みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

一生懸命に生きているか?

長距離走を走っていると、かたまり(集団)が出来ることがよくある。

 

トップの集団以外にも、いろいろなところでかたまりが出来る。

 

かたまりの中に入って走ると、1人で走るよりはずっと楽になる。

 

周りの息や歩数とシンクロするようになり、あたかも自分が止まっている錯覚を受ける。

 

その状態で走ると幾分ではあるが、スタミナを温存することができる。

 

ただ、1つのレースの中にかたまりは多数あるため、速い遅いはあるものの、みんなが走っていることには変わりない。

 

あるかたまりから脱落するのはいとも簡単だ。

 

苦しいかもしれないと考えればいい。

 

すると途端に苦しくなって、あっという間に後続のかたまりに吸収されてしまうだろう。

 

後続のかたまりはややゆっくりなので、もしかしたらそこで生き延びれるかもしれない。

 

 

問題は、前のかたまりに行こうとするときなのだ。

 

わかりやすく、数字を入れて説明しようか。

 

自分のかたまりの時速が15キロだとする。

 

前のかたまりは時速16キロ。

 

するとあと1キロほど時速を上げて走らなければいけない。

 

だが、それでは永久に追いつけない。

 

時速17キロにしなければ、前の集団に追いつけない。

 

つまり前の集団よりもさらに早く走らなければ前の集団に追いつけないってことだ。

 

 

 

レールを変える。

 

ステージを変えるというのはそういうことなのだ。

 

 

新しいステージに行きたいヤツは、新しいステージで頑張ってるやつより速いスピードで走らなければいけない。

 

ま、その覚悟がいるってことなんだけどね。

 

 

 

例えば、ひなまながクラファンで世界一周していることに関して、大人の皆さんがトンチンカンな批判をしてくることがある。

 

「他人の金で行って、君たちは何もしてないよね?」

 

バカか?ひなまなは高3の1年間を差し出してるんだよ。

 

休学しているんだよ。

 

同級生と離れてるし、これからもずっと1年遅れて進んでいくだよ。

 

お前こそクラファンどころか批判しか出してないじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

有名な言葉がある。

 

「人並みの努力では人並みの人間にしかなれない。」

 

有名すぎて、訓み人知らず状態だが、まさにその通りだと思う。

 

人並みの努力してしてないやつが、なぜか羨ましがったり妬んだりしているんだよね。

 

歌手に向かって、歌が下手くそ。

 

スポーツ選手に向かって、しっかりやれ。

 

おい。

 

しっかりやるのはてめーの方だっちゅうーの。

 

しっかりやってないてめーが、いつまでもギャーギャー言ってるから、お前はそのかたまりから抜け出せない。

 

 

 

 

 

まあ、俺にも言ってるわけなのだが、俺ねえ、もはや何も欲しいものがなくなっちゃって燃え尽きてたわけなんだよ。

 

今も別に欲しいものがあるわけではないから(まあ川は欲しいけど、それだけでは原動力になれない)、なんかね、こう15年ぶりくらいにじわーっと力が湧いてきている。

 

俺は今のかたまりのレベルで全然よかったんだけど、内なるエネルギーがそろそろ飽和に近づいた気がする。

 

頑張ってみようかなあと、最近感じたことない信号が俺の体から出るようになり始めている。

 

 

 

でさあ、じゃあ何頑張るかって話なんだよ。

 

これが俺の場合、既存のモデルなんかクソ食らえで、ニュータイプになりたいんだよ。

 

ニュータイプにね。

 

 

新しい概念をもってきたい。

 

 

それからもう一つ。

 

さっきから言ってるように、なりたいレベルの自分よりもっと頑張らないとそこには行かれないってこと。

 

それはわりと至難で、相当時間を割く必要があると思ってる。

 

 

 

 

 

ってことで、お前らもなんかやれ。

 

ナポレオンヒルも、空想できることは全て実際の形にすることができると言っている。

 

楽してできることなんかどこにもない。

 

覚悟を持つことだ。

 

他のいろいろなことを諦めることだ。

 

よし、覚悟したらいけ!

 

 

 

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生徒が止まる(俺紹介7)

生徒がバンバン入ってきて、教室の数も増えた。

 

ところが一緒に働いていた先生たちが怒っている。

 

「みかみ先生、一体どれだけ生徒を増やすつもりですか?」

 

「うん?いけるところまで。」

 

「こんなスカスカなやり方でいいと思ってるんですか?」

 

「しょうがないじゃん。大きくするときには必ず起こる問題なんだから。」

 

「これで、愛を込めてみかみ塾って言えるんですか!」

 

 

 

 

実は俺も苦しんでいた。

 

生徒が増えるということはものすごいパワーがいることなのである。

 

 

授業中なのに電話が鳴る。

 

体験が毎日来る。

 

入塾がほぼ1日1人のペースで来る。

 

 

何よりきつかったのがクラス分割なのである。

 

生徒が増えるとクラスを分けないといけなくなる。

 

例えば、最初Aという先生が教えていたとしても、クラスを分けるとAとBという先生になる。

 

つまり、Aの先生のままのクラスはいいが、AからBの先生になったクラスの方に不満が残るのだ。

 

あまりにも入塾の速度が速いために、AからB、Bからと短期間で先生がどんどん変わっていく生徒が出てきてしまう。

 

そういうクラスになった子供の親御さんからは当然クレームが入ってしまう。

 

 

俺らは仲が良かったので、授業がすんでからも毎日数時間、生徒のことを話していて残っていた。

 

だから、お互いの生徒の雰囲気はそれなりに把握していたのだが、それでも急拡大による弊害は確実にあった。

 

だからと言って、もしここで入塾のペースを落とすと、県で1位になることが非常に難しくなってしまう。

 

勢いというのは極めて重要なのだ。

 

 

つまり1位を捨てるのかという岐路に立たされる決断を迫られている。

 

だが、仲間は宝だ。

 

愛を込めて...という信念に集まって授業している塾の社長である俺が、愛を込めない授業をしてはいけない。

 

 

 

 

 

 

「.....わかった。募集を打ち切ろう。」

 

 

 

俺は、自分の目標であった県制覇をここで断念した。

 

全教室全生徒募集を停止します。

 

 

 

 

 

これでいい授業ができる。

 

でも、何か辛いことがあるたびに、あの時のことを思い出して一言言いたくなる気分が1年くらい続いた(だけどこの選択は正しかったと思っている、みんなありがとう)。

 

