ネット時代だと言われて20年くらいった。
これからネットと関係しながら生きていくとしたら、たぶん圧倒的な力か、特化してしないと路傍の石になるだろう。
ランチェスターでいう強者か弱者だ。
強者は強大な資本と、弱者時代を経てすでにナンバーワンになっているのだから、弱者にはとんがる選択肢しかないと思う。
で、俺は戦略の勉強はずっとやってきたので、自分が何をしたらいいのかを密かに知っている。
ただ、やる気が起きなかったのは、自分のこれからの方向性との相関がしっくりきていなかった。
最近、幸福論という学問があることを知り、今までモヤモヤしていた多くのことが氷解し始めている。
人生は一人一人が主人公で、かつ一人一人の特性が違う。
自分に合うチョイスをしなかったら、間違った方向へと進んでしまうだろう。
そして俺の場合は以下がいいのではないかと考えている。
俺の常識は、社会の常識と色々ちょっと違ってると思っているが、これをもっと際立たせないといけないのではないか。
例えば、俺はチェンラーイで服を買っていと書いたが、これはものすごくいい。
俺と比べられるやつがいないからだ。
例えば、俺がヴィトンの服を好きだとするじゃん?
横に、俺のヴィトンより高い服のやつがきたするじゃん?
せっかくの気分が台無しになるよね。
でも、俺は俺の服と比べられるやつなんかいないことを知っている。
俺のクロックスなんかこれだからね。
お前、履けるか?
俺が最近、好んで見ている動画でサバイバルがある。
例えば、hiroron氏なんか大好きだ。
「ねえ、どうしてそんなことする意味があるの?」じゃない?
それからクレイジージャーニー好きな人多いと思うけど、ネット界ではもはやゴンザレスがいっぱい登場してるよ。
こういうの見て思うのは、やっぱり飛び抜けてる人は面白いってことだよね。
飛び抜ける必要があるってことなんだよ。
この飛び抜け方なんだけど、例えば俺が化学好きだったとするじゃん。
そしたら、化学好きって言ってる程度じゃ、ネットの中で1番は取れない。
もはや車に周期表をペイントして、ファミレスで「H2Oのおかわりください。」くらい言ってないとね。
ま、やることはわかってるから、それと自分の幸福をバッチリ合わせればフィニッシュだ。
問題は、今となって俺は本当にベトナムの大学に行く必要があるのか?ということなのだ。
んーーーーー。