俺がひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの存在を知ったのは、おそらく小学5年生くらいの時だったと思う。
いやいや、生きていることは知っていたが、会ったことはなかった。
あるいは会ったことはあったかもしれないが、おそらく小さすぎて記憶になかった。
何にしても、生きてるひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんを認識したのは10歳くらいの頃だった。
俺の祖父母(父方の)は二人とも萩出身だ。
よって、ひいおじいちゃんひいおばあちゃん(おじいちゃんの両親)の家も萩にあった。
俺の名前のみかみという字の「かみ」は「神」と書く。
神が名前についてるなんてちょっとレアじゃないか?
俺はテストのたびに神という文字を自分の氏名欄に書き続けてきたのだ。
神のルーツ。
どんな感じなんだろうか?
子供ながらちょっと期待していた。
初めて目にする祖父母の家は、圧倒的に粗末でびっくりした。
「これ、ひいおじいちゃんが作ったの?」
「おう。」
その言葉を100%信じられるほど、手作り基地のような小屋だった。
実際にひとりで家を作ったらしい(ラオスとかタイの田舎とかにあるスカスカの家レベル
)。
あの時代にYouTubeがあれば、あきらかに数段立派な家が建ったはずだ。
っていうか、今の高校生なら夏休みの工作でも作れるんじゃないか?
トイレなどは瓶(かめ)が地中に埋めてあるだけで、「ここは今日からトイレだ。」って宣言した瞬間にトイレになったような、汲み取り式便所のななめ上をいく作りだった。
瓶の中の便は、まとまったところで畑に撒くらしい。
俺は祖父母のことを貧乏だと思っていたのだが、曽祖父母の方がさらに貧乏なのだと感じた。
ああ、みかみ家って貧乏ルーツだったのか。
うっすらわかっていたけど。
曽祖父母の学歴はきっとなしに等しいだろう。
そんな貧乏な家で育てらた祖父も義務教育の小学校卒だった。
まあ、学費なんかあるわけないよね。
あったら、トイレ買えるもんね。
ちなみに祖母も小学校卒ね。
祖父母に育てられた親父は商業高校卒で、ついでに母親も商業高校卒だった。
さらには親父は何度も書いているが、どうしようもない親父である日のたれ死んでしまった。
母親は俺が10歳のときに家を出て行ったままだ。
生きてるかどうかもしらない。
そして俺は小学校時代は学校に行けてなかったり、祖父も「勉強するなら家の手伝いをしろ。」という人間だったので、勉強をやれる環境になかった。
フィリピンなどの国ではストリートチルドレンが多くいるが、そういう子達に頑張れと言っても環境が与えられていないのでがんばりようがない。
俺も同じで、頑張れる環境にはなかったし、そもそも頑張る意味もなかった。