思うのは特別ではなかったって言うこと。

 

まれにこいつ天才か?と思う子はいるが、それは本当にまれで、多くのよくできる子たちも普通だったってことだ。

 

さらに上をみたらキリがない。

 

オリンピックで金メダルを取れる人は世界に一人しかいない。

 

つまり、オリンピックで金メダルなのか、全国大会で優勝なのか、地方大会で優勝なのか、県大会で優勝なのか、市の大会で優勝なのか、市の大会の決勝進出なのか、市の大会に参加することがゴールなのか決めておかないとわけがわからなくなる。

 

ゴールがないものはエンドレス競走になって、いつまでも満足が得られないことになる。

 

残念だが「これでよし。」という妥協点が必要だ。

 

そこまできたら一度満足して仕切り直すしかないと俺は思う。

 

 

学校の成績だってそう。

 

100点しかオッケーじゃなかったらこれは結構きついだろうし、それがクリアできる人は本当に少ないと思うのだ。

 

自分にそこまでの力があるか、またそこまで頑張る必要が本当にあるのかのバランスを考えとく必要があるように思う。

 

だから、何かをするのにはゴールが必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

....若いやつにはね。

 

俺は心は若いけどおっさん中のおっさんなので、そういう定位置的なゴールだと疲れちゃうのだよ。

 

おっさんレベルになると、静的なゴールじゃなくても、動的なゴールでも生きれちゃうからすごい。

 

さすがはおっさん。

 

 

 

 

 

教えてやろう。

 

たった今閃いた俺様のゴールを。

 

 

俺の人生は....

 

俺の人生のゴールは.....

 

 

「みかみ一桜らしく生きる。」

 

これだ。

 

これに尽きる。

 

 

媚びないし、へつらわないし、おもねらない。

 

毎日毎日俺らしく生きてるかどうか確認しながら生きることにしよう。

 

 

これが一番かっこいい。

 

これに勝つ人生の目標などどこにもない。

 

 

これが「みかみ一桜」。

 

そういう風に生きていく。

 

 

 

俺みたいになりたいやつは俺の真似をするといい。

 

わーっはっはっは。

 

 

さて、経営の本でも読むか。

 

俺はみかみ一桜なんで。

 

 

マスターマインドはSNSでも当てはまるのか?

全世界俺ファンの数名の皆さん、お待たしました。

 

王様がブログに帰ってきました。

 

まだ今月中はいろいろ忙しいんだけど、とりあえず700文字くらいなら打てるのではないか?ということで今日から700文字で書いていこうと思います。

 

ま、またいつか休むけどね。

 

 

マスターマインドってわかる?

 

ナポレオンヒルが広めた考え方なんだけど、いろいろな解釈の中で俺が一番有名だと思ってるのは、「あなたの身近な5人の平均値があなたです。」ってやつ。

 

だから、ビッグなやつとつるんでると自分もビッグになるし、カスばかりといるとカスになるよってういうことね。

 

ふと思ったんだけど、これってSNSに当てはまるんじゃね?

 

って言うか多くの場合、人は人から影響を受けてしまう。

 

例えば、俺は塾の経営者じゃん。

 

塾をオシャレにしている人の記事ばっかり見てると、俺もオシャレにしようかなあとか思ってしまうんだよ。

 

例えば、年収1億円の人に囲まれるとするじゃん。

 

じゃあ、俺も5000万円くらいいけるんじゃない?

 

とか思うよね。

 

 

ということはこのマスターマインドを逆に使えば、俺たちも目指せる方向に進めるのではないか?とこんなことを思ったわけだ。

 

普通、グレイトな人って身近にはなかなか会えないじゃん。

 

でも、SNSならフォローするだけだから、その人の影響を感じることができるもんね。

 

 

ってことで、俺も自分のマスターマインドを意図的に動かそうと思う。

 

俺が欲してるメンバーのカテゴリーは

 

「チャレンジャー」

 

もう、年齢はいいわ。

 

若くても年でも誰でもいい。

 

チャレンジャーをフォローしまくって俺もチャレンジャーになる。

 

 

引越しに金がかかるから、もう引っ越しやめたくて仕方ない。

 

でも、それをやらなければ今までの俺が変われない。

 

だから俺はチャレンジする。

 

前に進むのだ。

 

 

BGMもチャレンジャーにしとこう。

 

www.youtube.com

 

 

 

人生駅伝。

苦しいときにはいつも考えることがある。

 

