みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

あと7日。

自分で勉強してて思ったことがある。

 

 

例えば、すごく上手い先生が何かを教えてくれたとしても、それによって何かの得があったことに気がつかなければがんばれない。

 

得とは何か?

 

点が上がることである。

 

「子供が塾に行くのを楽しみにしています。」

 

このフレーズは俺自身も何度も聞いてきたが、それだけでいいのだろうか?

 

塾が楽しい場所であることはいいことであるが、楽しいだけならゲーセンと変わらない。

 

点を取れる仕組みとはなんなのだろうか?

 

どういう風に解説すれば、点に結びつきやすいのか?

 

もちろん、小学生、中学生、高校生、知ってる語彙数も全然違うし、成熟度も全然違うので、一通りのやり方ではないはずだ。

 

また、塾にいるときだけが全てではない。

 

どうやったら、家でも頑張れるのか?

 

そしてどういう風に点に反映させていくのか?

 

根本的なことを考える必要がある。

 

 

国家試験の通信教育をやってみて、塾と大人用国家試験勉強の差がわかった。

 

そして、国家試験と入試のアプローチの違いもよくわかった。

 

そもそも国家試験の勉強に関しては、合格したあとのことは想定されていない。

 

こういうのが出るからこう覚えましょうというスタンスしかない。

 

逆に無駄がないので、わかりやすい。

 

 

教育産業においてが、本当の学習をすべきだとか、点を取るだけの学習はよくないと言われるが、本当だろうか?

 

そもそも社会に出たときに、それまでに習った学問が直接役に立つケースはそれほど多くないように思う。

 

だったら、通信教育のようなアプローチの方が無駄がなくていいような気がする。

 

 

ま、賛否両論があるから、あまり書かないが。

 

とりあえず93日間、やったこともない旅行の勉強をしてみていろいろ学ぶことがあった。

 

いいところは塾に反映させていきたいと思っている。

 

 

そして8日前。

8日前になっても特にビビることなく、粛々と予定をこなしていく。

 

ナイスとしかいえない。

 

もはや息をするかのように勉強している。

 

 

 

わけねーだろ!

 

ああ、だりーなぁ。

 

早く終わらねえかなあ。

 

通信教育やったり、模擬試験やったりで、結局10万円くらい課金してしまった。

 

無課金でこれをやれって言われたら、さらにもう100日くらい必要になる。

 

100日で10万円、1日1000円。

 

........安い。

 

課金して正解。

 

 

塾も同じ。

 

俺は完全に独学で勉強したからわかるけど、人から習うことは受験を圧倒的に有利に進めることに他ならない。

 

何が出そうかを自分で調べて、どういう風に出るかを自分で会得して...

 

こんなものもう時間がいくらあっても足りない。

 

それよりは何が出そうか?

 

どう覚えたらいいかをさっさと聞く方が効率的だと思う。

 

 

ま、俺の家は貧乏だったから塾には行かせてもらえなかった。

 

でも、本当はもっと大事なこととして、勉強がなぜ必要かを教えてくれる人がいなかったな。

 

「勉強は将来役に立つから。」とかいう抽象的な話じゃなく、

 

「ほらっ、このベンツ見てみろよ。これ、勉強で買ったんだぜ。俺、勉強しかしてないから、これが買えた。くーっ、勉強ってめっちゃ美味しいのにみんな気付いてないから笑うしかない。もういっそのこと誰も勉強のパワーを気づかなきゃいいのに。わーっはは。」とか言ってくれるとわかりやすかったのに。

 

 

だから、俺はなぜ勉強するといいのか。

 

勉強して何ができるようになったのか?

