みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

塾〜その先へ(獺祭〜その先へのパクリ)

俺の教室は高校生がメインなのだが、やはり中学生と高校生ではニーズも違うし、親御さんとの関わり方も違うと思う。

 

地元で20年もやってるから、色々なご家庭と知り合いになれた。

 

いろいろな時にいろいろな人から声をかけてもらえてありがたい。

 

 

思うのは、子供だけとの関係より親御さんも合わせた家族ぐるみのお付き合いの方が楽しいということだ。

 

勉強を教える仕事をやっていて、楽しいという表現でいいのかどうなのかわからないが、やはり人と人だと思う。

 

 

よくよく考えると、意外に多くのことが金額や立地以外の嗜好から選ばれていることに気づく。

 

少し遠くても「あの人がいるから、行こうかな。」っていう店もいくつかあるはずだ。

 

「この塾は安いから選びました。」っていう選び方もあるかもしれないが、一番嬉しいのは「どうしても先生に習いたいんです。」だろう。

 

そんなの言われてしまうと、「じゃあ、いっちょがんばろうかな。」ってことになる。

 

「どうしても先生に習いたいんです。」っていうのは、きっと誰かからのクチコミなのだ。

 

「あの塾は成績が上がるよ。」っていう褒められ方は王道だろう。

 

でも、「とにかく先生がいいんです。」とか言われると、塾的には告られたようでパワーが8割り増しくらいになる。

 

そうなるためにはどうしたらいいか?

 

成績を上げる努力は当然として、俺は「自分の人となりを知ってもらうこと。」も大事なことだと思っている。

 

予備校や大きい塾は、生徒とのLINE禁止や食事禁止とかいろいろなルールがあると思う。

 

まあ、バイトや若い先生とかに問題起こされたら一発でアウトだからね。

 

 

でも俺らは、ずっとここでやってる地域密着の塾なのだ。

 

あとバイトの先生もいないしね。

 

親御さんや子供たちと食ったり飲んだり(ちなみに家ではもう飲んでいない)たくさんしたい。

 

そしてお互いのことを知り合いたいし、生徒の背景もたくさん知りたいと思う。

 

 

その子供の勉強だけじゃなく、その子の全部が見えるような接し方ができると楽しいよね。

 

特に俺なんか好きでこの仕事やってるわけだから。

 

わざわざ研究職を捨てて、ゼロから始めたわけだからふれあいを大事にしたいって思う。

 

まあ、時代には逆行してるかもしれないけど、AIが出てきたらこういうところが逆に差別化になるんじゃないかと考えている。

 

だから〜その先へ。なのである。

 

 

双刃の剣だから色々難しいけど、他の塾も真似してみてね。

ある子

ある子がいるとする。

 

俺はその子にもう少し頑張って欲しいのだが、それがうまく伝わらない。

 

せっかく勉強してきたんだから、ここで失速したら今までの努力がもったいない。

 

結局、勉強しようとするかしないか、それだけだからだ。

 

そりゃあ、ゲームしたりダベったりYouTubeを見たりする方が楽しいだろう。

 

そんなことは誰でもわかっている。

 

でも、それでは競争に負けてしまう。

 

誰だって苦しいときや不安になるときがある。

 

だけど、それを乗り越えられるかどうかが試験だと思うのだ。

 

勉強はお金に似ていると思う。

 

お金があったら、他の人よりも有利に生きていけることが多い。

 

お金があるがゆえにできることだってあるだろう。

 

 

勉強もそうだ。

 

勉強してるからつける仕事があったり、同じ勉強をしている友達と出会えたりすると思う。

 

やっぱりがんばることって必要だと思う。

 

 

テレビに出ている人だって遊んでいるように見えたり、楽しそうに見えても努力してきた人も多い。

 

経営者ももちろん高学歴の人が多い。

 

勉強で培った根性や知識が他のことにも応用できるということだろう。

 

 

会社にいた頃、後輩に言われた言葉がある。

 

「どうして私にばかり仕事を振るんですか?平等じゃありません。給料は同じなのに。」

 

俺は給料で仕事を振ってるんじゃない。

 

能力で振ってるんだ。

 

能力に対して平等に振っている。

 

 

能力のある人が、電気を発明してくれて、車を発明してくれて、飛行機や電話を作ってくれた。

 

もしも、みんなが同じように働いていたら、文明が進んでいかない。

 

その文明の上に生きている俺らは、他の人より頑張ってくれた人に感謝しなければいけない。

 

つまり賢く生まれた人は、それだけがんばるのがあたり前だと思っている。

 

 

俺の生徒はみんな賢い。

 

この子達がきちんと力を出せるように、俺もがんばらないといけないと思っている。

 

だからその子がきちんとがんばってくれるように俺も努力をしようと思う。

今日やること。

何かを始めるときには計画表を作るだろ?