苦しいときにこそ力の差が出るから、そういうときこそ勝負だということだ。

 

人生って平等じゃないと思うのだ。

 

だけど、努力する自由権はある(日本においては)。

 

俺の場合、結構後ろからのスタートだったと思うが、今はきちんとメイン集団に入ったと思っている。

 

いやいや、どうかしたらメイン集団より少し前の方に行ってるかもしれない。

 

それは苦しいときにこそ頑張ってきたからだと思ってる。

 

今日まで長い年月かけて少しずつ抜かしてきた。

 

前にはもっともっとたくさんの人がいるけど、先祖から受け継いできたタスキをまあまあいい感じにつないでいけたんじゃないかと思うのだ。

 

もちろんまだこけるかもしれないし、逆にまだ抜かせるかもしれない。

 

ここまでがんばってきたから、最後まで頑張ろうと思っている。

 

 

 

周りの人、出会った人たちに一番恵まれたように思う。

 

大学受験のときに応援してくれる会社の人がいなければ、大学には行けなかっただろう。

 

塾を開いて、最初の生徒が来てくれなかったら塾は維持できなかった。

 

そして、脈々といい子供達、親御さんが20年にもわたって途切れることなく来続けてきてくださって今日がある。

 

超優秀な仲間に恵まれた。

 

俺が俺になれたのは俺だけの力じゃないから、感謝をお返ししようとずっとボランティアも続けてきた。

 

塾を始めてまだ全く豊かじゃなかったときから、少しずつだがお返しさせてもらってきた。

 

本当ありがたい。

 

神様が俺にまだチャンスをくれ続けている。

 

 

なんでも同じ。

 

やれることしかできないから、やれることをきちんとやるだけ。

 

 

ちなみに、そこまで今ピンチじゃないからまだ余裕。

 

駅伝で言うと、「なんか足にわずかな違和感があるかもしれない気がするな...」という程度ね。

 

がんばるのみ。

 

日本のめし。

海外に行くと思うけど、日本って治安はすごいし、道がものすごくきれい話だし、驚くことばっかりだけど、それでも一番すごいのは飯が驚愕の味であるということだ。

 

しかも安価に。

 

カレーが食いたい時はカレー。

 

うどんだったらうどん、ラーメン、焼き魚。

 

ハンバーグ、唐揚げ、カツ丼、寿司、ざるそば、焼肉、さしみ、すき焼き、パスタ、鉄火丼、卵かけご飯、寿司、ピザ、味噌汁....

 

もう、想像できるありとあらゆるものが超美味しく安価に食えることだろう。

 

 

外国はそういうわけにはいかない。

 

まあ、俺は現地に住むほどのプロじゃないので反論はあるかもしれないが、例えば韓国に何日か泊まっていると「もう赤いのいいから。」って気分になる。

 

なんでもかんでも赤い料理が出てくる感じがして、胃が疲れてくる。

 

台湾も、「もう山椒入れなくていいから。」ってなる。

 

カンボジアだと、最終的には「バーベキュー的焼き鳥食ってアンコールビールがあればいいわ。」ってなる。

 

一番悲しいのはフィリピンで、「今日の料理は油と塩だけで作ってみましたー。」的な、「高血圧になるんですけど?」って思ってたら、「ドリアンでも召し上がれー♪」みたいな感じで、もはや政府の力で食医みたいな仕事を誕生させる必要性すら感じてしまう。

 

海外に行きまくってると、普通の食事にありがたみが生まれる。

 

どうして日本ってこんなにすごい料理がいっぱいあるのだろう。

 

 

あっ、ただ、海外の食事にもいいことがあって、海外で飯を食うと「何がくるのかなー?」とか「どんな味かなー?」っていう楽しみはある。

 

というわけでまあ、バランスだね。

 

 

今年の夏過ぎくらいから、海外に行けそう。

 

PCRなしでカンボジアに行けるようになったら、またホームステイ企画やるから、参加したい高校生は教えてね。

 

 

 

 

 

 

共通テスト対策。

1月30日の2回目のセンター試験の結果みてびっくりしたんだけど、平均点36点って正気?

 

もちろん、みんなの学力がわからないのでなんとも言えないが、もはや平均が36点になるような試験の授業をするのはも俺には不可能。

 

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これ、この試験受けた子でいい大学はいれんよね?