と同時に俺のパワーの原動力が半分くらい失活してしまい、企業を辞めてから馬車馬の如く突っ走ってきた俺のオーラが消えた。

 

そして、俺の心は彷徨い始めた。

 

矛盾していたが、飢えた俺の血が次なる目標を探し始めるようになっていた。

 

 

 

 

 

 

「せんせー。お願いがあるんですけど。」

 

中3のあいこちゃんのお母さんが、いきなり塾に来られた。

 

 

..........これがみかみ一桜、第2章の幕開けだった。

戦略転換(俺紹介6)

近所の4大塾には生徒が100人くらいずついたはずだ。

 

もちろんだが、正確な数字はわからない。

 

だが今、俺の塾には生徒が100人いる。

 

ということは他の塾からの転塾者を考慮すると、俺の塾が一番大きくなっている可能性があった。

 

だが、俺はこれをよしにするわけにはいかなかった。

 

県制覇するためには、市制覇なんぞただの通り道。

 

ゆくゆくは全国1位になるためには予選もいいところなのだ。

 

俺はミュウツー

 

こんなコラッタの戦いは素通りするかのように勝たなければならないのだ。

 

そして一気にガリバーにならねばならない。

 

 

予定通りの戦略転換をした。

 

いよいよ強者の戦略の始まりだ。

 

今まで目立たないように目立たないようにしていたのを、目立つように目立つようにへと変えた。

 

そして他の塾がプリントを使っていると聞けば同じようなプリントを使い、宿題を出すといえば宿題を出す。

 

他の塾のアドバンテージにミートしていった。

 

市内ナンバーワンの塾としてミートしているので、他の塾の個性は目立たなくなってしまう。

 

広告のキャッチフレーズでは「市内最大塾」を謳った。

 

「うちの塾に来なくて大丈夫ですか?市内のスタンダードなのに。」

 

車もベンツに変え、髪も茶髪から一気に金髪に。

 

「誰あれ?」

 

「塾の先生なのにベンツなの?」

 

とにかく噂を立てないといけない。

 

広告は目立つ黄色一色で毎月入れた。

 

電話が鳴り止まない。

 

キャッチのキャッチのキャッチ。

 

電話で授業ができなくなった。

 

ついた勢いは止まらない。

 

さらに隣の市へ50坪。

 

また100坪とどんどん教室を増やしていき、結局2年半で600人にまで生徒が増えた。

 

中3の夏期講習だけで、大クラスを5クラスも作らないといけなかった。

 

そして3つの市にまたがって、みかみ塾が認知されることになった。

 

 

 市内では俺の後にいくつか塾ができたと思うが、地元の中堅以上の大きさになった塾はない。

 

1教室と2教室を運営する塾では、もはや経営の手法が全然違うし、多教室となるとさらに違うと思うのだ。

 

自分1人でやるのと、誰かに他を任すこと。

 

自分のカラーだけで勝負できる戦いと、自分の思想を誰かに託すのでは経営の難しさは5倍くらい違ってくると思う。

 

1つ目の塾と2つ目の塾では、安定させるための難易度が全然違っていて、3教室、4教室と教室が増えるたびに自分の色が薄れてなく。

 

何よりも生徒を引きつける求心力が、格段に下がってしまう。

 

だけど俺らは負けなかった。

 

大手と全く違う手作り感満載の、いや手作り感しかないやり方で、とにかく生徒に全力を尽くす。

 

愛を込めてみかみ塾という社名の元に、「迷ったときは、愛を込めてるかどうかで判断してくれ。あとで絶対に文句を言わない。」権限をガンガンに委譲し、仲間と共に塾を大きくしていったのだった。

 

 

 

 

 

 

ところが、この勢いはすぐに止まることになる。

 

 

そしてこれ以降、俺らの塾が急成長することはなかった。 

 

その理由は、明日に続くのである。

 

 

 

 

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↑ 春休みに生徒達とバンビエン に行ってみようかと思っている。

 

皆さんの生徒さん、お子さんもお預かりしましょうか?

 

最初に喰らうボディーブロー連打(俺紹介5)

その場所で隠れて塾をすることはもはやできない。

 

今まで秘密だった塾がベールを脱いだ瞬間だった。

 

果たして50坪を満席にすることができのか?

 

こんなガラガラのだだっ広い場所を、机で埋めることはできるのだろうか?

(満席にしたら軽く50個は机を置けそうだ)

 

 

「噂で聞いたんですけど?」

 

毎日のように電話がなり、体験の生徒が入ってくれた。

 

入り口には俺がハサミで切って貼った「みかみ塾」の文字。

 

お金がないので、生徒の最初の月謝で机を購入する。

 

生徒が来てくれてば、来てくれるほど机が買える。

 

ホワイトボードのペンは100均で爆買いだ。

 

近所の100均にあるペンは片っ端から購入していった。

 

 

先生は俺と、俺が会社時代に一緒に働いていた後輩をスカウトして2人で教えた。

 

周藤先生というのだが、今もずっと本部を守り続けてくれている。

 

俺がいうのもなんだが、ものすごく優秀な男だ。

 

 

俺らの授業スタイルは、ペン一本だけで勝負してるから先生の話術や面白さが必要なのだ。

 

いかに生徒を惹きつけ続けるか?

 

そしていかに生徒をやる気にさせるか?

 

徹底的に言葉を選ぶ。

 

絶対にネガティブな言葉は言わない。

 

子供を傷つける言葉は発さない。

 

「できない子は何時まででも付き合います。」

 

 

 

 

とにかく生徒が欲しい。

 

誰でもいいから人数が欲しい。

 

周りのビッグ4に並ぶためにまずは人数が欲しい。

 

 

 

ここで塾特有の問題に直面する。

 

「あの子が入ってくるんなら塾やめます。」

 

「あの子は問題児だから、入れない方がいいです。」

 

そういう話がどんどん入ってくるようになった。

 

あの子が入ってきたら塾やめるって、無茶じゃないか?

 

これ、塾の落ち度なのか?