 

俺はそれをやってなかったのだ。

 

だから、今から計画表を作ってりング。

 

今年の俺の計画表。

 

 

もしかして、リタイアしてのんびり過ごせたらいいなと思う人いる?

 

それ、めっちゃ面白くないよ。

 

俺は予期せずセミリタイア状態になってしまって、結構苦労したからね。

 

リタイア状態って誰からもそんなに必要とされていないし、特に何も頑張る必要がないって状態。

 

こんなの面白くないに決まってるだろう。

 

毎日遊びに行きたいか?たった一人で。

 

一人で遊んで一人で喜んで、そんなの楽しくないだろう。

 

たとえ遊んでくれる人がいたとしても、勉強してる人じゃないと話がおもしろくないよね。

 

きっと会話がつまらない。

 

やることない人と同士でつるんでもしょうもない話しかなくなってしまう。

 

 

「おい、お前が休むと迷惑するだろう。」

 

これくらいがいいんだよ。

 

必要とされてるってことだから。

 

俺は社長だから、自分で自分の仕事を作らないといけない。

 

作らないといけないっていうか、作らなくてもいいからそこが難しいわけなんだけど。

 

だから俺は今、俺に仕事を与えている。

 

「君、今日は必ず計画表を作れよ。」

 

「イエッサー。ボスが驚く計画表を作ちゃいます。」

 

ってなやりとりを一人でやっている。

 

 

っていう間に計画表ができちゃったので、今度は

 

「ホームページの文字を一回文完成せてくれよ。」

 

「アイアイサー。ボス、あっという間にやっちゃいます。」

 

になっている。

 

さあて、ホームページの文字を一回文完成させたい。

 

これは趣味という位置付けにして、とりあえずメインの仕事は参考書ライティングでいこう。

 

ごーごーごー!

 

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iPadの調子がよかですばい。

アジアの映画

asiandocs.co.jp

 

なぜだかわからないが、アジア映画のサブスクリプションの広告が出てきた。

 

すでにネットフリックスとアマゾンプライムに入ってて、これ以上お金使いたくないんだけど、すごく気になる。

 

アジアで15年くらいボランティア活動をしてきた。

 

例えば、これ。

 

mikamijuku.jugem.jp

 

インターネットがでてきたとき、アジアの少数民族に関心を持った。

 

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これ、花モン族。

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これ、カレン族

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これ、リス族。

 

こんな人たちが本当にいるのかどうか、自分の目でみてみたいと思った。

 

この人たちは裕福じゃない人が多く、集落を作って

 

そしてスラムの生活に興味を持った。

 

一番驚いたのは、フィリピンのスモーキーマウンテンだった。

 

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ゴミを拾って生計を立てているスカベンジャーの人たち。

 

フィリピンだけじゃなく、他の国にもスカベンジャーがいることを知った。

 

いろいろな国のNGOを訪ねて、貧困問題を考えるようになった。

 

 

映画もいろいろみた。

eiga.com

これは闇の子供たちという映画で、子供臓器売買に関する映画だ。

 

これをみて、実際にタイのNGOに質問をしに行ったこともある。

 

 

アジアの貧困問題に関する映画も結構見たと思う。

 

だけど、こういう映画は上映会場がすごく限られていて、日にちもバラバラだ。

 

もちろんレンタルCDでもほとんどない。

 

 

でも、こういうサイトがあるといっぱい見れるようになる。

 

見たからどうなるわけでもない。

 

何も起こらない。

 

 

ただ、文明が発展していく中で、多くの悲しい事実があったことを知っておきたい衝動にかられてしまうのだ。

 

 

映画を見る趣味はあまりないのだが、今は見てみたいと思っている。

自分に向けて(行動)

 行動だ。

 

行動。

 

行動してない思考はゼロと同じだ。

 

何もしていなければ、やろうと思ったのに...という子供と何も変わらない。

 

また、途中でストップするのも同じだ。

 

車を作り始めたとして、あとはハンドルさえつけたら完成するのに...と言ってもハンドルがついていなかったら、それは車として使えない。

 

むしろ時間とお金を使ったマイナス作業となる。

 

この場合の正しい答えは、とりあえずどんなハンドルでもいいからつけとけってことだ。

 

ハンドルさえついていたら、道路に走り出すことができて、それはどう考えても車であるということになる。

 

