みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

苦しみと俺。

明日で試験まで50日となる。

 

同じ資格を受ける人たちとのグループにいくつか所属しているのだが、掲示板でみんなが言っている意味がまだわからない。

 

というのは俺の知識が乏しいために、みんなと同じレベルの議論ができないのである。

 

数学でいうと、やっと九九をマスターしたくらいのレベルの俺には、分配法則や因数分解の話はわからないということだ。

 

この試験を受けようと思ったときに、すでに願書の締め切りが近づいていた。

 

おそらく他の人は俺より前に始めたか、数回目の受験だと思う(合格率は約10%なので)。

 

毎日、授業と参考書を最優先の仕事にしながら、余った時間で勉強している。

 

わからないことだらけすぎて、テキストを読んでもよく理解できない時も多々ある。

 

だけど、あと50日になった。

 

 

俺のゴールはとりあえず決めてある。

 

通信教育で買ったこのテキストを全部5周することだ。

 

これを5周だぜ?

 

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いつもみんなに言っていることがある。

 

「まず参考書をマスターするように。」

 

「それができたらひたすら問題を解き続けること。問題を解いている間にアウトプットができるようになって賢くなる。」

 

「点の低いうちはわからないことだらけで、理解するのに時間がかかる。でも、心配するな、それでいい。」

 

「60点くらいになると完全にわかる問題が現れて、80点くらいになると問題を解く速度、解き直しをする速度が爆速になる。」

 

今、俺は参考書を一通りやって問題集の1周目に入っている。

 

計算上はあと20日で1周目が終わるはず。

 

それから15日で2周目を終わらせ、7日で3周目。6日で4周目。3日で5周目を終わらせて試験に突入する予定だ。

 

とにかくこのすべての本を5周回して試験に挑む。

 

それが俺が立ててるシナリオだ。

 

 

 

今は他人よりもできないが、俺は俺でそれなりに国家試験を受けてきた。

 

だから合格までに頑張ればいい量がなんとなくわかる。

 

才能で受かるんじゃなくて、努力で受かるしかない。

 

 

 

 

それにしても苦しすぎて泣きそうだ。

 

ハニーに「昔から本当に勉強好きよね?」と言われるが、

 

「ハニーくん。僕は勉強好きではないのだよ。未来のために努力をしているんだよ。君も......」

 

 

バタッ 

 

 

     

 

 

 

 

誰かができることは俺にもできる権利がある。

工業高校卒業して、数年してから大学受験を始めた。

 

みんなから「絶対に無理だ、やめとけ。」と善意で色々言われた。

 

だけど、工業高校から国立大学に入った人が日本にいる以上、俺が入れない理由はどこにもないと思っていた。

 

当然、合格する。

 

その後、校長先生から電話がかかってきて学校に行ってみたら「第二次世界大戦まで歴史を調べてみたが、国立大学に合格したのは君だけだ。」と言われた。

 

....ちょっと驚いた。

 

 

何かをなすことができるか否か。

 

それは他人が決めているのではない。

 

自分が決めているのである。

 

 

今、俺は参考書と資格試験を同時にやっていて、もはや「空いた時間は勉強させてくれー。」と懇願する受験生のようになってしまっている。

 

部屋の片付けも後回し、体重の計測もあとまわし、禁酒も中断。

 

勉強に集中しなければ終了しない。

 

もはや、なりふり構ってられないのである。

 

 

普通の努力では普通のものしか得られないのは、おそらく太古の昔からわかっていることなのだ。

 

例えば、縄文時代に獲物を獲りに行くとする。

 

いつも行っている安全な場所からは、いつもの獲物しか取れないはずだ。

 

危険の多い奥地の森や、滝壺の中を進むからこそ、何か新しい発見があるはず。

 

 

受験ってその日だけじゃなく、結局毎日の勝負だと思うのだ。

 

毎日を自分に勝てるかどうか、そういうところで決まってくるだろう。

 

「やろうとは思うのですが。」

 

「今日は絶対に頑張ります。」

 

そういうのは全部ゼロに等しい。

 

なぜなら、やるやつはやっているからだ。

 

 

必ず今、頑張ってるヤツは日本のどこかにいるのだ。

 

勝とうと思ったら、容易に空想はできるであろうそいつらに勝つ必要がある。

 

 

俺は今、新しい資格の勉強しているから、「50歳も過ぎて覚えられるんですか?」とかよく聞かれる。

 

.....問題ない。

 

日本に一人でも合格できるやつが存在するなら、俺はそいつを倒すだけ。

 

ただそれだけなのだ。

 

 

いよいよ試験まであと2ヶ月になってしまった。

 

合格するし、参考書も書き上げる。

 

 

ただそれだけだ。

 

決めたことを毎日やりきること。

 

まあ、それだけなのだ。

次にやること

思えば、俺らの集団は大きくなった。

 

初めは机が8個しか置けない教室しかなかった。

 

会社の時に使ってた自分のパソコンとプリンター、中古で買ったホワイトボード。

 

先生はもちろん、俺一人。

 

これがすべてだった。

 

