みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

型を破る大人。

学校に行ってるときは、やれ髪が長いだの、やれズボンが太いだの、そして勉強しろ、学生らしくしろと言われる。

 

それは風紀が乱れるからだというが、風紀とはなんだろうか。

 

例えば堀越学園のようなところは、見た目の校則はきっとゆるゆるだろう。

 

仮に勉強をがんばっていい大学にはいり、そこでも勉強に頑張っていい会社に入ったとする。

 

いい会社にはいると、今度はパリッとしたスーツを着て会社に行くのだろうか。

 

それはそれで否定しない。

 

 

でも、俺はその世界からは離れた世界に暮らしている。

 

もしも一流大学、一流企業が一流の生き方であるなら、俺はバリバリの三流の生き方だが、俺は誇りを持っているしそういうものには全くコンプレックスがない。

 

もちろん、最初からコンプレックスがなかったわけではない。

 

コンプレックスがなくなったのは、自分が大学に入れたからだと思っている。

 

コンプレックスは、正体がわからなかったことに起因している気がする。

 

高卒だったとき、大学ではどんな勉強をしてどんな経験をして会社にはいってくるのか知らなかったし、想像もできなかった。

 

だから俺は大学卒が羨ましかったし、大きいコンプレックスを抱いていた。

 

だけど、大学の間にしっかり勉強したことで、東大であろうとハーバード大であろうとだいたいこんな感じなんだろうなという想像ができるようになった。

 

金にコンプレックスがなくなってしまったのも、本気出せばある程度近づけると、自分で信じられるようになったからだと思う。

 

そこに到達するための道が見えるようになったからだと思う。

 

その上で、俺は東大に行く必要もないから東大に行かないし、金持ちになる必要もないから金持ちにもならない。

 

ただ、俺は俺が自分でやりたいようにやって生きている。

 

法律は守るが、大人らしい生き方というものは俺には必要ない。

 

 

名刺はもう10年以上持っていない。

 

50歳を過ぎて、冠婚葬祭のときにやっとふさわしいを着るようになった。

 

決められた就業時間はもちろんないから、自分で働きたいように働くだけ。

 

俺は人間晴耕雨読

 

 

世の中がこれから益々多様化するだろう。

 

夜に起きて昼に寝るような人や、砂漠で暮らす人、水上生活者、車上生活者ミニマリストやサバイバリスト、日本でもヴィーガンLGBTも増えてくるに違いない。

 

全部いいと思う。

 

 

現在のところ、みんなと同じが美徳という文化の日本において、俺は大人らしさという言葉に反抗して生きているのかもしれない。

 

でも、まあそれが幸せなんだと思う。

 

俺の場合はね。