 

そういう話をするようにしている。

 

 

 

夫婦喧嘩の8割はお金が原因という。

 

きっと夫婦間だけじゃないだろう。

 

お金があれば8割の争いを防ぐことができる。

 

 

勉強が全てとは思わないが、勉強のおかげで今日の俺がいることを思うと、勉強の力はすごいと思うのだ。

 

だから、今日も俺は勉強の大切さを人に伝え、そして俺自身も勉強し続けるのであった。

 

 

試験終了まであと8日。

あと9日 自分が納得ならそれでいい。

あと9日。

 

 

試験がすんだら、笛を買う。

 

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そしてタイタニックのテーマを練習する(笑)


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人のことを好きになるってのは、人生の重要なテーマだと思う。

 

俺は歌は上手くないから、せめて一生懸命に笛が吹けるようになってみたい。

 

何か尊いものを自分から発してみたい。

 

 

他人に褒めてもらう必要なんか一切ない。

 

 

俺はカエルを1匹買ってて、毎日話しかけてる。

 

俺のカエルは別に人に見せびらかすものじゃない。

 

ただ、俺がカエルと一緒に仕事してる。

 

カエルは俺に飼われていることを知らないだろう。

 

だけど、俺はカエルから幸せをもらっている。

 

そう、本当に好きなことってこういうことだと思う。

 

昔、無駄遣いしていた頃、まだ買うものはないかといつも買うものを探していた。

 

結局、最後に欲しかったものは剥製なのだが、つくづく買わなくてよかったと思う。

 

剥製なんか、「どうだ、すごいだろう。」って威張るためだけにしか使えない。

 

きっと引っ越す度に邪魔になったに違いない。

 

 

 

自分が幸せであることに、他人の評価って実は関係ない。

 

海外でたくさん見てきた、道端でみんなで飯を食ってる風景が一番幸せなんだとわかるようになった。

 

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あと9日。

 

今日は、時間を測って問題を解いてみよう。

 

試験日まで完成度を高めよう。

ラスト10日。やる気がでない。

ラスト10日して完成してしまった。

 

もう受かると思う。

 

こうなってくるとモチベーションが下がってしまうんだよ、実際。

 

仮に病気になったとしても、受かるようにしておくというのが俺の国家試験に臨む姿勢なのだが、もはや合格が見えてしまった。

 

あとは完成度を高めるだけ。

 

恐ろしい。

 

なんて完璧なんだ。

 

 

憎すぎる。

 

自分が怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑。

あと11日。やるのは誰だって怖い。

今日で勉強始めてから89日経った。

 

もう全貌が見え始めているので、ま、あとは粛々とやっていくだけなのだが。

 

 

何かをするときに、大変だからとやる前から諦める人がいる。

 

やりたかったらやった方がいいと俺は思うね。

 

誰だって新しい挑戦は怖いし面倒なものだ。

 

やらない方が、楽に生きていけるに決まっている。

 

だけどがんばるからわかるものだっていっぱいあるのだ。

 

 

例えば、布団あるでしょ?

 

睡眠を我慢し続けて勉強したことある人ならわかると思うけど、布団って死ぬほど気持ちいいじゃん。

 

布団に寝たまま死にたいって思うほどじゃん。

 

必死で寝なかったから、布団に包まれて寝ることのありがたさがわかると俺は思う。

 

いつもいつも当たり前と思って寝てる布団は、そこまで気持ちいいものじゃない。

 

布団に寝るという行為は一緒になのに、それ以外の経験によって感じられ方が違うのだ。

 

 

シベリアで遭難しそうになったことがある。

 

真っ暗な吹雪の中に、轟音と共にシベリア鉄道のモスクワ号が来てくれたときには泣きそうになった。

 

モスクワ号はただの列車なんだけど、もはや5スターのどんなホテルよりもあったかくて安心した。

 

 

今、日本に住んでることだってそうだ。

 

俺は海外に何回も行ってるから、日本のいいところに感謝して生きている。

 

日本から出たことなかったら、日本に感謝しようがない。

 

それ、当たり前だと思ってるんだから。

 

 

 

あと11日、まだまだ苦しい日が続くが、最後まで勉強をきちんとやりきってから終わりたいと思う。

 

正直なところ、勉強ができる環境にあるのもありがたいと思いながら勉強している。

 

途中で投げ出したり、手を抜いたり、ま、いろいろなやり方はあると思うが、俺は勉強を教えている先生として、ちゃんと最後までやるつもりだ。

 

