みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

問題を解くスピード。

俺は昔から問題を解くスピードにこだわっている。

 

テストは最初から解き終わるまで激集中して欲しいと思う。

 

もうペンの先からビームが出るくらいにだ。

 

 

俺も昔から速く解くことに異常に関心があって、とにかく速く書き込むことに命をかけていた。

 

国家試験なんかも、とにかく速く速くと思いながら激アツの集中力で書いてきた。

 

 

中学生をよく見てると、解くのが遅い子がいる。

 

もしも親御さんが子供達の意見を聞いたら、こんな風に子供は言うだろう。

 

「お母さん、私解くのが遅いから、なかなか点が上がらないの。」

 

ああ、この子は慎重に書き過ぎてるんだな。

 

とか、この子は解くのが遅いのね。

 

って思うだろう。

 

 

それは違う。

 

同時にたくさんの生徒を見ていると、なぜ遅いかということに気づいてしまう。

 

書くスピードや解くスピードはそれほど個人差がない。

 

それよりも、なぜ?と思える場所で休憩しているのである。

 

解いてるはずの時間にだ。

 

シャーペンを見てみたり、指を触ってみたり、景色を見たり。

 

明らかに問題文は見ていない。

 

ぼーっとしている、つまりテストの世界から離れている時間が存在している。

 

 

俺は思うのだ。

 

限られた時間の中で、貪欲に点を奪い取りにいって欲しいと。

 

時間いっぱいカツカツにテストをやって欲しい。

 

自分の子供だけだと、他の子との違いがわからない。

 

そういう情報も発信するのが学びの場所だと思うし、そういう傾向を減らしていくのも俺らの仕事だと思っている。

 

俺は塾の子たちだけ勝てばいいと思って、授業をしている。

 

塾の子だけ合格して欲しいと思っている。

 

だから、できるだけ自分の塾の子を強くしたい。

 

 

他の子が見たら、しょんべんチビって泣きわめくくらいのオーラを纏って欲しい。

 

高校入試はあと5ヶ月を切った。

 

センターは約3ヶ月後だ。

 

 

 

いろいろな方法で、自分の子供たちが負けないように、おまけをつけてあげたいと思っている。

 

俺の塾の名は炎集団。

 

熱く燃えまくるしかないぜ。

 

学問という武器。

こう書くとどうなのかと思うが、全てに優先順位ってのはあると思う。

 

部活を一生懸命にやる子は多いし、俺だって中学高校時代は一生懸命にやった。

 

体育祭や文化祭に思い出を作るのは大事なことだ。

 

ただ、勉強とは重さが違い過ぎると思う。

 

 

勉強で高校が決まり、大学が決まり、最終学歴が決まり、会社が決まり..

 

多くに影響を与えていると思う。

 

 

俺が人生をもう一回やり直すなら、もう部活なんかしない。

 

チャラい遊びなんか一切しない。

 

ずっと勉強する。

 

だって、将来にわたっての影響が大き過ぎるからね。

 

 

学校に行きながら勉強で比べられているってことは、すでに社会の競争が始まっていたってことにあの頃の俺は全く気づいていなかった。

 

小学生の卒業文集に「人類の幸せに貢献するために医者になりたい。」って書いていた俺の友達と、「本屋を作ってマンガの立ち読みが自由にできるようにしたい。」って書いた俺とでは、すでに心構えが全然違っていたってことが今になってわかる。

 

もちろん、早熟、晩熟の違いはある。

 

ただ、早くから学問の重要性に気づいていた子の方がいいことがいっぱいあると思う。

 

俺の視点に「人類の幸せに〜〜」がなかったのは一つは家庭環境の問題もあったかもしれない。

 

家の中にそういう発想が全くなかった。

 

だから、学問っていうのはもしかしたら一代限りものではなく、数代にわたって行う系譜的な戦いなのかもしれない。

 

親の学問に対する考え方が、子供に大きな影響を及ぼしている。

 

親が子供の学問にどう向き合うかということが、子供の人生に大きな影響を与えることと思う。

 

俺の仕事は塾の先生だが、この仕事はみんなの役に立てる尊い仕事だと心から思っている。

 

拳銃や刀だけが武器がではない。

 

それよりもはるかに上位武器の脳みそを作るという仕事に、一部であるが携わっていると思う。

 

 

子供たちよ。

 

勉強しよう。

 

勉強はきっと君をいろいろな場面で助けてくれるだろう。

 

君を豊かにしてくれるであろう。

 

そして可能性を広げてくれるはずだ。

 

 

俺は勉強を始めて、自分の人生が大きく変わった。

 

勉強という武器を手にできたからに他ならない。

 

 

これを子供達に伝えたい。

 

俺らの次の世代の子供たちに...

