ジャンル関係ねえな。
一生懸命にであれば。
一生懸命にやるやつを批判しているやつに価値はない。
犯罪以外のどんなことにでもいいから、一生懸命になってるやつはそれだけで価値がある。
俺も大学に行くと決めたときに、いろいろな人から反対された。
工業高校から、しかも社会人になってしまった今、大学を目指すなんか無理だと。
独立するときも、いっぱい引き止められた。
会社をやめて成功したやつなどいないから、このままいるのが一番幸せになれると。
でも、俺は今、コタキナバルのホテルで、ビュッフェ食った後に、
ベットに寝っ転がってこの景色を見ながら、化学の説明の順番を考えたり、塾をどうするかを考えている。
定年の日も自分で決めるし、転勤も自分で決める。
南国のこの島の空を見ていると、ああ、このままずーっと行けば、俺が住んでいる空や俺の大事な人達がいる空に繋がってるんだなあとか考える。
世界の広さより、人の心の中の方がきっと広いから、いろいろな人の意見や考え方が交錯している。
ネットの中には。
自分を一番正しいと考えるから、批判や妬み、陰険な言葉が。
俺も昔はそうだった。
でも、今はみんなが正しいと考えられるようになってきている。
みんなそれぞれ一生懸命だから、自分のやり方が正しいと、そのことを肯定しながら生きてるんだろう。
ただ.....
一生懸命の度合いはきっとみんな違う。
テスト勉強をする中学生は、みんな一生懸命にテスト勉強をしている。
でも、ある子は計画通りに勉強することが一生懸命だと考える。
ある子は、何点、何番以上になることを一生懸命だと考える。
ある子は、何時間やるかを基準にするだろう。
時間も、トイレや休憩の時間を合わせるかどうかでまた違う。
一生懸命に度合いは千差万別。
だけど、だから一生懸命っては数値化して考えないといけないんだよ本当は。
そこで俺が一生懸命を式で書いてみる。
一生懸命率(%)=今やってる一生懸命/自分が限界である一生懸命
一生懸命強度(%)=1日にそのことを考えている時間/1日に考える時間
一生懸命限界分岐点 そのことのウエイトが全生活の半分を超えたとき
一生懸命量(日)=日数 × 一生懸命率
本当の一生懸命は最低でも、一生懸命限界分岐点は超えてないといけないし、一生懸命率70%以上、一生懸命強度30%以上、一生懸命量45日くらいは欲しいところだ。
俺も批判的思考になることは多いが、それは俺が自分がたまたま幸せであるからであり、他人の違うスタイルの幸せを認められない俺の器の小ささからくるものだと思う。
まあ、こんなのんびりした場所で批判について書こうと思ったんじゃなかったのだが、ちょっと趣旨がずれたね。
もっと、もっとだ。
もっと幸せをみんなに配ることができる男になろう。