 

あと12日。6割と7割

昨日やっと7割を超えるようになった。

 

7割を超えてびっくりしたことがある。

 

7割を超えると、間違い直しが格段に早くなる。

 

6割の頃は、解説を理解するのにも時間がかかっていた。

 

答えを見ても、しっくりこないのだ。

 

なにせ4割ほど知らないことがある。

 

6割の知識で全体を理解をしないといけない。

 

俯瞰も弱いので、この言葉の類似はあそことあそことあそこにあるんだな、という連想もきかない。

 

でも、7割の世界は全然違う。

 

解説を見て、何がなぜいけなかったのかを理解できるようになってきた。

 

8割までいくと、間違い直しがもっと早くなるはず。

 

9割になるとおそらく、解説を見た瞬間にわかるはずだ。

 

もはや問題を解き続けるだけで賢くなっていくだろう。

 

 

今、自分が受験生になったことで生徒の気持ちが結構わかるようになってきた。

 

なぜ絶望するのか、6割をどうしてすぐに8割にできないのか、6割という点がいったいどれほどわかっていないのか...

 

6割は、受験のターニングポイントだと思っている。

 

一生懸命に参考書を覚えても6割しか取れない。

 

そこからは、覚えたことの使い方をマスターしないといけない。

 

あるいは、どういう風にでるのかを理解した上で覚えなおさないといけない。

 

 

 

 

みんちゃれというアプリを使って、知らない仲間と5人で勉強している。

 

つい最近まで、悲しいことに圧倒的に最下位だった。

 

始めた期間が一番遅かったこともあるが、最下位をずっと80日続けてきた。

 

誰が見ても最下位だった。

 

今も最下位かもしれないが、みんなにかなり追いついた。

 

ここからなら1位を目指せるはず。

 

少なくとも合格率が約10%なのだから、5人全員合格はないだろう。

 

だから、何人かは抜かすことが必須なのだ。

 

 

 

「参考書を覚えて、問題を解きまくる。」

 

やることはこれだけだ。

 

これで今日まで生きてきた。

 

 

たぶん大丈夫。

 

 

最後までがんばりたい。

試験がすんだら....あと13日。

ああ長い。

 

1日が長いぞ。

 

長すぎるぞ。

 

1日のうちに何度も諦めそうになる。

 

勉強ばっかりだから、終わったらあれしようこれしようってそればっかり考えている。

 

もはや受験生....

 

 

 

でも、この歳になって、100日間ではあるが一生懸命になれることに一生懸命になれてよかった。

 

 

80歳に死ぬとして、あと25年くらいまだある。

 

俺が今18歳だとすると、43歳まである。

 

18歳から43歳?

 

おお、結構色々できるやんけ。

 

そもそも俺が塾を始めてから今日までよりも、今日から俺が死ぬまでの方が長いじゃんか。

 

昔はおじいちゃんになったら、縁側でお茶すすってるイメージだったが、今はそうじゃないだろう。

 

100日前から始めた俺の勉強も2週間を切ってしまった。

 

100日後に死ぬワニじゃないけど、死なないように気をつけようと思う。

 

 

 

あと14日。苦戦中。

各教科6割で合格なのだが、偶然にも俺の点も6割付近で止まっていて苦戦している。

 

6割に1教科でも足りなかったらアウトなのに、全部が6割って...

 

あと2週間でどれだけあげられるかという話だ。

 

高校生だって2週間あったらテスト対策で賢さが爆上がりする。

 

俺も2週間で爆上げしたい。

 

ただ6割ってのが結構きつくて、6割だと間違える問題も結構多くて、復習に時間がかかってしまう。

 

8割までいくと効率が全然違うのだが、まだ8割に届いていない。

 

不思議だ。

 

どう考えても不思議だ。

 

そろそろ8割にいってもいい頃なのに...