その車で運転していたら、きっといいところも悪いところもあるから手直ししないといけない。

 

だがそれはあくまで手直しだ。

 

 

最も悪手は作りかけもので溢れかえる時だ。

 

作りかけの車、作りかけのバイク、作りかけの船、作りかけの飛行機、作りかけの自転車、これらが墓標のように点在していると、もはや時間を無駄に使ってきたことに他ならない。

 

俺はとりあえず今日までほぼほぼ順調にやってくることができた。

 

うまくいかなかった人と俺の差は、最後までやり続けたかどうかだと言っても過言ではない。

 

受験の時もそうだった。

 

俺と同じように勉強を始めた人が何人かいたが、最後までやり遂げた人はいなかった。

 

ブログやメルマガだってそう。

 

アクセス数が下がるとメンタルが負けて質を落としてしまう。

 

そういうことを考えずに挑戦し続けたから、今日まで来れたのだと思う。

 

 

俺は俺に伝えたい。

 

墓標を作ってはダメだ。

 

自分を信じて最後までやっておかないと、時間とお金が無駄になる。

 

決めたことはとりあえず最後まで形にすること。

 

これだけでも上位1割くらいには残れるはずだ。

 

 

今日からまたやろう。

 

今まで着手しているが、完成していないものをいったん完成させる。

 

最後までやりきることこそが、俺の人生の戦法。

 

 

今日からまたがんばろう。

他人と競ってはならない。(表現が難しいけど)

勉強教える仕事してるとよくあるんだよ。

 

あの人の勉強法が良さそうに見えるとか、あの人がうまくいったからうまくいくはずだとか。

 

そういうのは聞き飽きた。

 

そういうのはうまくいかない。

 

君がやってるやり方の方がいい。

 

だけど、あの人が大好きだからあの人の真似をしよう、これならうまくいくかもしれない。

 

例えば、俺は周期表を全部覚えているが、最初は周期表なんか覚えるつもりはなかった。

 

覚えたって会社でなんの役にも立たないからだ。

 

ところがである。

 

大学で一番かわいいと言われてた女の子にこう言われたんだよ。

 

周期表覚えないんですか?」

 

「覚えない。使える時ないから。」

 

「えー、私覚えたんですよ。」

 

「どうやって覚えたの?」

 

「歌で覚えました。」

 

「ああ、そうなのね。それはすごいね。」

 

「私が教えてあげるから一緒に歌って覚えましょうよ。」

 

「お、覚えようかなあ。」

 

女の子と歌を歌いたいという気持ちだけで余裕で覚えられてしまったのだ。

 

周期表を。

 

 

たまに生徒からこんな相談をされる。

 

あの人みたいに上手に覚えられないんです。

 

覚えられないことだってあると思うし、俺はそれでいいと思っている。

 

それよりも自分のベストを尽くすことが大事だ。

 

100メートルがめっちゃ速い人に勝つ練習なんて途方もないし、もしかしたら勝てないかもしれない。

 

全員が東大にいけるようなことはドラゴン桜の中でしか起こらない。

 

本来、東大やら医学部ってのは地頭がかなりいい人が相当な努力して、行けるかどうかの超難関なのだ。

 

そういう人と比べて、俺はできない私はできないと真剣に考える必要はないと思っている。

 

それよりも自分のベストね。

 

 

みんなにいつも言っている。

 

自分のベストタイムより早く走ることはできない。

 

だから、自分のベストタイムを出し続けられるように心がけようと。

 

 

 

そしてこの話は俺自身にもしている。

 

この俺でさえ、他人のことが羨ましくなる時がある。

 

何か面白い趣味をしている人を見たら、俺もその趣味やりたくなるし、誰かが酒を飲んでたら俺も飲みたくなる。

 

誰かが海外行ってたら俺も行きたくなる。

 

でも、それを気にしたらエンドレス。

 

だから今の自分にできることとできないことをきちんと考えて、自分の自己ベストを出す生き方をやろう。

 

おう、それでいい。

 

それでいいんだよ。

 

というわけで、今日も自分の自己ベストを目指すためにブログを書いた。

 

ここ数日のクソブログは全部削除しようっと。

ヘビの夢は金運アップのサインか?

ヘビの夢を見た人が、パチンコでめっちゃつきまくったという話を聞いたことがある。

 

ヘビの夢は金運が上がると言われている。

 

だが、ヘビの夢を見ることが可能なのだろうか?

 

....可能である。

 

なぜなら俺は今朝、ヘビの夢で目が覚めた。

 

それも100匹捕まえる夢だ。

 

すごくないか?