 

俺らにとって価値の高いものはなんなんだ?

大事なものと大事じゃないものってどっちが大事?

 

「何か欲しいものある?」

 

と聞いて、「なんでもいいですか?」と聞き返されたらこれはかなりの確率で「お金。」と答えられる。

 

お金は色々なものと交換してもらえるので、やはり気持ちはわかる。

 

でも、どうなんだろう。

 

どうしてそこまでお金が重要なのだろうか?

 

そういう俺もお金が欲しいのだが、俺の場合はある程度の年齢なので、ルイヴィトンが欲しいわけではない。

 

というか年取ってくると物欲は低くなる気がするから、どっちかっていうと食っていける保証があればいいかなって気もしてくる。

 

ルイヴィトンのバッグを買ったとしても、「それいいわね。」って言われたら終わりのような気もするのだが、どうしてだろう?

 

そういう俺もベンツとかBMWとか乗ってきた。

 

もし無人島に一人で暮らしていたら、絶対に乗らなかったと思う。

 

一人ならトラックに乗ったと思うなあ。

 

見栄がものすごく強い生き物なのか?

 

人間って。

 

 

最近、時間のことを考えるようになっている。

 

お金持ちの人が、何かすっごい嬉しいことがあったのと、お金がない人が何かすっごい嬉しいことがあったのと、嬉しさって同じじゃないの?

 

お金使ってるから嬉しいとか、使ってないから嬉しくなってことはないんじゃないかって思う。

 

お金はなくなっても取り戻せるが、時間は本当に有限だ。

 

幸せに生きていこうと思ったら、もっと時間について考える必要があるのではないだろうか?

 

どうやったらお金持ちになれるかって本はいっぱいあるけど、どうやったら時間持ちになれるかって本は出てないよね。

 

みんなに本当に平等にある時間を、どういう風に使っていくかというタイムマネージメントは、いやいや、それを超えてタイムマーケティングは本当はものすごく重要なのではないだろうか?

 

みんな、お金持ちにはなれないかもしれないけど、頭の使い方で豊かな時間持ちになれるとは思うのだ。

 

もし、俺が時間研究家になってこれをまとめて発表したら、俺は地球で時間研究の第一人者だから、がっぽがっぽとお金が入ってくるな。

 

あっ、時間が大事って書いてる最中だったのに.....

 

 

 

日本ってすごい。

先日用事があって、フィリピン人とある国で会う約束をした。

 

それが2ヶ月先の話なのだが、フィリピン人がパスポートが切れてるから、間に合うかどうかわからないと言ってきた。

 

2か月前に声かけたのにどれだけルーズに申請するつもりなのかと思ったのだが、数時間して連絡が入った。

 

フィリピンのパスポートセンターに連絡したら、最短で2ヶ月半から3ヶ月はかかると言われたという。

 

そこかー!

 

それは気が付かなかった。

 

日本だとパスポートを作るのに、だいたい一週間くらいでできるから、他の国も同じようなことかと思っていたら、割と進んできたフィリピンでさえ2〜3ヶ月もかかるのか。

 

おそろしい。

 

 

日本だと国際免許は1日で作れるし、ビザ無しで行ける国もたくさんある。

 

最近、カンボジアの友だちが「なぜ自分たちの国はこんなに海外に行くのが難しいのか?」と嘆いてきた。

 

そうだな。

 

先人の人たちが頑張ってくれたおかげだと思う。

 

 

だから、俺も海外に行ったらできるだけ外国の人に優しく接している。

 

俺らの子孫が愛されるようにだ。

 

昔は自分の住んでいる国と外国を比べて、ものを考える事は一切なかったが、これだけ海外に行くようになると色々考えられるようになった。

 

若い人と話す時はできるだけ海外の話をするようにしている。

 

次の世代に今まで自分が蓄えてきた経験を伝えたい。

 

 

すまん。

 

今日も忙しい。

 

で、明日も祝日なの?

