みかみの国の王様

お前はお前。俺は俺。

金持ちになりたかったことを思い出した。

シップス先生のブログ読んでいたら、弁理士のことが書いてあった。

 

そうだ。

 

俺は弁理士を目指していたことがあったんだ。

 

当時はインターネットなどというものがなかったので、カセットテープの通信教育で勉強をしていた。

 

1セット20万円くらいしたと思う。

 

結局、概論とか演習とかそういうのを合わせて3セットやったけど。

 

1次試験の前に事情があって、試験勉強をやめた.....

 

 

会社にいてその勉強を始めていたのは、いつか会社をやめようと思ってたんだった。

 

超貧乏だった俺の子供時代から、普通くらいの生活になれた会社時代。

 

で、俺はさらに普通からの脱出を図りたかったんだった。

 

 

俺の武器は勉強することしかないから、勉強して勉強して勉強して資格を取って弁理士として独立しようと思ってたんだった。

 

当時は合格率が3%で、合格者が日本で100人だった。

 

中国地方に10人しか弁理士がいなくて、山口県は3人だった。

 

何人かの弁理士に会いに行ったこともある。

 

「僕、弁理士になりたいんです。実情を教えてください。」って。

 

 

....あがいてた。

 

なんのために生まれてきたのかを、そしてどういう風に生きていくのかについてあがいていたと思う。

 

結局、俺は「とりあえず山口県で一番でかい塾を作る。」ことをテーマにして塾を始めた。

 

苦しい生活から抜け出したかった。

 

何としても自分を豊かな世界に運び出したかった。

 

県で一番大きい塾を作ることさえやめた今、もはやそういう類の目標は消えた。

 

 

 

金は絶対に必要だが、金だけで幸せになれなるわけじゃないってことがよくわかる。

 

「金貸してくれ。」

 

そう言ったらポンと100万円貸してくれる友達が何人いるだろう?

 

入院したら、「大丈夫ですか?」ってSNSやメールをくれる人はいっぱいいるかもしれない。

 

でも、すっ飛んできてくれる人は何人いるだろう。

 

 

最近、仮想通貨で億り人(1億円以上資産がある人)がたくさんできたよね。

 

やれ、ビットコインイーサリアムリップルネム......

 

何かがつまらない。

 

 

お金に直接手を突っ込んで、ジャブジャブとお金を稼いでいく。

 

 

俺は以前のように、豊かになりたい欲望はくなった。

 

もしかして豊かになったのかもしれない。

 

 

お金が集まってくることも大事だが、人が集まってくる人生の方が面白いと俺は思うようになった。

 

「困ったら使えよ。全財産だけどいいわ。」って言い合える友が何人いるのか?

 

飯を食うときに一番大事なのは味じゃなくて、誰と食ってるかだろう。

 

そっちの方がきっといい。

 

俺はそういう人生を選んで歩んでゆくつもりだ。

しばらくブログを書こう。

国立大学前期試験がすんで、地獄の日々が終了した。

 

生きるだけの1ヶ月だった。

 

授業しかしてなかったから、決められたことを粛々とこなしていくのみだった。

 

気をつけていたことは体調を壊さないことだけだった。

 

みんなに迷惑をかけないようにするためだ。

 

 

2次試験がすんでから、やっと自分の仕事に戻れる。

 

今度は違う意味できつい。

 

「やらなくてもいいことをわざわざやる苦しみ。」だ。

 

でも、どうだろう。

 

わざわざ挑戦するからこそ進歩できると思うのだ。

 

 

俺は50歳を過ぎても新しいことを生み出したいし、前進したいと思っている。

 

朝起きて、コーヒーでも飲みながらゆっくり夕方まで過ごして、授業がすんだらビールでも飲みながらみんなと大笑い。

 

それを毎日繰り返す。

 

こういう生活はすでに保証されてるんだよ。

 

俺の場合は。

 

さらに俺は社長だから、自分でわざわざやらなくてもいい。

 

 

でも、それって俺じゃないじゃん。

 

「あの人はいい人だったよね。」

 

死ぬときにこう言われるのは嬉しいかもしれないけど、証拠がないでしょ?