 

100匹だよ?

 

100匹。

 

もはやこれがなんのサインなのか?

 

 

 

今日は絶対に宝くじを買う。

 

これは俺が朝起きた瞬間から決めていたことなのである。

 

俺は20年以上宝くじを買っていない。

 

宝くじは一種の博打だ。

 

期待値を超えることはできない(人件費や広告費、利益などが必要なため)。

 

でも、100匹となれば話は別だ。

 

人生、最初で最後のヘビを100匹見るという夢を信じて宝くじ売り場へと行った。

 

発表まで待てない。

 

今日、結果を知りたいのだ。

 

場合によっては、全財産を使い切って宝くじを買わないといけないかもしれない。

 

早く結果が欲しいのだ。

 

そこでスクラッチくじを買うことにした。

 

2000円分である。

 

当たれば100万円だ。

 

それを種銭して、また宝くじを買おう。

 

負けたら、1800円も損をしてしまうが、俺には関係ない。

 

なにせヘビ100匹なのだから。

 

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じゃーん。

 

幸運の女神はナミちゃんね。

 

ベリーグー。

 

急いでるのでどんどん開けよう。

 

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何かが3個揃えばいいのである。

 

つまりこれはハズレだ。

 

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はい。ハズレ、どんどん行きましょう。

 

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おっ、絶対に1つは当たる200円ゲット。

 

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おっ、いくか????

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はずれ。

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誰?

 

ヘビの夢は金運上昇って言った人?

 

責任取ってもらうよ?

 

っていうか、逆にヘビの夢で金運上がった人いるの?

 

 

 

結論。

 

ヘビの夢は、ただの気持ち悪い夢にしか過ぎない。

コロナウイルスの対策に関して。

極論なんで、誰かを攻撃しているわけではない。

 

ただ俺の意見書いてるだけ。

 

マスクはいらないとか、ワクチンは危険だとか言い続けてる人の考え方についてなんだけど。

 

 

 

人間ってさあ、みんな自分が主人公だと思ってると思うけど、それでも自分のことだけを考えている人と、人のことまで考えている人がいると思うんだよ。

 

俺はコロナにかかっても、きっと重症化しないと思っている。

 

思っているだけ。

 

なんとなく重症化しないと思っている。

 

それをなぜか心の底から疑っていない。

 

だから、正直なところコロナにそこまでの恐怖心は抱いていない。

 

 

だけど、俺は毎日きちんとマスクしているし、ワクチンもすぐに打とうと思っている。

 

どうしてか?

 

他人のためだ。

 

これが100%だ。

 

 

ワクチンを打とうって人間が決めて、世界の人が打っていってるわけだよ。

 

もしも何かあったら困るから打ちたくないって言ってる人は、他の人が打って抗体のようなものを作れば最終的に収束するからって思ってる。

 

でも、他の人だって同じと思うわけだ。

 

誰だってワクチンに対する不安がない人なんかいないと思う。

 

それでも打ってる人がいるってことに疑問を持てない。

 

自分のことしか考えていないからだ。

 

だけど、俺は絶対に打つよ。

 

人間対コロナウイルスで、みんなが戦っている時なのだから。

 

自分だけワクチン打たずに助かって、「打ったヤツって頭悪いよね。やっぱりね。」とは1ミクロンも思わない。

 

もしも、副作用とかで自分になにかの害があったとしても、それは確率的に仕方のないこと。

 

絶対に誰も恨まない。

 

 

マスクも一緒だ。

 

最近、マスクのことで奥野容疑者が逮捕されたよね。

 

news.yahoo.co.jp

 

こいつもなにか勘違いしてないか?と思うのだ。

 

機内でマスク拒否して問題になったんだから、あれでみんなが困ってることを考えればよかったと思うのだ。

 

マスクをしていないことが正義のように、他人を攻撃なんかする必要がないと思う。

 

 

これは自分の中の正義だけを信じて、他人のことが考えられなくなってるからだと思う。

 

自分の説を正当化する方法が間違ってると思う。

 

 

 

自分がコロナになって家族と暮らしていても、「マスクをしない。」のか?

 

自分がコロナになって家族と暮らしていても、家族に「ワクチンを打たなくていいよ。」と言えるのか?

