俺のような天性の経営者に経営会議とか、講演会とか不必要なのに、久しぶりに他の塾の経営者たちと会ってる夢を見た(他塾からの見学はお断り中)。
やばい。
俺はフリーマンのはず❤️
俺紹介パート2だ。
そして俺は山口の祖父母に預けられた。
祖父は俺と45歳差で若い上に、自己中の塊だったので俺は苦しめられることになる。
とにかくワンマンだった。
おそらく発達障害だったのでは?と今は思う。
「勉強するくらいなら家の手伝いしろ!」
「夜遅くは電気代がもったいないから早く電気消せ!」
俺の手伝いは毎日の庭掃きと廊下掃除、あとは細々としたルーチン、神棚の水交換や新聞とりなどがあった。
庭掃きなどは、近所の友達とかに見られるのが恥ずかしかった。
ものすごい癇癪(かんしゃく)もちで、すぐに罵倒してくる。
そして暴力も振るうこともあった。
俺は祖父が大嫌いだった。
早く死なないかなあといつも思っていた。
たまに、機嫌がいいときは小遣いもくれるのだが、普通の家庭に育ちたいと何度も思った。
他人の心を考えないことなどよくあった。
とにかく勉強とかいうような環境ではなかった。
たまに、塾の先生なんだから、自分の学歴がうんたらかんたら言ってくる人がいるが、それは視野の狭い人だと俺は思っている。
フィリピンのスラムの子に、他のやつもやってるんだからお前も頑張れって簡単に言えるか?
スラムの子には子守もあるし、家の手伝いなど他にもやらないといけないことがいっぱいあるのだ。
勉強だけをやれる環境にある温室で生まれたそいつらは、「パンがなかったらブリオッシュを食べたらいいじゃない。」って、言うかもしれないけど、世の中全員がアントワネットではないのだよ。
俺は塾なんかいけるはずもないし、夜は電気が禁止なので勉強できない。
まあ、勉強なんか興味なかったからそこはどうでもいいんだけど。
そして高校進学の際、俺は密かに決めていたことがあった。
それは夜間高校に行くことだ。
とにかく俺は家を出たかった。
くそジジイと暮らしたくなかったので、俺は進路の決定ギリギリまで自分の志望校を明かさなかった。
もしも夜間高校に行って家を出ることを早々と宣言してしまうと、ジジイからの当たりがまた強くなってしまうからだ。
志望校期限の前日、俺はおばあちゃんに夜間高校に行くことを告げた。
祖母はびっくりして近所に住んでいた叔母に連絡をいれた。
説得してくる。
「おじいちゃんも少しずつ優しくなってきてるから.....」
「夜間に行っても仕事はないし....」
「あと3年したら家を出たらいい.....」
所詮、中学3年生、俺は説得に折れて近所の工業高校に行くことにした。
女の子がいる学科じゃないと行きたくなかったので、化学科を選択した。
親戚の言うように、祖父はもはや激しくなかった。
いや、孫と暮らす生活になれたのかもしれない。
もしくは俺らの方が強くなってしまったのかもしれない。
家の手伝いは相変わらずだったが、普通に勉強する時間が確保ができた。
環境にハンディさえなければできるのだよ。俺は。
1年から3年までトップだった。
そして地元の一部上場化学企業に就職した。
「よし。世の中に追いついた。」
そう思ったね。
高卒で大企業の三交代の工場勤務。
何度も一番いいと祖父や周りのみんなから言われてきた職場に俺は入ったのだ。
三交代をすれば定時に終わる。
趣味を持てる。給料は手当がつくので多い。
家も買えるかもしれない。
自分の生活を充実させることができる。
今まで人の言いなりでしか生きることができなかった俺は、給料を手にすることによって自由権を確保することができるようになったのだ。
ところがだ。
なんと三交代の職場に配属されなかった。
辞令をもらうときに、「技術研究所を命ずる。」こう言われ、「あ?」「技術研究所?」
そんなものがあったのかい、この会社には?
俺ら高卒の新入社員研修のときには工場の話しかなかったから、勝手に俺は行きたい工場や、仕事内容を想像していた。
まさか研究所って、なんや?それは?
科学要塞研究所でグレートマジンガーでも作っとんたんかいワレ?
研究所とかいう謎の場所に配属されて、俺は追い込まれてしまうのであった。
続く(かもしれない)
ひなまなのラオス最終章出ました。