 

俺が何をやったの?

 

俺の子孫が先祖ってどんな人間だったのかなあって思ったときに、ブログがいっぱいあったらうれしいじゃん。

 

とにかく俺は形を残したいと思うわけだ。

 

 

急いで本を作る。

 

まともなやつらが、俺のことをキチガイだと気づくくらいの速度をもってして俺は本を書く。

 

本を書くのが好きな人いるでしょ?

 

本を書きたい人いるでしょ?

 

俺は本を書くのは大嫌いなの。

 

動画を作るのは大嫌いなの。

 

すっごい嫌いなの。

 

そういうのはネクラがやればいいと思ってる。

 

 

俺は本を書くより、ジャングルを探検する方が1兆倍も好きなんだよ。

 

本は一人では書くことができない。

 

出版社の人、校正する人、デザイナー....

 

名前がでるのは著者だけだが、本はみんなで作っている。

 

 

本を書くのがあまりに苦しいから、ブログを書きながら自分を鼓舞しよう。

 

それしかない。

 

というわけで、今年は本書きまくる。

 

動画を撮りまくる。

 

他にも挑戦する。

 

 

今年はがんばる1年にしたい。

 

もはや俺は肉眼で捉えなれないような生き方をしよう。

反抗期。

塾にいる子たちは本当にみんないい子達だ。

 

他人のことを思いやれるし、みんなが優しい。

 

でも、親に対しては言葉遣いが乱暴になったり、してもらって当然だというような態度になることがある。

 

こんなにいい子なのに、こんなにかわいい子供達なのに。

 

本当にもったいないと思う。

 

 

 

....反抗期。

 

いいのかなあ、反抗期という言葉で、親への非礼を肯定して。

 

今までずっと考えて来たけど、俺の中ではそれはいけないのではないかという結論に達した。

 

 

というわけで、親への感謝が少ない態度は本日より指摘することとする。

 

俺が子供達のセカンドダディとして、俺が正しいと思うやり方をやっていこうと思う。

 

 

以上。

時は金なりの意味。

巷では仮想通貨なるものが、話題を集めている。

 

しかし、紙幣だって管理通貨制度の元では仮想通貨だと思うのだ。

 

1万円札の紙切れに1万円の価値はない。

 

でも、国が「それで1万円のもの買えますよ。」と保証しているから、その紙に1万円の価値が付与されている。

 

そしてみんなは当たり前のように紙幣を使っている。

 

 

 

例えば、普通の財布は1万円もしないだろう。

 

ここにLVのマークがついただけで、いきなり8万円とかに跳ね上がってしまう。

 

もちろん耐久性や使い勝手は格段に良くなると思うが、それに8万円払っているわけではないと思う。

 

「私はヴィトンなの。」という優越感に8万円を払ってる人が多いのではないだろうか。

 

ベンツだってそうだろう。

 

トヨタの性能にベンツが必ず勝つということはないと思うのだ。

 

「俺はベンツだ。」というところにお金を払っているんだと思う。

 

 

ってことは、お金が支払われている対象は気分であることになる。

 

気分にお金を払っている?

 

じゃあ、そのお金はどうやって自分の元に来ているのか?

 

よくよく考えてみると、自分の時間を換金していることに気づく。

 

働くことでお金を得ていると言うことは、時間を使ってお金を儲けていると言うことに他ならない。

 

時間を換金?

 

だけど重要なことは、人によってレートが違うと思うのだ。

 

 

通常のバイトの時給が850円だとする。

 

バイトをしている人は、1時間の時間を売って850円のものを手に入れることができるようになる。

 

例えば俺の時給を計算してみようか?

