みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

塾ツイッター考察その1

最近まで、俺はいつか海外に住もうと思っていたので、塾ツイッターに全然興味がなかった。

 

まあ、タイムラインに流れてくるものもあったのだが、誰が誰だか全然わからず、もちろん過去のツイートを誰がしたかとか全く覚えてなかった。

 

かみえす先生とか、ノーイチ先生とか、昔から繋がりがある先生の記事はもちろんわかるのだが、新しくネットに入ってこられた先生はほぼわからなかった。

 

でも、先日から縁があって何人かの知り合いができたので、ちょこちょこと塾の先生の発信記事を読んでいる。

 

 

おっと、いつもの話だが誰も攻撃したいわけではなく、マウントとりたいわけでもない。

 

マウントにも興味ないし、ツイッターのアクセス数にも興味ないからフォローせんでいいよ。

 

ましてや炎上したいわけでもないし、誰かとつるみたいわけでもない。

 

そこのところよろしくね。

 

 

俺は元研究者なので、ただ客観的に解析してみたいだけ。

 

 

まず面白いのが、発言が一人一票になってることである。

 

生徒が1000人いる塾と生徒が100人の塾、そして生徒が10人の塾では形態も言葉の重さも全く違うと思うのだ。

 

もちろん、教材に関する話や特定の生徒に関する話は一人一票だと思うが、経営に関しては一人一票ではないと思う。

 

だから例えば、50人の塾が500人の塾に経営アイデアや集客アイデアを出すのは、無理だと思うのだ。

 

マクドナルドの藤田氏が「最近はハンバーガーを食べる人が少ない。」っていうのは、わかるのだが、個人のお店が同じように「最近はハンバーガーを食べる人が少ない。」って言うと、「あれ?近所にサンドイッチ屋さんでもできんじゃないですか?」と切り返したくなる。

 

塾の成長の流れはこうだと思うのだ。

 

自分でやってる塾を満席にする。→二教室目を出す。→多教室にする。

 

 

一教室ではうまくいっても、二教室目は難しくなる。

 

なにせ塾長の存在比率が半分になるからだ。

 

だから、二教室出している塾はすでに一教室目はうまくいってると思う。

 

そういうのを乗り越えていって、多教室になってるわけだから経営のスキルが桁違いだと思う。

 

もはや次元が違うと思うのだ。

 

 

さらには経験値の問題もある。

 

例えば、俺でいうと大学受験生を毎年何十人か教えてる。

 

すると、色々なパターンの子供達と18年間も接してきたから、経験値がたまってくる。

 

これと一学年2~3人しか生徒がいない先生が同じ一票なわけがない。

 

さらには文系の先生と理系の先生では、種類が少し異なってるから、俺は文系の生徒には上手に進路指導できない。

 

男の子には「女の子が多い学校受けようね。」とかしか言えない。

 

言い出したらきりがないが、俺は小学生は教えていないし、教えるスキルもゼロなので、いや、マイナスなので、小学生の勉強方法聞かれても「お菓子でもあげてみます?」としか言えない。

 

 

あとはこれに関係して、発信頻度の高い人、そして文を書く力が上手い人の一票の重みが大きいね。

 

発信頻度、文章を書く能力、これと教える能力は話が違うと思うし、俺はそれを言い始めると子供に対するデリカシーだとか、そういうのもすごく大事だと思う。

 

授業は人間関係だ。

 

子供だって、ちゃんとわかるのだ。

 

多塾の悪口ばっかり言ってる授業や、子供の人権を尊重しない塾は生徒が不快に思うはずだし、大人になってからの思い出がよくなくなるよね。

 

「今日はよくできてえらいね。」

「最近頑張ってるね。」

 

から始まって、俺の場合は

 

「髪切った?」とか「筆箱変えた?」とかまで声かけるようにしている。

 

 

 

まあ、長くなったのでそろそろ終わる。

 

最後に、授業が上手いというのは、文章が上手いわけでもなく、発信頻度が多いわけでもなく、笑いもとれて、生徒も適度に尊敬してて、クラスが一体化している授業だと俺は思っている。

 

せっかくなので一人くらい自分の塾のヘッド以外で、俺が中学生の時に習いたかったなあと思う先生をあげて終わりにしよう。

 

 

それは.....

 

カトちゃん。

 

終わり。