 

 

仕事が....

 

仕事が....

 

今日は俺はマジで時間がない。

今日の俺は時間が本当にない。

 

だから、一発でいいことを書かないといけない。

 

 

「気にしても仕方がない。」

 

人間はくよくよする生き物だ。

 

あれこれと心配することが多い。

 

でも、その心配は相手に伝わらないのが普通だ。

 

だから、気にすることはもはや無駄になると言える。

 

 

俺は他人に言い過ぎたり、ミスしても気にしないことにしている。

 

それでも生きていける。

 

 

悩んでるあなた。

 

気にすることは無駄な行為だ。

 

今すぐ気にすることをやめて、アイスクリームでも頬ばろうじゃないか。

こだわりのコーヒー。

コーヒーにこだわりがある人とない人はどっちが幸せなのかを考えてみる。

 

ちなみに俺にはこだわりがある。

 

まあ、俺のこだわりってのは俺は缶コーヒーが好きなんだよ。

 

1位 ジョージア無糖

 

2位 ダイドーデミタス微糖

 

メーカーだとキリンとかはあまり好きではない。

 

まあ、毎日数缶飲む生活を何十年か続けてるわけだから、好みもでるよね。

 

淹れたコーヒーはどうも苦手だ。

 

スターバックスとか意味もわからないし、イタリアなんてあっちでこっちでみんなエスプレッソ飲んでるけど、本当にどこが美味しいのか不思議になる。

 

というか、超美味しくないし。

 

さて話を戻そう。

 

 

まあ、缶コーヒーで説明するとわかりにくいから、自分で淹れたグアテマラのコーヒーで説明してみることにする。

 

「ひっひっひっ、朝起きてこのグアテマラのコーヒー飲むの幸せなんだよね。なんたって日陰栽培の豆だし、俺のは高地栽培の特別なやつだから、フルーツの香りを探しながら飲むのが朝の1番の幸せだ。ああ、今日もうまいなあ。」

 

こだわりのコーヒーなので、きっと美味しく感じるはずだ。

 

一方で、こだわりのコーヒーがない人はこんな感じになるはずだ。

 

「さて、朝だ。今日もコーヒー飲んで頑張ろう。ゴクッ」

 

....短かっ。

 

 

どうだろう。

 

これを比べたら、こだわりのコーヒーがある人の方が朝の幸せが増えているのがわかるだろうか?

 

ところがである。

 

これだけでは済まない。

 

グアテマラのコーヒーを切らしていた場合だ。

 

「あー、コーヒー豆がもうなくなってる。しまった。買っとけばよかった。今日はとりあえず、缶コーヒーで我慢するしかない。」

 

ここからなのである。問題は。

 

どんなコーヒーでもいい人は、缶コーヒーでも美味しいと感じるが、グアテマラのコーヒーの人は「げっ、まずい。」「なんでグアテマラ買ってなかっただろう...」

 

マイナスの気分が働いてしまう。

 

数値化するとわかりやすい。

 

例えば、グアテマラのコーヒーを飲めた日は1ポイント。

 

でも、飲めなかった日は−2ポイント。

 

でも、きっと次の日はグアテマラのコーヒーを飲むことができるだろう。

 

「ああ、美味しい。昨日のコーヒーよりやっぱり旨い。」ってことで1.5ポイント。

 

結局、飲めば飲むほどプラスが増えていく。

 

マイナスになるのはコーヒーを切らしている時だけなのだから。

 

一方こだわってない人は価値を感じていないわけだから、プラスマイナスゼロポイントが続く。

 

 

というわけでこだわっていて幸せを感じるものがあればあるほど、ハッピーになれるというのが俺の結論なのであった。

 

ちなみに。。。

 

もっとハッピーになれるパターンがある。

 

それはグアテマラのコーヒーを切らしていたその日でさえ「やっぱりグアテマラじゃないないとダメだなあ、いつも俺幸せだったなあ。」と福転させて考えることだ。

 

するとグアテマラがない日でさえ、ハッピーになれる。

 

 

ちなみに俺は缶コーヒー派で一番好きなジョージア無糖はどこにでもあるから、日本にいる限りは幸せポイントが増え続けているのであった......