 

俺の授業は1回1.5時間で週4回。それで月謝1万円の20人授業。

 

時給は3万3千円だ。

 

もしも俺の授業で850円稼ごうと思ったら、1分32秒で稼げてしまう。

 

例えば、3万円のものが欲しいとする。

 

バイト君は35時間働かないといけない。

 

だけど俺だと1時間もかからない。

 

 

これを全部に広げてみる。

 

計算が楽なように俺の時給が1万円だったとしてみよう。

 

そうすると俺の1時間の価値が1万円ということになる。

 

俺は1時間を1万円に換金できる。

 

寝てる間も、本来なら授業ができたかもしれないわけだから、7時間寝ると7時間の機会損失(本来もらえるはずだったお金をもらえないことによる損)を起こしていることになる。

 

授業して一生懸命に頑張っている時も、ぼーっとしている時も、時間は平等に流れているはずなのに、使い方が全く違うことになる。

 

ってことは、俺は1万円払って1時間ぼーっとしていることになってしまう。

 

俺がぼーっとしている1日と新品のiPhoneXは全く同じ価値..........。

 

やばい。

 

さすがにやばいでしょ。

 

それにとうとう気づいてしまったのだよ俺は。

 

 

 

 

そしてこれを防ぐために俺は考える。

 

なぜバイト君の時給は850円で俺の時給は1万円なのか?

 

それはその分、俺が頭を使って来たからであるということに気づく。

 

おお、俺は他の人よりリスクをとったり、勉強したり、努力したりしたから時給が上がったのか?

 

すると時間の使い方は、俺が思っているより重要なのではないか?

 

時は金なりって言うけど、金なりどころの話ではないのではないだろうか?

 

下手したら、時間はお金に比例しているんじゃなく、2乗とかに比例しているのかもしれない。

 

めっちゃ時間って重要じゃん。

 

 

お金を一番大事に使っているのは受験生だと思う。

 

1日ごとに詰め込める限界の知識を詰め込んでいるのだ。

 

それを俺はジェット気流の生息域と呼ぶ。

 

ものすごいスピードで時間を動いているはずだ。

 

それに比べると今の俺の時間の使い方は、太った豚の生息域でしかない。

 

眠くなったら寝て、起きたいときに起きる。

 

時間になったら仕事に行って、仕事がすんだら酒を飲む。

 

おい!

 

大丈夫か?俺は。

 

俺の行き先はクルクルパーか?

 

 

もっと時間の中での移動速度を速めなければ、俺の価値を高めることができない。

 

ほぼ何もせずにぼーっと一生を終える人もいるかもしれない。

 

ジョブズのように、世界に影響を与えている人もいるだろう。

 

同じ時間が流れているにもかかわらず、生息域が違うのだ、違いすぎるのだ。

 

 

と言うわけで俺は昨日から、時間の生息域を移動した。

 

今の俺は「小走りしてるおばさん。」の生息域にいる設定にした。

 

小走りを舐めてはいけない。

 

 

太った豚よりも随分進んでいる。

 

俺は小走りしている。

 

普通に歩いている人も時間が経てば、俺が前に離れていっていることに気づくだろう。

 

 

 

だから、先週に比べて全ての時間の価値が上がっているはずだ。

 

時給を考えながら動いていくと、自分の中で矛盾が解決して頑張れることが多い。

 

お前も頑張ってくれ。

 

 

とりあえず俺も小走り続けてみるから。

 

おしゃれ。

俺はおしゃれだと自分で思っている。

 

誰からも認められないが俺はおしゃれだ。

 

俺が毎日同じ服を着ているのも、クロックスばっかり履いているのもおしゃれだからだ。

 

俺がBMWのオープンカーに乗らなくなって、100円玉で買った原付ばっかり乗るのもおしゃれだから。

 

靴下も全部全く同じ赤い靴下にしている。

 

そうするとどれとどれを組み合わせても構わない。

 

 

昔のように全て数万円の服や靴の組み合わせでもいいかもしれないが、俺は結局、今に行き着いた。

 

ヴィトンの靴も鞄も弟にくれてやった。

 

俺は俺スタイルで俺がブランドだからこれでいい。

 

こんなに俺はおしゃれなのに、誰も俺の真似をするやつがいないのは、俺が世間のおしゃれとズレているからなんだろうと思う。

 

それでいい。

 

俺は誰かにおしゃれを決めてもらう必要がないからだ。

 

 