 

 

 

俺にはコロナウイルスに対する特効薬もワクチンも作る知識も知恵もない。

 

だから代わりにそれを作ってくれた人に感謝している。

 

 

 

授業中に1度もマスクをはずさないのは、子供から伝染ることを防いでいるわけではなく、みんなでコロナと戦ってると思うからだ。

 

 

ネットの中にワクチン、マスクに対する反対意見や、文句つらつらを見るたびに、他の人のことはどうでもいいのかなって思ってしまう。

 

ワクチンを打たなかったら、死者が何人くらい?それよりもワクチンによる被害が大きいと思うのか?

 

それくらい計算できないのかな?って思う。

 

 

ああ、できないか。

 

尊い自分の命は他の人の80億人分より重いもんね。

猛烈にザリガニを食いたい。

数年前から中国でザリガニが流行っていたことは知っていた。

 

よくよく考えたら俺はザリガニを食ったことがないんだよなあ。

 

ザリガニじゃなくて、エビとかカニとかを袋に入れてスパイスとかと絡めて机の上にどさーっと置いて食うやつなら日本にもあるじゃん。

 

ダンシングクラブね。

 

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これをやってみたかった。

 

で、フィリピンのミンダナオに行ったときにあったんだよ。

 

ちょっと感じは違うんだけど、雰囲気はよくわかった。

 

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何がいいかって、エビの殻も一緒に食えること。

 

キチンとかキトサン、カルシウムも豊富そうでよくない?

 

でも、殻って言ったらザリガニの方がムードありそうだなあと思って。

 

しかも中国だと、スパイシーなタレがよく合いそう。

 

日本にもあるらしい。

 

蝦道(えびどう)

 

xiadao.owst.jp

 

ただなあ、東京なんだよなあ。

 

こんなコロナのご時世にザリガニ食いに東京まで行ったら、風評で塾がぶっ飛ばされてしまう。

 

ザリガニの通販ないのか???

 

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item.rakuten.co.jp

 

おお、あるやんけ。

 

 

 

海外に行くことが断たれた今。

 

俺は、俺の俺による俺のための娯楽を創造せねばならぬ。

 

 

若返りを目指す俺の脳みそは、新しいことを探しまくっているのだ。

 

 

よし、これだな。

 

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cookpad.com

 

 

おっ、気がついたら時間がけっこうたっていた。

 

ザリガニのことを考えすぎていた。

 

仕事に戻らねば。

 

さらばだ。諸君。

Live passionately.

2年くらい前に流行ったと思う。

 

物質を原子のレベルまで拡大していくと、境目がわからなくなるという考え方。

 

例えば、人間をどんどん拡大していくと細胞があって、その細胞は分子からなっている。

 

一方、肌と服の間には気体が存在しているので、やはり分子だ。

 

服も分子。

 

分子は原子からできているから、すべてのものは原子からできているということになる。

 

 

つまり世界は原子からできている。

 

原子でできているイスにすわり、原子でできている服を着た原子の人間が原子の酸素を吸っている。

 

離れていたと思うものが、原子というもので全部繋がっている。

 

要するに原子の目で見ると、あったはずだった境目はなくなっている。

 

 

またエネルギーという考え方がある。

 

高さ、スピード、電力、温度、こういうものは全部エネルギーであり、計算式により変換ができる。

 

高さを温度に変えることができるし、電力をスピードに変えることができる。

 

 

 

例えば、一般的に○○力と呼ばれるものも、力なのであるからエネルギーの一種ではないかと思えてくる。

 

継続力、気力、集中力、忍耐力、行動力、適応力、努力、実行力、統率力、理解力、洞察力......

 

これらってすべて、熱力に比例しているのでは?

 

 

熱量さえあればものごとは続くだろうし、熱量があれば集中できる。

 

熱のある人に人間は集まってきて、その熱に引っ張られ、魅了される。

 

つまり、何かをやろうとして必要な力は、熱量から変換することができるものなのではないだろうか?

 

 

ことを為す前にしっかりと熱量をためた方が上手く行きやすいはず。

 

熱量は運にだって変換できる。

 

運は人が運んでくることが多いと思うが、やはり熱のある人に運が運ばれると思う。

 

 

というわけで、熱く生きるのだ。

 

熱く生きなかったから、損をしてしまう。

 

熱い方が色々な力に変換できるのだから、熱くならなければいけない。

 

 

そして、熱量は使ったらなくなるものではない。

 

むしろ使えば使うほど、大きい熱量が扱えるようになると思う。

 

 

 

まずは俺が熱くなる。

 

熱くなってどんどん若返る。

 

 

年齢不良になるんだ。

 

年齢を超越する男(今から)

有名な話あるだろ?