 

頼むから高校の教科書の延長上に、試験を持ってきて欲しい。

 

受験生は忙しいのだから、単元をまたぐことは無理だし、くだらない引っ掛けや数学的に難しくすることで難易度を上げないで欲しい。

 

単元をまたぐというのは、化学というのは電気化学、熱化学、結晶のように単元ごとに勉強していく。

 

社会で言うと、衆議院をやって参議院をやって内閣をやるような感じだ。

 

例えば内閣の問題なのに、衆議院の何々と比較して、内閣には...ってやってしまうと、衆議院のことを内閣と比べて勉強しないといけなくなる。

(この例はわかりやすく書いた例なので、つっこまんでね。めんどくさいから。)

 

受験生は時間がないので、それぞれで整理して勉強したのでいいと思うんだよ。

 

実際に仕事で化学を使うときだって、今は電気化学の知識を使ってる、今は熱化学の知識を使っているという認識があるわけだから、それぞれを分けた状態でいいと俺は思う。

 

もしも難易度を上げたいのなら、そういう試験テクニックみたいな上げ方ではなく、純粋に化学の知識で難易度を上げて欲しいと思う。

 

ただそれにしても36点だともうやりようがない。

 

今回の52点のテストでももうヘトヘトになったというのに。

 

共通テストってのは多くの子の力を見るテストだと思うのだが、俺の中では上位層の差を見る試験というよりは、地方国公立のレベルくらいに一番感度の高い試験だと思っている。

 

東大とかの難関大はどうせ共通テストの配点が低いのだから、もう少し平均点をあげてもらえるとありがたい。

 

このまま試験がどんどん変な形で難化をしていった場合、俺のとる戦略はただの一つしかなくなってくる。

 

「いかに基本をわかりやすく説明するか?」

 

これに尽きる。これ一点だ。

 

 

あとは大量の問題をガンガン解いていって、重箱の隅を探し続けるしかなさすぎる。

 

一時はゆとりゆとりってうるさかったくせに、今度は謎の「考える力」ときた。

 

そういうことをするのなら、大変化じゃなくて、1問ずつとか2問ずつとかそういう問題の割合を増やしていって、受験生に負担をかけないようにすればいいのにと俺は思う。

 

 

余計なお世話だけど、化学がそんなに得意ではない化学の先生も日本には多いと思う。

 

コロコロ変えたら、そういう先生に習う生徒は不利だと思う。

 

どうせ俺の言葉なんか届かないから、ただの愚痴なのだが生徒がかわいそ過ぎると思ってしまうのだ。

 

 

ノートをとること。

最近、文字を1日4500文字ずつ書いているので、書くことについていろいろなことを考えている。

 

俺は時間短縮でできるだけ板書を書いたものを配るようにしていたのだが、板書を写すという行為は意外に重要なのではないかと言う気がしてきたのである。

 

文字を書くときのことを詳しく考えてもらいたい。

 

まず、板書を見る。

 

そしてそれを覚えておいてから、書いているのである。

 

例えば、「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」これを写すとしようか。

 

この文章を一回読んだあと、どこかの長短期記憶の部屋に、この文書を記憶するのだ。

 

で、これを紙に書くと。

 

つまり、紙に書くという行為には、記憶が必ず伴っていると思うのだ。

 

記憶しなければ文字を書くことはできない、ということに気付いてしまったのだった。

 

 

 

さらにさらに、最近すごいツイートを発見してしまった。

 

吉川真人さんという中国の深センに住んでいる人の投稿だ。

 

『学歴は高ければ高いほどよい、と中国にいると思わざるを得ない。優秀な人の周りには優秀な人が集まり、成功に対する蓋然性が高いが故にそこにはヒト・モノ・カネ情報が参り込む。その点日本は学歴無関係論がまかり通るから恵まれている。でも蓋然性の視点が欠如した試論がされがちよね。おはようさん』

 

 

確かに。

 

いい高校に行くのはなんのためか?というブログを昔書いたことがあるが、いい友達に巡り合うためなのである。

 

いい友達に囲まれる方が、環境がよくなるに決まっている。

 

「俺さあ、夏休みにシンガポールに留学するんだよね。」とか「お年玉で、株を始めたみたんだ。」という友達といるのと、

 

「この前学校休んだ日にパチンコ行ってね。」とか「朝からやることないからずっと寝てたわ。」みたいな友達といるのでは、刺激が全然違ってくるだろう。

 

後者のような学校だったら、何かに対する感度も磨かれずに時間だけが経過していくよね。

 