あったかくなったら、またタイのチェンライに服を買いに行こう。

 

たかだか3000円の服を買うために、俺は飛行機を乗り換えて毎年、タイの最北の地チェンライまで足を運んでいる。

 

地球上でそこにしか売っていない服を買い求めに行っている。

 

値段なんか重要じゃないのだ。

 

これは俺の美学なのだ。

 

 

俺の服がどこに売っているか知っている日本人はほとんどいない。

 

それでいいじゃん。

 

 

俺は俺。

 

誰からも計ってもらう必要がない。

 

 

これからもおしゃれに生きていきたい。

受験の中の子供たち。

昨日はいろいろな種類の発表が出てメンタルをやられた。

 

試験だからみんなが全員できるってわけではない。

 

いい子に関しては全然気にならないのだが、点の悪かった子が気になるのだ。

 

周りの人はそういう子たちに向かって頑張れといえばいいと思うかもしれない。

 

もう少しやりなさいと思うかもしれない。

 

でも、俺はこれで食ってるからね。

 

そういうことではない。

 

俺はそう思っている。

 

 

授業が下手な先生が入って来たとするだろ?

 

「生徒のためにもっとうまい授業をやれ!」

 

「もっと練習しろ。」

 

「頑張れ!」

 

これだけでうまくなると思うだろうか?

 

これを何度も言われるとただストレスになるだけだと俺は思うのだ。

 

頑張れが一番効くときは、頑張る方法がわかっていてそこに向かって突っ走り始めてるときだと俺は思う。

 

「お前の授業はフラットだから、先に要点を言え。」

 

「とにかくでかい声でゆっくり話せ。」

 

「もっとみんなが面白いと思う話をしてみろ。例えば、今まで特殊な経験をしたことないのか?」

 

頑張らないといけないことは、今まで一番頑張って来たその子たちがわかっていることで、周りの誰もその子以上に頑張っていない。

 

だから、一番苦しいのはその子だと思う。

 

一番苦しい子に勝手にやれって言うんじゃなく、その子たちの本当の足しになる何かをしてあげたいと思うのだ。

 

 

少しでも早く立ち直りの兆候を作って上げて、誰よりも早くそれを見つける。

 

それはその子が納得してくれる兆候でないといけない。

 

そしてわずかな芽が見えたら一気に褒めまくる。

 

その勢いで一気にあげていく。

 

 

俺らは今、子供達より頑張っていない。

 

「頑張りが足りない。」「もっとやれ。」言うのは簡単だが、俺らだって子供の頃それが苦しかったからできなかったことを思い出して欲しい。

 

子供だって人間だ。

 

ちゃんと自分の言い分だってあるし、大人よりも聞き分けがいいから、我慢してることだっていっぱいある。

 

 

俺は子供たちを大事に育てたいと思っている。

 

子供に質問されたら、必ず子供に座ってもらって俺が立って説明している。

 

「〜やらせた。」と言う言葉は絶対に使わない。

 

小さい気持ちでも、きっと瞬間瞬間子供たちに伝わっている。

 

 

俺は子供の夢を切り取るよりも、夢を孵卵させる仕事をしたい。

 

 

苦しい受験生のみんな。

 

あとちょっと。

 

終わったら、死ぬほど寝てから、トイレで目が覚めてもそのあとまた寝て、お腹が空いてご飯を食べに行っても、そのあとまた寝て、もう寝れないってほど寝て。

 

そして遊びに行こう。

 

今まで我慢してたんだから。

 

だから、あとちょっと本当の本気であとちょっと我慢して頑張って欲しい。

睡眠不足

夢を見た。

 

動画講座をどんどん勧めていくという塾に転職していた(チェーン展開している塾だった)。

 

塾長(俺より若いやつ)と一緒に親御さんたちとの面談をするのだが、パンフレットにいきなり「医学部なら1500万円」と書いてあった。

 

気の弱い男の子の受験生に、動画をどんどん勧めていくという恐ろしい面談で、お父さんが「子供がこんなに嫌がっているけど、どうやって見せたらいいでしょう?」と聞いてくる。