 

不良と思われている子を入れるかどうかだ(みんないい子なので、実際は不良という言葉は適切ではない)。

 

不良と思われてる子だって、もしかしたら頑張れるかもしれないし、何よりも人数カウントされる。

 

とにかくまずは100人を突破しなければいけないし、また、不良の線引きも難しい。

 

どこかで不良の線を引いたとしても、必ず他の親御さんから「あの子も不良です。」とクレームが入るはず。

 

 

それ以上の最大の問題は、塾の場所がアーケード街で、そこはヤンキーや暴走族の溜まり場だったことだ。

 

塾の始まる夕方の時間はいいのだが、塾の終わる時間になるとバイクが集まってくる。

 

生徒は帰るときに、バイクの兄ちゃん達の怖い視線の中を通らなければいけない。

 

これ、どう考えても集客に影響するよね。

 

絶対にいなくなってもらわないといけない。

 

 

朝になると割れた瓶などが散乱している日もあり、こんな治安の悪い場所で授業をすることが、この先許されるはずがない。

 

朝の仕事が瓶の片付け?

 

おかしいだろう。

 

 

 

はっきり言おう。

 

俺は生徒のためには、命をかけようとこの仕事を始めた。

 

自分のためには死ねないが、生徒を守るためなら喜んで死ねる。

 

 

俺は暴走族がたむろするたびに、外に出た。

 

あとは警察に何度も何度も連絡して、パトロールも強化してもらった。

 

暴走族からしたら迷惑な話で、俺らの塾がそこにできた瞬間から、面倒臭い金髪のおっさんがいちいちやってくるのだ。

 

そして警察も頻繁にくる。

 

直接つかみ合いになりそうになったこともある。

 

授業中に教室の中に石が投げ込まれたこともある。

 

 

 

でも、絶対に出ていってもらう。

 

死んでも出ていかせる。

 

暴走族に出ていってもらわなければ、暴走族の溜まり場を通って行く塾など、あってはならないのだ。

 

そしてここは、今から県下を制覇する生まれたばかりのみかみ塾なのである。

 

 

数ヶ月間の戦いが終わり、アーケード街は平和な勉強街へと変わっていった。

 

同じアーケード街の他のお店から感謝された。

 

怖いから逆らえずこんなことになったしまっていたけど、みかみ塾が来てくれてよかったと。

 

 

暴走族の集会場所はいつの間にか移動していた。

 

同じ頃に開塾した県下1位の生徒数を誇る塾がある駅の前に.....

(行ってらっしゃいませ。)

 

 

さて、不良と言われている子をどうするか問題について話を戻そう。

 

俺は勝負に出た。

 

「ウエルカム。」

 

ただ、近所に新しく教室を借りて、不良が多い学年はそちらに入ってもらった。

 

教室に謎の穴があいたり、ちょっと授業のクオリティを下げてしまうことになったが、それなりに体をなしていたように思う。

 

続かない子が出てきたりして、そのクラスもだんだん普通っぽくなってきた。

 

それ以外にも月謝を振り込みに変えたり、エアコンを買ったり、法人にしたり、今まで知らなかったことを生徒の親御さんに教えてもらいながら、一つず問題を解決していった。

 

 

 

....そしていつしか俺らの塾は100人を超えた。

 

 

ふふふ、待っていた日がやってきたぜ。

 

ランチェスター戦略の転機だ。

 

俺はここから一気に戦略を変える。

 

 

 

俺が最初に目指していた、戦略転換の日がやってきた。

 

塾の関係者は明日のブログをお楽しみにね。

 

 

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(バリからバイクのヘルメットをかぶって帰る俺) 

 

 

そろそろ新しいひなまな動画が出る頃です。

 

前回の動画で記憶をフレッシュにしておきましょう。

 

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塾立ち上げ編(俺紹介4)

塾を始めることにした。

 

俺の目が見ているものはただ一つ。

 

とりあえず山口県で一番大きい塾を作ること。

 

そのためには、俺が始めた市の中でさっさと1位をとらないといけない。

 

始まった時にきてくれた生徒は10人くらいだった。

 

中3が2人。

 

中2が2人。

 

あとは小学6年生と5年生。

 

 

よし。

 

ここから俺伝説を作る。

 

ランチェスター最弱戦略に則って、そこが塾だと気づかれないようにすべてカーテンをして完全に中が見えないようにした。

 

もちろん、看板などはつけないし、自転車も遠くに止めてもらうようにお願いした。

 

入るときは裏口から入ってもらって、秘密裏に授業を始めた。

 

ちっちゃなぼろっちぃ塾だったが、世界で一番面白くてわかりやすい授業を目指すのだ。

 

 

さて、授業をやる上では差別化が必要だ。

 

どうやって他の塾と違うことをするのか?

 

 

俺は塾に行ったことも、塾で働いたこともない。

 

強いていうなら俺は短期間の独学で、財閥の家庭教師にまでなった男。

 

胸に赤ペンを一本だけ挿して行って、その赤ペンだけで授業する。

 

一切の参考書も問題集も使わない。

 

すべての問題は瞬間自作し、あとはデフォルメした問題で生徒の気持ちを引きつけ続ける。

 

宿題などは一切出さない。

 

今すぐ覚えようというスタイルだった。

 

 

 

塾もそれでいくしかない。

 

生徒にはノートではなく、100均のホワートボードを配布した。

 

書くところがよく見えるためと、書くことを楽しくするためだ。

 

時には「せーのーどんっ!」と言って、ホワイトボードを見せてもらって、珍回答を盛り上げたりした。

 

とにかく面白くて、分かったと言ってもらえる授業にすること。

 

もうそれだけだ。

 

毎日授業の感想は必ず親御さんに届いているはず。

 

すべての親御さんに、子供達が笑顔で感想を言えるように。

 

「今日も楽しかったよ。」と。

 

1クラスあたりの人数も次第に増えていき、8人を同時に授業できるようになったときには感動した。

 

そして8人が同時に座ると狭すぎて、トイレに行けなくなることがわかった。

 

 

 

噂が立ち始めた。

 

塾の外にいると、どこかのお母さんが塾の中を覗こうとしている。

 

「この辺に塾があるって聞いたんですけど、ご存知ですか?」

 

「塾?この辺に塾はないですよ。」

 

 

最弱者戦略は目立たないことなのだ。

 

無人の隙間地域でまずは1位を確定させること。

 

目立っていいのは噂だけ。

 

だけど、どんな授業しているのか?

 

誰が教えているのか?

