自己紹介が面倒になってきた。
まあ、そういうわけで色々ありながら、高卒で会社に入ったのだが、その後、大学受験を始めて大学生になった。
ま、普通の大学生と違ったことは、大学1年生で結婚。
世帯主で市営住宅に住みながら通学。
大学院1年生で娘ができて3人家族になった。
前も見せたと思うけど、大学院の成績はオールAね。
もちろん大学の成績も同じような感じ。
(あっ、これハノイ大学入学用にとった成績証明書)
卒業後会社に戻ったものの、金持ちになりたい衝動がすごくなり、会社を辞めた。
引き止めで26連続で毎晩毎晩、違う上司や先輩から飲みに連れて行かれた。
毎日毎日「みかみ、考え直そうぜ。」って色々な人から声をかけてもらえて、本当に感謝しかなかったけど、俺は挑戦がしたかった。
結局、すぐには辞められず、その1年後に退職が認められた。
そして最初は、家庭教師の会社を作った。
ま、会社って言っても俺が電話を受けて俺が俺を派遣するわけなんだけど。
そのうち、自分のコマがいっぱいになって、バイトも雇うようになった。
お客さんから一コマ3000円いただいて、一コマ1500円を先生に払う。
びっくりしたね。
だって、他の先生を派遣するだけでその先生がもらえる時給と同じ金額が自分の財布に入る。
これが自営業かと思った。
その後、自分の時給を段階的に上げていって、1時間6000円まであげたところで、東京とかからも電話がかかってくるようになり、お金持ち専属の家庭教師に変わった。
最終的にはMMSYっていう4大財閥あるじゃん?
そのMの家に勉強を教えに行ってたよ。
超大金持ちだった。
ロールスロイスが空港に迎えにきてくれて、白い手袋した運転手の車に乗って仕事に行ってた。
そのうち、家庭教師を全部精算して塾を始めることを決めた。
しかもここまでの期間。
退職したのは4月1日。
家庭教師を完全に辞めたのは8月31日だからね。
わずか5ヶ月の出来事。
すごいスピード感じゃない?
毎日毎日変化が起こってすごかった。
詳しく知りたい人は、
俺が財閥の家庭教師だったときの話1 | STORYS.JP(ストーリーズ)
こちらまで
そして俺は塾を始めることを決意する。
塾をやろうと思ったのは8月の盆の前だった。
ここからゆっくりめに書いていこう。
俺の貯金は、当時200万円くらいだった思う。
塾の場所を選定しないといけなかった。
家賃月5万円まで、そして大きい中学校から近い(500メートル以内)こと、大通りに面していること。
同時に経営の勉強を猛烈に始めた。
ビジネス本を読みまくるようになった。
戦略本を読みまくった。
俺はランチェスター戦略を使うことに決めていた。
しかもいわゆるランチェスターのメインストリームではない部分に注目していた。
第一法則から第二法則への切り替え部分だ。
弱者から強者に変わる部分である。
ここを滑らかに変えるのではなく、一気に変えようと思っていた。
その方がきっとインパクトがあるはずだ。
だから、第一法則、つまり弱者の戦略、いやいやものすごく最弱者であるとして、細心の注意を払う最弱者戦略をとった。
結局、いい物件は見つからず、たまたま道路を自転車で通っていたら、クリーニング屋さんが閉店し始めていた。
無人だったので、隣の家にピンポンして、「隣のクリーニング屋さんはやめるんですか?大家さんをご存知ですか?」と尋ねた。
「私が大家です。」
なんとクリーニング屋さんの隣の家は大家さんだったのだ。
「隣の物件を見せていただけないでしょうか?」
微妙な物件だった。
全体で10坪くらいだと思ったが、部屋の真ん中にオブジェ用の巨大な柱がある。
しかも形がいびつで、3畳くらいの畳の部屋がついている。
真ん中に柱がある部屋がメインの部屋だ、10畳くらいある。
ただ、真ん中が柱......
うーん。
たまに外から、子供の声が聞こえる。
尋ねると裏が小学校らしい。
小学生かあ。
でも、今は生徒が欲しい。
小学生でも幼稚園でも赤ちゃんでも誰でもいい。
生徒が欲しいのだよ、俺は。
その場所を5万円で契約し、1ヶ月後に入居する約束を取り付けた。
さあ、生徒を集めておかなくては。
今の俺には家庭教師の生徒が数人いるだけなのだから。
ゼロからのスタートではないものの、月謝が大幅ダウンすることで、月の売り上げが10万円を切ってしまう。
広告も打たないといけない。
どう考えても赤字だ。
さらには机やらカーテンやらホワイトボードとかも買わないといけない。
さすがに塾用の教材とかもいるだろう。
どこにあるんだ?
塾用教材って。
今のようにネットが発達していなかったので、全部自分で探すしかなかった。
近所のリサイクルショップで本棚を購入し、机はちょっといい8000円のを8個買った。
机だけで6400円、高いわー。
肝心の生徒だが、自分のワープロで「家庭教師が塾を始めました。」みたいな感じでプリントアウトして、コピーして校門配布することにした。
とにかく来てもらわないことには話にならない。
「夏期講習いかがですか?5回で合計500円。500円玉を握りしめてきてくださいね。」
「安い理由はまだ教室がないことです。公民館で一緒に勉強しましょう。」
中学の校門で一人で配っていると、クソガキどもが俺を一瞥して目の前に捨てやがる。
「おいごらあ!コピー代10円かかってるんだぞ!」と思いながら、笑顔で拾い、笑顔で配る日が数日続いた。
惨めだなあ。
夏期講習初日の日、二つの公民館で合計10人くらい生徒が集まってくれたと思う。
公民館の使用料もあるから、当然赤字だ。
500円もらっても仕方がない。
500円もらって領収書を渡すのだが、領収書の書き方さえ当時は知らなかった。
さらに俺は塾に行ったことがなかったから、本当は塾って何をすればいいのかわからない。
面白く教えよう。
人気者になろう。
もはやこれだけだ。
俺の武器はたったのこれっぽっちだった。
その日に教える授業はその日に参考書を読んで、考える。
そういう感じで夏期講習の期間が終わった。
続く。