 

俺にも、営業かけろと隣の塾長が催促してくる。

 

お父さんのメモには「子供をなだめながら一緒に10時間視聴」とか書いてある。

 

はー。

 

きつかったわ。

 

恐ろしい夢だった。

 

 

 

 

俺らは営業活動はしない。

 

教材費とかコピー代とか施設費とか補習代とかももらわない。

 

そういうのじゃなくていい。

 

 

地元でみなさんにかわいがっていただきながら、今日までやってこれた。

 

中学生のクラスは教室を開いて5年間、ただ一人もやめていない。

 

ちゃんと真面目に、一生懸命にやって喜んでもらう。

 

ただそれだけ。

 

ズルしたり、雑にやったら必ず誰かに分かることだ。

 

だから、ちゃんと愚直に明るくやってればいいって思う。

 

 

塾は地域に密着して、地域の中で共存していく。

 

目先のことや自分のことだけ考えたらうまくいかない。

 

 

俺らは子供達の成績を上げるというすごい仕事をしている。

 

だからそれを誇りに思っている。

 

勉強のできる親御さんなら、子供さんの勉強を見れるかもしれない。

 

でも、俺らはプロだからちょっと違う。

 

今日のコンディションはどうなのか?

 

何がどう苦手なのか?

 

どんな声をかけたらいいのか?

 

どう解けば次に繋げやすいか?

 

そういうことをたくさんの経験とともに瞬時に判断しながら授業している。

 

 

子供はロボットではない。

 

うまく説明すればそれでいいというものではないと思っている。

 

「こういう生徒はこうなのだ。」巷ではうんちくに溢れているが、一人一人がみんな違うと思っている。

 

ちゃんと心を痛めないように、ちゃんと子供の自己重要感が育まれるように、ちゃんと明日につながるように..

 

 

俺が中学生の時に習った仕事の定義がある。

 

「社会に貢献して、対価を得ること。」

 

殺し屋とかは社会に貢献していないから仕事ではないと教わった。

 

 

だから、薄っぺらい仕事は絶対にしない。

 

得が自分のところだけにくる仕事もしない。

 

自分がたちができるベストを尽くして、あとは評価してもらうだけだ。

 

それが俺の塾なのだ。

夢を見た。

 

動画講座をどんどん勧めていくという塾に転職していた(チェーン展開している塾だった)。

 

塾長(俺より若いやつ)と一緒に親御さんたちとの面談をするのだが、パンフレットにいきなり「医学部なら1500万円」と書いてあった。

 

気の弱い男の子の受験生に、動画をどんどん勧めていくという恐ろしい面談で、お父さんが「子供がこんなに嫌がっているけど、どうやって見せたらいいでしょう?」と聞いてくる。

 

俺にも、営業かけろと隣の塾長が催促してくる。

 

お父さんのメモには「子供をなだめながら一緒に10時間視聴」とか書いてある。

 

はー。

 

きつかったわ。

 

恐ろしい夢だった。

 

 

 

 

俺らは営業活動はしない。

 

教材費とかコピー代とか施設費とか補習代とかももらわない。

 

そういうのじゃなくていい。

 

 

地元でみなさんにかわいがっていただきながら、今日までやってこれた。

 

中学生のクラスは教室を開いて5年間、ただ一人もやめていない。

 

ちゃんと真面目に、一生懸命にやって喜んでもらう。

 

ただそれだけ。

 

ズルしたり、雑にやったら必ず誰かに分かることだ。

 

だから、ちゃんと愚直に明るくやってればいいって思う。

 

 

塾は地域に密着して、地域の中で共存していく。

 

目先のことや自分のことだけ考えたらうまくいかない。

 

 

俺らは子供達の成績を上げるというすごい仕事をしている。

 

だからそれを誇りに思っている。

 

勉強のできる親御さんなら、子供さんの勉強を見れるかもしれない。

 

でも、俺らはプロだからちょっと違う。

 

今日のコンディションはどうなのか?

 

何がどう苦手なのか?

 

どんな声をかけたらいいのか?

