みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

まさか俺のことを知らないヤツがいるとは.....(俺紹介1)

昔、ブログを書いていた頃は毎日更新してきたが、色々あって毎日更新をやめたりブログを変えたりしてきた。

 

最近は、やっと俺の心の現住所がジャパンに戻ってきたので、ブログをまた書くようになった。

 

でも、昔のようにアクセスが欲しいわけでもなくなったので、ブログを書いていることは生徒にもアナウンスしていない。

 

回数を増やして書いてしまうと、アクセスが増えるので回数も制限している。

 

なるべく書かないように、だ。

 

俺のことを知らないヤツらがめっちゃ増えているので、俺のことをもう一回お知らせしようと思う。

 

 

俺は、広島の貧乏な家に生まれた双子のガキだった(俺、兄貴)。

 

貧乏だったので、おもちゃとかを買ってもらえず、他の子供たちが羨ましいと感じたことが何度もあったものだ。

 

羨ましいと感じたもの。

 

・学校で斡旋していた肝油ドロップ(1回も買ってもらったことない)

 

・学校に売りにきていた科学と学習(1回も買ってもらったことない)

 

・祭りの時のりんご飴(1回も買ってもらったことない)

 

・小学の時に流行った超合金のロボット(1回も買ってもらったことない)

 

・自転車(高校が自転車通学だったので初めて買ってもらった(後述))

 

 

俺が買ってもらえたのは、せいぜい祭りのひよこ、スーパーカー消しゴムなどのガチャガチャくらいのレベルだった。

 

給食袋を持って帰るたびに、母親が「はあ〜。また来たの?」というので、給食袋が大嫌いだった。金額は2〜3000円くらいだったと記憶している。

 

近所でボールを持っている子がいたので、ボールで遊ぶときはその子と一緒、家で遊ぶ時はガチャガチャで当てたキン肉マン消しゴムスーパーカー消しゴムで遊んでいた。

 

唯一の心の救いは母親が「勉強に関するものだけは、何をしても買ったげるからね。」って言ってくれていたことだ。

 

これで修学旅行とかは必ず行けるだろうという安心感があった。

 

俺は母親が大好きな甘えん坊だったのが、たまに両親が大げんかする時があり、それが嫌で嫌で仕方なかった。

 

小学1年生の時に嬉しいこと、悲しいことを書きなさい。という宿題が出た時に、

 

悲しいこと「パパとママがケンカすること。」と正直に書いたのだが、参観日でそれが教室に貼られていて、母親から「恥ずかしかった。」と言われて、俺も悲しかったのを覚えている。

 

幼稚園のとき1回、小学のときは2回転校したので、元からの友達コミュニティーに入るのがちょっと大変で完全に慣れた頃にまた転校、という生活だった。

 

引越しの理由は親の転勤とかではなく、夜逃げだったんだろうと今では思う。

 

父親はいい仕事をしておらず、血だらけになって帰ってきたり、警察に捕まったりすることがたまにあった。

 

車にはいつも木刀が積んであり、細い道で対向車が下がらなかったときなどは、木刀を持って外に飛び出して行っていた。

 

そんな俺にターニングポイントがやってくる。

 

 

 

小学4年生の時だ。

 

両親が喧嘩した時に、父親が家に火を放った。

 

もちろん、警察も来て大騒ぎになった。

 

その次の日、母親が出て行って、俺らは3人暮らしとなった。

 

そのうち、家も追い出されて学校に行けなくなってしまい、森で暮らすようにようなった。

 

親父が乗っていたバンが、俺らの家だった。

 

川の水を飲んだり、公園の水を汲んでおいたり、あとは大きい食パンを買ってきてそれを少しずつ分けて食っていた。

 

ある日、俺らが住んでいた森でカブトムシの幼虫を見つけ、それを街に売り行くようになった。

 

それでいいものが食えるようになった。

 

カブトムシのシーズンが終わると、養殖のアサリを深夜に盗む生活へと変わった。

 

盗んだアサリは、スーパーの前で売る時と、田舎の家、一軒一軒回って売る場合があったが、やはり俺らの売る力が結構大きかったように思う。

 

アジアの物乞いを見ているとよくわかるが、貧乏な大人から買うよりも子供から買ってやりと思うのが人情というものだろう。

 

そして小学5年生(ずっと学校に行ってなかったのだが)の2学期のどこか途中だったと思うが、大人が何人かやってきて親父と話すことがあった。

 

しばらくしてから俺らは、親父と別れることになる。

 

今思えば、児童相談所とかそういうところの人なんじゃないかと思うのだが、とにかく親父は説得されたんだと思う。

 

俺らは山口県の祖父母のところに預けられることになった。

 

 

 

 

ここからがまた面白くない生活だった。

 

 

 

 

続く(かもしれない)