発展途上国と先進国

外人と話してると発展途上国は developing country と呼んでいる。

 

これは発展している国という感じを受ける。

 

日本で「発展途上国」っていうと発展が遅れている感じがするが、会話の中でdeveloping country と言われると「発展中の国」的に頭の中で訳してしまう。

 

そして「先進国」は日本では進んでいる国という意味だろう。

 

じゃあ、advanced country って訳して欲しいのだが developed country って言ってるね。

 

発展し終えた国って聞こえてしまう。

 

英語の方が当たってる感じがする。

 

特に今の日本は発展し終えた国だろう。

 

このことを感じてる若い和橋達が東南アジアにガンガン入っている。

 

ネパールとかモンゴルとか、横にはあんまりそれていない。

 

中国、タイ、ベトナムカンボジアそして今はミャンマーが熱いよね。

 

ラオスにはそこまで和橋がいない気がする。

 

これからバングラとか行くんだろうね。

 

 

さて、俺は割と心配性なので自分の未来への不安を感じている。

 

仕事も結構リスクヘッジしながらやって来た。

 

そのリスクヘッジもそろそろグローバルに考えとかないといけないなあって気がしている。

 

 

俺が初めて行ったときのシンガポール発展途上国だった。

 

レベルでいうと今のミャンマーくらいだ。

 

マリーナ地区なんかガラッガラだった。

 

でも、いつ行ってもあちこちで大工事をしていた。

 

今どう?

 

たった20年くらいで様変わりしてしまった。

 

東大はシンガポール大学に抜かれ、一人当たりのGDPも抜かれた。

 

他の国もすごいスピードで発展している。

 

俺はカンボジアとかタイとか韓国とかは、10年以上毎年何回かずつ行き続けている。

 

台湾とか韓国とかほとんど変わってないもんね。

 

でも、東南アジアは行くたびに変わっていく。

 

 

日本の市場は人口が減って来ているので、小さくなっている。

 

そろそろ人生の生活設計をグローバルで考えないといけないんじゃないかと思い中だ。

 

 

とりあえず海外に口座を開いてみよう。

 

よく行く国の数カ国に少しだけ貯金してみようと思う。

 

システムとかを学ぶためだ。

 

あとはリタイアメントビザも一応考えとこうかな。

 

リタイアメントビザに関しては今更と思う人もいると思うが、今更で問題ない。

 

だって俺は海外に住むつもりは今のところないからだ。

 

なんせ日本食が一番うまいしね。

 

 

幸い俺はいくつかの国にすごく親しい外人がいる。

 

ビジネスもまた考えようかな....

 

 

とか思い中。

ラスト100日。

センター試験ラスト100日になった。

 

今日からロングスパートかけるように。

 

スパートもかけられないやつは落ちるしかないんで。

 

 

長距離走と受験って似てると思うんだけど、例えばラスト1キロとか、ある区切りになったら自分の全力を放出し始める時期が来る。

 

こいつをロングスパートっていう。

 

ロングスパートが始まったら、今までのルールが結構変わる。

 

一つは「脱落しないように。」必死で走っていくのみになることだ。

 

もはやいかなる戦術も意味をなさない。

 

残りの体力を計算して、それがギリギリ続くであろう全力を出し尽くす走りに変わることとなる。

 

力をセーブして、とか周りの気配を読んだりコースを考えたりすることはなくなる。

 

ただ、全力を振り絞ることに一点集中だ。

 

 

ロングスパートになると駆け引きがなくなるために、二極化してくる。

 

脱落する者と歯をくいしばる者だ。

 

 

脱落者も結構出るのが意外だ。

 

心で負けた子達だ。

 

 

わかるか?

 

俺の生徒は一人も脱落してはならない。

 

絶対に一人も心で負けたらダメだ。

 

 

負けそうなやつは俺のところに来い。

 

俺が500メートルくらいぶっ飛ぶビンタくらわせて目を覚まさせるから。

さて今日は...