 

誰からもマークされないように、徹底的に隠れ続けた。

 

隠れることで、どんどん目立っていく。

 

あとは生徒の親御さんにものすごく力を持っている親御さんがいらっしゃり、たくさんの生徒を紹介してくださった。

 

あっという間に、授業ができない日が来て、引越しを決めた。

 

それが12月だった。

 

最初の引越しまではわずか4ヶ月かからなかった。

 

 

 

 

次の引越しはめちゃめちゃリスキーだった。

 

場所が悪すぎる。

 

当時の4大塾が集まっていた場所の真ん中だ。

 

その市(今はもう統合されてなくなった)は、県内で最も小さい市だったため、100人規模の塾が一番大きい塾で合計で4つ存在していた。

 

さらには俺の塾が出来た時と、ほぼ同じタイミングで県内最大の塾がその市にも誕生していた。

 

俺のシナリオでは、ここで一気に100人にしとく作戦だったので、その最悪の場所を譲ることはできなかった。

 

お客さんは周りの塾から、転塾してくれるのだ。

 

今ある塾の近くに俺の塾があること。

 

ただし、もろ刃の剣の立地で、せっかく俺が作った塾も一瞬で木っ端微塵になる可能性もあった。

 

 

 

お金がなかったので、ボロボロの教室でエアコンもない。

 

ひび割れたコンクリートむき出しの床からは、冷気が上がってくる。

 

50坪ワンフロアーに8個だけ机がある。

 

まだ、俺は8個しか机を持っていなかった。

 

引越しは生徒と一緒にすべて手で運び、俺のお金は敷金に消えた。

 

こんなにガラガラで、こんな廃墟みたいなところでやっていけるのだろうか?

 

 

親御さんが自分の家のストーブを持ってきてくださった。

 

5個くらいのストーブを輪のように並べ、寂しい気持ちにならないように、スルメを焼きながら授業した。

 

授業が終わったらみんなで焼けたスルメやら芋やらを食った。

 

俺にあるのは情熱だけ。

 

365日無休で、夜中3時くらいまで塾にいる生活が続いた。

 

 

 

だが、予期せぬトラブルはたくさんあった。

 

続く

 

 

 

 

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女子高生が世界一周?????

 

ひなまながバックパッカー世界一周中です。

 

自己紹介がめんどくさいのでいきなりワープ(俺紹介3)

 自己紹介が面倒になってきた。

 

まあ、そういうわけで色々ありながら、高卒で会社に入ったのだが、その後、大学受験を始めて大学生になった。

 

ま、普通の大学生と違ったことは、大学1年生で結婚。

 

世帯主で市営住宅に住みながら通学。

 

大学院1年生で娘ができて3人家族になった。

 

前も見せたと思うけど、大学院の成績はオールAね。

 

もちろん大学の成績も同じような感じ。

 

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(あっ、これハノイ大学入学用にとった成績証明書)

 

卒業後会社に戻ったものの、金持ちになりたい衝動がすごくなり、会社を辞めた。

 

引き止めで26連続で毎晩毎晩、違う上司や先輩から飲みに連れて行かれた。

 

毎日毎日「みかみ、考え直そうぜ。」って色々な人から声をかけてもらえて、本当に感謝しかなかったけど、俺は挑戦がしたかった。

 

結局、すぐには辞められず、その1年後に退職が認められた。

 

 

 

そして最初は、家庭教師の会社を作った。

 

ま、会社って言っても俺が電話を受けて俺が俺を派遣するわけなんだけど。

 

そのうち、自分のコマがいっぱいになって、バイトも雇うようになった。

 

お客さんから一コマ3000円いただいて、一コマ1500円を先生に払う。

 

びっくりしたね。

 

だって、他の先生を派遣するだけでその先生がもらえる時給と同じ金額が自分の財布に入る。

 

これが自営業かと思った。

 

その後、自分の時給を段階的に上げていって、1時間6000円まであげたところで、東京とかからも電話がかかってくるようになり、お金持ち専属の家庭教師に変わった。

 

最終的にはMMSYっていう4大財閥あるじゃん?

 

そのMの家に勉強を教えに行ってたよ。

 

超大金持ちだった。

 

ロールスロイスが空港に迎えにきてくれて、白い手袋した運転手の車に乗って仕事に行ってた。

 

そのうち、家庭教師を全部精算して塾を始めることを決めた。

 

しかもここまでの期間。

 

退職したのは4月1日。

 

家庭教師を完全に辞めたのは8月31日だからね。

 

わずか5ヶ月の出来事。

 

すごいスピード感じゃない?

 

毎日毎日変化が起こってすごかった。

 

詳しく知りたい人は、

俺が財閥の家庭教師だったときの話1 | STORYS.JP(ストーリーズ)

こちらまで

 

 

そして俺は塾を始めることを決意する。

 

塾をやろうと思ったのは8月の盆の前だった。

 

 

ここからゆっくりめに書いていこう。

 

俺の貯金は、当時200万円くらいだった思う。

 

塾の場所を選定しないといけなかった。

 

 

家賃月5万円まで、そして大きい中学校から近い(500メートル以内)こと、大通りに面していること。

 

 

同時に経営の勉強を猛烈に始めた。

 

ビジネス本を読みまくるようになった。

 

戦略本を読みまくった。

 

 

俺はランチェスター戦略を使うことに決めていた。

 

しかもいわゆるランチェスターのメインストリームではない部分に注目していた。

 

第一法則から第二法則への切り替え部分だ。

 

弱者から強者に変わる部分である。

 

ここを滑らかに変えるのではなく、一気に変えようと思っていた。

 

その方がきっとインパクトがあるはずだ。

 

だから、第一法則、つまり弱者の戦略、いやいやものすごく最弱者であるとして、細心の注意を払う最弱者戦略をとった。

 

 

 

結局、いい物件は見つからず、たまたま道路を自転車で通っていたら、クリーニング屋さんが閉店し始めていた。

 

無人だったので、隣の家にピンポンして、「隣のクリーニング屋さんはやめるんですか?大家さんをご存知ですか?」と尋ねた。

 

「私が大家です。」

 

なんとクリーニング屋さんの隣の家は大家さんだったのだ。

 

「隣の物件を見せていただけないでしょうか?」

 

微妙な物件だった。

 

全体で10坪くらいだと思ったが、部屋の真ん中にオブジェ用の巨大な柱がある。

 

しかも形がいびつで、3畳くらいの畳の部屋がついている。

 

真ん中に柱がある部屋がメインの部屋だ、10畳くらいある。

 

ただ、真ん中が柱......