先生が一人増え、二人増え、教室が二つ三つと少しずつ増えていった。

 

仲間の学歴もどんどんアップしてきて、一般的に一部上場企業にも負けてないほどのハイスペック集団になった。

 

バイトまで合わせたら、何十人の先生が俺らのグループでがんばってくれているのかわからない。

 

まだ大きしていくつもりだ。

 

先生も生徒も親御さんも、みんなが勉強で幸せになれるなれるように、これからも拡大していきたい。

 

 

それと同時に俺は新しい未来を描いている。

 

旅行会社を作ることだ。

 

グループの中に旅行会社を作りたい。

 

だから、旅行系最難度の試験にいきなり挑戦している。

 

一番難しい資格を持っていれば、できることも一番大きくなる。

 

例えば、海外旅行を開くツアーとかもできるようになる。

 

2番目に難しい試験では、海外旅行の資格を得ることができないのだ。

 

 

生徒や子供たちを海外に連れていって、世界がおもしろいことを伝える専門の旅行会社を作りたい。

 

株価で説明するとわかりやすいかもしれない。

 

例えば、旅行会社があるとする。

 

今は、コロナだからとおとなしくしている会社と、今のうちにコロナがすんでからのことを考えて準備している旅行会社の株価が果たして同じであろうか?

 

俺は後者でありたいと思うね。

 

 

また、旅行に行くと様々な経験を得ることができる。

 

入試の面接で、その経験を話すことはプラスにならないだろうか?

 

俺は、カンボジアの人たちと割と長い付き合いがあるので、カンボジアの民家にも泊まらせてもらえるようになった。

 

そして今では生徒も泊めさせてもらえるようになった。

 

その間に、ある程度のノウハウも蓄積してきた。

 

 

こういうのをやっていきたい。

 

これからも。

 

カンボジアファミリーステイの旅行会社なんて聞いたことないだろう。

 

会社を設立したら、カンボジアの人たちと年単位の契約を結んでファミリーステイという新しい分野の仕事をカンボジアの中に根付かせたいと思っている。

 

また、カンボジアの人たちだって日本人の子供たちと寝食をともにすることで、文化交流できるはず。

 

 

塾で教えてるのは勉強かもしれない。

 

だけど、俺らは可能性のことや未来の夢のことなんかも同時に伝えているつもりだ。

 

 

今から作る旅行会社の名前を考え中だ。

 

 

「なんとかトラベル」みたいな名前って多くあるよね。

 

俺はトラベルを伝えたいんじゃない。

 

 

 

 

 

バスケットやハンドボールで歩きすぎの反則なんていうか知ってる?

 

 

.............トラベリング。

 

 

 

 

そう、だから俺は「みかみトラベリング」を作ろうと思っている。

夏のデッサン

みかみ先生って、結婚してるのだろうか?

 

子供はいるのだろうか?

 

疑問に思ってた人が多いと思う。

 

 

 

俺はこの仕事を始めるにあたって、「自分の子供を通わせたい塾だけは絶対に作らない。」と決めていた。

 

俺が俺の子供のために作った塾に、他の家の大事な子供さんがどうして通わないといけないのだろうか?

 

俺は「あなたの大事な子供さんを俺の子供だと思って、大切に育てます。」という思いで塾を作った。

 

俺はあなたの大切な子供さんのための塾を作ったのだ。

 

だから、家のカラーを完全に消して仕事を始めた。

 

「俺はみんなのお父さんです。」

 

みんなのことが可愛くて仕方がなかった。

 

 

今は母子家庭の家もたくさんある。

 

塾にいるのが君のお父さんだ。

 

ところがある日、事件が起きた。

 

平日の午前中だからと油断をしてしまったのがいけなかった。

 

母子家庭のよく懐いてくれてた生徒が、たまたま遊びに来た俺の娘(小学低学年)を見て、失踪してしまったのだ。

 

警察も動員して、ちょっと騒ぎになってしまった。

 

結局、その日の夜中、お父さんのお墓の前で泣いているその子が見つかった。

 

自分が初めに作ったコンセプトに対してプロになりきれていなかったことを深く悔やんだ。

 

もっと家庭の雰囲気を消さなければいけなかった。

 

 

さて、話をもどそう。

 

10代の終わりに一目惚れした人がいた。

 

こんな綺麗な人はきっと一生現れない。

 

今、結婚するしかないと思った。

 

だけど俺は高卒だ。

 

自分で自分のことを最高とは思うことができなかった。

 

そしてその人の生活を、一生保障できるのか、少しだけ自信がなかった。

 

そんな自分を変えないと、綺麗な彼女とはきっと釣り合わないはず。

 

彼女に「結婚する前に大学卒になるチケットを手に入れてくる。」といい、一人で受験勉強を始めた。

 

それはそれは苦しい受験勉強だったが、合格したら結婚しようと話していた。

 

ただの1度もデートをすることなく、2年間勉強し続けて大学に合格した。

 

「よし、結婚」と思ったのだが、会社から「1年間は期間をあけるように(でないと結婚するために勉強したみたいで心象が悪い)」と言われた俺は大学1年生の3月まで待って結婚式を挙げた。

