「赤ちゃんは天から授かる。」という表現は誰が考えたのだろうか。
素晴らしい言葉だと思う。
俺も、子供が生まれた瞬間のことを鮮明に覚えている。
さっきまでお腹の中に入っていたはず。
でも、俺は男なので胎動などは感じない。
お腹の中に入っていたとしても、生命とは考えずらかった。
ところが、生まれてきた瞬間に赤ちゃんだとわかる。
助産婦さんから生まれたばかりの赤ちゃんを手渡され、「え?」ってなった。
手渡されたけど、どうすればいいの?
今までなかったものがそこにある。
とりあえず、赤ちゃんを助産婦さんに返した。
赤ちゃんは助産婦さんにさんに話しかけられながら、手際よくきれいにされていく。
そして、赤ちゃんを助産婦さんに返すのではなく、俺が返してもらわなければいけないことに気づく。
赤ちゃんがきれいになる1分くらいの間に多くのことを考え、多くのことを理解する。
どういう風に子供を育て、どういう子になって欲しいか、親によって願いがあるはずだ。
俺は、子供ができたときはまだ大学院に行っていた。
会社に戻ってもきっと忙しいことがわかっていたから、子供は1人にしようと思っていた。
いろいろな育児本をすでに読んでいた。
本によって、思想が違う。
俺は「雨森良彦」についていくことにした。
雨森先生は、子供が泣いたら抱っこしなさい。
とにかくスキンシップが大事。
当時、「抱っこし過ぎると抱き癖がつくからよくない。」とか言われたりもしていたが、俺は抱っこしまくった。
夜泣きしたらすぐ抱っこ。
ちょっと笑うとすぐ抱っこ。
子供が生まれたときに、もう一つ考えていたことがある。
0歳のときに、100スキンシップをとったら、1歳で95、2歳で90という風に少しずつフェードアウトしていこうと思ったことだ。
子供を叱るのも、20歳まで。
20歳になったら、子供は子供の人生を自己責任で生きていくわけだから叱ることはやめよう。と。
だから、子供を最後に叱ったのは20歳のときだ(まあ大ごとになったが)。
誰の子育てが絶対に素晴らしいというわけではないし、これが正しいという方法もない。
この仕事をやっていて、今年になってあるお母さんから全く新しい育児法を聞いた。
「私はこの子が生まれた瞬間から、一つの別人格だと思っている。」
そのお母さんとは、最近親しくさせていただいているので、一緒に昼飯を食いに行ったり、飲みに行ったりしていろいろなことを学ばせてもらっている。
そのお母さんの発言には一貫性があるので、子供さんを1人の人間として接してきたのがよくわかる。
そういう風に育てられてきたその子供は、自分の将来を自分で考えながら、自覚を持って生きているように見える。
勉強もよくできる。
親のために勉強しているわけでもなく、親からやれと言われているからでもなく、自分で勉強しているように見える。
なんか最近は、子供に「勉強をやりなさい。」というよりも、「勉強したらこんないいことがある。」と言った方がいい気がするようになってきた。
さらにそれよりも「勉強しなくてもいいよ。ちなみに、しなかった場合はこういうデメリットがあるけど、自己責任でお願いね。」の方がいいんじゃないかと思うようになっている。
結局、高校生くらいになると勉強しようという自覚がなければ、とてもじゃないが苦しい受験勉強を乗り越えることができない。
話は変わるが、中学生や高校生と一緒に話す機会がある。
そのときに思うのは、中学生も高校生も意外に会話が通じるということだ。
少年ジャンプを見て同じところで感動したりする。
知識だけは少ないが、子供たちは思考に関しては俺らとあまり変わらないのかもしれない。
だから俺は最近、「子供(生徒)を俺の力でなんとかしなければ..」という考え方ではなく、「1人の人間にきちんとした理屈を説明したい。」という思想に変わりつつある。
いい子に育てたいの「いい子」の定義も何が正しいのかはわからないが、何か将来トラブルがあったときとかに、大きいエンジンで考えられた方がきっといいのではないかと思っている。
時代が動いていっても、余裕で生き残れるような子供に育って欲しい。