 

 

塾も同じ。

 

ただ、授業をするだけの先生と、「ノートに書いたら賢くなるんじゃないかと思うんだ。」と言う先生がいる塾では環境が違いすぎる。

 

というわけで、新年度の生徒をもうすぐ募集します。

 

 

今年も一発で満席になるのではないかと思うので、早めの検討をよろしくお願いします。

 

 

塾からの内申書。

今、時期的にみんなのことを思い出しながら、チラシを書いている。

 

一人一人のことを考えながら書いている。

 

もし、俺が内申書を書いたらどうなんだろうと考えてしまって、「全員が満点になってしまうな。」って笑ってしまった。

 

塾ってのはただ授業を教えているだけに見えるが、実際にはいろいろな親御さんから連絡があったり、子供達が相談に来たりしてるから、意外にそれぞれの家に関わっている。

 

守秘義務のようなものもきっとあると思うから、そういうことは他言しないけど、でも授業をやっているだけではない。

 

するとおとなしそうな子供でも、目立ってる子供でも全員同じように主役なんだということに気づかされる。

 

学園もののドラマがあったら、週ごとに主役の生徒が変わるけどまさにああいう感じだ。

 

それぞれに優劣もないし、良い悪いもない。

 

例えば、なにか失敗してもそのときそのときでそれぞれに言い分や理由があったりする。

 

ただ失敗してるわけじゃない。

 

そんなことを考えてるとみんな正しい気がしてくる。

 

 

俺の教室は中3からしかやっていないけど、それでも4年間一緒に勉強する。

 

そりゃあ、その子のことがわかってくるよね。

 

大人しい子だったら、

 

「人の話を注意深く聞けるすごくいい子です。みんなの意見を聞いてから、雰囲気を壊さないように自分の〜〜〜〜〜」

 

少し乱暴な子だったら

 

「正義感にあふれるすごくいい子です。将来は弁護士のような弱者を助ける仕事にすごく向いている〜〜〜〜〜〜〜」

 

みたいな感じで、400字の原稿用紙10枚くらい簡単に書けそう。

 

 

 

塾始めた時は、俺も34歳で親御さんより若かったのだが、いつの間にか親御さんより年上になってしまった。

 

年を取れば取ったなりの塾に変えていくのがいいだろう。

 

どう変えたいかって言うと、もっともっとコミニュケーションの多い塾だ。

 

もちろん成績が大事なのは言うまでもないが、人との関係は大事だと思うのだ。

 

子供だけじゃなくて親御さんとも話したりして、子供達のいいところをたくさんお知らせできる塾になりたいと思っている。

貧富の差による幸不幸。

貧富の差が大きかったら、絶対に不幸だと俺は思っている。

 

東南アジアでいうと、フィリピンが一番貧富の差が大きいと思う。

 

例えば、ショッピングモールには、ホームレスっぽい感じの人は入れないからね。

 

下手したらコンビニにも入れない。

 

なんでかって?

 

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こんな感じで、それぞれの店の前にガードマンがいる。

 

銃を持って。

 

だから、誰かに追いかけられたり嫌な感じになると、どっかの店に逃げ込むと安全なのだが、一方ではめっちゃ金持ちの人もいるからね。

 

貧しい人は、リッチな人をいつも横目に見て暮らしている。

 

俺が、ホームレスだったらもう絶望しかない。

 

だけど、自給自足の村とか行くと、みんな貧しいから結構楽しそうに暮らしているように見える。

 

子供たちが虫を捕まえに行ったり(食べるために)、魚捕まえたりして、和気あいあい暮らしているように見える。

 

誰かが貧しかったとしても、みんなが貧しかったら別に妬みとかうらやましいとか絶望感が生まれにくいと思うのだ。

 

 

ちなみにそれが、俺が東京が苦手な理由の一つだ。

 

10年以上前になると思うが、東京で塾をやっていたとき、俺が住んでた千代田区の平均年収は1000万円超えてたからね。

 

例えば、沖縄とか東北地方とかで年収1000万円っていうとまあまあ金持ちだと思うのだが、千代田区では平均以下になる。

 

フェラーリーやらランボルギーニやら見ると、ため息がでてしまう。

 

っていうか、そのギラギラしたエネルギーに俺がやられてしまうんだよね。

 

シンガポールも同じ理由で苦手だ。

 

マリーナベイサンズのところに、いつも高級外車が停まっていて、はー。ってなる。

 