今日ちょっとなんかわからないけど色々と疲れている。

 

この疲れ方はうつ病的な、力が湧いてこない的な疲れ方なのだが、こういうときは頑張らないといけない。

 

例えば、熱があって動けないとか、怪我して体が痛いとかいう場合は、休んだ方がいいだろう。

 

さらに頑張らなくていい時になら、スランプを時間によって自然治癒させる方法もある。

 

ただ、今のように頑張ると決めている時は、うつ病的疲労に限っては向かっていかけなければならない。

 

まあ、俺が勝手に決めている俺ルールなのだが。

 

 

だいたい勝負って勝ち負けあるよね。

 

こういうのに負けてると負け癖がついて弱いやつになってしまう。

 

負け癖ついちゃうとなかなか復活できなくなるからね。

 

俺の場合は意識的に、負け癖がつかないようにしている。

 

 

トラブルに関してもそうだ。

 

今まで色々なトラブルに遭遇したが、基本的に勝つことを前提にスタートしている。

 

 

例えば、昔のヤンキーでいうと道端でガンの飛ばし合いになったとするよね。

 

その時に、勝ったと思って向かっていくか、とりあえず行ったっれと思って向かっていくかじゃ話が違う。

 

俺は絶対に勝つこと前提で動いていくことにしている。

 

というか、自然に勝つと思えてしまう。

 

 

今日ももしかしたら、トラブルがあるかもしれない心当たりが一つあるのだが、朝からどういう風に勝つのかシュミレーションし続けている。

 

100通りくらいの勝ち方を考えているので、大丈夫だろう。

 

 

責任者ってのは色々面倒だよね。

 

今も、塾の周辺の雑草を根絶やしにすることを考えているのだが、これを誰かに丸投げで頼むことはできるんだけど、それをあえてせずに自分でやっていることをわかってくれる人がいない。

 

知らない間にスコップが増え、一輪車が増え、いつの間にかアスファルトが届き、気がついたら雑草が根絶やしになっている。

 

誰かがやってるわけなのだが、自然になってると思われる。

 

そうじゃないんだよなー。

 

 

しかも俺は他にも猛烈に仕事がある中で、あえて自分でやってるから疲労が溜まってきているのかもしれない。

 

まあ、俺が選んでる道。

 

頑張るしかない。

 

 

今日は疲れている。

 

頑張ろう。

 

 

やり直し。

だめ。

 

こんな、いい子ちゃんなブログを書いてはダメだ。

 

俺はいい子ちゃんなんかじゃない。

 

悪者なのだ。

 

ほら、このブログのURL見てみろ。

 

warumonostと書いてあるだろう。

 

悪者の最上級なのだ。

 

 

普通のブログは普通の人が書けばいい。

 

俺はぶっ飛んだ男だから、ぶっ飛んで書かないといけなかった。

 

 

んー。

 

車のことでも書こうかなあ。

 

俺はオープンカーが好きだから、今もオープンカーに乗っている。

 

あっ、今は1300ccの日本車に乗っているんだった。

 

 

なんでかわかるか?

 

ジーーーコーーーーラーーーレーーーーターーーーーーーー。

 

先日、卒塾生から車を使わせて欲しいと言われ、「あーん。最近使ってなかったらえーよー。」と貸したのだが、数日後、俺の車は電信柱に突っ込んでしまう運命に変わったのであった。

 

普通、自分の車貸すことないだろ?

 

俺の場合、あるんだよ。

 

特に海外とか行ってる間は絶対に使わないから、どうぞどうぞ。ってな感じで、長期間貸していた。

 

塾を始めてから、何度かぶつけられて修理しているのだが、今回も同じような感じで我が愛車が修理中だ。

 

今回の車では修理は初めてだ。

 

修理工場で黄金のBMWを見たら、それは俺の愛車かも?

 

部品をドイツから取り寄せてるらしく、1ヶ月以上待っているのだが、車が戻ってくる気配がない。

 

修理代は軽く100万円を超えている。

 

まあ、俺は保険に入ってるからよかったが、それでも保険代が上がってしまった。

 

ただ、自分の車じゃなくて俺の車でよかったね。

 

自分の車だったら、大変だったよ。

 

 

 

他にも色々な相談が卒塾生からある。

 

俺にとって、卒塾生は家族みたいなもので、このために結構色々なことに巻き込まれて来た。

 

その度に「あちゃー」って感じで対応して来た。

 

俺の塾のアフターサービスきっついわー。

 

まあ、どんな問題もこの父ちゃんにかかったら解決よ。

 

って言いたいのだが、おいおい、なるべくトラブルは持ってくんな〜〜。

 

あと、お前ら全員、健康で長生きしろよー。

偏差値の高い学校と低い学校の差。

生徒によく言っている。

 

なぜ偏差値が高い学校に行った方がいいか?