 

うーん。

 

たまに外から、子供の声が聞こえる。

 

尋ねると裏が小学校らしい。

 

 

小学生かあ。

 

でも、今は生徒が欲しい。

 

小学生でも幼稚園でも赤ちゃんでも誰でもいい。

 

生徒が欲しいのだよ、俺は。

 

 

その場所を5万円で契約し、1ヶ月後に入居する約束を取り付けた。

 

さあ、生徒を集めておかなくては。

 

 

今の俺には家庭教師の生徒が数人いるだけなのだから。

 

ゼロからのスタートではないものの、月謝が大幅ダウンすることで、月の売り上げが10万円を切ってしまう。

 

広告も打たないといけない。

 

どう考えても赤字だ。

 

さらには机やらカーテンやらホワイトボードとかも買わないといけない。

 

さすがに塾用の教材とかもいるだろう。

 

どこにあるんだ?

 

塾用教材って。

 

今のようにネットが発達していなかったので、全部自分で探すしかなかった。

 

近所のリサイクルショップで本棚を購入し、机はちょっといい8000円のを8個買った。

 

机だけで6400円、高いわー。

 

 

肝心の生徒だが、自分のワープロで「家庭教師が塾を始めました。」みたいな感じでプリントアウトして、コピーして校門配布することにした。

 

とにかく来てもらわないことには話にならない。

 

 

「夏期講習いかがですか?5回で合計500円。500円玉を握りしめてきてくださいね。」

 

「安い理由はまだ教室がないことです。公民館で一緒に勉強しましょう。」

 

中学の校門で一人で配っていると、クソガキどもが俺を一瞥して目の前に捨てやがる。

 

「おいごらあ!コピー代10円かかってるんだぞ!」と思いながら、笑顔で拾い、笑顔で配る日が数日続いた。

 

惨めだなあ。

 

 

夏期講習初日の日、二つの公民館で合計10人くらい生徒が集まってくれたと思う。

 

公民館の使用料もあるから、当然赤字だ。

 

500円もらっても仕方がない。

 

500円もらって領収書を渡すのだが、領収書の書き方さえ当時は知らなかった。

 

 

 

さらに俺は塾に行ったことがなかったから、本当は塾って何をすればいいのかわからない。

 

 

面白く教えよう。

 

人気者になろう。

 

 

もはやこれだけだ。

 

俺の武器はたったのこれっぽっちだった。

 

 

 

その日に教える授業はその日に参考書を読んで、考える。

 

そういう感じで夏期講習の期間が終わった。

 

 

続く。

続)大きい塾にするために..

みなさんからのコメント。

 

先生たち。   

ヒロ正解。先生がいないと大きい塾は...いや先生がいないと塾そのものが成り立たない。

 

生徒が増えた状態を具体的にイメージすることだと思います。

遠藤先生、正解です。イメージがないと具現化できません。

 

塾長もしくは教室長の引力が訪れる人に届く、その前に紹介してくれる人を魅了する、そういう力があるということでは?

かわい先生、その通りです。人間として魅力がないと人が集まってきません。

 

保護者に好かれる、ファンになってもらえること。
お母さんネットワークは凄い力を持っていますから。

近藤先生、さすがですね。先生は経験済みだから、明確にイメージができるんですね。

 

みなさん、正解です。

 

 

 

 

誰の答えも正解なのだが、俺は今、大きくしようとしてできないヤツや、塾を始めてまだ間がないヤツ、成功経験がない先生を想定してこのブログを書いている。

 

そいつらにタダでギフトしてるというハッピータイムなのだ。

 

 

俺はここ数年間、塾を大きくする想いが全くなかったが、もしも俺だってそれをすればすぐに塾が大きくなるという必殺技だ。

 

 

 

 

 

話は変わるが、最近、推薦の面接なんかをすることが多くなった。

 

面接練習すると、最初から上手い子はある程度上手いのだが、下手くそな子でも練習すれば上手くなる。

 

じわじわ上手くなるんじゃなくて、あるときドンッって上手くなる。

 

そしてあるときまた、ドンッと上手くなる。

 

何が起こって上手くなっているのだろう。

 

 

これが今回の俺の答えだ。

 

 

 

 

答えは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

..覚悟である。

 

 

面接が下手くそな子は例えば、声が小さい。

 

何回も何回も何回も何回も注意されて、あるとき諦めるのである。

 

「恥ずかしいけど、大きな声を出そう。」と。

 

 

どうしても恥ずかしそうに答えてしまう子がいる。

 

何回も何回もガチ怒りされて、そして諦めるのである。

 

「真面目にやるしかない。」と。

 

つまりそれは、過去の自分を捨てて、恥ずかしいけどそれでやっていくという覚悟を持つのである。

 

 

 

本気でやれば、誰でも塾を大きくすることはできる。

 

授業後に一人一人の親御さんにメールでも送ってみたか?

 

授業後なるべく早く外に出て、出来るだけたくさんのお母さんと話したか?

 

校門前配布やりまくったか?

 

子供たちを毎日30回ずつ褒めたか?

 

知り合いの人にお金を貸して欲しいと頼んだか?

 

タダでもいいから来てくれと、生徒の友達に補習したか?

 

宿題にものすごく小さく添削してあげたか?

 

全員の生徒を一人残らず毎日幸せにしたか?

 

予算を投じて広告を打ちまくったか?

 

教室を綺麗にしまくったか?

 

子供たち一人一人とたくさん対話したか?

 

無限にやれることはあるだろう。

 

それを全力でやるんだよ。

 

必死になってね。

 

 

 

自分の子供に必死になってくれる先生を見逃す親御さんなんかいない。

 

 

 

 

俺は今までのやり方があるから、新しいことは出来るだけしたくない。

 

恥ずかしいから。

 

怖いから。

 

情けないから。

 

面倒だから。

 

 

 

 

でも、覚悟をしたなら進むしかないのである。

 

半年以内に生徒数が倍にならなければ、家族もろとも皆殺しにすると言われれば、必死になってやるだろう。

 

 

ただ、その覚悟が持てないだけ。

 

覚悟さえ持てば、生徒は増える。

 

 

ま、塾を大きくしたい人。

 

腹をくくってやってみて。

 

 

誰からも認められるようになるから。

 

 

 

 

 

 

さあて、はちやまちゃんと酒でも飲むかな。

 

ひなまな動画見てね。

 

www.youtube.com

大きい塾にするために...

塾の先生に向けて書くとアクセスが増えるから嫌なんだけど、ま、俺も余裕があるのでちょっと書いてあげようかな。

 

 

 

いい塾の定義とはなんだろうか?

 

俺は、退塾者が少ないことだと思っている。

 

中学生は5年連続で退塾者がいなかったのだが、昨年とうとう退塾者が出てしまった。

 

まあ、これは授業内容や俺ら側の問題でもないような気もするのだが、とりあえず中学生のクラスを作って6年目にして初めて退塾者を出してしまった。

 

あなたの塾やあなたの周りの塾で、5年間も生徒が一人もやめなかった塾はあるだろうか?

