俺はきっと昔のブログが熱かった時期には一番アクセスが多かったと思うんだよね。
だから、話す権利あるよね。きっと。
今から書くのはただの俺の考え、誰にも文句ないから。
俺はこう考えてると宣言しときたいだけ。
ツイッターで「塾のブログの98%クソつまらない。」的な発言(元々、誰がしたか知らないけど、勝手に上げてごめんね)についてちょっと盛り上がってるよね。
俺もそれには賛成する。
別に面白くない。
でも賛成理由が、他の人とちょっと違うと思う。
そもそもそれ言い出したら、俺のブログも昔のブログとは全然違うから、塾ブログとしては面白くないじゃん。ってことになる。
その通り、俺のブログも全然面白くない。
なぜ?
俺は塾ブログの勝負から降りたから。
だから、塾ブログそのものに興味がない。
俺が面白いと思うのは、シップス先生の自慢ブログだったり、超〜塾長の伏せ字だらけのブログだ。
つまり塾以外ブログが面白い。
だから、俺も塾以外ブログを書いている。
今度は俺が今も塾ブロガーだったとして、昔の塾ブログと今の塾ブログを比べてどうですか?
これに関して書くと、今の塾ブログも昔の塾ブログも同じ。
いや、どっちかって言うと今の方がすごいんじゃね?って言いたい。
なんでかって言うと、時代が動いているからだ。
俺がブログをやめた後も、國立先生やごうまじまじ先生はずっとブログを書き続けてた。
そしてずっとアクセスを維持していた。
いや、むしろ増やしてきた。
これすごくないか?
俺はスーパーすごいと思うのだ。
なんせ、俺にはできなかったんだから。
もう覚えていないが、俺のブログは最後の頃は1万から2万くらいのアクセスだったと思うのだ。
今の二人はあの頃の俺よりもアクセスが多いよね?きっと。
だから、俺は負けてると思うし、以前の記事にも國立先生をナンバーワンブロガーと書いていると思う。
今はごうまじまじ先生と國立先生、どっちがアクセスが多いのか知らない。
だけど、俺はアクセス数=塾ブログの普遍的評価だと考えている。
アクセスを増やしたいんだったら増やせるように書けばいい。
TOEICの点数のように、世間の評価を時代を超えて比較できると思ってる。
塾ブログ見たら、他の先生の批判ってよくあるじゃん。
で、俺の授業はこんなにうまい。
俺のクラスはこんなにすごいって書いてる人多いじゃん。
こうやって教えるといいから、俺の教え方すごいだろう。
美辞麗句を駆使しして、自分がいかにすごいのか書いている人いるよね。
書くの自由。
言ったもん勝ちだしね。
またそれに対して、その通りです。
と思うの自由。
それこそ主観だし。
でもね。
「俺はラーメンは出汁とって、そこに幻の冬虫夏草を30秒以内に加えてる。
冬虫夏草も知らないラーメン屋は全然わかってない。」
と書いたところで、あんたの客いねえじゃん。ってなったら意味がないでしょ?
「いや、俺のラーメンは分かる人だけにわかってもらえる最高のラーメンだから、分かる人だけくればいいの。とにかく冬虫夏草がね....」
って言うのならもはやどうしようもない。
お前の勝ちってことになる(ただしお前ワールドで)。
また、それ見て、すぐに冬虫夏草を加えるのも自由。
もしかしたら、美味しくなるかもしれないし....
俺のラーメン屋と國立ラーメンとごうまじラーメンが三軒並んでる。
國立ラーメンとごうまじラーメンは大行列。
みかみラーメンガラガラ。
二つの列に並んでるお客さんが言うわけよ。
「みかみラーメンは昔はめっちゃよかったし、他にすごいラーメン屋さんが当時いっぱいあったのよ。」
でも、俺は思う。
お客さんのニーズが変わったのか、お客さんのニーズを変えたのか。
みかみラーメンの店主が本気出してももう大行列は作れないと思う。
って言うか、今はラーメンと一緒にきのこ栽培してるから❤️
批判の多い人いるよね。
文句ばっかり書いている人もいる。
こうした方がいい、ああした方がいいという批判は多くあるかもしれない。
だけど、どうするかはその人の自由だと思う。
どうして他人の大人、しかも一国一城の主にこうした方がいいと言えるのか?
それを言っていいのは、神だけだと思うのだ。
ちなみに俺の名前は見神と書く。
神を見てるだけだから、もちろん俺にも言う権利はない。
結論
昔のブログも今のブログも、その時その時の時代にあったものを発信していると思う。
誰か気を悪くしたらごめんね。
誰も想像して書いてないから許してね。
あっ、塾ブログはやめたけど、塾はやめてないから。
生徒は減ってないし、グループの教室も10〜20の間を推移し続けてるから心配ご無用。
ひなまな動画も見てね。