 

 

って色々考えているうちに、もしかして俺は「化学だけが得意なのではないだろうか?」という疑惑さえ浮かんでくるようになった。

 

たまたま高校生から化学科だったから長くやってるというだけで、地理とか初めての教科に関してはもしかしてバカなのか?俺は。

 

闇雲に覚えるしかできない勉強に若干の焦りを感じている。

 

 

 

 

ちなみにどんな問題か知りたい?

 

例えば地理だとこんな問題だ。

 

問1 オーストラリアの観光地で、州の組み合わせで正しいものをすべて選べ。

 

a  フィリップ島、メルボルンビクトリア州

b  カカドゥ国立公園ダーウィンノーザンテリトリー

c  ピナクルズ、パース、ウエスタンオーストラリア州

 

問2  絵画と美術館の組み合わせで誤っているものをすべて選べ。

 

a  ゲルニカ プラド美術館

b  最後の晩餐 サンタマリアデレグラッィエ協会

c  糸杉 オルセー美術館

d  牛乳を注ぐ女 アムステルダム国立美術館

 

 

すべて選べってのも苦しいが、難問かどうかさえわからない。

 

もはやロボットのように覚えていくだけなのだ。

 

オーストラリアも何回か行ったことあるが、一部の場所だから全体的なことを聞かれても困ってしまう。

 

さらには絵の場合は、全くイメージがわかないから、文字だけで絵を想像しながら覚えていく。

 

しかも有名な絵って何十種類あるのか知らないし、美術館もいくつあるの?一体。

 

ゴッホとか、フェルメールとか言われてもねえ...

 

サリチル酸とか炭酸水素カルシウムとか言われると1秒でイメージが湧くんだけどねえ。

 

確かに、ルーブル美術館とかメトロポリタン美術館とか有名どころなら行ったことある。

 

でも、ルーブルモナリザ、メトロポリタンはカバ、くらいしかわからなかった。

 

なんか不毛な勉強をしている感が非常に強い。

 

 

 

 

 

 

それでも一応、合格するつもりでやっている。

 

どうやれば、8割になるのか全然わからないのだが、意地でも合格させる。

 

それが俺。

 

 

 

 

 

 

 

のはず。

あと15日。他人の評価に振り回されると疲れてしまう。

みんなの感動秘話

 

↑ リンクを貼っておくが、おそらく見えない人が多いだろう。

 

リンクを貼った上で、コピペさせてもらいます。

 

『「鳶職の父」

 

公用でM高校へ出かけたある日のことだった。
校長先生が、私達を呼び止められて、
「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」
と言われ、校長室に案内された。
「実はある生徒の作文ですが・・」
とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。
「僕の父親の職業は鳶職である・・・」という書き出しから始まり、内容はおよそ次の様なことが書かれている。
父親の休日は定まっていなかった。
雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。
仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。
僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、嫌いだった。
小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。
(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。
たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。
母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。
『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。
『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』
『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。
小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。
運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。
こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。
ある日、名古屋へ遊びに出かけた。
ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。
僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。
8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。
僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。
(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。
一つ違えば下は地獄だ。
女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)
僕は体が震えてきた。
8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた」
校長は少し涙声で読み続けた。
「僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。
母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。
一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。
僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。
体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。
何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。
どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」
そして彼は最後にこう書き結んでいる。
「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、
日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、
今日限りこんな夢は捨てる。
これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、
そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。
読み終わった校長は、
「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。
こういう考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。
そして子の親としてつくづく考えさせられました」としみじみ言った。
差し出されたお茶はとっくに冷えていたが、とっても温かくおいしかった。』
 
 
 
 
どうだろうか。
 
俺も、前まではいろいろ格好をつけて、いわゆるブランド物なども結構買ったと思う。
 
だけどここ数年で必要ではなくなった。
 
自分に自信が出たからだと思う。
 
 
試験が終わったら、千円くらいの笛を買って笛を習う。
 
 
あとは少しDIYの練習をする。
 
そして、自分の川を作るための準備に入ろうと思っている。
 
 
 
 
 