一攫千金狙ってる人達や野心家のエネルギーって凄まじいものがあるから、俺なんかその人たちの覇気だけでキャタピーとかニョロニョロとかになってしまいそう。

 

俺には山口県がお似合いだと思う。

 

住むところを間違ったら、きっとうまく生きるのが難しい。

 

 

今まで日本では人口が増えてきた。

 

人口が増えることを前提に、例えば不動産も上がってきただろうし、インフラも整備されてきたと思う。

 

だけど、これからは人口が減ってくることで起こるいろいろな現象が俺らに襲いかかってくるだろう。

 

目先のことで判断するのではなく、対極的に物事を考えていきたいと思う今日この頃である。

 

 

 

酒をやめてまだ10日かあ。

 

すごい我慢してる気がするんだけど、まだ10日か。

 

がんばろっと。

 

塾は減る。

塾は減ると思うね。

 

 

 

ラジオあったろ?

 

テレビができてラジオのリスナーが減った。

 

ネットができてテレビの視聴者が減った。

 

でも、雑誌もテレビもネットは今も共存している。

 

 

 

昔、ブログあったじゃん?

 

結構みんな見てたよね。

 

でも、FacebookができてTwitterができて、それぞれのSNSへとみんなが分散していった。

 

だからといって、ブログは今もある。

 

 

つまり、それぞれに人口が振り分けられていることを意味する。

 

 

だとすると、新しい媒体ができれば必ず人間が振り分けられてしまう。

 

 

今はネットで勉強する人が登場した。

 

さて、勉強形態がまた多様化してしまった。

 

塾は決してなくならない。

 

でも、塾を選ぶ生徒は減ると思う。

 

 

どうやって残るのか?

 

それを決めるのが経営者だと思う。

 

 

うちのグループは経営者の軍団。

 

あっ。ちょっと有利かも❤️

 

SNSで勉強の進捗管理をする人がいると思う。

 

つまり選択肢が増えたということ。

 

 

 

どうやって勉強するかの選択肢が増えている以上、塾は減ると思う。

 

 

SDGs と 我々の取り組み。

えー、俺たちのグループでもSDGsを意識して、若い人たちのためにできるだけ今の地球をそのまま伝えようという取り組みを行っている。

 

様々な取り組みの中でどうしても上手にできない男がいるので、暴露しようかと思っている。

 

取り組みの中のひとつに、食べ物を粗末にしないという運動がある。

 

「頼んだものはきれいに全部食べようね。これは地球のためであり、後世の人たちのためでもあるんだよ。」

 

そう話してお好み焼き屋に行った日だ。

 

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あちゃー。

 

どうしてこうなってしまうんだろうか。

 

汁物なら大丈夫なんじゃないか?

 

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かー。

 

もちろん手前が俺が食ったやつね。

 

何?

 

スイーツが好きなのか?

 

スイーツはきれいに食えよ。

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あっ、これ俺のね。

 

しょうた氏のを見てみる?

 

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ち、地球が.....

 

地球が滅びてしまう。

 

 

 

 

最後はこれ。

 

 

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あーあ。

 

一皿ずつに醤油をかけてるよ。

 

 

国連のアントニオグテーレス事務総長に怒ってもらうしかない。

やはり積んでいくことの方が面白いね。

まあ、趣味が酒だった男が何を言うのかって話だが、刹那な趣味よりも積んでいく趣味の方が面白いね。

 

どういうことかっていうと、ネットフリックスに入ってるんだけど、あれって見たら終わりじゃん。

 

次につながらない。

 

無知がゆえに間違ってドラマなんか見てしまうと、最後まで見ないと気になるし、見てる時はいいのだが、見終わった後は使ってしまった時間のことが気になってしまう。

 

それでもってスキルが貯まったかと言えば、何も貯まっていない。

 

運動ならオッケーだ。

 

きっと次の時にもう少し上手になってる。

 

あるいは少し健康になったはずだ。

 

 

って考えると、何か次に繋がる系の方が俺的には楽しい。

 

旅行もいい。

 

知見がたまってくると、さらに次の旅行が良質になる。

 

 

今は、問題を解いてるときに、変なアドレナリンがでて快感なんですけど..