 

についてだ。

 

高校で説明するとすごくわかりやすい。

 

中学生に聞いてみる。

 

「偏差値が高い学校はどうしていいの?」

 

「設備がいい?」

 

…そういうことはないと思う。

 

設備を言うのなら、一般的に私立だったら設備がいいかもしれない。

 

偏差値と設備にそこまでの相関関係があるとは言えないんじゃないかなあ。

 

「いい先生が多い。」

 

…でも、先生はぐるぐる移動しているから、どこかに集まってるってことはないよね。

 

じゃあ、なんで?

 

 

「僕は友達がいいんだと思ってるよ。」

 

偏差値が低い学校の友達は、「勉強することはかっこ悪いかと思ってるかもしれない。」

 

「視野が小さいかもしれない。」

 

「頑張った経験が少ないかもしれない。」

 

「ヤンキーが多いかもしれない。」

 

 

でも、偏差値の高い学校のお友達は、「世界情勢のことをよく知ってるかもしれないし、留学に興味があるかもしれない、趣味にも造詣が深いかもしれない、もっと頑張ろうと思ってるかもしれない。」

 

そういう友達と過ごす学校生活の方が楽しいんじゃないかな?

 

まあ、文化祭でお客さんが訪ねてくる人数が偏差値に比例する感じだよね。

 

勉強のできる子の方がやることが面白いんだよ。

 

 

大学だって同じことだと思う。

 

偏差値が高い方が色々な人がいて、きっと面白いと思う。

 

 

学生時代が将来に影響することもいっぱいあるから、楽しい友達と過ごした方がきっと楽しいはず。

 

 

進路がわからない子がいたら、できるだけ偏差値の高い学校に行くことを俺は勧めるね。

人生を決めるとき。

フィリピンでは路上にホームレスが溢れていた。

 

排気ガスと埃でねずみ色のその道路の上に、どうしようもないほどホームレスが溢れていた。

 

爪の中は真っ黒で、子供も道路に寝かされていた。

 

人が通ると時折、何かくれと言うゼスチャーをした。

 

多くはコンビニの前などにいた。

 

ちょっとしたもの恵んでもらうためだ。

 

 

もしも、子供の親に「賭けをしませんか?」

 

「オタクの子供さんのために、刑務所に10年はいってレポートを毎日書いてください。そうしたらあなたの子供が大学に行けるように手配します。」

 

こう言ったら、みんなが刑務所に入るんじゃないかな?

 

例が悪すぎで申し訳ないが、下克上ってのは難しい国では難しいと思う。

 

 

なぜ日本ではこうも簡単なのに、みんな舐めているのだろう。

 

どうせ食っていけるから、本気になったふりをすればいいと思っているのだろうか?

 

それが自分の人生なのに、それでいいのだろうか?

 

俺は高卒だったから、大学卒と高卒の差を知っている。

 

だが、今のように誰でも大学に行けるような時代になると、今度は偏差値が重要な因子だと思うのだ。

 

相手の能力をできるだけ早く測ろうと思うと学歴が手っ取り早いもんね。

 

 

自分の力が100とする。

 

80で頑張った気になって、これで幸せか?

 

間寛平さんが数年前にアースマラソンと称して走って地球を一周したことがある。

 

きっと予想だにしない苦しいことがいっぱいあったと思うんだよね。

 

だから、成長できるんだと思う。

 

自分でも達成できるかどうかわからないほどのことやるから、成長していくと思うんだよね。

 

できる範囲でやるのなら一生、できる範囲で生きていかないといけないだろう。

 

本当に強いやつってのは、何度も自分の殻をぶち破って生きているのに、努力もしなかったやつは結局、頑張ったやつを妬むしかできないんだよ。

 

お前だってやれた時あったのに、って思う。

 

受験は国が認めた下克上期間。

 

合法的に下克上することができる。

 

俺は会社に入った時は、「下松工業高校工業化学科卒業。」

 

今は「九州大学大学院化学科卒業。」

 

この差の意味わかるか?

 

この肩書きがあるなしで、どれだけ楽に生きれるようになってるか。

 

いばらをかき分けて進むのと舗装された道路を進むくらいの差があるぜ?