 

大学生でお金もなかったから、結婚式もみんなのご祝儀で払うからと後払いさせてもらった。

 

だから大学生の時は2人暮らし。

 

大学院になって娘ができて3人暮らしになった。

 

最初、お金は全然なかったが問題なかった。

 

俺を捨てた両親のようには、俺は絶対にならない。

 

 

その後、娘が福岡の高校に進学した時に、家族で福岡に引っ越した。

 

最初は福岡から山口に通っていたのだが、いくらなんでも大変すぎるので単身赴任に切り替えた。

 

そしてなぜか11年目を迎えていた。

 

ハニーはコストコ福岡が大好きだったのだ。

 

 

先日、ハニーが「そろそろ徳山に戻ろうと思うんだけど。」

 

唐突に俺に話をしてきた。

 

どういうタイミングで、何が起きたのかは全然わからないのだが、

 

 

「もちろん、おかえり。」

 

そう答えた。

 

 

 

結婚して約20年間一緒に暮らして、その後11年間単身赴任。

 

その生活が今日で終わって、明日からはまたハニーと二人暮らしになる。

 

「毎日ガラスケースに入っててくれたら、もうなにもしなくていいから、せめて毎日俺に鑑賞させて欲しい。」

 

そう思って結婚してもらった、あの日の俺の気持ちがずっと残っている。

 

さすがに大喧嘩することはもうないが、些細なことで言い過ぎてしまうこともある。

 

だけど、まだこの先20年くらいあるから、今から一番幸せな奥さんにできるように努力したい。

 

もはや俺の年齢で、生徒が俺のことをお父さんと思う人も少ないだろう、おじいちゃんならいいかってことでオープンにしてみた。

 

生徒はみんな、俺の子供じゃなくて孫になるのでよろしくね。

 

 

明日からはハニーが戻ってくるので、俺の食生活も著しく改善されると思う(ハニーは料理がすごくうまいので)。

 

 

ハニーが戻ってくる前にケーキでも買ってこよう。

 

夜は、「これから何を一緒にしようか。」を話そうと思っている。

 

ハッピーハッピヤーハッピエスト。

俺と一緒に働いている人はわかると思うが、もはや俺は経営者の本質と違うところで生活している。

 

経営者は利潤が最大になるように考えないといけない。

 

だけど、俺はそこにはほとんどの興味を失っている。

 

 

若いときは誰も物欲が多いと思う。

 

俺も昔はそうだったかもしれない。

 

特に学生の頃は何も買ってもらえなかったので、物への憧れが強かったように思う。

 

今は、若い人が物を買うよりも有効な使い方ができるとは思わなくなった。

 

車に対する思いもなくなってしまった。

 

俺が新しい車を買って喜ぶより、若い人に買ってもらって代わりに喜んで欲しいと思う。

 

俺が買うより、お前が買え。

 

 

 

実は最近、自分の事務所を引っ越した。

 

もちろん、きれいなマンションに入ることだって、街中のテナントをかりることだってできた。

 

だけど、それを借りても意味がない。

 

幸せとは、こうなのだ。

 

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こうなのだ。

 

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こうなのだ。

 

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こうなのだ。

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こうなのだ。

 

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こうなのだ。

 

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こうなのだ。

 

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真に幸せだと感じるときには人がいて、そこには環境はあまり関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がどうして、ここに引っ越してきたか。

 

それはこの男がいるからだ。

 

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最近は、しょうた先生と飯を食うことが多い。

 

今は最年少のヘッドで、しょうた塾を開塾して順調に塾が大きくなっている。

 

事務所を出て、一歩進むとしょうた塾。

 

「コーヒー飲みにいこう。」

 

「寝る前にいっぱいだけ飲む?」

 

コーヒーはファミマの100円コーヒーで、いっぱい飲むビールは冷蔵庫に冷やしてある缶ビール。

 

これでいいんだよ。

 

これが最高。

 

この体験にタワーマンションペントハウスが勝てるか?

 

 

俺らのつまみはその時に笑いながら話す話なんだから、きどらない場所でいいんだよ。

 

しっかり冷えたビールがあれば最高だ。

 

シンガポールで一番好きなのは、ホーカースだ。

 

タイやラオスで一番好きなのは、ナイトバザール。

 

ベトナムはビアホイ。

 

イタリアはバルの外のテーブル。

 

そう、大きな声で太陽を浴びながら話すのが最高だ。

 

 

 

 

歳をとっていくと体は衰えていく。

 

だけど、自分の趣味嗜好がわかったり、知見がたまったりして、違うことが考えられるようになる。

 

だから、俺はハッピーを創る男になる。

 

みんなが俺をみて、「あ、みかみ先生は密かに幸せのイメージを掴んでたのね。」ってわかるように、何がハッピーかを可視化しようと思っている。

 

 

というわけで、お前らも俺を見てハッピーを学べよ。 

 

 

 

 

 

 

おっと、その前に試験勉強だな...