 

ケンタッキーおじさんが65歳から自分のチキンのレシピを売り始めたってやつ。

 

65歳から始めてすごいですね。

 

挑戦は何歳からでもできるんですよ。って話。

 

 

残念ながらこの話って苦境に立たされている人にしか響いてこない。

 

カーネルサンダースは70歳になるまで苦労の人だったのだ。

 

俺みたいなフライドチキンを売る必要のない人間は、そういうの聞いても頑張れないわけよ。

 

 

 

でも、ジャックマーがいいことを言っている。

 

 

www.youtube.com

 

大事なことはやるかやらないかなのである。

 

がんばったことがあるやつは知っているだろう。

 

目標を達成できたときにしか得られない、信じられないほどの多幸感を。

 

テレビが面白いだの、美味しいものを食っただのとかいうレベルの何万倍もすごい達成感を。

 

だけどだ。

 

 

行動すればいいことはわかるが、何を行動すればいいのかわからない。

 

そういうやつがいるだろう。

 

そういうやつにこれを送る。

 

 

https://vt.tiktok.com/ZSJPJw4CT/

 

わかるか?

 

彼は入院した時に、選手を捨てる選択肢があったはずだ。

 

だけど、彼は自分で元の世界にカムバックすることを選んだ。

 

みんながやってるからとか、他人に言われてとかのスタートではない。

 

自分の心の中からスタートして、それを目に見える形つまり具現化している。

 

無から有を作っているので、他の人には完成形のイメージは想像できない。

 

だが、彼は成し遂げている。

 

 

 

俺もこれを見て考えたのだよ。

 

生徒といると自分がだんだん老いていっていることを感じる。

 

一緒に並んで写真とか撮ってると悲しくなるわけよ。

 

そのうち、生徒が孫くらいの年齢になってしまう。

 

加齢による劣化は不可避だという法則の中で、死ぬまでで今日が一番元気(若い)であるはずという呪縛に囚われていた。

 

だんだん動けなくなるだろうという常識の中で生きていた。

 

でも、その常識に挑む自由権はあるんだっよ。

 

 

そういう目で周りを見渡してみると、60歳で大学に入る人もいるだろうし、60歳で結婚する人もいる。

 

そういう人たちって、みんな無から有を作ってるじゃんか。ってことに気がついた。

 

孫の服を着こなすおじいちゃんって知ってるか?

 

86歳らしい。

 

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そう何が言いたいかっていうと、年齢なんか気にせずに自分の好きなようにやっていいってことだ。

 

 

 

そこで俺は考えたのだ。

 

俺は今日から若返るぜ。

 

とりあえず自称40歳になることにする。

 

そして俺は40歳で止める。

 

自分の年齢は自分で決めることにした。

 

 

 

というわけで、俺は普通の人が従ってる加齢のルールから「年齢不良」としてデビューすることにした。

 

今から急いで若返るつもりだ。

 

若返っても、態度はデカイままなんで。

 

よろしく。

 

 

貧乏は三代続かない...2

warumonost.hatenablog.jp

 

↑ これの続き。

 

そんな中でも、おばあちゃんが時々俺に言ってた言葉がある。

 

「いちろう、貧乏は三代続かないから、あんたの時代からはお金持ちになれる。」

 

だった。

 

今になって思うとこれは嘘だな。

 

貧乏な親の教育では、やはりハンディがあるのは否めない。

 

塾に行ってるか行ってないか?

 

勉強やるために応援体制がしっかりしていないか?

 

勉強だけをとってもハンディがある。

 

 

俺の場合はたまたま、大学に合格したら授業料を出してくれる会社というスポンサーがいたから、今日まで来ることができた。

 

だけど、祖母の「貧乏は三代続かない。」という口癖は根拠のない安心感を俺にもたらしてくれたことは事実だ。

 

じゃあ、俺は金持ちになったのか?という問題だが、これについて答えたい。

 

 

 

 

 

俺は実は、自分のことを大金持ちだと思っている。

 

毎日スシローにだって行けるし、毎日居酒屋だって行ける。

 

車もあるし、家もある。

 

読みたい本はすぐに買える。

 

パソコンも複数台持ってるし、一人で暮らしているこの家にはトイレが2つもあるのだ。

 

しかも、コロナ前までは毎月海外旅行で好きな国に行っていたし。

 

これが大金持ちじゃなかったら、なんなのだろうか。

 

たくさんの貯金?プール?タワーマンション

 

あー、全然興味ないっす。

 

高い飲み屋さんも、高級ワインも、料亭とか高級料理も全く興味がない。

 

俺は、あの頃の俺が見た理想の生活水準をもう手にしたのだ。

 

だから、大金持ちなのである。

 