自分の川を持っているやつは日本に何人いるだろうか。
 
自分の川を作って、犬を飼って番をさせる。
 
ニワトリを飼って、卵ご飯を食べる。
 
 
 
最後の大きいエンタメに向けて、人生を楽しもうと思っている。
 
あと15日か。
 
 
つらっ。

あと16日。あきらめることなかれ。

昨日初めて過去問を通しでやってみた。

 

6割で合格なのだが、概ね6割だった。

 

つまり、まだ合格する力がないということだ。

 

9科目もあるので、1日1教科勉強したとしても、9日前の教科の内容を忘れてしまっていることが問題だ。

 

今から、全教科分の過去問や模試問題を同時にやりながら断片を繋げて、記憶を起こしにいく。

 

 

 

病院で1日が全部潰れたり、飛び込み仕事が入ってきてノルマができなかった日もいっぱいある。

 

こんなに忙しいなら受験をやめようかなって思うときも何回かあった。

 

一応最後までやろう、塾の先生としてみんなと一緒にがんばろうと思ってここまできた。

 

 

俺は国家試験にただの1度も落ちたことがない。

 

試験に何回も落ちる人は、諦めている人だと思うのだ。

 

不安がない人なんかいない。

 

絶対に合格する人なんかいない。

 

結局は諦めずに力を出し切れるかどうかだと思うのだ。

 

 

大学受験も一緒でしょ?

 

みんな怖い。

 

落ちるかもしれない。

 

その中で受かるということは、見えないもの、完全に信じ切ることができないものに向かってまっすぐやり続ける、強い心がいると思うのだ。

 

 

俺は化学の先生だ。

 

だから化学の問題やら、英語の問題ってのは何度も何度も解いたことがある。

 

ただ、初めて見る地理やら、JRの路線やら、飛行機の料金の算出方法とかに方針も見出せずに大苦戦したように思う。

 

あと16日で試験日か...

 

 

若いみんなにいつも言っている。

 

人生は等価交換。

 

何かを出して、何かを得る世の中だ。

 

もしも君が若くて何も出すものがないのなら、情熱を出せばいい。

 

情熱は、つまりは想いであり、信念であり、夢であり、時間であり、そして精神力なのだ。

 

 

俺は資格を持っている人を金で雇えば問題なかったのだが、俺の気合いが今も使えるのか試してみたかった。

 

今日までやってこれた自分を誇らしく思う。

 

あと16日。

 

最後までがんばりたい。

 

 

あと17日、幸せについて

お金は学歴に似ていると思う。

 

少しでも手に入れようとみんなが必死になっている。

 

それさえあれば幸せになれると錯覚しているように思う。

 

 

 

お金も学歴も、今の俺には十分なのでもはやなににもコンプレックスがなくなった。

 

俺より上の学歴の人はたくさんいるが、今の俺にはそこまで必要ではない。

 

俺よりもお金を持っている人はもっとたくさんいるだろうが、今の俺にはそこまで必要ではない。

 

だから俺の前に、ハーバード大学卒の人が来ても、100億円持ってる人が来ても、儲けてない低学歴の画家の人が来ても全員同じように接する。

 

 

貧乏ですべてに飢えていた俺には、なにもかもが必要だった。

 

せめて普通になりたい、あわよくば豊かになりたいと思って、けっこう突っ走ってきたと思っている。

 

そうして少しずつ手に入れていく中で、人が一番大事なんだということが本当によくわかった。

 

俺が目指している理想モデルは、いつもお世話になっている電器屋の社長さんと、もう亡くなられたが俺が通ってる同級生の散髪屋さんのお父さんだ。

 

会話に味があるというのだろうか。

 

いつもニコニコして、みんなと仲がいい。

 

そして多くのことに寛容だ。

 

寛容さは俺には全然ないけど、そういう人になりたいと思っている。

 

だから今度は寛容さとニコニコを手に入れたい。

 

 

ネットが発達するにつれて、ブログやアフィリエイト、またSNSで副収入を得ようとする人が多くなった。

 