 

仕事は人生である。

他塾批判したり、他塾の経営にケチをつけているわけではない。

 

俺だけの内なる話を書いているだけなので、どうか了承いただきたい。

 

 

俺は普通の塾の経営とは、色々異なった経営をしている。

 

それは俺自身が他の塾に勤めたことや自営業の経験がなかったために、誰かのやり方を踏襲する必要もなく、慣例にさえ縛られなかったことによるものだ。

 

 

例えば塾の外観もそうだ。

 

俺の塾は決して綺麗じゃなく、看板さえ出していない。

 

会社をやっていく上で一つの大切なことがある。

 

それは「その会社を継続させること。」である。

 

自分の会社が潰れないようにするために誰もいろいろな工夫をしていると思う。

 

俺が塾を綺麗にしないのも、その工夫の一つだと言える。

 

塾を綺麗にすると、「綺麗だから。」という理由で選ばれてしまうことがある。

 

すると後からできたもっと綺麗な塾と戦わないといけない。

 

もちろんそれでもいいのだが、俺は地元にずっとある「潰れない食堂」のようになりたいと思っている。

 

だから、味だけで勝負しておきたい。

 

味だけにずっと拘っていれば、いつかはソウルフードのように、地元のソウルエジュケーションになれるはずなのだ。

 

また、他のことにお金をかけていなければその分競争力が強くなる。

 

今や年に1回しかチラシをいれてはいないが、場合によっては年に数回のチラシ投入、またピンチになれば看板を設置するというカードも切れる。

 

開塾してから20年間、ほぼ満席で今日までやってこれた。

 

この先何年続けられるかはわからないが、できるだけ余力を残しながら満席をキープしたいと思っている。

 

 

 

 

そして俺がずっと力を注いでやってきたのがヘッド型の経営だ。

 

俺らはグループでやっているが、いつか俺が使えなくなる日が来る。

 

その日に誰一人、1円も売り上げを落とすことなく自然に自分の塾を回していって欲しいと心から思っている。

 

「社長が死んで2代目になった瞬間からやり方が大きく変わったよね。」

 

よくなればいいが、悪くなる場合だってある。

 

これだけは絶対に回避したい。

 

だから、その日のためにずっと準備をしてきた。

 

もちろん今も準備をし続けている。

 

塾名だってそうだ。

 

「みかみ塾という名前を使ってもいいけど、できるだけ自分の名前を使ってね。」

 

俺の名前を徹底的に際立たせたり、同じ塾名を使うことで知名度を上げることはバラバラの名前を使うよりもやりやすいかもしれない。

 

でも、自分の名前で勝負をしてれば、そしてそこにその塾名の塾長がいれば、柱は倒れないのである。

 

これをやると勝手にグループを離脱されるというリスクもあるのだが、誰からもやられていない。

 

ナンバー2の杉山先生が、俺のことをずっと支えてきてくれたことも大きいと思っている。

 

そしてみんなと信じ合えたことが大きいと思っている。

 

 

今は、参考書をみんなで書いている。

 

自分の力でも参考書は作ることはできるけど、若いヘッドたちと一緒に書くことで、本を作るノウハウや苦労を伝えることができる。

 

若い感性が組み込まれるのは、本にとってもいいことだと思う。

 

また、誰かが俺の名前でAmazonを検索したら、いつもそこにみんなと名前を残すことができる。

 

 

俺は仲間のみんなと一緒に仕事ができて、いつも感謝してる。

 

そして仕事は人生そのものなのである。

 

みかみ一桜がどういう思いで仕事をして、何にこだわってきたか?

 

みんなからもらったたくさんの笑顔や感謝。

 

だから周りで一緒に働いてくれたみんなに、そして塾に来てくれた生徒やその親御さんに、俺が残せるものをこれからも考えていきたいと思っている。

 

今日はやっと今日の参考書のノルマが終了した。

 

さてと、今度は資格の勉強だ。

 

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勉強の初めは...

みんな知ってると思うけど、勉強のとっかかりは結構億劫になるから、軽作業から始めた方がいいよ。

 

ヘビーなのから始めると、心を作るのに時間がかかる。

 

だから勉強開始が遅くなってしまう。

 

軽作業から始めたらそのうちアルファ波が出てきて、勉強することに慣れてくるから。

 

ってことで、俺は勉強のし始めは前日の動画をアップロードしたり、整理したりすることから始めることにしている。

 

そういうのが一通りすんだら、いよいよ勉強。

 

軽作業やってる間は、次のヘビーな勉強のことはなるべく考えずにその軽作業に集中した方がいい。

 

ヘビーな勉強のことを考えながら軽作業をやってると、勉強前の心作りみたいな感じで、全く気持ちが仕上がってこない。

 

軽作業は軽作業。

 

これがポイント。

 

勉強を教えることを生業としている俺が自ら資格の勉強してるわけだから、ま、自動的に最高効率の勉強になるはずだよね。

 

といっても苦しいのは苦しいけど。

 

 

 

俺がSNSをがんばらない理由。

俺は昔はブロガーだった。

 

一生懸命に書いてた。

 

だけど、今は書けるときにし書かないし、フォロワー数やPVを競ったりしない。

 

なぜか?