 

 

努力が足りない子に限って「こんなに頑張ってるのに。」という。

 

努力が足りない子に限って、点が足りないのに変な自信を持っている。

 

 

A判定とって受けます。くらいの勢いがいるのに、なぜE判定で合格できそうな気がするのか謎だ。

 

俺の生徒の合格率を上げなければいけない。

 

こっちはただの金儲けでやってるわけじゃないんだから。

 

もっと厳しくやっていく。

 

みんなが迷わないですむように.....

勉強インフルエンサー。

ブロガーってのは一種のインフルエンサーになりやすい。

 

インフルエンサーってのはマーケティング用語で影響を与えたり増幅したりする人と言う意味だ。

 

だったら俺は勉強インフルエンサーかな。

 

 

俺が高校生や中学生の頃はガリ勉するのはカッコ悪かった。

 

でも、大人になってくると本当にわかる。

 

勉強を本当に頑張ってるヤツはカッコいいんだって。

 

俺がいつも大事にしてることは「自分の最善を尽くす。」ってことなのだ。

 

例えば東大の医学部なんて、どんなに努力したって普通の人は受からないと俺は思う。

 

一部の天才しか入れないと俺は本気で思ってる。

 

だから、みんながそれを目指す必要なんてないじゃん。

 

 

俺はそれよりも頑張ってることが大事だと思う。

 

わかりやすく書くとね、「根性だけは負けんなよ。」って。

 

8割くらいの力で適当な大学入って、お前全然イケてない。

 

そう思う。

 

とにかく10割の勉強やれって。

 

 

だけど、どうせ10割の勉強するんなら、自分らしくカッコいいスタイルでやった方がいいと思うんだよ。

 

勉強はオシャレの一つなんだから。

 

まあ、例えば言おうか?

 

シャーペンはこれ使え。

 

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これ、何がいいかってボディが樹脂だからね。

 

金属のボディ好きな人いるじゃん。

 

俺的には断然樹脂だね。

 

樹脂ってのは金属と違って酸化されにくいし、経時劣化しにくい。

 

だから、俺は腕時計とかも絶対に樹脂にしてるからね。

 

樹脂がクールなんだよ。

 

 

俺みたいに参考書はなるべく赤いものを選ぶでもいいし、ノートの最初には必ず日付を書くでもいい。

 

とにかく自分スタイルを決めてく。

 

 

で、だんだんナルシストになったりする。

 

ああ、イケてるわー。

 

 

みんながお前の真似をするようになったら、お前の勝ち。

 

ガリ勉=ダサい。

 

これ間違ってるよ。

 

 

ガリ勉=超クール。

 

 だって夢に向かって努力しているわけだからカッコ悪いわけがない。

 

 

みんな、カッコよく勉強しようぜ。 

 

で、志望大学受かろうぜ。

センターまであと105日。

俺はいつもみんなに「一生懸命にやれ!」って伝えている。

 

みんな持って生まれた学力差があるから、みんなが東大にいく必要はない。

 

だけど、頑張ることに関しては平等だと思っている。

 

俺らは頑張る自由を与えられてる。

 

 

俺が受験勉強をやってた頃、俺は本当に必死だった。

 

火の玉だったと思う。

 

わずか1畳の勉強スペースが俺の宇宙だった。

 

俺の全てはその中の全てで、その中には俺の無限の未来が詰まっていた。

 

未来の俺を変えるために、大学に行くこと一択しか知らなかった。

 

もし、大学に落ちたら俺は人生の敗北者として生きていこうと覚悟していた。

 

手に火をつけたこともあるし、逃げたら死のうと思ってナイフを置いてたときだってある。

 

 

最近、奇跡を起こしそうなくらい頑張ってる子をあまり目にしない。

 

授業の合間には結局ダベってるし、ご飯だって普通に食っている。

 

 

俺は2分で飯食ってたし、誰ともダベっていなかった。

 

勉強しかしていなかった。

 

合格ってのは念の強さを神に届かせる戦いでもあると思っている。

 

キチガイな勉強は、人を大きく成長させる。

 

たったの100日くらい、狂気に満ちた勉強したっていいんじゃないかって俺は思う。

 

 

もう少しでセンター試験100日になる。

 

来週からはセンター試験100日前トークを各教室でしていく。

 

