人は全員違う。
もし同じだと価値がない。
違っていいのなら、少し違うよりはかなり違ってる方が希少性も高くなるだろう。
大人になると社会の中で生きるから、社会の常識ってのは必要だ。
常識ってのは、みんなで同じことをしましょうねって約束事だから法律と同じように、枠からはみ出さない方が良い。
だけど、それ以外はできるだけバランスが悪く、歪な形の方が価値があるのではなかろうか。
ネットがまだなかった頃は、戦略が今より重要だったように思う。
戦略を使ってどこかを際立たさせる必要があったからだ。
しかし、これだけネットが発達したら、戦略練るより際立たせることを考えた方が早いだろう。
俺のようにもはや死に物狂いでやることをやめた人間は、できるだけ無駄な時間を排除して効率よくバランスを崩していくことが大事だと思っている。
徹底的にやらないことを決めていく。
中途半端にできることは、もはやバランスがよくなるために時間を使っていることに過ぎない。
英語なんかまさにそう。
俺は英会話を長いことやってるが、その時間分の何かが得られたかというと1%も得られていない。
そもそも勉強する気がなかったのだから、俺の英語力など上達するはずもない。
それなのに、時間だけを無駄使いしてしまっていた。
逆に小説は読んだことない。
誰かに小説の話をされても「読んだことないっす。」
これで片付いていた。
これから中途半端なクソ行動は捨てていこう。
それこそが人生の無駄に他ならないと気づいたからだ。
どうでもいいマンガを読む(超好きなマンガは別)。
時間潰しのゲームをする(超好きなゲームは別)。
つまらないYouTubeを見る(超好きなyoutubeは別)。
こういうのって時間の浪費に他ならない。
時間は限られているから、時間をお金と同じように考えないといけないのだ。
お金出して、どうでもいいケーキ買うか?(超好きなケーキは別)
お金出して、どうでもいい靴買うか?(超好きな靴は別)
お金出して、カッコ悪い車を買うか?(乗りたい車は別)
お金の浪費はあまりしないのに、時間の浪費をしている失敗に気づいてしまったのだ。
癒しや休息のための休みは必要であるが、意味のない休息は必要ない。
意味のない遊びもいらない。
無駄なことをやらない人生。
これだな。
これを核にして今日から考えていこう。