 

 

合理的に生きたいといつも思っているからだ。

 

遊びなんかは逆に、臨機応変無駄大歓迎だが、仕事的なものは極力合理的にやりたい。

 

だって、仕事は戦争だからだ。

 

一歩間違ったら、会社が潰れるし、一緒にやっている人たちの生活だって守れなくなるからね。

 

だから無駄打ちは極力やりたくない。

 

ってなったときに、こう思うんだよ。

 

 

 

SNSと加齢は相性が悪過ぎる。

 

そもそもネットの世界は新陳代謝が激しいから、そこにずっと居座るだけでも難しい。

 

同じYouTubeがあったら、じじいの見る?若いにーちゃんの見る?

 

一瞬でわかるじゃん。

 

文字でも同じ。

 

じじいがこんなことに気づいたって書くよりも、若い人がこんなことに気づいたって書く方が読む気がするでしょ?

 

共感得られるでしょ?

 

そもそも社会の関心が、じじいに向いていないんだよ。

 

今の時代はね。

 

昔は年齢と収入にある程度の相関関係があったから、まだ若い人が年上を見てたけど、今はそれも崩れ中じゃん。

 

年上が尊敬されるのは、会社の建物の中だけじゃない?

 

ってことで、俺は自分の道に気づいている。

 

仕事で言えば、若い人を応援した方が絶対に勝率が高いからすでにそっちに回っている。

 

 

周りの人には伝えてるけど、自分の授業をどんどん減らして、社長業に集中するから。

 

もう、自分が先頭切って旗を振ることにアドバンテージがない。

 

最近、自撮りもあんまり載せてないでしょ?

 

自撮りなんかしてると若い人の目が腐るんだよ。

 

老人なんかみたくないないんだよ、若いお目目は。

 

 

歳をとっていく過程で、自分自身ではそのことに気がつきにくい。

 

まあ、趣味ならそれでいいけど、仕事だとそれじゃまずい。

 

じじいが世の中に向けて発信できることなんかもはや限られている。

 

だったら、クローズドな世界で若い人とつるんで、若者にSNSを頼んだ方がセンスもいいはず。

 

 

というわけで、俺は普通のじじいじゃなく賢いじじいとして、このイバラのじじい界に生き残る。

 

じじい万歳。

言われた通りにやる。

相変わらず、参考書を書きながら動画を撮りながら、資格試験の勉強をしている。

 

資格の勉強の元々の予定に予備日が入っていなかったから、俺的には苦労している。

 

予定ってのは、通信教育の会社が最適化してくれてる予定なので俺が作ったわけではない。

 

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今日は22日だから、旅行業法まで終わることが俺のミッションだ。

 

だが、あと少しでその下の約款1と約款2が終了することと、語学も終了しているので、4日分ほど前倒している。

 

すべて動画で勉強している。

 

動画の勉強って辛いね。

 

もはや睡眠呪文がサブリミナルに隠されているのではないだろうか、と思うほど睡魔がきたりモチベーションが削られたりする。

 

だけど、通信教育はものすごいと思い知らされる。

 

昔の通信教育はカセットテープだったのに、今ではここまで進化しているのか。

 

これを塾用にカスタマイズしたら、絶対にいいんだけどなあと思いながら、俺はひたすら動画を見るしかない。

 

誰かこれと全く同じもの作ってくれるなら、100万円あげるよ。

 

 

さて、俺は動画を見て勉強しているが、作る方側でもある。

 

だから、自分なりに勉強のコツがわかる。

 

それは一切の我流を捨てるということだ。

 

先生が読み飛ばしたところは、俺も読み飛ばす。

 

先生が線を引いたところに、そっくりに線を引く。

 

先生がやれと言ったところだけ、先生が大事だと言ったところだけ覚えるようにしている。

 

先生は生徒ができるだけ理解できるように動画を作っているのだ。

 

 

 

なるべく先生を憑依させる。

 

話し方も声のトーンもできるだけ、先生にシンクロさせて勉強する。

 

 

つまりだ。

 

余計なことを考えずに、言われた通りにやることだ。

 

これこそが動画授業の最強。

 

 

ということで、今日もコツコツ頑張り中。

 

勉強から解放されるまであと95日。

 

がんばろう。

「宣言すること。」

『総合旅行業務取扱管理者試験』の受験勉強をしている。

 

参考書執筆と並行しているので、苦痛で仕方がない。

 

参考書はiPadに196ページ分書き込んだ。

 

参考書を収めた動画は40本を超えた。

 

1日でも休むと、予定が狂って投げ出したくなることがわかっているから毎日耐えている。

 

この歳になってわざわざ国家試験なんか受ける必要もないのだが、それでも自分で決めたことだからやり遂げようと思っている。

 

それをみんなに宣言することで退路を断っている。

 

 

さて、今日は宣言について考えてみたいと思う。

 

俺は大学受験するときや、何か大きいことに挑戦する時は宣言する方がいいと思っている。

 

宣言することでのデメリットがほとんどないからだ。

 

一番大きいデメリットは、「落ちたときやがんばれなかったときにカッコ悪い。」ということだろう。

 

誰だってプライドがあるから、馬鹿にされたくない。

 

だから、もしものときの保険をかけておきたい、それはわかる。

 

ま、そんなプライドは、結果の世界からしたら無意味だ。

 

意味less中の意味less。

 

 

 

宣言した方が確率的にうまくいく可能性が高いと思うのだ。

 

例えば、宣言することで今の俺のように勝手に背水の陣の陣形が完成してしまう。

 

それがサボる抑止力、休みたい気持ちを自制させる力として働く。

 

また、協力者も現れるだろう。

 

こんな本があるよとか、休憩に飲むといいよとコーヒーをくれたり..