まずは俺がキチガイトークができるように練習しようと思う。

 

 

俺の子供達だけは何としても、合格させたい。

 

 

 

お前が幸せになるために...1

幸せとはなんなのか?結構考える。

 

俺は幸せに関しては3つの考えを持っている。

 

今日はそれの一つを書いてみたい。

 

「人は幸せを微分値で感じる。」by みかみ

 

ということだ。

 

ストック(貯蔵値)とフロー(流動値)でいうとフローの概念だ。

 

俺は塾の先生、少し分かりやすく書いてみようか。

 

 

 

お前がラーメン屋を開いたとするだろう。

 

お客さんが数日間一人も来てくれなかった。

 

ところがある日、初めてのお客さんが来てくれた。

 

絶対に嬉しいだろう。

 

だって、ゼロだったものが1になったわけだ。

 

これで明日からやって行ける可能性が見えた。

 

なんと次の日は2人

 

やったー。これはイケるぞ!

 

そして次の日は3人。

 

そして次の日は5人来てくれた。

 

毎日毎日幸せ感に包まれるはずだ。

 

3ヶ月後、100人になった。

 

毎日嬉しすぎる。

 

2店舗目を出してみた。

 

..うまくいった。

 

3店舗目、4店舗目、...............100店舗目。

 

もはやお前は成功者だ。

 

周囲からの羨望の眼差しと、誇らしい気持ちに満ち溢れる自分に気がつくだろう。

 

その通り。

 

 

...ところがある日、お客さんが減った。

 

毎日100人のお客さんが100店舗に来てくれていた。

 

毎日1万人のお客さんが来てくれていたのに、なんと9800人に減ったという。

 

どう感じるだろう?

 

最初はストックが1人しかいなかった。

 

今は9800人もいるわけだから本来は、最初の時より9800倍幸せであってもいいはずだ。

 

でも、1人が2人になった時はあれほど嬉しかったのに、9800人も客がいるはずのお前は今、不幸になっている。

 

わかろうだろうか?

 

微分値とはグラフの傾きなのである。

 

傾きが増している時は正の値、減っている時は負の値になる。

 

現状維持では微分値ゼロだ。

 

さらに人間は幸せより不幸の方が大きく感じられる。

 

幸せの傾きをマイナスにしないことが重要だ。

 

俺はいつもそれに気をつけている。

 

 

「先生、幸せそうですね。」「先生になりたいです。」そういう声をよくかけられる。

 

俺は幸せだ。

 

間違い無いだろう。

 

俺の微分値はいつも正の値なのだから。

 

 

 

どうすればいいのか事例で説明する。

 

例えば、塾の経営で俺は絶対に生徒を増やし過ぎない。

 

俺は、塾の生徒数は自分の実力に比べて必ず少なくなるようにしている。

 

もし、一人か二人生徒が減ったとしても、自分の力ですぐに元に戻せるように。

 

調子に乗って、生徒を増やし過ぎてしまったとするだろう。

 

減り始めたら止まらない。

 

そうなると焦ってしまって、打つ手が全て悪手になってしまうだろう。

 

 

海外旅行だってそうだ。

 

例えば、スペインに憧れているとする。

 

念願のスペインにある日行くことができた。

 

夢のようだ。

 

でも、そこに住んでしまったらどうだろう。

 

少しずつ幸せグラフの傾きが小さくなっていって、ある日慣れてしまう。

 

慣れてしまったらどうなるか?

 

微分値がゼロになってしまうのだ。

 

その次は下がっていくしかないはず。

 

 

なんでもそう。

 

だから俺は微分値が永久に上に向くように、いつも感謝しながら生きている。

 

「前回より少し幸せだな。」

 

毎回毎回微分値が下がらないように、幸せなことを確認している。

 

だから、自然に楽しいし、みんなが俺をうらやましいと思ってしまう。

 

 

 

俺らは億万長者をうらやましいと思うが、お金が少しでも減っている億万長者は実は不幸なはずなのだ。

 

ストックが大きいことは幸せにはそれほど関係ないからだ。

 

ストックを意識するよりフローを意識して生きる方がきっと幸せになれるはず。

 

 

わかったか?

 

心の持ち方、考え方で幸せが寄って来るからな。

 

お前も幸せになれよ。