 

どう解けば次に繋げやすいか?

 

そういうことをたくさんの経験とともに瞬時に判断しながら授業している。

 

 

子供はロボットではない。

 

うまく説明すればそれでいいというものではないと思っている。

 

「こういう生徒はこうなのだ。」巷ではうんちくに溢れているが、一人一人がみんな違うと思っている。

 

ちゃんと心を痛めないように、ちゃんと子供の自己重要感が育まれるように、ちゃんと明日につながるように..

 

 

俺が中学生の時に習った仕事の定義がある。

 

「社会に貢献して、対価を得ること。」

 

殺し屋とかは社会に貢献していないから仕事ではないと教わった。

 

 

だから、薄っぺらい仕事は絶対にしない。

 

得が自分のところだけにくる仕事もしない。

 

自分がたちができるベストを尽くして、あとは評価してもらうだけだ。

 

それが俺の塾なのだ。

ブログからの撤退を検討中。

時代はブログじゃねえなあ。

 

筋を読み違えると、労力が無駄になる。

 

やっぱりユーチューバーかツイッターだなあ。

 

そろそろブログを完全にやめて他に移行する時期なのかもしれない。

 

インスタは盛り上げ方がわからないからなあ。

 

というわけでブログ以外の表現方法を検討中だ。

道を誤っては目的地には到達できない。

 未来のことはわかっているが、やってることが違うケースが多い。

 

例えば俺の例でいうと、経営に力を入れようとしているのなら、授業を増やしてはいけない。

 

授業を増やせば増やすほど、自分の時間が拘束されて経営ができなくなってしまう。

 

あるいは授業に力を注ぎまくるのなら、参考書のことを考えたり他のことを考えたりしない方がいい。

 

疲れてしまって疲労するからだ。

 

 

大学受験も同じだ。

 

計画の意味を考えて欲しい。

 

計画とは合格までに何をしないといけないかを決めることだ。

 

もしも、その計画が間違っていれば合格と違う方向に進んでしまうことになるだろう。

 

また、もしも計画通りにできなければ、目標まで到達できないだろう。

 

 

心の中ではみんなやるべきことに気づいているはずなのだ。

 

人間は弱いものでそれを実行に移すのが難しい。

 

 

もしも、やりたいことがあるのなら、他のことを我慢してその道を驀進しなければいけない。

 

俺はそう思っている。

 

そして、俺もいつもそれに苦しんでいる。

 

 

とにかく速く解こうぜ。

俺は速く解くのが好きだ。

 

だから、飯を食うのだって速い(笑)。

 

きっちり理解していたらスピードが自然に上がってくると思うんだよ。

 

あとは見た瞬間に、最速解法を探して欲しい。

 

俺だって、最速解法が見つからない時がある。

 

それはいわゆる問題が難しい時で、とりあえず解きながら様子みようって時だ。

 

だから最速解法が瞬時に見えてこない時って、解く力がその問題に負けているんじゃないかな。

 

思うんだけど、化学でいい点取るかどうかってのは覚悟の問題だと思うのだ。

 

できない子が思っているより、覚えることは多くないはずだ。

 

例えば、東大や医学部に行く子は全教科で9割くらい取るわけだから、ほとんど全教科を覚えていることになる。

 

それから考えたらその約6分の1教科くらい覚えられると思うんだよね。

 

今、本のアイデアを固めているところだ。

 

できるだけ記憶の深いところに残さないといけないし、そういうイメージで書きたいと思っている。

 

今回のテーマは絵を多用することだ。

 

今までのものとは違うものを作りたいと思っている。

 

 

 

ネコ VS  俺

ラオスでの俺様の武勇伝を書きたい。

 

今年は卒塾旅行でラオスに行くことが決まった。

 

そこで、調査のために塾のグループのメンバー10人でラオスに行った時の話だ。

 

 

ラオスのエレファントキャンプで、俺らは飯を食っていた。

 

にゃ〜❤️

 

可愛い声が聞こえてるのと同時に、俺の足に柔らかいものが当たった。

 

おお、子猫じゃん。

 

可愛い子猫が飯をねだりに来ていた。

 

 

俺は動物に餌をやるのがとにかく大好きなので、自分の食ってるもののうち、ネコが食べれそうなものを探した。

 

チャーハンの中に入っているチキンの細切れ。

 

これいけるじゃん。

 

 

はい、どうぞ。

 

ギャー。

 

鬼のような形相でネコが俺の肉に食いついた。

 

あれ?