 

いいことしかない。

 

ただ、合格するために必要な量を叩き出さないといけないので、それ相応の苦しさは伴うが。

 

 

今までなら20分くらいの空き時間は平気で無駄に過ごしてきたが、もはやその時間さえ付箋を覚えないといけなくなっている。

 

 

俺は会社にいたときに思っていたことがある。

 

要領で認められるやつと、実力で認められるやつは違うということだ。

 

要領で認められるやつは、社交的でみんなとうまくやって人気が高い。

 

だから華があるし、いつも楽しそう。

 

 

だけどね。

 

俺は思うんだよ。

 

それだけの人間ってのは薄っぺらいなって。

 

そいつの無能臭がプンプンして、結局人からやっかみを買いやすい。

 

 

周りをよく見て考えてみて欲しい。

 

最近は「うまいことやって成功しよう。」的な風潮があると思う。

 

そりゃあ成功だけを考えたら、楽して成功できたらそっちの方がいいかもしれない。

 

成功だけを考えるならね。

 

だけど、そういうやつらは軽んじられることが多いよね。

 

魅力もないし。

 

世の中ってのはもっと複雑系で、人間関係の中で喜怒哀楽を感じてみんなが生きてると思うんだよ。

 

成功だけしても、ぺらっぺらだったらそれは楽しいか?

 

 

昭和的な思考かもしれないが、鉛筆を舐め舐めして鉢巻をしめて頑張ってるやつの方が信用できるし、力も強いと思う。

 

というわけで、試験まであと99日。

 

そして参考書ができるまではもっともっとかかると思うけど、参考書毎日10ページ、動画1日2.5本、プラス資格試験の勉強を頑張り続けようと思う。

 

宣言することはつらいことだが、俺は宣言しとく。

 

 

 

 

 

 

始まったときにはほとんど決まっている。

ちょっと久しぶりに書いてみるか。忙しいのは忙しいのだが.....

 

 

何かを始めるときにまず目標設定すると思う。

 

この目標設定の段階でほとんどのことが決まっていると思うのだ。

 

・目標設定するときの気持ちの強さ

 

・目標の実現性

 

・目標を達成するまでのプロセスが見えるかどうかである。

 

例えば、今年の俺の最優先目標は参考書を3冊書くことである。

 

今まで、書く書くといいながら何度か途中で頓挫した。

 

言い訳になるが、1番の理由は共通テストだ。

 

センター試験から共通テストになることで何が変わるのか、それがわからないと書きようがないと思った。

 

あとは意志の弱さだ。

 

覚悟を決めきっていなかった。

 

本を書くのは結構大変で、しかも時間もかかってしまう。

 

それに耐えうるだけの覚悟を持って始めていなかった。

 

でも、今回は違う。

 

確実に書き終わることを自分の中でイメージしている。

 

まだ始めたばかりにも関わらずである。

 

本を書き始めたのはいつか?

 

7月1日だ。

 

2週間しかたっていない。

 

だけど、なぜ書けることがわかるか?

 

必ずやり遂げるという意思で仕組み化したからだ。

 

今日で14日目、iPadに原稿を書き込んでいっている。

 

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今、何ページか?

 

148ページだ。

 

1日平均10ページのペースで書いていっている。

 

実際のページとiPadのページは異なるので、半分としても紙ベースで俺は毎日5ページは書いているのである。

 

それだけじゃない。

 

その書いたページを元にして、生徒に流す授業動画を撮りためている。

 

昨日で32本撮った。

 

毎日、昼の間に10ページの原稿を書いて、授業の前に約10分の動画を2.5本ペースで撮り続けている。

 

これを13日連続でやった。

 

何ヶ月間か続けていったら必ず本が完成する。

 

夏休み前、夏休み中、だんだん寒くなってきて俺の服も秋から冬になり、暖房の前で本を書き続けているシミュレーションがもはや完成している。

 

だから本が完成するのだ。

 

 

 

実はこれだけじゃない。

 

3日前から資格試験の勉強をガチで始めた。

 

『総合旅行業務取扱管理者試験』である。

 

実際、6ヶ月くらい勉強期間が欲しかったのだが、もはや願書の受付期間に入ってしまっているので、残された期間がわずか3ヶ月しかなかった。

 

参考書が最優先なので、試験に合格できるかどうかまではよくわからないのだが、とりあえず通信教育を始めた。

 

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これだけを勉強すれば受かるらしい。

 