 

今年は、当たり前だが誰もやめていないので、また退塾者ゼロ記録を目指して頑張ろうと思っている(ちなみに退塾の話が出たら、引き留めることなくすぐに快諾させていただく)。

 

で、だ。

 

最初の俺の定義からすると、俺の塾はいい塾だ。

 

 

ところが、大きくなってる塾かと言われるとそうではない。

 

いい塾=大きくなる塾

 

この式は成立しない。

 

 

 

大きくなる塾はどんな塾だろうか?

 

生徒が増えている塾だ。

 

どんな塾が生徒が増えるのか?

 

ネット上では「俺の塾が素晴らしい。」「俺の教え方が素晴らしい。」「本物」「本当の〜」という言葉が、フリルのようにあちこちで見える。

 

素晴らしいと120デシベルでわめき散らしところで、生徒がきてくれなかったら、自己満足だろう。

 

そんなにいい塾なのに、「生徒募集中」と大きな文字で書いてある。

 

あんたが教えたら全員の成績が上がるというのなら、生徒なんか募集しなくても感度の高い親御さんが見つけてくれてすぐに満席になるはずだ。

 

 

生徒が増えている塾を見て欲しい。

 

必ず共通点がある。

 

それは独特の勢いがついているということだ。

 

その独特を勢いを宣伝に使いまた循環している。

 

勢いがある間は生徒が増え続けるだろう。

 

生徒が増えている塾の塾長は、勢いを感じているだろう。

 

 

 

俺は今は生徒を増やしていない。

 

でも、生徒を増やすことは必ずできる。

 

みかみ塾グループの7人の社長はみんな元気に塾をやっていることも一つの理由だ。

 

7人とも年齢も性別も学歴もそして体重まで違うけど、みんな元気にやれている。

 

教室数でいうと、よくわからないが3〜40くらいは今まで立ち上げてきたと思う。

 

 

実際に生徒を増やすのに最も大事なことは.......

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、問題です。

 

なんだと思いますか?

 

ま、答えは色々あると思うし、何が正解かはわからないが俺には俺の意見がある。

 

コメントが何個か入ったら、次号で書いてみようと思う。

くそ、俺としたことが塾経営会議の夢を見た(俺紹介2)

俺のような天性の経営者に経営会議とか、講演会とか不必要なのに、久しぶりに他の塾の経営者たちと会ってる夢を見た(他塾からの見学はお断り中)。

 

やばい。

 

俺はフリーマンのはず❤️

 

 

 

俺紹介パート2だ。

 

そして俺は山口の祖父母に預けられた。

 

祖父は俺と45歳差で若い上に、自己中の塊だったので俺は苦しめられることになる。

 

とにかくワンマンだった。

 

おそらく発達障害だったのでは?と今は思う。

 

「勉強するくらいなら家の手伝いしろ!」

 

「夜遅くは電気代がもったいないから早く電気消せ!」

 

俺の手伝いは毎日の庭掃きと廊下掃除、あとは細々としたルーチン、神棚の水交換や新聞とりなどがあった。

 

庭掃きなどは、近所の友達とかに見られるのが恥ずかしかった。

 

 

ものすごい癇癪(かんしゃく)もちで、すぐに罵倒してくる。

 

そして暴力も振るうこともあった。

 

俺は祖父が大嫌いだった。

 

早く死なないかなあといつも思っていた。

 

たまに、機嫌がいいときは小遣いもくれるのだが、普通の家庭に育ちたいと何度も思った。

 

他人の心を考えないことなどよくあった。

 

 

とにかく勉強とかいうような環境ではなかった。

 

たまに、塾の先生なんだから、自分の学歴がうんたらかんたら言ってくる人がいるが、それは視野の狭い人だと俺は思っている。

 

フィリピンのスラムの子に、他のやつもやってるんだからお前も頑張れって簡単に言えるか?

 

スラムの子には子守もあるし、家の手伝いなど他にもやらないといけないことがいっぱいあるのだ。

 

勉強だけをやれる環境にある温室で生まれたそいつらは、「パンがなかったらブリオッシュを食べたらいいじゃない。」って、言うかもしれないけど、世の中全員がアントワネットではないのだよ。

 

 

俺は塾なんかいけるはずもないし、夜は電気が禁止なので勉強できない。

 

まあ、勉強なんか興味なかったからそこはどうでもいいんだけど。

 

そして高校進学の際、俺は密かに決めていたことがあった。

 

それは夜間高校に行くことだ。

 

とにかく俺は家を出たかった。

 

くそジジイと暮らしたくなかったので、俺は進路の決定ギリギリまで自分の志望校を明かさなかった。

 

もしも夜間高校に行って家を出ることを早々と宣言してしまうと、ジジイからの当たりがまた強くなってしまうからだ。

 

志望校期限の前日、俺はおばあちゃんに夜間高校に行くことを告げた。

 

祖母はびっくりして近所に住んでいた叔母に連絡をいれた。

 

 

説得してくる。

 

「おじいちゃんも少しずつ優しくなってきてるから.....」

 

「夜間に行っても仕事はないし....」

 

「あと3年したら家を出たらいい.....」

 

 

所詮、中学3年生、俺は説得に折れて近所の工業高校に行くことにした。

 

女の子がいる学科じゃないと行きたくなかったので、化学科を選択した。

 

親戚の言うように、祖父はもはや激しくなかった。

 

いや、孫と暮らす生活になれたのかもしれない。

 

もしくは俺らの方が強くなってしまったのかもしれない。

 

 

家の手伝いは相変わらずだったが、普通に勉強する時間が確保ができた。

 

環境にハンディさえなければできるのだよ。俺は。

 

1年から3年までトップだった。

 

そして地元の一部上場化学企業に就職した。

 

 

「よし。世の中に追いついた。」

 

そう思ったね。

 

高卒で大企業の三交代の工場勤務。

 

何度も一番いいと祖父や周りのみんなから言われてきた職場に俺は入ったのだ。

 

三交代をすれば定時に終わる。

 

趣味を持てる。給料は手当がつくので多い。

 

家も買えるかもしれない。

 

自分の生活を充実させることができる。

 

今まで人の言いなりでしか生きることができなかった俺は、給料を手にすることによって自由権を確保することができるようになったのだ。

 

 

ところがだ。

 

なんと三交代の職場に配属されなかった。

 

 

辞令をもらうときに、「技術研究所を命ずる。」こう言われ、「あ?」「技術研究所?」

 

そんなものがあったのかい、この会社には?