「おばあちゃんの予言通りになったよ。」

 

と手を合わせて、おばあちゃんに報告したい。

 

 

人によって成功の定義は違うはず。

 

俺は今の俺が100点だ。

 

これ以上の成功は必要ない。

 

次に欲しいものはただ一つ。

 

ヘッドのみんなが「もう欲しいものはない。」のゴールに辿り着くこと。

 

物欲の量は人によって違うだろう。

 

人によって違っていいんだよ。

 

みんなが「もう欲しいものがなくなる。」の状態になるように、仕事を考えていくのである。

 

みかみ塾グループで一緒に働いてくれているみんながハッピーになれるように。

 

 

 

 

 

俺のことを知っている人で、俺みたいになりたい人は多くいると思う。

 

ハッピーなオーラが泉の如く無限に湧いてるので、どうしても感じさせてしまうからね。

 

ハッピーを。

 

ハッピーに関しては謙遜することも不可能だ。

 

 

 

 

 

一番大事なものを教えよう。

 

うまくいくのに一番大事だと思うものを。

 

それは「運」だ。

 

 

 

俺の今日までは全部「運」でできていると言っても過言ではない。

 

いい人、いいタイミングに会え続けて今日になった。

 

いつか「運」のことを書いてみよう。

 

 

がんばることがいい。

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ロッキーという有名な映画がある。

 

俺はあの映画の魅力は、努力するシーンだと思っている。

 

ロッキーが努力しなかったら、それはもはやグロッキーだろう。

 

努力するところに人は感動するし、そのあとの勝利に意味が出てくると思うのだ。

 

 

長い間、塾の先生をやって高校生を教えていると思うことがいっぱいある。

 

例えば、もう少し早くから気合い入れてればもっとよかったのにと思うこと。

 

あるいは1年生の時は結構頑張ってるのだが、ほとんどの子が2年生では中弛みしてしまう。

 

みんなだらけてしまう2年生の時こそがんばればいいのにって思う。

 

時間をかけて獲得したものはそう簡単に抜けたりはしないからだ。

 

もしも、1年生や2年生の時から3年生の受験のことを意識して一生懸命にやっていれば、応援してくれる人も増えると思うのだ。

 

質問でも「どこがわからないの?」って聞くと「全部わかりません。」という雑な聞き方をする子がたまにいるが、そういう雑なことをやっていると信用を失ってしまう。

 

また毎日勉強をしている子はそういう雑なことにならない。

 

 

大人でもたぶんそう。

 

例えば、遊んだ後とかに頑張ってる日のTwitterを見たりすると、「ああ、俺もがんばったとけばよかったな。」とか思うことがある。

 

頑張ってる間は、周りから影響をほとんど受けない。

 

ただひたすら自分が努力しているだけだからだ。

 

だけどそれはまぶしくて、やっぱりそういう人をうらやましいって思ってしまう。

 

 

 

今日まで生きてきて、ダラダラ過ごした時間よりも忙しかった時間の方がキラキラと輝いていた感じる。

 

 

リタイヤはしないし、授業もやめる気持ちはない。

 

ずっと子供達と一緒に頑張っていく人生を歩みたいと思う。

 

 

 

 

 

貧乏は三代続かない...1

俺がひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの存在を知ったのは、おそらく小学5年生くらいの時だったと思う。

 

いやいや、生きていることは知っていたが、会ったことはなかった。

 

あるいは会ったことはあったかもしれないが、おそらく小さすぎて記憶になかった。

 

何にしても、生きてるひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんを認識したのは10歳くらいの頃だった。

 

俺の祖父母(父方の)は二人とも萩出身だ。

 

よって、ひいおじいちゃんひいおばあちゃん(おじいちゃんの両親)の家も萩にあった。

 

俺の名前のみかみという字の「かみ」は「神」と書く。

 

神が名前についてるなんてちょっとレアじゃないか?

 

俺はテストのたびに神という文字を自分の氏名欄に書き続けてきたのだ。

 

 

神のルーツ。

 

どんな感じなんだろうか?

 

子供ながらちょっと期待していた。

 

 

初めて目にする祖父母の家は、圧倒的に粗末でびっくりした。

 

「これ、ひいおじいちゃんが作ったの?」

 

「おう。」

 

その言葉を100%信じられるほど、手作り基地のような小屋だった。

 

実際にひとりで家を作ったらしい(ラオスとかタイの田舎とかにあるスカスカの家レベル

)。

 

あの時代にYouTubeがあれば、あきらかに数段立派な家が建ったはずだ。

 

っていうか、今の高校生なら夏休みの工作でも作れるんじゃないか?