なにせ最優先の参考書があるので、最後までやれるかまではわからない。

 

ただ、俺史上では「受けた国家試験に落ちたことがない。」ので、これもなんとか帳尻を合わせることができるのではないかと密かに思っている。

 

まあ、国家試験はそこまで優先順位は高くないが、でも、一応最善の努力をやってみよう。

 

せっかく海外旅行に行きまくっているのだから、旅行に関する一番難しい国家資格も持っときたいよね。

 

生徒を引率するときの知識は多い方がいいに決まってるから。

 

 

 

勉強だってきっと同じだ。

 

始める時にそれなりの覚悟を持ってやればきっとできるはずなのだ。

 

俺が頑張り始めたから、この気持ちを生徒のみんなにも伝えることができる。

 

強い信念をもつこと、頑張り続けること、耐えうること。

 

上っ面の言葉じゃなく、ちゃんと心の底から伝えらえれるように、子供達の心に響かせられるように、俺自身も頑張ろうと思っている。

 

 

ブログをしばらく休みます。

いよいよ7月1日になった。

 

この日のためにいろいろな準備をしてきた。

 

今日が迎えられるように、気持ちも作ってきた。

 

今日から数ヶ月間、仕事の量を爆増させる。

 

もしもそれをやらなかったら、一緒にやる人たちに迷惑がかかってしまうので逃げられない。

 

ブログの時間も仕事をするので、しばらくブログを休みます。

(まれに書くかもしれないけど)

 

受験は本当に厳しい。

10年くらい前の塾生のブログ引用。

 

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ゆかが徳山高校のこと書いてたから、なんか思い出した。

 

ダンスで舞い上がってた。

 

でも当時の自分は一生懸命にやってるつもりだった。


本当につもりなだけだった。

 

たぶん、結果があれってことはがんばってなかったんだなって。

 

あの体育祭のシーズン。

 

私はひたすら英単語を覚えた。

 

本当に単語しかしない日もあった。

 

でも、そのおかげで語彙力にちょっと自信がついた。

 

化学の特訓問題も途中参加だったけど、最後まで続けた。

 

でも、あのときまだそんなに危機感なかったし、絶対に同じ問題を間違えないって気持ちが弱った。

 

危機感とか実際になってみないと、どれだけ先輩が教えてくれても、自分で味わないと本当にはわからないしね。


そう言えば、みかみ先生が「試験が近くなったら1問の間違えで泣き出したりする子がでてくるくらいだ。」って言ってた。

 

あれ、本当だからね。って実際に私もそうなった。

 

1点の重みがすごかった。

 

以下略

 

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その子が受験で東京のホテル何泊かして、最後のテスト前にこんなことを書いていた。

 

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こっちにきて、使った裏紙。

 

苦しいことしかなかったよ。

 

試験行ってきます。

 

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苦しいことしかなかったか....

 

きっとそうだろう。

 

このブログを見たときに、18歳の生徒がたったひとりで東京で頑張ってる姿を想像して涙が止まらなかった。

 

実際に大学のレベルを言わなければ、どこかの大学には入れるんだよ。

 

だけど、それでも自分の行きたい大学や上の大学目指して頑張っている子がいるのも事実。

 

このブログの子だって、自分はがんばっていたつもりだったけど、まだまだがんばれたんだなって気づいている。

 

 

 

「今は学歴社会が壊れてきている。」だって。

 

お前誰に聞いたの?その話。

 

世界中の生徒はいい大学にいこうと一生懸命に努力している。

 

経済の発展が止まってしまった日本は、「がんばらなくてもいい」だの「自分らしく生きよう」だのぬるいスローガンを受け入れるようになってきた。

 

だけど、世界のエリートジュニアや野心にあふれる子供たちはゴリゴリにがんばっている。

 

経済の発展の中で少しでもチャンスを掴もうとがんばってるんだよ。

 

 

今日は高校3年生の授業だ。

 

夏休みもだんだん近づいてきて、少しでも早くフライングスタートが切れるように応援しようと思っている。

モノは未来、体験は過去。

人間の生活は明らかに豊かになってきている。

 

洗濯機、冷蔵庫、エアコン、車、スマホ、パソコン.....

 

なかった頃に比べたら格段に便利だろう。

 

だが、だからといって人間は幸せになったと言えるだろうか?

 

何度も書いてるんだけど、

 

「タイの貧しい村に住む貧乏人」 vs 「フィリピンの大都会マカティにいるホームレス」

 

このふたつは、幸せが100光年くらい離れてるよ。

 

 

貧しい村に住む人はみんな貧しいから、貧しいながら笑顔で助け合って暮らすことができる。

 

子供たちも石とかで遊んだりできる。

 

だけど、マカティはそうはいかない。

 

例えば、デパートにはホームレスは入れないからね。

 

普通の人が普通の服着て、デパートから出てくるところをホームレスは毎日眺めてるんだよ。

 

「この人たちみたいになりたい。」

「ああ、私は貧乏。」

って毎日毎日毎日毎日劣等感の中で生活している。

 

おもちゃだって、お金持ちの人が恵んでくれたものか、落ちてるものを拾うしかないよね。

 

これはたまらないはず。

 

これって、自分が生きていくのにも超重要なことだと思う。

 

 

Facebookやインスタで、みんながバッグやら美味しい料理を我先にと投稿する。

 

そういうのを見て、悲しくなったことって何回もあるよね?