 

俺ら高卒の新入社員研修のときには工場の話しかなかったから、勝手に俺は行きたい工場や、仕事内容を想像していた。

 

まさか研究所って、なんや?それは?

 

科学要塞研究所でグレートマジンガーでも作っとんたんかいワレ?

 

 

研究所とかいう謎の場所に配属されて、俺は追い込まれてしまうのであった。

 

 

 

 

続く(かもしれない)

 

 

 

 

 

 

ひなまなのラオス最終章出ました。

 

www.youtube.com

なんともうできたあああああああ!

www.youtube.com

 

ラオスの完結編。

 

デッド島、そしてパクセーだ!

 

 

 

#ラオス #パクセー #シーパンドン #世界一周 #バックパッカー #世界一周JK  #ラオス旅行 #デッド島

まさか俺のことを知らないヤツがいるとは.....(俺紹介1)

昔、ブログを書いていた頃は毎日更新してきたが、色々あって毎日更新をやめたりブログを変えたりしてきた。

 

最近は、やっと俺の心の現住所がジャパンに戻ってきたので、ブログをまた書くようになった。

 

でも、昔のようにアクセスが欲しいわけでもなくなったので、ブログを書いていることは生徒にもアナウンスしていない。

 

回数を増やして書いてしまうと、アクセスが増えるので回数も制限している。

 

なるべく書かないように、だ。

 

俺のことを知らないヤツらがめっちゃ増えているので、俺のことをもう一回お知らせしようと思う。

 

 

俺は、広島の貧乏な家に生まれた双子のガキだった(俺、兄貴)。

 

貧乏だったので、おもちゃとかを買ってもらえず、他の子供たちが羨ましいと感じたことが何度もあったものだ。

 

羨ましいと感じたもの。

 

・学校で斡旋していた肝油ドロップ(1回も買ってもらったことない)

 

・学校に売りにきていた科学と学習(1回も買ってもらったことない)

 

・祭りの時のりんご飴(1回も買ってもらったことない)

 

・小学の時に流行った超合金のロボット(1回も買ってもらったことない)

 

・自転車(高校が自転車通学だったので初めて買ってもらった(後述))

 

 

俺が買ってもらえたのは、せいぜい祭りのひよこ、スーパーカー消しゴムなどのガチャガチャくらいのレベルだった。

 

給食袋を持って帰るたびに、母親が「はあ〜。また来たの?」というので、給食袋が大嫌いだった。金額は2〜3000円くらいだったと記憶している。

 

近所でボールを持っている子がいたので、ボールで遊ぶときはその子と一緒、家で遊ぶ時はガチャガチャで当てたキン肉マン消しゴムスーパーカー消しゴムで遊んでいた。

 

唯一の心の救いは母親が「勉強に関するものだけは、何をしても買ったげるからね。」って言ってくれていたことだ。

 

これで修学旅行とかは必ず行けるだろうという安心感があった。

 

俺は母親が大好きな甘えん坊だったのが、たまに両親が大げんかする時があり、それが嫌で嫌で仕方なかった。

 

小学1年生の時に嬉しいこと、悲しいことを書きなさい。という宿題が出た時に、

 

悲しいこと「パパとママがケンカすること。」と正直に書いたのだが、参観日でそれが教室に貼られていて、母親から「恥ずかしかった。」と言われて、俺も悲しかったのを覚えている。

 

幼稚園のとき1回、小学のときは2回転校したので、元からの友達コミュニティーに入るのがちょっと大変で完全に慣れた頃にまた転校、という生活だった。

 

引越しの理由は親の転勤とかではなく、夜逃げだったんだろうと今では思う。

 

父親はいい仕事をしておらず、血だらけになって帰ってきたり、警察に捕まったりすることがたまにあった。

 

車にはいつも木刀が積んであり、細い道で対向車が下がらなかったときなどは、木刀を持って外に飛び出して行っていた。

 

そんな俺にターニングポイントがやってくる。

 

 

 

小学4年生の時だ。

 

両親が喧嘩した時に、父親が家に火を放った。

 

もちろん、警察も来て大騒ぎになった。

 

その次の日、母親が出て行って、俺らは3人暮らしとなった。

 

そのうち、家も追い出されて学校に行けなくなってしまい、森で暮らすようにようなった。

 

親父が乗っていたバンが、俺らの家だった。

 

川の水を飲んだり、公園の水を汲んでおいたり、あとは大きい食パンを買ってきてそれを少しずつ分けて食っていた。

 

ある日、俺らが住んでいた森でカブトムシの幼虫を見つけ、それを街に売り行くようになった。

 

それでいいものが食えるようになった。

 

カブトムシのシーズンが終わると、養殖のアサリを深夜に盗む生活へと変わった。

 

盗んだアサリは、スーパーの前で売る時と、田舎の家、一軒一軒回って売る場合があったが、やはり俺らの売る力が結構大きかったように思う。

 

アジアの物乞いを見ているとよくわかるが、貧乏な大人から買うよりも子供から買ってやりと思うのが人情というものだろう。

 

そして小学5年生(ずっと学校に行ってなかったのだが)の2学期のどこか途中だったと思うが、大人が何人かやってきて親父と話すことがあった。

 

しばらくしてから俺らは、親父と別れることになる。

 

今思えば、児童相談所とかそういうところの人なんじゃないかと思うのだが、とにかく親父は説得されたんだと思う。

 

俺らは山口県の祖父母のところに預けられることになった。

 

 

 

 

ここからがまた面白くない生活だった。

 

 

 

 

続く(かもしれない)

世界の中で生きるために。

実は俺は、次は世界に発信することを考えている。

 

化学の大学の教科書って、ほとんどアメリカ発だと思うのだ。

 

つまりアメリカの教科書をみんなで勉強している。

 

何が言えるか?

 

日本語で書いてあるとしても、アメリカの化学を勉強している。

 

おかしくないか?