仮想通貨を一生懸命に調べたり、株のチャートを何画面もずっと見ている人がいるだろう。

 

ああいうプロセスの中に、幸せがそんなにあると俺には思えない。

 

Twitterでよく見かけるのは、

 

「○○日で、フォロワー何人いきました。」とか、「SNSで月に何桁稼ぎました。」っていう人たちだ。

 

そういうゲームをしているというのなら、それはそれでいいけど、そうじゃなかったらただの承認欲求だよね。

 

人数や金額を見て、目を血走らせるなんてとてもじゃないが豊かなことと思えない。

 

 

人間が今日まで生きてきて生活が激変したように感じるけど、実際は思ったほど変わっていないのではないだろうか。

 

人と人が争うのは、誰にかにこんなこと言われたとか、こんなことで傷ついたとか、結局そういう話だと思う。

 

 

上を目指すのは確かにとても大事なことだと思う。

 

だけど、目標なしにそればかりやるのは危険な気がしている。

 

 

学歴やお金を貯めることはきっといばるためじゃない。

 

そういうことに気づくようになった俺はどんどん歳をとってゆく。

 

 

木に例えると、もはや上には伸びなくなった。

 

でも、じわーっと水分が増してきている。

 

そういう成長もいいと思う。

 

 

 

ブログに時間をかけすぎた。

 

さあ、今日の勉強をやろう。

あと18日。

病院に8時から15時前までいた。

 

そして17時からポツポツと授業が入ってくる。

 

授業の終わりは21時半。

 

どうやって10時間捻出できるのだろう。

 

 

明日も朝から、トイレ見積もり、蛍光灯チェックの立ち会い、市役所....

 

気が狂いそうになる。

試験まであと19日。

今日は飛び込み仕事が色々あって、なんとこの時間まで勉強時間ゼロという、奇跡の昼を過ごしてしまった。

 

だけど、なんでも思い通りにいくはずもなく、こういう風にいろいろなことがある中で勉強を進めていくのが大人なのだと再認識する。

 

もはや、この試験に落ちようが受かろうが誰にもなんの影響もないだろう。

 

でも、俺はただ自分のルールにしたがって勉強を続けるだけだ。

 

俺の人生を創ってくれた勉強に、今また真摯に向き合っている。

 

.....あと15分で、授業スタート。

 

今日はどこの時間で勉強すればいいのかよくわからないが、心を折ることなく淡々とできるところで勉強するだけ。

 

短いブログ。

試験まで3週間を切った。

 

自分ができているのかできていないのか?

 

文系の資格を受けるのが初めてなので、今の自分の実力が全くわからない。

 

過去問を早く解けばいいのだが、俺の解いてる問題集が過去問を分解して作られているために、同じ過去問を解くところに意味が見出せない。

 

最近は、心臓の手術のことがあって優先順位に頭を痛めている。

 

 

 

「そこに山があるから。」

 

という有名なフレーズで知られる登山家ジョージマローの言葉がある。

 

 

 

「受験は一択の選択問題」

 

by 俺

 

 

合格するしかないのである。

 

他の選択肢がない、一択問題なのだよ。これは。

 

いかなることが起ころうと、いかなるハンディがきても、合格一択しか選択肢がない。

 

それが、高卒で入社したはずなのに、オール優で大学院を卒業して再入社しまう俺なのだ。

 

それが、たった一人で塾を始めたはずなのに、今や10人近くのヘッドと仕事している俺なのだ。

 

俺は俺でしかない。

 

全部一択なのだ。

 

 

 

あと20日はベストを尽くしたい。

 

 

歳をとるにつれて、アルジャーノンの薬を飲む前のチャーリイのようなきれいな心になれるように、いっぱい勉強していっぱい努力しようと思っている。

 

 

 

あさっては またしんさつに なった。

 

じぶんの からだを だいじに しながら、みんなのことを だいじに できるように がんばろうと おもう。

 

勉強の力。

俺は太ってしまった。

 

ブクブクと...