 

だって、自分の幸せを公開する場だもんね。

 

写真系のSNSって。

 

 

 

だけど、俺は気づいてる。

 

きっとモノじゃないんだよ。

 

何かを買うときの気持ちって未来志向って言うか、例えば、ヴィトンの財布が欲しいとするじゃん。

 

で、ネットで調べてるとき楽しいよね?

 

買った瞬間、嬉しさがピークだよね。

 

使ってる時も誇らしい。

 

だけど、過去には遡らないよね。

 

ああ、あの買った瞬間は嬉しかったなあ、みたいな感じ。

 

そういうのないよね。

 

 

体験って過去志向だと思うんだよ。

 

例えば、旅行で説明しようか。

 

まあ、旅行に行く前も楽しいけどね。

 

実際に行ってるときは色々な経験ができて楽しいよね。

 

で、あとからも「あのとき面白かった。」とか「こんなことがあった。」って思い出すことがあるじゃん。

 

自分の人生を振り返るときって、いい体験が多いかどうかで幸せを判断してないか?

 

 

例えば、「中学生の頃は、いろいろなものをいっぱい買ってもらって幸せでした。」って話してるの聞いたことある?

 

でも逆に「中学生の頃は、いじめられて悲しかったです。」これ、何回も聞いたことない?

 

自分の中学生や高校生の頃を思い出してみて。

 

楽しかったのって、モノじゃなくない?

 

悲しかったのって、モノじゃなくない?

 

 

俺のインスタ見てる人わかると思うけど、俺のストーリー楽しそうでしょ?

 

ただの食事インスタなんだけど、俺の中で食事は美味しいものを食ったかどうかじゃなくて、楽しかったかどうかのエンタメなんだよ。

 

一食、一食楽しんでるのわかるでしょ?

 

豪華かどうかなんて食ったら終わりなんだよ。

 

 

食事だけじゃない。

 

 

俺のすべてがハッピー体験になるように、生きてるわけよ。

 

 

色々な国に行ったからわかった。

 

どうやった方が幸せかってことがね。

 

 

金なんかたくさん持ってても「すごいね。」って褒めてくれる人がいないとそこまでアドバンテージがない。

 

だけど、笑い合える仲間がいることは、それだけでハッピーだと思っている。

 

 

 

というわけで、これからもふざけて生きていくのがこの俺様。

 

どわーはっはっはっは。

 

 

 

 

 

あっ、真似していいからね。

 

お前も幸せになれよ。

塾の先生の仕事。

俺は自分が塾に通ったことなかったから、初めて塾の先生になって仕事が多岐にわたることにびっくりした。

 

最初にびっくりしたのは、家出した子供を探しに行かされることだった。

 

家出した子供は塾の生徒ではあるが、家出の原因は俺ではない。

 

なのにお母さんがカンカンに怒って「もー!先生、また子供が家出しました。早く探しに行ってください!」って言われて、何度探しにいっただろう。

 

塾の先生ってこんな仕事まであるのか、って驚いたのを覚えている。

 

 

生徒を警察に引き取りに行ったり、救急車に乗った子の付き添いで救急車に乗ったり、いろいろあった。

 

 

卒塾してからもいっぱいあった。

 

悪徳商法にひっかかった子の救済。

 

「先生、今悪徳商法の人に監禁されてるから助けに来て。」

 

「こんなものを買わされたんだけど。」

 

今まで何回クーリングオフを教えただろう。

 

それから借金の肩代わり。

 

これに関しては、基本的には戻ってこないことが多いし、そのまま音信不通になる場合もある。

 

当然なのだが、就職時の面接練習とかエントリーシートとかは何回やったかわからない。

 

そもそも高校を卒業したら塾って終わりのはずだと思うのだが、アフターサービスがいろいろ必要なのね?って生徒に教えられた。

 

 

一番びっくりだったのは、卒塾した生徒が親子喧嘩して、神戸の警察から電話がかかってきたことがある。

 

「警察署で親子が大喧嘩になってるけど、あなたに仲裁に入って欲しいって言うから来て欲しい。」

 

「おまわりさん、おかしいと思わないのですか?その話は。」

 

「でも、お母さんがあなたの名前しか言わないので。」

 

「すみません。5年くらい前に卒塾した子の母親なんですけど。」

 

山口に住んでる俺にどうしろと言うのか、でも、結局仲裁にはいって大変だったなあ。

 

 

 

そして今、俺はポテト氏と暮らしている。

 

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ポテト氏と言うのはまあ、ハリネズミなのだが、

 

「先生、事情があって2週間ほど世話をして欲しいんですけど。」

 

 

そうかあ、ハリネズミの飼育も塾の先生の仕事なのかあ。はいはい。わかりましたよ。

 

 

 

 

 

 

って、なんかおかしいやろーが。