 

日本人には日本人が書いた本の本の方がいいに決まってるだろう

 

 

 

 

 

.....おかしくない。

 

 

 

 

文化が違っても、モノは受け入れられる。

 

モノは文化の国境を軽々と超えてゆく。

 

ナルトやドラえもんをそのまま訳しても世界に売れるように。

 

 

ただし、これにはアイデアが必要になる。

 

 

俺の化学の特徴は、受験に特化している。

 

つまり、受験のシステムが違う国には全く使えない。

 

俺は、化学を説明しようと思っていないからだ。

 

テストでいい点をとってもらいたいだけだ。

 

出来るだけ楽して。

 

だから俺の化学は化学とは言えない。

 

まさにゴロゴ。

 

 

さて、ではどうやって世界に発信するかだ。

 

日本の中だけでチンタラ考えていく時代は終わってる。

 

俺の中ではね。

 

 

俺の生徒で何人か海外の高校や大学に進学した子がいる。

 

試験問題の数学を見て毎回驚いたものだ。

 

字が読めなくても、解けるからだ。

 

つまりは数式は世界共通。

 

 

同じように化学式も世界共通。

 

何度か海外の高校の化学の教科書を見たことがある。

 

まさにアメリカスタイル。

 

しかも、日本の高校生よりも難しい反応式が出ていることもある。

 

日本の高校生は賢いと言われているにも関わらずだ。

 

何語で書いてあっても、だいたい理解はできる。

 

反応式が書いてあるからだ。

 

 

俺は、ものすごく早い段階からデザインの重要さに目をつけていた。

 

だから、塾内で10年以上にわたってスキルを蓄積してきた。

 

例えば俺らの塾は、塾の中だけで本を作ってネットにアップすることもできるし(段も組める)、今でいうと自前でひなまな動画を作成している(with 松本D)。

 

www.youtube.com

 

ごく近いうちに、テーマソングも変える。

 

例えば、エンディングはこう変える。

 

www.youtube.com

 

ひなまなのためだけに音楽を作り、ひなまなの声を重ねることで著作権を主張している。

 

フリー素材ではない。

 

 

多くの塾が、教室をきれいにしたり、看板をつけたりすることにお金を使っていると思うが、俺はこっちに走ってきた。

 

ぼろっちい塾で、看板も出さずに定員の塾を守ってきたのだ。

 

去年の実績言おうか?

 

ameblo.jp

 

↑ ここにも書いたが、センター試験をガチで受けた生徒のうち、89%が国立大学に現役合格。

 

かつクラス18人中 東大2名、九大6名、広大2名だからね。

 

教え方が云々、色々な人がいっぱい書いているが、言うのはタダだ。

 

結果がなかったら、どうしようもないよね。

 

看板じゃないよ?塾はね。

 

 

 

話が脱線したので、元に戻そう。

 

次から作る本や、動画は世界のことを意識しながら作っていこうと思っている。

 

ただ単に、字幕(サブタイトル)を変えるだけで他の国でも使えるように。

 

 

 

 

そのためには大事なことが。

 

和のテイストを入れることだ。

 

 

俺が和柄の服が好きなのを知っているだろう。

 

海外にいくと、「それはビューティフルだね。ミック」と何度も言われた。

 

ルイヴィトンで褒められたことなどないのにね。

 

 

俺は今から和のテイスト入れながら動画を組んでいこうと思っている。

 

世界に、特にアジアで認められるように。

 

 

 

俺が目指すもの。

みかみは旅行ばっかりして、塾の方は大丈夫なのか?

 

と言われたことはないが、思われているかもしれない。

 

だが、俺はこう考えている。

 

既存の形の競争では未来に生き残れないと。

(ま、それ以前に生き残る必要があるのかさえ問題ではあるが)

 

 

だからまず誰とも違うスタイルになる必要がある。

 

俺はグループのリーダーなのだ。

 

そしてイノベーターである。

 

 

決められた枠の中での競争はすでにやめている。

 

俺は枠の外へと移動し始めている。

 

 

俺らが習った勉強は、俺らの先生が習った勉強だ。

 

そしてそれをまた子供達に伝えていく。

 

これがいつまでも続くのだろうか?

 

 

いつまでも続かないと思うのなら、新しい最初の一人にならなければいけない。

 

 

俺らは何を子供に伝えないといけないのか?

 

これは塾によって色々な考え方があると思う。

 

だが、俺はこうだ。

 

 

つまらなさそうな顔して、難しい公式を説明しながら、時々不満や悪口を漏らす。

 

でも、教え方はうまいらしい。

 

こんな先生に習いたいか?

 

 

 

俺らは子供が会うことができる数少ない大人なのだ。

 

子供達がキラキラして俺らの話を聞くような存在じゃないといけないと思う、俺はね。

 

クッソつまらない大人が、子供に教える未来はクッソつまらない未来だろう。

 

俺はそう思うね。

 

 

 

シンガポールにマリーナベイサンズって有名な船の形のホテルあるんだけど、

 

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屋上のプールの端っこどうなってると思う?

 

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ナチスで有名なアウシュビッツあるじゃん?

 

あれより悲しい感じの場所どこだと思う?

 

 

 

万里の長城の一番上に立つとね。

 

風が360度の方向から吹いてくるんだぜ。

 

 

 

俺はずっと前から世界のことを考えながら、生きてきた。

 

そして大人であることを、俺の常識の範囲で捨ててきた。

 

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50歳を過ぎて、こんなBMWに乗ってる人はいるだろうか?

 

靴はいつもクロックス。

 

ドレスコードのある場所には入れない。

 

 

ふざけているのではない。

 

探しているのだ。

 

新しい形を。

 

 

さらに俺は大きい会社を作りたいとは全く思っていない。

 

むしろ大きい会社を辞めて、今日に至ってるくらいだ。

 

出来るだけ小さい会社を作りたい。

 

徹底的に小さくして、みんなで集合体として存在し、それぞれがそれぞれのことを決めればいい。

 

「今日は休んでもいいですか?」

 

そんなこといちいち言わなくていいから、勝手にいつでも好きな時に休めばいいじゃん。

 

自分で都合をつけてからよぉ。

 

給料なんか自分で決めて、頑張る量も自分で決めりゃあいいじゃん。

 

 

 

今年の俺は、1年の3分の1近くを海外で過ごしている。

 

海外で過ごしたり日本で過ごしたりしながら、今日も生きている。

 

塾でこんなことをやってるのは俺しかいないだろう。

 

 

世界と塾の融合だ。

 

まだ誰も考えていないだろうその世界に入っていきたい。

 

 

誰とも競争しない。

 

ただ、みんなが目指してくる存在に勝手になってしまうこと。

 

勝負はそこだ。

 

 

 

海外に住まないって決めただけで、どんどんやる気が上がってくる。

 

アクセスも勝手に増えてくるが、別に見なくていいよ?

 

俺のブログなんか。

 

 

 

とにかく俺は今までのやり方を変えていく一人になる。