 

トイレなどは瓶(かめ)が地中に埋めてあるだけで、「ここは今日からトイレだ。」って宣言した瞬間にトイレになったような、汲み取り式便所のななめ上をいく作りだった。

 

瓶の中の便は、まとまったところで畑に撒くらしい。

 

俺は祖父母のことを貧乏だと思っていたのだが、曽祖父母の方がさらに貧乏なのだと感じた。

 

ああ、みかみ家って貧乏ルーツだったのか。

 

うっすらわかっていたけど。

 

曽祖父母の学歴はきっとなしに等しいだろう。

 

そんな貧乏な家で育てらた祖父も義務教育の小学校卒だった。

 

まあ、学費なんかあるわけないよね。

 

あったら、トイレ買えるもんね。

 

ちなみに祖母も小学校卒ね。

 

祖父母に育てられた親父は商業高校卒で、ついでに母親も商業高校卒だった。

 

さらには親父は何度も書いているが、どうしようもない親父である日のたれ死んでしまった。

 

母親は俺が10歳のときに家を出て行ったままだ。

 

生きてるかどうかもしらない。

 

 

そして俺は小学校時代は学校に行けてなかったり、祖父も「勉強するなら家の手伝いをしろ。」という人間だったので、勉強をやれる環境になかった。

 

フィリピンなどの国ではストリートチルドレンが多くいるが、そういう子達に頑張れと言っても環境が与えられていないのでがんばりようがない。

 

俺も同じで、頑張れる環境にはなかったし、そもそも頑張る意味もなかった。

ミスを認められるか?

少し前にTwitterで、ある先生(オンラインの塾長)が化学の説明をしていた。

 

それが知らない考え方だったので、実際はそういうことだったのかと思って質問してみた。

 

「これはこういう風になってるかと思ってたのですが、実際はそういう風になっていたのでしょうか?」

 

俺はみんなの前で、知らないから教えて欲しい、あるいは間違って覚えてたかもしれないから教えて欲しいと言ったのである。

 

その先生が、「そうですよ。実際には〜〜〜。」

 

その説明を見ると、その先生が刹那的にとりあえず最もらしく難しい言葉を並べていることがわかった。

 

そもそもそんな現象起こるわけないし、いかにも俺は化学を知ってるから、お前じゃわからんよ的なクソ説明だった。

 

それ以前に、言葉の使い方が全然おかしいのだ。

 

何度も何度も化学の試験を受けた人間なら、きちんとした定義で説明することをしなければ減点されることを知っている。

 

そしてできるだけ平易な言葉をつかって説明するはずだ。

 

逆に言うと難しい言葉になればなるほど、きちんと使っていくものだ。

 

カップラーメンで言うとこんな感じだった。

 

「拉麺を棚から所有して、開放してお湯を放水してください。」

 

所有っていうのはとってくることではないし、開放じゃなくて開封ね、お湯を放水って想像するだけでも大袈裟だし使わない。

 

「ラーメンを棚からとって、フタを開けてお湯を入れてください。」

 

こういう風に書かないといけないと思う。

 

さすがにおかしいので、その先生に「そういう考え方じゃなくて、こうじゃないですか?」って書いたら、速攻で記事ごと全部削除されてブロックされて終わった。

 

はー?

 

カッコ悪。

 

 

 

俺は、ただ新しい考え方だったから、そういうことが起こるのか?と思って質問しただけだったのに。

 

昨日、その塾の別の先生が1ツイートに2つもミスって他の先生にリツイートで突っ込まれてるのを見かけた。

 

どうせあの塾だから、また誤魔化して終わりかなと思っていた。

 

 

でも、その先生は違っていた。

 

ちゃんとミスを認めていた。

 

しかも瞬間的に。

 

 

 

 

ミスなんか誰でもあるんだから、間違ってましたでいいと思う。

 

俺だって、いつもいつもミスってる。

 

生徒にも板書のミスをよく指摘されるから、「あっ、ごめんね。」ってきちんと言うようにしている。

 

それを「いやいや、こういう場合はこうなんだが、俺のイメージは...」とミスを誤魔化したり逃げたりしない。

 

 

誤魔化すか誤魔化さないか、それは塾の問題じゃなくて、人の問題なんだなーってわかった。

 

 

 

 

.....悪いこと書いてしまった。

 

だけどこの前の塾長。

 

大きくなりたかったら、適当なことをやらずにきちんとやった方がいいぞ。

 

今さえ良ければいいでは、きっと長く続かない...