 

可愛い子猫ちゃん、野性味あふれすぎてない?

 

 

基本は可愛いのだが、食うときの勢いが野生すぎる。

 

もう一切れやろうかな...

 

 

ネコが手を伸ばして俺の餌を早く取ろうとしたおかげで、指を小さく引っかかれてしまった。

 

小さい傷なのだが、血が割と出てくる。

 

面倒くせえな。

 

このやろう、餌をくれた人間を攻撃しやがって、あっち行け。

 

 

俺は足でネコを払って、ドローへと持ち込んだ。

 

 

 

そして、次の日。

 

顔を洗っているときに、自分の異変に気付いた。

 

なんと顎のリンパ腺が片方だけ腫れているのだ。

 

え?

 

これはいかんよ。

 

こんなところで、わけのわからない風土病になることはやばいよ。

 

 

すぐに病院を探した。

 

ゆっくり綺麗な英語を話してくれる、感じのいいお医者さんだ。

 

この先生なら安心だ。

 

 

そして症状と昨日のことをお医者さんに話した。

 

その後の診断までわずか1秒。

 

「Cat scratch disease.」

 

猫ひっかき病?

 

なんじゃそれは。

 

 

猫にひっかかれると、菌がリンパに入って来て腫れることがあるらしい。

 

念のために狂犬病などの注射も2発打ってもらって終了した。

 

リンパ線は抗生物質をもらって、数時間後には治った。

 

 

 

ネコ vs  俺。

 

0勝1敗か....

 

新テスト

(ルーターが壊れて家のパソコンが使えなくなってしまった。やっと他のパソコンでログインできた。)

 

www.dnc.ac.jp

 

新テストの問題例が少し前に発表された。

 

そこまで変わってるわけじゃないね。

 

俺の意見だが、問題は悪くないかもしれないが新テストでやるものではないと思っている。

 

まず、2次のような問題になっている(難化してる)。

 

そして実験考察系が増えることが予想される(ひねりが加わってる)。

 

まあ、生徒に賢くなってもらいたいのはわかるとしても、生徒はたくさんの教科を勉強しないといけないから、忙しいのである。

 

こんなCODとか配向性なんてできるわけないと思う。

 

上位層に向けての問題ならいいが、こんな問題出して、平均を6割にするとしたら、超簡単な問題をたくさん入れないといけなくなって、全員が平均点付近に集まってしまうだろう。

 

あと今ままでは択一だったのだが、「全て選べ」なんていう問題まで登場してる。

 

すごくいいと思うが、生徒の正解率は劇下がりするの決定だよね。

 

 

あと気持ちはわかるけど、実験の問題なんか出さない方がいい。

 

実験の問題なんか出しても、実験してないんだからわからんでしょう。

 

実験してたとしても、学校でやるちょこちょこっとした実験で、生徒が何を学べるというのだろう。

 

実験しながら、比重のこと考えたり、色や臭いについて色々考える生徒が難パーセントいるんだろうか?

 

世の中の生徒が全員化学科に進みたいわけじゃないんだから、もっと化学の基本がわかるような問題を増やせばいいんじゃないかなあ。

 

 

こういう問題が増えるんなら、俺の需要が上がるだろうからいいけどね。

 

結局、問題のレパートリーを増やすのなら、易化させるしかないと俺は思う。

 

 

ちなみに俺なら、簡単な英語問題を入れるね。

 

英語で化学を解く練習した方がいいんじゃない?

 

これからは。

 

 

 

あっ、スタンスを忘れてた。

 

俺はシステムにケチをつける男じゃなくて、決まったシステムに合わせて行く男だった。

 

というわけでこのシステムに合わせた準備をしていこう。