 

もし同窓会でもあって、「この人太ったよね。」投票でもあったなら、生徒会長になってしまうかもしれない。

 

そして、5キロメートルのプチマラソン大会でもあったなら、後方部隊を形成するだろう。

 

だが、

 

同窓会の時に神がやってきて、「来年はガチのプチマラソン大会やるのでよろしく。それで人間性の全てが決まるので。」こう言われたらどうだろうか。

 

もしも1年間の猶予があって、神が言うのであれば俺はきっと努力できるだろう。

 

毎日努力をして、上位に入れるに違いない。

 

それは信じて疑えない。

 

 

 

 

 

 

「それが勉強と同義である。」

 

 

 

 

 

デブ友の多くは、俺と同じように努力を始めるかもしれない。

 

だけど、多くは途中で脱落してしまうはずだ。

 

苦しいからだ。

 

 

 

学校の勉強を考えてみて欲しい。

 

成績のいい子は、楽しくない勉強を「それでも頑張る。」と決め、それを自分の言語に変換して、自分の中に落とし込んでいるのである。

 

そもそも勉強ってやる必要あるか?

 

フリーターでも全然生きていけるじゃないか?

 

いざとなったら生活保護でも受ければ、飯は食えるはず。

 

だけど、未来のことを考えて、今、がんばろうとがんばっているわけだ。

 

わざわざ苦しいことを自分を律してやっているわけだ。

 

成績のいい子などは、先生が「これくらい覚えてください。」という量さえも超えて、さらなる苦行に立ち向かってくるくらいだ。

 

これってどうなんだ?

 

 

 

仕事で考えても一緒だろ?

 

「この仕事やって。」って頼んだとき、

 

①やらないやつ。

②イヤイヤやるやつ。

③がんばってやるやつ。

④期待を上回ってくるやつ。

 

これ一緒?

 

お客さんに「こうして欲しい。」とお願いされたとき、

 

①やらないやつ。

②イヤイヤやるやつ。

③がんばってやるやつ。

④期待を上回ってくるやつ。

 

これ同じか?

 

お客さんがまた次に来てくれるの、どれ?

 

 

 

 

俺は今、毎日毎日、勉強し続けている。

 

本当は俺がやらなくてもいいと気付いている「旅行の試験勉強」をずっとやり続けている。

 

100日前から始めて、あと43日まできた。

 

50歳過ぎて、起きてる時間を全部勉強できる人がどれくらいいるだろう?

 

でも、俺は勉強の力を知っている。

 

 

 

俺は今から「旅行会社」を作ろうと思っているのだが、免許を持ってる人を雇えばいいだけであって、自分が免許を取得する必要なんか本当はない。

 

だけど、勉強の力は凄まじい。

 

だから俺は勉強から離れない。

 

 

 

勉強は、貧乏だった俺を大企業に入れてくれた。

 

勉強は、高卒だった俺を大学院卒にしてくれた。

 

勉強は、サラリーマンだった俺を自営業に変えてくれた。

 

勉強は、俺を150回も渡航させてくれた。

 

そして勉強が、みかみ塾グループを作ってくれて優秀な若い人たちと巡り合わせてくれた。

 

 

 

勉強をやっていなかったら、今の俺はない。

 

要領だけで成功することはできると思うが、再現性に乏しいはずだ。

 

 

俺の同級生達が65歳になったら、その多くは自分の環境が変わることを受け入れるしかないだろう。

 

でも、俺は何歳になっても自分で自分の環境を作ることができる。

 

勉強神とともに。

 

だから、そのための準備を今やってる。

 

 

俺は一生涯にわたって、「勉強の力」という無限のエネルギーを利用することを決めている。

 

 

勉強はただの学問であるとも考えられるが、それを使って人生を好転させることが可能だと心から思っている。

 

俺はそれをみんなに伝えたい。

 

 

ま、いつものように「俺はこんなにがんばってるんだ。」というウザいブログに仕上がってるが、それが俺のキャラクター。

 

よし、ブランディングオッケー。

 

 

 

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今日こそは航空運賃の計算がスラスラとできるようになりたいなあ。