『総合旅行業務取扱管理者試験』の受験勉強をしている。
参考書執筆と並行しているので、苦痛で仕方がない。
参考書はiPadに196ページ分書き込んだ。
参考書を収めた動画は40本を超えた。
1日でも休むと、予定が狂って投げ出したくなることがわかっているから毎日耐えている。
この歳になってわざわざ国家試験なんか受ける必要もないのだが、それでも自分で決めたことだからやり遂げようと思っている。
それをみんなに宣言することで退路を断っている。
さて、今日は宣言について考えてみたいと思う。
俺は大学受験するときや、何か大きいことに挑戦する時は宣言する方がいいと思っている。
宣言することでのデメリットがほとんどないからだ。
一番大きいデメリットは、「落ちたときやがんばれなかったときにカッコ悪い。」ということだろう。
誰だってプライドがあるから、馬鹿にされたくない。
だから、もしものときの保険をかけておきたい、それはわかる。
ま、そんなプライドは、結果の世界からしたら無意味だ。
意味less中の意味less。
宣言した方が確率的にうまくいく可能性が高いと思うのだ。
例えば、宣言することで今の俺のように勝手に背水の陣の陣形が完成してしまう。
それがサボる抑止力、休みたい気持ちを自制させる力として働く。
また、協力者も現れるだろう。
こんな本があるよとか、休憩に飲むといいよとコーヒーをくれたり..
いいことしかない。
ただ、合格するために必要な量を叩き出さないといけないので、それ相応の苦しさは伴うが。
今までなら20分くらいの空き時間は平気で無駄に過ごしてきたが、もはやその時間さえ付箋を覚えないといけなくなっている。
俺は会社にいたときに思っていたことがある。
要領で認められるやつと、実力で認められるやつは違うということだ。
要領で認められるやつは、社交的でみんなとうまくやって人気が高い。
だから華があるし、いつも楽しそう。
だけどね。
俺は思うんだよ。
それだけの人間ってのは薄っぺらいなって。
そいつの無能臭がプンプンして、結局人からやっかみを買いやすい。
周りをよく見て考えてみて欲しい。
最近は「うまいことやって成功しよう。」的な風潮があると思う。
そりゃあ成功だけを考えたら、楽して成功できたらそっちの方がいいかもしれない。
成功だけを考えるならね。
だけど、そういうやつらは軽んじられることが多いよね。
魅力もないし。
世の中ってのはもっと複雑系で、人間関係の中で喜怒哀楽を感じてみんなが生きてると思うんだよ。
成功だけしても、ぺらっぺらだったらそれは楽しいか?
昭和的な思考かもしれないが、鉛筆を舐め舐めして鉢巻をしめて頑張ってるやつの方が信用できるし、力も強いと思う。
というわけで、試験まであと99日。
そして参考書ができるまではもっともっとかかると思うけど、参考書毎日10ページ、動画1日2.5本、プラス資格試験の勉強を頑張り続けようと思う。
宣言することはつらいことだが、俺は宣言しとく。