 

ああ、あそこをこう説明しようとか、ここをこう説明しようとか。

 

 

スキーとか、ゴルフとか、自分が上手くなるとすぐに説明したくなるおっさんとかいるじゃん。

 

あれ、最初はいいけどだんだんうざいよね。

 

でも、俺らの場合それが仕事だからね。

 

どんなに丁寧に説明しても、どんなにうんちくたれてもウザがられない。

 

雑に説明してると、むしろ「もっと丁寧に説明せいや、コラッ。」ってことになるからね。

 

ウザいおっさんにとっては天職のような仕事だ。

 

 

というわけで、もう授業だ。

 

さらば。

受験勉強だって、いかにかっこよく生きるかってことだろ。

アル中の俺は、今年初めて本気で酒をやめることにした。

 

それは、受験勉強を経験したからだとも言える。

 

なぜなら、今日まで生きてきて受験勉強よりも苦しかったことなどどこにもないからだ。

 

先日、胃カメラをやって苦しかったが、受験勉強やるか胃カメラやるかといわれたら、「胃カメラを1ヶ月くらい刺しっぱなしにでもしといてください。」ってことになるだろう。

 

極寒のブリザードシベリア鉄道の駅の構内で遭難を想像してしまう瞬間があったが、受験勉強に比べたら、まるでこたつで冷凍みかんを食ってるくらいの寒さにしか感じない。

 

ゆるいのだ。

 

ゆるいのだよ。

 

世間の厳しいことなど、受験勉強に比べたら緩すぎてあくびが出てしまう。

 

 

だから、究極的にかっこよく生きれるかどうかの芽は、受験勉強の中に眠っていると考えている。

 

俺の受験勉強はたった一人、不安の中の勉強だったが、その孤独感と無力感は俺を逞しくさせてくれた。

 

 

今年もまた受験のシーズンで、俺の忙しさもピークを迎えている。

 

合否はもちろん重要なことではあるが、それよりも頑張ることを理解してもらえたらと思っている。

 

もしも頑張ることを体得することができたら、それは一生の財産になるだろう。

 

何かピンチが来たときに、「これが受験勉強だったらどうだろう?」そう考えるだけで、全てのことはゆるゆるの楽勝モードに思われた。

 

時間は平等に与えられているから、どういう風にやっても必ず試験の日が来る。

 

だから、本当に一生懸命にやれたかどうかは自分しかわからないだろう。

 

俺がもし受験生に戻ったとして、もう一度やり直したとしても、あのときよりももっとやれることは絶対にないし、あれが俺の限界だった。

 

そう思えるからこそ今、微塵の後悔もないし、今を頑張ることができる。

 

それを伝えるために俺はこの仕事をやっているとも言える。

 

 

 

あと少し。

 

何をやるかはもうわかっているはず。

 

誰だってそう。

 

それを本当に実行できるかどうか、いや、実行するかどうかは君が決めている。

 

一生懸命にやってもいいし、一生懸命にやらなくてもいい。

 

それは君自身の選択だ。

 

おしゃれな服を着ていることや、いい持ち物を持っていることはかっこいいことなのかも知れない。

 

だが、それ以上に内面を強化することは重要だと俺は思う。

 

ここまで不完全にやってきたと思っても大丈夫だ。

 

まだ、間に合う。

 

今、この瞬間からもう一度頑張ればいい。

 

自分のギリギリで戦うこと。

 

俺はそれが一番かっこいいと思っている。

 

変える変える変える。

全部変えるから。

 

何から何まで変えてしまう。

 

俺のおしゃれっぷりも全部変えようと思う。

 

他人の誰にも理解されなかったが、俺はおしゃれだったのだ。

 

海外によく行っていたので、日本風の服の方が海外に喜ばれるだろうということで、いつも和柄を着るようにしていた。

 

飛行機に乗ったら、外国の人から「きれいな刺繍ね。」とか言われたんだけどなあ。

 

テーマは「刀と女」だった。よくない?

