俺はバリバリの理系だから、数字とかで証明したくなる。
「この試験は43%の確率で出題されるから、やっといた方がいい。」
授業も理系っぽく説明することが得意だと思う。
「こうなるから、こうである。」
だけど、本当にそれでいいのかとふと思ったりする。
数学と理科がセットの理系、国語と社会がセットの文系。
雰囲気はわかるが、国語と理科が得意な子や、数学と社会が得意な子もいると思うのだ。
理系、文系という区分けにする以上、クロスした組み合わせを取ることができない。
理系の中でも数学と理科の違いは何か?
俺は自然現象の解明に挑んだ学問が理科だと思っている。
つまり、自然に起こっていることの仕組みを理解しようとする学問が理科である。
だとすると、医学や薬学などもすべて理科である。
俺が学生のときに、よく先生から言われていた言葉が「サイエンティフィックにどうか?」である。
会社の研究では「コマーシャルにどうか?」だった。
同じ研究でも、目指すものが全く違ってくる。
サイエンティフィック(科学的)という言葉、そしてコマーシャル(商業的)という言葉、全く相反していると思うのだ。
さてと.....書き散らかした伏線を回収していくとしよう。
学問をどう教えるかということに関しては、人それぞれアプローチが違っていていいように思う。
中学生を教える場合、多くは複数の教科を教えることになると思う。
例えば英語を教える場合、
数学の先生だと、「SVOのところのOが変わるだけなのだから、Oを完全に覚えておけば入れ替えですむだろ?」って言うかもしれない。
国語の先生が教えると、「不定詞と動名詞をとるときの動詞の覚え方は、未来っぽいのが不定詞で、今っぽいのが動名詞だ。」って言うかもしれない。
ちなみに俺は理科の先生だ。
そして理科の先生が理科を教えている。
理科の先生が「この試験は43%の確率で出題されるから、やっといた方がいい。」程度で、でかい顔しても良いものであろうか?
理科をきちんとサイエンティフィックに教えていなくていいのだろうか?
サイエンティフィックな学問をサイエンティフィックにアプローチしてこそ、理科の先生のアドバンテージが出るのではないかと思うのだ。
何がいいたいか?
脳にはそれぞれ働きがあるし、また要所要所でホルモンなども出てくるだろう。
理科の先生として、できる範囲でもっと脳のことを考えながら教えるべきなのではないだろうか?
こういう風に説明した方がドーパミンが出やすい。
こういう話し方はセロトニンが保たれる。
今は大脳辺縁系が活発になっているときだ。
のようにである。
自然現象の解明に挑んでいる学問が理科なのである。
理科の先生が英語の授業をすると、
「左手でまず単語テストをしよう。脳を活性化する意味でだ。しかも速く書くんだ。それが済んだら....」
ゆっくり話したり、速く話したり、大きい声で話したり、動きをつけたり、匂いをつけたり、そういう自然現象のことを踏まえることこそ俺らのやるべき仕事なのではないだろうか?
というわけで、もっと脳科学を勉強しようと思ったのであった.....