まさか自分が化学の世界で生きていくとは思っていなかった。
中学生のときは全く化学がわからなかったし、なんのためにあるのだろう?
理科の中で一番不可解な科目だった。
いったいこれがなんの役に立つのか?
古文よりも不必要だと思っていた。
その俺が、女子がいるという理由だけで工業高校の化学科に進学してしまった。
まあ中学生当時の俺はすでに、高校の勉強は諦めていたということだ。
化学なんかわかるはずがないと思っていた。
....ところがである。
工業高校というのはすごく丁寧な学校で、こんな俺にでもわかるようにゆっくりわかりやすく説明してくれた。
今、俺はトップ高の生徒に化学を教えているが、その4分の1くらいの速度で俺はゆっくりと化学を学んでいった。
工業高校の化学が普通科の化学と大きく異なるところが二つある。
ひとつは電卓を使うこと。
もうひとつが実験重視であるということだ。
普通科の生徒ではとても見ることができないであろう錬金術やルネサンスの時代にでも出てきそうな古めかしいガラス器具をみながら、「これが俺の科か..」と悲しい気持ちになったのを覚えている。
ただ、授業の半分が化学だったのがよかった。
こだわった有効数字の計算、材料、化学に使うポンプや熱交換器の勉強、工業化学など広い知識を学ぶことができた。
それから電卓が使えたのはよかった。
計算に時間がかからない。
つまり色々な計算方法を探すことができた。
なるべく早く計算したい。
教科書に書いてある方法ではなく、独自の計算方法をどんどん探していった。
俺は自分が化学マスターになったのではないかと錯覚していた。
そして会社に入った。
研究って意外に泥臭いことを知った。
一部が割れた程度のガラス器具なら自分で直す。
電気関係の修理は簡単なものなら自分でやる。
工作棚のペンキ塗りも自分。
実験だけじゃない、周辺のことまで考えられるようになった。
そして大学受験。
普通科の化学は、俺がやってきた化学とは少し違っていたが、特に問題はなかった。
初めての模試で50だった偏差値も、すぐに80を超えるようになった。
工業高校化学科 → 化学の研究所(社会人) → 大学化学科
普通の生徒と全然違うプロセスで大学の化学に触れることができてよかったと思っている。
その後、復職して研究をしばらくやったのちに化学の先生になった。
20年間たくさんの問題を解き続けてきた。
メジャーな問題集であれば、何度も解いているから瞬時に答えがわかるし、20年間にわたって全ての会社の実践問題集を全部解いてきたので、人生で解いてきた問題はかなり多いと思う。
さて、化学の先生として生きてきた俺は商売人でもあるわけだ。
だから、ついつい売れそうな本や売れそうな授業を考えそうになる。
そういうのって、大体が何かからヒントをもらったり、時代の流行であったり、自分のど真ん中ではないのに、これが自分なのだと錯覚していることが多い。
でも、そういうのはFAKE臭がするんだよ。
塾の子供たちが俺の本当の子供たちだとすれば、できるだけ効率よくできるだけ楽しく化学がわかるようになればいいと思うはずなのだ。
それでいいはず。
客の顔色なんか伺わず、みかみ一桜が真心をこめて化学を伝えればそれでいいのだ。
60歳になっても、70歳になっても、俺らしい味のある化学を伝えられたらいいんじゃないか。
そう思うようになった。
どうせこれ以上もう欲しいものはないのだから、今度は自分が心からいいと思うことだけをやることにしよう。