俺は小学4年生までは、夏休みになるとおふくろの側の祖父母の家に行っていた。
愛媛県だ。
なんとなく覚えている。
家から駅が見えて、歩いていけるところに海岸があって...
そんな感じのまま小学校4年生から止まっていた時間を紐解いてみたくなって、記憶を辿りながら10年くらい前に行ってみた。
もちろん、誰も生きていないとは思ったのだが、その家はまだあるのだろうか?
そこには誰かが住んでいるのだろうか?
若干、記憶と方角が違っていたのだがその家を見つけることができた。
周りは草だらけの荒れ放題になっていた。
もう誰も生きていないことがわかる。
確か祖父母の家のすぐ近くに、大きな御殿のような家を、伯父さん(母親の長兄)が建てている最中だった。
母親はいつも自分の家を欲しがっていた。
建つ途中の家を毎日のように見ながら、伯父さんのことを自慢していたし、羨ましがっていた。
「お母さんのお兄ちゃんは、大阪で呉服屋をやっていて、兄弟で一番お金持ちなんだよ。長男だからおじいちゃんおばあちゃんのために、この家を建てて将来はこっちに引っ越してくるのよ。」
すごいんだなあ。
よし、あの御殿を見て帰ろう。
その家にも行ってみた。
ぼんやりと記憶に残っている。
でも、御殿じゃなかったなあ。
俺は母親に捨てられ、祖父母と一緒に暮らし高校まで行かせてもらった。
でも、そのあといろいろな人に助けられて、大学院まで出ることができた。
そして自分の塾も出すことができた。
今では、仲間だってたくさんいるし、生徒や卒塾生もいっぱいいてくれる。
みんな勉強もできるし、家柄もいい、俺みたいな下層階級の出身者とは違う。
母親が生きてたら、77歳だ。
生きてるか死んでるかもわからないが、もはや俺のことは興味がないと思う。
でも、俺は甘えん坊だったし意外に優しい男だから、俺と一緒にいたら毎日刺身くらいは食えたろうに。
母親は俺は捨てたけど、俺にも母親は必要ない。
母親と親戚のおじちゃんおばちゃんが同時に困ってたら、迷わずにおじちゃんおばちゃんを助けるだろう。
人間は選択を繰り返して、自分の人生を紐のように左右に振りながら進んでいくと思う。
これからもきっと色々な選択があると思うが、ハッピーな選択を選んでいきたいと思っている。