 

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抜刀娘というデザインなのだが、春と秋に毎年買い足していって今のラインナップになっていた。

 

ただ、ちょっと和柄からも卒業していこうと思っている。

 

だってコロナで海外に行けないからね。

 

意味ないじゃん。

 

さらにこんなに日本にいると、海外への欲求が下がってくる。

 

日本でできること。

 

日本で楽しめること、がんばれることを考えていこうと思う。

 

あと1ヶ月した丸1年日本にいたことになる。

 

最後に行ったのは、カンボジアだった。

 

 

向こうにいるときに、旅行会社から何度も電話がかかってきて、飛行機が何度も変更になった。

 

ラストのフライトと言われ、そっちに移動したらそのフライトがなくなったと言われる。

 

本当の本当のラストのフライトだった。

 

空港で俺らの発券がすんだあとにきた人はみんな「チケットがありません。」「じゃあ、どうすりゃあいんじゃい。」「すみません。でもないんです。」みたいなやりとりばっかりだった。

 

ギリギリの飛行機で俺らは帰国することができた。

 

あのときは様子を見るために、2週間ほどカンボジアに滞在するかという話もしていたのだが、残ってたらロックダウンで数ヶ月拘束されるところだった。

 

運が良かったとしか言えない。

 

今なら....

 

もしも今、仕事がなかったら、カンボジアに引っ越してホテルで暮らすのも悪くないと思う。

 

とは言え、現実的に仕事があることに加え、現在受験時期真っ只中なので、逆に超忙しい。

 

塾の先生の一番忙しい時期なので、コロナがなくても海外に行けない。

 

 

というわけで、しばらくは日本にいながら、未来のことに着手したいと思っている。

 

昨年、海外に行かなかっただけでいろいろなことができたので、今年はもっともっと大変化を起こしたいと思う。

 

 

 

何?

 

結局何がいいたいか?

 

おう。

 

それなら言ってやろうか。

 

 

忙しすぎて、ゆっくり考える時間がないんじゃいっ。 

 

 

 

ひなこちゃん。 しばらくしたら、続きまたいこうぜ。

 

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かすかな記憶。

酒をやめてから、ハーブティーにハマっている。

 

というよりは、俺は昔からハーブティーが好きだったことを思い出す。

 

それを完全に酒が駆逐してしまい、「酒以外は全部同じ飲み物。」に感じさせてしまった。

 

というのは、ドリンクバーあるじゃん。

 

ああいうどうでもいいような場所に、若いときの俺も行ってたんだった。

 

最近は、飲み放題とかハッピーアワーとかの店に行っていたが..

 

 

 

当時は好んでハーブティーを飲んでいた。

 

俺らの時代にハーブティーっていうと、「なんだ?その野菜の葉っぱみたいな味は?」ってなっていたのだが、俺は無類の野菜好きで、飲み物から感じるその植物感がなんとも言えなかった。

 

当時はたしかペパーミントが好きだったような気がするのだが、今飲んでみるとそうでもなかった。

 

まだ、そう多くは試してはいないが、今のところ「ローズヒップ」がめっちゃ美味しい。

 

実は俺はコーヒーもそこまで好きではない。

 

ただ、お茶系はなぜかわからないけど、すっきりしておいしいと感じてしまうのである。

 

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中国に行ったら、こういうのでお茶が飲める。

これも風情があって面白いとは思うのだが、味はなんかやっぱりお茶お茶な気がする。

 

日本の玉露や高級な烏龍茶とかも、確かに美味しいとは思うのだが、ハーブティーの方が旨い。

 

なんか酒好きだったやつの負け惜しみ感がすごい気もする...

 

 

 

でも、しばらくはハーブティーを色々試してみようと思う。

 

それで一番自分の好きな種類が決まったら、飲み方を決める。

 

 

マイクロプラスチックってご存知だろうか?

 

PM2.5のような感じで、今まではほとんど気にもしていなかった微細なプラスチックの破片である。

 

ティーバックにはこれがたくさん含まれており、俺ぐらいガブガブ飲むと体にプラスチックが蓄積されると怖いので、最後はできるだけ自然に近いものをプラスチックフィルターを使わずに飲みたいと思っている。

 

親御さんが俺の家に来られた時なんかは、いい感じでハーブティーを出せたらと今は考えている。

 

 

ある時期、本当に保育園の先生になりたいと思ったことがあったのだが、他人の目が恥ずかしかったのでできなかった(当時は保父さんと呼ばれており、レアすぎた)。

 

このハーブティーも俺みたいなおっさんが、「はい。ハーブティーでも召し上がれ。」なんて言うとキモくて仕方がないのだが、酒をやめた今、代わりの飲み物を探索しておかなければ、酒の国の妖精が俺を迎えに来てしまう。

 

金もそんなにかからないし、しばらくはハーブティーの世界にいようと思う。

 

 

 

....もしも、このままローズヒップが一番美味しいってことになると、主要原産国であるチリに直接買い付けに行こうと思っている。

 

なぜなら、俺はこだわる男だからなのである。